2009年10月 6日

誰にとっての当たり前?

楽しくなると我慢が難しくなるのは幼児の「当たり前」。 ですが、そこで我慢を教えるのは親の「当たり前」。

当たり前のことを当たり前に努力するのは難しいことでもあるのですが、「やって当然」という気持ちが強くなりすぎると「やれて当然、やれなきゃおかしい」というような自己暗示がかかってしまうようです。わたしは。
「やれて当然」ですとも。たしかに躾なんてものは、親としてやって当然、やれて当然なんです。
でもここで何かがちょっとずれて、ともすると息子に「当然」を転嫁しそうになる。
まだ「できなくて当然」の息子に「やれなきゃおかしい」と思ってしまうんですよねぇ……。

つい最近、何かの拍子に、
「できて当然なのはわたしであって、息子じゃないよなあ」
と気がついて、それで少し楽になりました。
わたしが負うべきは息子への躾を怠らないことであって、しかし成果は息子の成長に頼るしかない。
この割りきりが今ひとつできなくて、実はここ数ヶ月もんもんとしていたのですけれど、ちょっと気鬱が晴れました。
わたしが投げ出したりしなければ、結果は必ずついてくるのだから、焦る必要はないんですよねぇ……。
焦っちゃうんだけど。

ああ、自分のことなら、もっと楽なのになあ。

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