2009年1月 4日

知らないものは欲しがれない

義弟は相変わらず可愛らしいです。
いつ見ても一生懸命で、だけど「一生懸命ではない!」と頑張っているところが好ましいと思います。

ただ、子育てや育児についての手出し口出しには困ったなあと思いました。
たとえば、
食事の終わりに、「若、『ごちそうさま』は?」と。
でも、「『ごちそうさま』は」と彼が言うそのとき、息子はまだ咀嚼の最中なんですね。
言えるはずもないし、言うタイミングでもない。
また、他人様の行い(割り込みなど)を指して「若はああいうことをする悪い人になるなよ」
これは実は「失礼な振る舞い」でもありますし、もう少し大きくなったときに、お友だちに対して
「そういうことをしちゃいけないんだ! そんなことをするのは悪い人だ!」
などと言う子になって欲しくない。
後ろ指は指される側にも指す側にもなって欲しくないんです。
なによりわたしは
「禁止項目を教える前に、模範的行動を見せる、模倣させる」
ことこそが幼児期の育児には大切だと考えているので、本当に困ってしまいました。

もっとも当人は口出しをしているつもりはないんですけどね(笑)
単に、「僕も育児のことわかってるよ」というアピールで。
だから特に腹が立つというようなことはないのですけれども、今は一貫した躾や教育が大切な時期でもありますから、そのアピールはできるなら別の方法でしてほしいなあ、と思ったのでした。

ただ、それを伝えようにも、「そういうことは親の役割ですから」とか「うちにはうちの方針がありますから」という言い方では、可愛い背伸びの足元を払うことにもなりかねないですし、といって都度「かくかくしかじかですから」と説明を入れるのでは、双方面倒すぎますし……難しいですね。
結局、流してしまいました。

まあ、親ではない人の、数回の言葉で混乱するほどには息子も幼くもないだろうし、いいかなあ、と。
義弟のためには一言伝えたほうが良かったのかもとも思うのですが。
それだって、すぐに自分で気づくでしょうしね。

さて、11月、今回と二人の義弟を招いて思ったことは、こどもにとって、おじおばがいるというのはいいなあ、ということ。
これまできょうだいの有り無しにはさほどの拘りはなかったのですが、おじおばがいないのは寂しかろうなあと……。
一人っ子でもいいと思っていたのですが、ちょっと気持ちが揺れました。
やっぱり「知らないもの(きょうだい)」の有り無しはどうでもいいけれど、あると良いと「知っているもの(おじおば)」は欲しくなるのかもしれませんね。
だから良いきょうだいのある人が
「きょうだいっていいわよ~」
というのは、実に当たり前なんですよねぇ。
もっとも一人育てるのにてんやわんやのわたしに、二人以上の子育てができるのか、その疑問はつきませんが、今日からは
「きょうだいっていいわよ~」
にも、素直に「そうなんだろうな」と思えるような気がします。

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