2009年4月 9日

宝物はちょっとした物陰に

このごろトイカーに嵌っています。
最初はトミカ、今はSiku
Sikuはドイツのメーカーで、ラインナップの特徴としては「農場車」や「輸送車」だと思います。個人的にですが。
緊急車両や乗用車も素敵なんですけど、トラクターやトレーラーの大きさが堪らない。あと、無骨な感じが好き。
思えば昔からこういうおもちゃが大好きでした。
でも「女の子でしょ」という、まあ、昔はよくあるアレで買ってもらえることはなく……今さらのトイカー熱は幼少期の夢の投影かもしれません。
そういうことで、息子よりもわたしのほうが、それらの扱いには慎重です。
不思議なことに傷とか破損は気にならないんですけど(気になるなら直せばいいし、直すほどでもないなら気にならない)、紛失は絶対にイヤ(笑)
片付けるときも、100台はゆうに超えるトイカーを一台ずつ確認しておりまして。
「ん!? ○○がない!」と気がつくのはいつもわたしであったりします。
まあ、わたしが主に片付ける人なので、当然と言えば当然ですね。

そういえば、別にトイカーに限らないのですが、わたしはものがなくなることを苦手としております。
あったものがなくなる理不尽、というのが、どうしてもダメなんです。
壊れたとか、落としたとか、無くなった経緯が明らかなら全く気にしないのですけれども (また買えばいいと思ってる)、理由がはっきりしない紛失はどうにも受け入れられません。たとえそれがメモ用紙一枚でも。
なので、出てくるまで探します。
探す中、「どうやらあのとき落としたのだろう」「あのとき誤って捨ててしまったようだ」などと原因が絞り込めればそこで納得できるんですけどね。
そういうことで、探さずにはいられないわたしです。

でも、わたしの母はそういうわたしの行動が全く受け入れられなかったようです。
延々と探しているわたしに対して、苛々した様子を見せることが度々ありました。
母が苛々していることに気づくと、一応その場では探すのはやめるのですが、納得して止めたわけではないので、今度は頭の中でシミュレートしていたり。
でも、わたしが心ここに在らずといった状態になると、母の苛々は確実にエスカレートしてしまうので……。
「そんなものは最初からなかったの! 諦めなさい! それともわたしが盗ったとでも言いたいの! あてつけがましい!」
(発言に著しい矛盾があると思うんだけども、こうなったときの母は感覚でしゃべってるから「それ、おかしいよね」とか言っちゃうと収拾がつかなくなる)
なんて言葉が出る前に結論を見つけなくてはいけないスリリングな環境でした。

今はわたしが数日間に渡り思い出すたび探していても、「止めろ!」という人がいないので実に幸せです。
だって、探せば絶対に出てくるんだもの。
あるいはなくしてしまった原因がわかる。
「あったよー! 見つかった!」
または
「たぶん、あのときだ」
喜びや反省を共有してくれる家族でよかったなあ、と思います。

で、息子はわたしのそれを宝探しごっこだと思っているのか、ときどき
「まま、トラクタないないしたよ。どーこーだ?」
などと隠してくれるので……いえ、隠した場所を息子がちゃんと覚えていてくれればいいんですけど、隠した当人も忘れてしまうので……毎日毎日宝探しです。
まあ、探すことは嫌いじゃないから、問題なし、ということにしておこう。

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