2009年6月22日

覚悟の弊害

今日はわたしの矯正歯科の日でした。
が、息子の担当をしてくれている歯科衛生士さんが、息子に挨拶をした途端、
「今日はぼくの日じゃないよ。ぼくの日じゃないもん……」
と息子は泣き出してしまいました。
いつも歯科に行くときは、「今日はママの番だから、キッズルームで待っていてね」とか「今日は君の番だから、ママはロビーで待っているね」という話をしてから出かけています。
なので、今日はママの番なのにどうしてぼくが呼ばれるの? そんなの聞いてないよ~とびっくりしてしまったようでした。
先生は挨拶に来てくれただけだよ、君もちゃんとご挨拶しようねと話すと納得し泣き止みました。

治療後にその衛生士さんと少し息子のトレーニングについてお話をいたしました。
そこでちょっと気になったことがあります。
衛生士さんはこう仰るんですね。
憎まれ役は引き受けます、嫌われるのは覚悟のうえで頑張りますから、と。
その覚悟は尊いと思うのだけれど、「憎まれても良い」「嫌われても仕方がない」と思っているから「憎まれる、嫌われる」結果になるのではと思ったのです。
基本、子供は全部の人が好き。特定の誰かを嫌うところにまで心の成長が至っていない。
その子供に「憎まれる」ことを前提にして接しているのが、この衛生士さんの弱点になっているのではないかしら。
憎まれることを前提に接していては、なんというか、大人同士でも上手くゆかないと思うんです。
だって、相手は自分を憎むようになるだろう、憎まれても仕方がないという予測と開き直りのもとに動くわけだから。
好かれなくても仕方がない、憎まれても仕様がない、そういう気持ちではなくて
「好きになって欲しい」
という気持ちで接してくれると良いのになあと思いました。
慣れないことへの抵抗、不安、ちょっとした恐怖を持った状態で、「わたしは嫌われても仕方がない立場だから。嫌われるのは承知のうえで、でもやるから!」と押されたら、本当に、大人でもかなりストレスになると思いますしねぇ。
それが自分のためを思ってくれての行動だと確信を持てる大人でさえ
「え~、いや、もう、ちょっと、結構ですから」
となることもあるのですから、ましてや子供では……。
嫌われても仕方がない、と、好かれることを投げてしまう気持ちが、嫌われる原因になるんじゃないかなと思ったのでした。
衛生士さんに声をかけられた息子が泣いてしまったことが、きっと衛生士さんの心を傷つけてしまったきっと部分もあるので、そこは誤解だということは申し上げておきました。
衛生士さん個人が嫌いなのではなく、トレーニングが嫌い(笑)
今日は自分のトレーニングの日ではないはずなのに、名前を呼ばれたので驚いた。
とりあえず伝えられたと思いますが……願わくば「嫌われてもしょうがない」とは思わないでくれますように。

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