2009年6月 9日

親しい基準の曖昧さ

訃報が入りました。義弟の奥さまのお父さまです。
明日お通夜に行くことにしました。
で、不在になることを実家の母に知らせたところ、雨よあられよとアドバイスがふってまいりまして。
その親心はありがたいのですが、でも母は通夜や葬儀を執ったことがないので、アドバイスも微妙にずれており、受話器の向こうにはわからぬよう気をつけはしましたが、苦笑いがこぼれてしまいました。
一番驚いたアドバイスは、
「今晩(仮通夜中)にでも電話して差し上げなさい。明日にはお伺いしますから、と」
……いや、よほど親しければそれも良いのでしょうけれども。
母にとって、知人は他人じゃない、他人じゃない=親しいということなのかもしれませんが……。
それと、この地方特有の冠婚葬祭の習慣をごり押ししてくるのもアレでした。
淋し見舞は全国標準ではないといっても、強硬に「饅頭を持ってゆけ」と譲らないんだもの。
こちらも出かける準備で忙しいので、ふんふんと聞き流して電話を終えましたが、疲れました。

そう、知人は他人じゃない、という認識と言えば。
今回息子を連れてゆくかどうかで迷っていると、義母が言うんです。
「親族控え室があるから大丈夫よ」
……いや、わたしも息子もあきらかに親族じゃないのですが。

親世代との感覚の違いというものを、こういうときは強く知らされます。

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