2009年4月21日

片付けられないものも世の中にはあるのですよと言いたい

今日外出先から帰宅しようとしたときのこと。
ふと見れば、助手席側のドアミラーが畳まれています。
「あれ、邪魔になっちゃったかな」
車と車の間に大型カートを横付けできる駐車場でしたから、畳まなくても問題はないと判断したからなのですが。
でも狭い駐車場などではドアミラーが畳まれていないと邪魔になっちゃうこともありますよね。
仮にわたしには広く感じられる空間でも、体格次第で窮屈だと感じる方もいらっしゃるわけですから、誰かに畳まれてもわたしは格別気にはなりません。
今日もそうでした。最初は。
でも、車の鼻先のフェンダーミラー――サイドアンダーミラーというほうがいいのかな――までもが、車体中央に向かって捻られているのに気づいた瞬間、脳に炭酸が流れたような変な感覚を味わうことになりました。
フェンダーミラーって基本、畳めないものです。
それを捻るってどういうこと? なに、隣の軽自動車にはわたしの車のフェンダーが邪魔で乗り降りできないような巨漢が乗ってたってこと? それ、どうやってそのちいさい車に詰めてるの? みたいな。
子供をシートからおろすときに、隣の車のミラーを見て、「サイドミラー、畳んでる。律儀な人だなあ」と感心したので、ちゃんと毎回畳む人にとっては、畳んでいないミラーってこうまでするほど腹立たしいものなのでしょうかねえ。
軽自動車しか乗らない人だと、サイドアンダーミラーが畳めないってわからないのかもしれないし……。
それにしても無理矢理畳まれた左のドアミラーは、車内からのリモコン操作ができなくなっておりまして……これって器物損壊に値しないだろうかと、現在被害届を出すか出さぬか検討中。
届けを出してもやった人が見つかるとは限らないんですけど、物を壊されて黙って我慢するもの性に合わないし……。
どうしたものかなあ。
とりあえず、ドアミラーは今後いかなる場合にも畳むようにしたいですが……壊されちゃってるから、しばらくは畳めない(困)
フェンダーについては対処しようがないんだけどとか……。
なんだかスッキリしない出来事です。

と、いうわたし的に面白くもないことは、さておいて。
息子のお片付けが上手になってきました。
「今日片付けても、明日もまた遊べる」というのが、説得のポイントでした。
大人としては「(今)片付けたら(恒久的に?)遊べなくなる」という解釈はありえないですよね。
明日は明日でまた出せばいいじゃない、と。
ですけど、息子の小さな頭では
片付ける → 消える=遊べない
という解釈だったのか、お片づけに対して頑なに抵抗するところがあったのです。
ところが数日前、積み木を片付けるとき、何の気なしに
「明日も作ってあげるよ。だから今日は片付けようね」
と声をかけたところ、すんなりと自分で片付けてくれました。
えー、たったそれだけのことなの、とびっくり。
ここ数日のことではありますが、「また明日ね、ばいばーい」と言いながらおもちゃを片付けている息子の姿に、夕方の気ぜわしさも多少薄れたような思いがいたします。
同時に、これまでのわたしのアプローチのまずさを反省しました。
子供の心、ひいては行動には「大丈夫」という安心感(親への信頼感)が必要という話は何度も聞いたことがありますが、きっとこういうことだったんだなあと、今さらながらの実感です。
ほんと、わたしの親としての成長が遅くて、息子には申し訳ないです。頑張らねばー。

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