鬼喰 ― たまはみ ―

第四話 追憶 三

 わたしたちが持ち帰った巨大な船盛を見て、親父は絶句し、祥子さんはぽかんと口を空ける。
 舳先から艫(とも)までゆっくりと視線を滑らせた隆正さんが、ややあって洋に訪ねた。
「……何の祝いだ、これは」
「日倉の大川さんから。……いろいろと行き違いがありまして」
 水押しを支え持つ洋の口は重い。それ以上聞くな、言わすな、と声音で語る洋の要求をあっさりと無視して隆正さんは尋ねる。
「どういうことだか、ぜひ聞かせてもらおうじゃないか。ええ?」
「……年が明けたら説明します」
 わたしが向こうに帰ったら、という意味だろう。
 そうだろうとも、わたしの前では話したくないだろうさ。
「ふん」
 隆正さんは要領を得たようで、横目でちらりとわたしを見る。
 頬と口元の筋肉が、不随意に動いた。
 一方、洋の返答に要領を得なかったらしい父は軽く眉を顰めた。父は間接話法はまったく得意ではないのだ。
「なんだ、それは。説明しなさい」
 洋は溜息をついてうつ伏せた首をゆっくり左右に振る。答えたくない素振りの洋から、父の視線がわたしへと移動した。わたしは答えた。
「いろいろと行き違いがありまして」
 洋の言葉をなぞったわたしの声が、極めて平坦で感情の籠もらないものになってしまったのは意識しての事ではない。
「決まってもいないわたしの結婚の祝いを頂戴することになりました」
 どういう顔でどういう口調で話せばよいのか、わからなかったからだ。
 むろんその場で日倉の大川さんの誤解は解いたが――洋の口八丁に助けられた――そういうことなら景気づけにと、結局贈られてしまったのだ。
 いったい何をどう景気づけろというのか。
「何がどうあってこんな誤解が発生したのか」
 むか。
 むかむか。
 話している間に、急激に感情が高ぶってきた。戸立に添えた手が震える。
「ええ、本当に、一体どこのどちら様のおかげなんでしょうね」
 半ばは自棄だ。
 だいたいうちの面々は裏の皆さんも含めてすっかり忘れているようだが――あるいはうっかり忘れることにしたのか――、わたしと彩花さんの間には、何事かの約束があるのでもないのだ。
 もう放っておいてほしい。
「そうか、そりゃ難儀だったな。で『どこのどちら様』てのは誰なんだ」
 わたしの自暴自棄には気づいたのか気づかないのか。隆正さんの呑気な口調は変わらない。
「さあ、知りませんね。まったく迷惑な話です」
 むかむか、むかむか、と、鳩尾の辺りで何かが音を立てて煮えてゆく。
 そのあたりでやっと話が呑み込めたのか、親父と祥子さんの顔色がさぁっと変わった。
 ぷいと顔を背けたわたしに代わり、洋が父と祥子さんに釘を刺す。押さえた語調に突き立てるような厳しさがあった。
「舞い上がるのも程ほどにね、母さん。兄さんたちのお茶碗を揃えたお店で随分浮かれた話をしていたそうじゃない」
 誤解を解く段でわかったことなのだが、祥子さんが夫婦茶碗を揃えた店で、日倉の大川さんも器を揃えていらっしゃったようだ。
 祥子さんが店主と話しこんでいたその日、たまたま日倉の大川さんの板場の人も店にいたらしい。
 喜色満面の祥子さんの様子に日倉の大川さん(の板さん)は「これはめでたい」と合点した。早合点と責めることはできない。なぜなら祥子さんがそれを確定事項として話していたからだ。
「父さんも。先だって内藤さんのお宅でなにやら話しこんできたんだって?」
 その日の仕出しは、日倉の大川さんの分店からだった。仕出しを納めに来たときに小耳に挟み、先だってのこともあり「これは」と確信してしまったのだそうだ。
 日倉の大川さんは言うまでもないが熊さんの縁者で、うちの檀家でもあった。
 話がどこまで広がってしまったものやら、もう、わたしには想像もできない。
 そして祖父の代(以前)から親しくしてくださっていた大川さんのご隠居は、いざお山の坊ちゃんの「やっとの(!)」お祝いというので、盛大な舟盛をご用意してくださったのだ。
「……ええ、でも、その、世間話のひとつとしてね」
 言いかけた祥子さんに、洋が表情も固く言葉をかぶせる。
「母さん。こんなことは言いたくないけれど、これで万が一にも破談になった場合、どうするの。受け取る物だけ受け取って、お流れになりました、では済まされないよ。自重してくれなくちゃ」
 ……だから破談も何も、そもそもの話ができてない。
 訂正する気力もなくわたしは軽く天を仰ぐ。
 呼応するように、父と祥子さんがうなだれたのが視界の端に映った。
 そのあまりの消沈振りには、さすがに少々の気の毒を覚えた。
 わたしの家出で、二人には随分迷惑も掛けていた。ありもしない話に舞い上がってしまったのも、それだけわたしのことを気に掛けていてくれたからだろう。
 なによりわたしの機嫌と寺の将来を慮って気を張り詰めている洋の様子が可哀相でもあった。
 洋には「もういいよ」と、父や祥子さんには「今後はそういった話をなさらないでください」などと声をかけ、その場を収めようとした――ついでにこれで言質をとって、一切口出し無用に持ち込むつもりだったその――とき、しかし隆正さんがしれっとこう言ったのだ。
「俺は外では一っ言も口にしちゃいねえぞ。……なんだ、こんなことなら盛大に吹いて回ってやればよかったなあ。三日三晩は持ち込まれる馳走で宴三昧を楽しめただろうに。もったいねぇことをした」
「……」
 洋が声と顔色を失い二度、三度口を開閉させた。
 わたしはといえば、腹の辺りで蟠っていた「むかむか」が俄かに熱を帯び、軽い痺れを伴いながら矢のような勢いで脳天へと駆け上って行くのを感じた。
 だが、「むかむか」はそのまま頭蓋骨を通りすぎ、すこんと天へと突き抜けて行ってしまったらしい。
 清々しいほどの脱力を覚えたわたしの手から力が抜ける。支えを失った船尾がぐらりと傾いた。
「おいおいおい、ひっくり返すなよ」
 隆正さんがあわてて船を支え、「まあ、しかし」と言う。
「夏場だったらそうも言っちゃいられねぇ。うむ、決まってもいない祝いにしては上々の首尾だと思うべきだな。それにしても、やあ、旨そうだ。名残のもみじ鯛、ってやつか。うん、旨そうだ。これはいい酒がいるなあ」
 呑気も呑気な隆正さんの言葉を聞きながら、しかしわたしにはもう何も考える事ができない。
 それを知ってか知らずか、いや、絶対にわかっていて隆正さんはわたしに聞くのだ。
「どうした?」
 それでもなんと応えたものか、「いえ」とかなんとか口の中でもごもごと言葉を噛んでいるわたしに隆正さんは屈託なく笑った。
「この様子じゃ万が一にも『破談』になったら、洋は方々で苦労するだろうぜ。何人に頭を下げることになるやら……可愛い弟のためにもせいぜい頑張ってやれよ。それじゃ俺はひとつ、酒でも買いに行ってくらあ。心配するな、まだ何一つとして『決まっちゃいねえ』ことは黙っておいてやるよ」

 ……もういい。
 もうどうでもいい。
 どうせ未来のことなんか、何一つとして決まってはいないのだ。
 好きにすればいい。
 吐くため息さえ失って、脱力のまま船盛を運び込んだ。

 船盛は無事、夕餉の肴になった。
 沈黙というほどでもないのだが、何とはなしに静けさの勝る中で食べた――おそらくは極上の――鯛の味を、わたしはたぶん一生忘れないだろう。
 こんなにも盛り上がらない食事であるにも関わらず、とにかく美味かったのだから。
 しかしこれほどのものを用意してくれた大川さんには何と言い訳したものか。
 隆正さんの声だけが明るい中で、わたしは飯を噛み噛み思案した。
 隆正さんが用意したお酒も、実に美味いものだった。並みのものではない。隆正さんの財布で買ったにしても(貰ったなどとは考えたくもないが)手に入れられたことを不思議に思う。
 だがこれを、どこでどうやって見繕ってきたのか、わたしは一切聞かなかった。
 聞けば思案の種が増えるだけのような気がしたのだ。
 そんなこんなで白々しく始まった夕食だったが、ゆっくりと箸をすすめ、お造りの感想をぽつりぽつりと述べ合ううちに、徐々にぎこちなさは消え、やがて和やかな空気の中に食事を終えることができた。

 ただ、これ以降、彩花さんの話題がわたしたちの口に上ることは、極端に少なくなった。

 振り返って思えば、口に上らせることを憚る雰囲気ができてしまったこともまた、騒動の遠因だったとわかる。
 しかしそれは時が過ぎて思うことだ。
 遠からず訪れる波乱をまるで思わせる気配もないままに、祥子さんが揃えてくれた夫婦茶碗と箸は、しばし戸棚に仕舞われることになったのだった。

 それから数日は穏やかに過ぎた。
 亀さんや熊さんたちと懐かしい話をしながら墓地の掃除をし、麦を遊ばせながら本堂を磨き、桜に宿る母の気配に少々の感傷を覚えながらの日々は至極心地よいものだった。
 日課のような神主さんへの――話す相手はほとんど彩花さんなのだが――近況報告の電話をしていても、冷やかされたり茶化されたりはしなくなっていた。
 それまでがあまりに騒がしかったので、こうして落ち着いて話ができることは素直に嬉しかった。
 その日は仕事の確認と、ついでに志野の様子も聞いていたのだったと思う。
 仕事のほうは相変わらず月に三件ありかなしか。わたしがこちらに来て以降も特に変わったことはないらしい。そのありやなしやの三件も小さな案件ばかりで、わたしの目が必要になるようなことも起きてはいないようだった。
 そうそうあってもらっても困る。……わたしは鬼とは、能うるかぎり、関わりたくはないのだから。
『志野さんは少し退屈そうですわ』
 笑い含みの彩花さんの声に深刻そうな様子はない。そこそこに上手くやっているのだろう。
 たしかに神主さん、とくに夏以降の神主さんとはおしゃべりを弾ませるのは難しいに違いない。
 神主さんの志野に対する態度は、わたしへの態度ほど固いものではない。しかしもともと神主さんには弄られる一方の志野だ。わざわざ弄られるために話しこみたくはないだろう。
 もっとも我慢を強いられて甘んじるほどには志野の気性も大人しくはない。本当に退屈をしているなら、適当な気晴らしにでも出かけてしまうだろうから、家にいるということはそれほどでもないということだ。
 とはいえ、程よい頃合で戻って来よとの雪白さまのお声もある。返事も兼ねて
『数日のうちには帰りますから、もう少しの間、よろしくお願いします』
 そう返すと、彩花さんは
『こちらのご心配にはおよびません。どうぞゆっくりなさって来てください』
 と穏やかに応じてくれた。
 だが2秒半の空白のあとに続けられた『お戻りをお待ちしています』という小さな声に、わたしの頬は緩んだ。
『はい』
 そう答え、わたしはほのぼのとした温かな心持ちで受話器を置いた。

 麦を伴って笹野へと出向いたのは、午後も遅くなってからのことだった。
 先日とは違い良い陽気だった。
 家での仕事――細々とした家事の手伝いが主である。どこにいてもわたしのやれることなど大差ないのだ――を終え、なんとなく出かけてみようと思ったのだ。
 家を出たときは特に行き先は決めていなかった。
 母が亡くなる前の秋に出かけた紅葉の名所か、幼いころ何度か隆正さんが連れて行ってくれた川原か、行き先の候補を思い巡らせたが、結局笹野へ向かう電車にわたしは乗り込んでいた。
 見たかった思い出の景色を見損ねているから、とその理由付けをしていたが、本当のところはもう一度川畑さんに会えないだろうかと、そう思っていたような気がする。
 車窓から見える景色には十六年前と大きくは変わらない。特に山の端を見ていると存在するはずの歳月はまるで感じられなかった。

 たった二駅の、短い旅はすぐに終わった。
 笹野の駅で下車をする。
 と、ちょうど下校時間にあたるのか、覚えのある制服に身を包んだ子供たちとすれ違った。
「そうか、まだ試験期間だっけ」
 遠い記憶を遡る。
 試験の出来を語りあう声に、笑みが浮かんだ。懐かしい。
 思い出深い会話の中、人の流れを遡るようにして、わたしは高校へと向かった。
 緩やかな坂道を登りながら、ふと、時もこうして遡れたならと思う。
 歩みながら、それはしてはならないことだ、とわたしの中で何かが囁くのを聞く。
 なぜか。
 問いに、今を手放すことだからだとわたしは答える。
 母の朧な影が浮かんだ。
 そうだ。どんな過去も、全てが今に繋がっている。何かを失って、何かを得て、そうして積み重ねた過去のどれひとつが欠けても、今には至らない。「今」を手放すことができないのなら、過去を何度繰り返しても同じことだ。
 見鬼でなければ、と隆正さんが言ったことがある。
『知らねぇふりができたのに、と思うことも稀にはあるぜ。それでも見鬼でなければ得られなかったものが大きすぎる。だから俺に見鬼でなければという「もし」は無用だ』
 では、と思う。手放す覚悟さえできれば可能なのだろうか。
 今ある何もかもを捨て去りさえすれば、異なる選択をすることができるのだろうか。
 微かな自嘲を覚え、足を止めた。
「くだらない」
 声にしてみるとその思いは実にしっくりと腑に落ちた。
 何もかもを捨て去ってやり直したところで、当時のわたしが変わるわけではない。同じことを、同じように繰り返すだけだ。
「どうしようもないな」
 家出をしてしまった負い目は相当に大きいらしい。
 勝手をしてすみませんでしたと謝ることも、わたしはまだしていないのだ。
 志野や彩花さんを伴って帰省したことで、なあなあにしてしまったことが悔やまれた。
 もちろん家を出てからも祥子さんとは定期的に――年に数度だが――連絡をしていたとはいえ、それで不義理が帳消しになるものではない。
 くだらないと知っていて、また決してやり直せるものではないと知っているにも関わらず、「もしも」が脳裏から離れないのは、ちゃんと謝っていないからかもしれない。どこかできちんとけじめをつけなくては、と思う。
 立ち止まってしまったわたしを案ずるように、麦がわたしの頬に額を寄せた。
「うん。大丈夫だよ」
 その毛並みを撫でながら、乱れた思考を整えるために、そっと息をつく。
 神主さんのところでは思ったことさえない思考にとらわれては振り回されている。
 家に戻ることを今になっても躊躇しがちなのは、過去の比重が「今」よりも大きくなりそうな、そんな不安のためかもしれないと思った。
 離したくない今がある。
 いくつかの顔が思い浮かぶ。
 それを強く自分に意識させることで、わたしは「もしも」を断ち切った。
 そして気がつく。
 川畑さんと再会した場所だった。

 あの日はやけに慌しく別れてしまったから、連絡先も聞かなかった。
 卒業アルバムを見れば、実家の住所や電話番号はわかるかもしれないが、彼女は家を出ていると言っていた。
 先日お会いしたのですが、うっかり連絡先を聞きそびれて、などとご家族に問うのは少し胡散臭いだろうか。
 今後会うつもりがあるのなら互いに連絡先くらいは教えあうものだろう。あえて娘が連絡先を教えなかった相手にやすやすと教えてくれるとは思えない。
 人通りを避けてわたしは街路樹の脇に立つ。
 わたしの連絡先は彼女も知っているはずだ。
 あれから数日が過ぎて連絡がないということは、連絡をする気がないということかもしれない。
 足元に目を落とすと、長くなり始めた街路樹の影が歩道に鮮やかな縞を描いている。
 そうなると、後はもう偶然を頼むか、そうでなければ諦めるか、……共通の知人に聞くか。
「田宮に聞くか……」
 田宮と会う機会があれば、中澤さん……いや、明子さんから川畑さんの連絡先を聞けばいい。
 昔語りに便乗して、話を向けるくらいはできるだろう。
 世話好きな明子さんのことだから、連絡をする不都合の有無も教えてもらえるに違いない。
「うん、そうしよう」
 結論に満足してわたしは高校へと足を向けた。

 信号を渡り、だんだん急になる坂を上る。
 校舎が近づくにつれて人足は少なくなった。ぽつりぽつりとすれ違っていた高校生とも会わなくなった。ひとつ前の曲がり角であった彼らが最後だったようだ。
 試験期間の夕方となれば、校内にも人は少ない。
 思い出を懐かしむにはちょうど良かった。
 夕暮れの風が懐かしい香りを運んできた。枸橘の垣が見える。
 垣には拳の中にすっぽりと隠してしまえる大きさの実がいくつもなっていた。
 変わらない、と思った直後に、変わったと思う。
 懐かしい垣は、一部を残して金網に変わっていたからだ。
 金網越しに広がるグランドも、当時とは異なっていた。いくつかの棟がなくなり、見知らぬ建物にとって変わられていた。
 失われたそれらに纏わる思い出が、やけに尊いものであるかのように思われる。
 わたしの感じた寂しさに呼応するように冷たい風が吹き抜けた。
「しまったな」
 日中があまりにも暖かかったのでうっかりしていた。わたしはジャケットの前を軽く合わせる。
「コートにすればよかった。麦は温かそうだね」
 校舎の向こうに日が落ちるのと同時に、すいと伸びた校舎の影に飲み込まれる。昼下がりから夕へと一気に時間を経たように感じる。
「寒い」
 首に寄り添ってくれる麦を撫でる。
 麦の温かさは実際には身を暖めるものではないのだが、それだけでも縮んだ背筋が緩みほっとした。
 そしてわたしは、正門までもう少しもないところで、人影に気づいた。
 都合の良い偶然に、わたしは一瞬足を止め、それから残る坂道を駆け上った。
「やっぱり……でも、どうして」
 息を切らすわたしに、この前と逆だね、と彼女が笑う。
「きっと来ると思ったから、仕事のついでに時々寄ってみてたの。本当に会えるとは思ってなかったけど」
 川畑さんだった。