2009年1月14日

生活のリズム

タイムテーブルどおりにぴたりと行動する必要はありませんが、ある程度のリズムは保ちたいわたし。
ときに、父は入院中ですが、これだって回復までにひと月ふた月かかることですから、日々のリズムはできるだけ壊したくありません。
それが我が母上にはわからないんですよねぇ……
「こんなときくらい、全てをわたしに合わせてくれたっていいじゃない」と仰る。
父の容態ではないところが彼女の彼女たる所以。

たぶんわたしと母の「こんなとき」の領域が違うんだろうな。
わたしとしては、「こんなとき」というのは「危篤」状態。
親が危篤で、
「こどもの散歩の時間だから」というのはナシだと思うし、
「夕食の材料、買いに行かなくちゃならないから」というものナシだと思うし 「今日はリトミックだから」というのはナシだと思う。
でも、CCUにいるとはいえ、極めて差し迫った命の危機ではないときにまで、自宅待機をしている必要はないと思う。
もちろん連絡がつくように、常以上に心がける必要はあるけれど。
でも、母は、それでは不満なんですよねぇ。

(何ヶ月も)家に篭って母からの電話を3コール内で出られるよう、常に電話の前に座って待機していろとは、本当に無茶な要求を突きつけてくるものです。
便所さえおちおち入っていられやしねぇ……

それは無理だし、無駄なこと、と却下いたしましたが、……
今度は「親のお願いを断った」罪悪感が圧し掛かってきます。
別に罪悪感を覚えなくちゃならないようなことではないんですけどね。
だって明らかに無意味なことだし。

「父」が全てである母の生活のリズムと、「父」ではない存在を第一義に据えているわたしの生活のリズムは、基本的に合わせられないし、合わせる要がないことを、どうしたら理解してもらえるのか……。
もう、都度突っぱねつつ、罪悪感には蓋をするしかないのでしょうかねぇ。
しんどいなあ。

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