2009年9月 3日

できなくてもいいよ

やりたいことが自らの力不足でできないことに、息子は最近苛立ちを示すようになってきました。
それはもちろんよい傾向だけれど、「できない」不満をぶつけられる身にはたまらない。ちょっと手加減してほしいと思う。
手加減とか、気遣いとかそういうものとは無縁の生き物である子供に、大人がそれを求めてはいけないのだとは理解しているものの、そんな子供に対してこそ手加減と気遣いをしなければならないことに理不尽を覚えたりもいたします。
しかたがないのですけれどね。
先行投資というと語弊もあるかもしれないけれど、先々息子が長じてから、そこを察せられるようにするためにも、今はわたしが我慢の一手なのでしょうね。
ただ、この我慢、耐久力ではなく持久力を求められる類のものであるところが辛い。
耐久力なら自信あるんだけどな。

最近は「できない」八つ当たりに対しては、
「ママは君に怒られる理由がないよ。だって、できないのはママじゃないもの。できないのは誰?」
「ぼく」
「できなくて困ってる?」
「困ってる」
「困ってる君は誰にどうしてほしいの?」
「あのね、ママにね、一緒にお手伝いしてほしいの」
「じゃあ、そういうときはなんて言うの?」
「ママ、お手伝いしてください」
「うん。ママは何をお手伝いしたらいいのかな?」
「あのね、この積み木でね、ね、ここにね、橋を作ってほしいの!」
というように「怒らなくても解決する」ことを教えているのですけれど「できないのは誰?」という力不足を強調するような問いかけはやめたほうが良いのかなあ、とか。
わたしは、まず最初に「できない」があって「できる」ようになると思うので、「できない」ことを自覚することはそれほど悪いことじゃないと思うのですが……小さいときくらい万能感の中で過ごさせてやるほうがいいのかなあ、などと思い悩みます。

何が原因でイライラしてしまうのか、どうしたらイライラの原因を解消できるのか。
そういう訓練でもあると思うのですが……2歳児にはまだ早いような気もするし、といってではいつなら良いのかという線引きも見当がつかないし。
「できない」自分が息子の重荷にならないようにだけは気をつけたいです。
自分を無能な人間だと思って育つのは、考えただけでもなんだか切ないですもんね。

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