鬼喰 ― たまはみ ―

第四話 追憶 一

 朝食は早々に切り上げて、わたしは自室に篭った。
 どうして一緒ではないのだ、という四人の――隆正さんは預かっていた寺を先代の曾孫に任せたらしく、最近はこっちに居続けしているらしい。そうと知っていたなら絶対に帰省などしなかったのに!――視線に参ってしまったのだ。
 盆に帰省したときも、どうして一人なんだ、まさか本当に因果が巡ったかと喧しいことになった。
 隆正さんの『なんでぇ、おまえ。ははあ、さては袖にされたか』で始まった騒動は今思い出しても頭が痛い。
 今回は言葉こそないものの、「どうして」の眼差しは強まっている。さらには「新しいお茶碗も用意したのに」と湯呑みと揃いの夫婦茶碗(箸付き)を祥子さんに見せられるにいたっては食欲もなくなってしまった。
 うんざりしたといっては申し訳ないのだが、正直、放っておいてくれないかと思う。
「ああ、うん。なんでもない」
 盛大にため息をついてしまったわたしの膝に麦が鼻先を摺り寄せる。
 額を撫でついでに、眉間を人差し指でくすぐるといやいやをするように鼻先を前足で擦る。そこから毛づくろいが始まった。
 その仕草は猫に似ている。ふと「本当の狐は毛づくろいをするか」との疑問を覚えたが、子稲荷さんは狐ではない。姿ばかりは子狐でも生物としての狐ではないのだから、考えるだけ無駄だろう。
 毛づくろいがひと段落つくと麦は顎をわたしの膝に乗せ、心地よさげに瞼を閉じた。ふっくらとした尾が、ぱたん、ぱたんと畳を叩く。
 可愛い顔をしてとんでもないことをしてくれるからなあ、と、麦を見つつ、これは胸のうちだけでため息をついた。
 以前うっかりと麦を相手に愚痴をこぼしてしまったのだが、とんだことになってしまったのだ。
 あれは前回、盆に帰省したときのことだ。

 一人で帰省したことを四人からさんざんに言われ、愚痴をこぼす相手もなかったわたしは、その晩、つい麦に向かいその憤懣をぶちまけてしまったのだ。
『腹立たしいよ。まったく』
 翌早朝。
 親父の叫び声に飛び起きて寝巻きのまま本堂へ向かうと、仏具の全てが逆さまになっていた。
 どんな仕掛けか、ご丁寧に蝋燭までもが逆さに立っている。
 これはいったいなんの呪詛だと腰を抜かす親父、目を丸くする祥子さん。隆正さんがひとしきり興味深げに検分した後に言った。
『こりゃあ、きつねにでも摘まれたか』
 狐?
 まさかと思い肩の上を振り返ると麦は誇らしげに鼻を鳴らす。ぴんと張られたひげと真っ直ぐに立てられた耳、そして膨らんだ尻尾が事実を語った。
 麦は可哀そうなわたしの敵討ちをしてくれたのだろう……頼んではいないのだが。
 半ば呆然と麦を見つめていた。
 と、反対側の肩を叩かれる。振り返ったそこに、不穏ににこやかな洋の笑みがあった。
『ねえ、兄さん。今日がお盆の中日って知ってるよね?』
『……ああ』
『早い人は6時。7時には皆さんいらっしゃるんだけど、今、5時』
 どうしたらいいんだろうね、と笑顔で凄む洋に。
『間に合わせる』
 とわたしは答えた。
『うん。そうして』
 必ずね、と声に出されなかった言葉にも、頷くより他はなかった。
 片付けは難航した。たかが逆さま。しかし飛び散った香炉の灰を片付けるのは容易ではない。
 わたしは朝食返上で本堂の片付けをすることになったのだった。
 麦に手伝わせればよかった?
 悪戯盛りの子狐に片付けは向かない。
 わたしにできたことといえば、片付けに励むことと、麦には丁寧にお願いをすることだけだ。
「麦、気持ちはとても嬉しいんだけど、ここの人は……えーと、亀さんたちも含めて、みんなみんなわたしの大切な人たちだから、手加減してやってくれるかな」
 わかったのかわからなかったのか。
 麦は少し考える素振りを見せたが、ややあって頷いた。
「ありがとう」

「迂闊なことは口にできないなぁ……」
 わたしのお願いを聞いてくれたのか、あれ以来麦がここで悪戯をすることはなくなった。
 だが、この幼い神さまがいつ何時何を思い立って何をしてくれるものかわからない。
 神主さんの家でも似たような愚痴は何度かこぼしているのだが、そのとき麦が何もしなかったのは白狐さまあってのことだったのだろう。
 すでに麦は稲荷ではなくなったとはいえ、白狐さまは麦の祖神(おやがみ)であることに変わりはない。そしてその力量には絶対的な差がある。
 麦に神主さんを困らせるようなことは、つまり白狐さまを怒らせるようなことはできないのだろう。
 まったく孤立無援とはこのことだ。……いやいや、今はその話ではない。
 とにかく、その一件以来、四人が面と向かってわたしを急かしたり焚きつけようとしたりすることはなくなった。が、しかし、もの言いたげな視線はいや増した。口にできない分が、眼差しに籠もるのだ。
 もう一度軽く息をついたときだった。
 襖の向こうに人の気配を覚えた。
「兄さん」
 洋の声だ。どうぞと応えて場所を空ける。麦は半分眠ったまま、わたしの膝を離れ部屋の天井近くで再び丸くなった。
「あれだけじゃ絶対昼前にお腹空くと思って」
 洋が手にした盆に載せられていたのは小ぶりの握り飯が三つと漬物だ。それに湯呑みが二つ。
 気を使わせてしまったことに少々の後ろめたさを覚えながら、ありがとうとだけ言って受けとった。
「悪く思わないでくれるといいんだけど」
「え?」
 湯呑みに伸ばしかけた手が止まる。
 聞き返したわたしに洋は少しの間黙りこみ、ためらいがちに口を開いた。
「母さんたちのこと」
 その様子に十六年前の小さな洋を思い出し、わたしは笑ってしまった。
 笑われたことで口元をきつくした洋が何かを言う前に、わたしは答えた。
「悪くなんて思ってないよ。がっかりさせて申し訳ないと思ってるくらいだから」
 多少うんざりしてるところもあるけれど、と正直に伝えると洋は肩の力を抜いた。
「よかった。食事の途中で立ってしまうくらい怒ってるのかと思った」
「今思案していたところだよ。あんな風に席を立ってしまって、昼はどうやって顔をあわせたらいいのか」
 気分に任せて中座したものの、昼にはまた同じ食卓を囲むことになるのだ。ばつの悪さは隠せない。
 肩をすくめて見せると安心したのだろう。洋の表情から強張りが消えた。
「じゃあ、出かける? 昼はちょっと早めに、外で食べるのはどう?」
 洋が誘う。
「隆正さんたちの好きな肴でも見繕ってさ、夕食は俺たちで用意する、なんていうのは? たぶん夜には皆、朝のことなんて忘れてるよ」
 忘れてくれるからこそ、毎度似たような目に遭わされるのでもあるが、その提案はひどく魅力あるものに思えた。
 別の話題が提供できれば、触れられたくないことを問われずにもすむかもしれない。
 何より気まずさを抱えたまま、一日を部屋に篭って過ごすよりずっといい。
「そうするか」
「よし、決まり」
「で、どこへ行こうか?」
「笹野は? 少し前に駅前にショッピングモールができたらしいんだけど」
 時間つぶしと食事にはいいかもしれない。
「笹野か。結構遠いな」
「一時間はかからないよ。それに笹野への途中に物産館があるからお姉さんにも何かお土産を買うといいと思う。こっちの食材なんかも結構喜んでくれそうだよね……あ」
 しまった、というように洋が口を噤む。
 だが、まだか、まだかと急かされさえしなければ、それほど悪い気はしない。
 軽く苦笑で流し、わたしは首を伸ばして机の上の時計を見る。七時を少し過ぎていた。
「モールの店が開くのは九時半だけど、入場は八時からだったかな」
「それじゃあ、電車の時間は、と」
 スーツケースの中の時刻表へと手を伸ばしたわたしを洋が留めた。
 これこれ、と指先にぶら下げているものを見る。車の鍵だ。
「……そうか」「そうだよ」などと話しながらわたしたちはお茶を飲み干した。
 今から出れば八時ごろには笹野に着くだろう。
 お握りはラップを掛けられて冷蔵庫へと片付けられた。

 線路を左に見ながら車は山間を抜ける。
 雲の切れ間から差す薄い日差しが幾条も大地に注ぐ。幼いころから見続けた景色だ。
 冬の田畑は閑散としていていっそう広く感じられる。
 山を越え、それほど大きくない川を渡ると小さな町に入る。家並みの中を抜けてゆく。
 田畑の中に家が点在する光景に慣れた目には少々窮屈に感じられるほど家が密集している。通学の電車の中から毎日見た風景だった。
 洋の運転する車の助手席から――擦ったりぶつけたりせずにこの狭い道をこの大きな車で走りとおす自信がなかったのだ――外を眺めながら変わらないなあ、と思う。
 それはそのまま言葉になったのだろう。洋が頷いた。
「このあたりは変わらないね」
「そうだな。ああ、でも手すりはアルミになってるな」
 家々の二階の窓の手すりを眺めていうと「アルミじゃなかったんだ」という呟きが返った。
 気がついて改めて見ると、細かな違いが目に付いた。
「おまえが三つのころはね。板塀や門扉のある家も少なかったよ」
 わたしが日常的に目にしていたこの町と、洋が見てきたこの町の間には十五年の歳月がある。
 ただでさえ歳の離れた兄弟だ。共に暮らしていても接点は少なかっただろう。そのうえわたしが家を出てしまったせいで、洋とわたしの間にはまったくと言っていいほど接点がない状態になってしまった。唯一わたしたちを繋ぐのはあの桜だ。
 ありがたい絆ではないなと少なくない苦味を覚え、同時にふと思い当たった。
 そういえば
「二人で出かけるのも初めてだ」
 声にするつもりはなかったのだが、声にしてしまったことが今度ははっきりと自覚できた。
 間が悪いことに信号が赤になる。車は減速し停止線で止まる。
 そこまでたっぷり数秒の間をおいて、何をいまさら、と洋が苦笑をこぼした。
「そんなことを言いだしたらきりがないでしょう」
「……」
「兄さん、まさか俺が箸で飯を食うのを見るのも、湯呑みで茶を飲むのを見るのも『初めてだ』とかやってたの?」
 洋の言葉の後ろ半分はくつくつという押し殺した笑いに飲み込まれる。
 まったく否定できないのでわたしは黙り込むしかない。なにより「きりのないこと」だという覚えがあればこそ、これまで口にしたことはなかったのだ。
 ハンドルに突っ伏して洋は笑いを堪えている。しかし成功しているとは言いがたい。
「……前をみて運転しろよ。ほら、青だぞ」
 そこから笹野に着くまでの十五分。洋がこぼす小さな笑い声だけが車内にあった。
 通り過ぎる景色の中に「隈田会計事務所」の看板を見る。
 事務所であろう建物には、まだ人の気配がない。始業は九時くらいだろうか。
 ああ、彼女の家もこの辺りだったな、と今朝方見た夢の断片をわたしは思った。

 笹野の町は変わっているところと変わっていないところが複雑に入り組んで、どこからどこまでがわたしの知る笹野とは言えなかった。
 もっともよくよく考えればわたしが笹野に通っていたのは高校がそこにあったからだ。
 通う日は終日学校にいたのだから笹野の町の詳細は知らない。知っているのは学校帰りに立ち寄った本屋や文具屋、電車待ちに利用した喫茶店くらいのものだ。
 洋が気を利かせてくれたのだろう。
 車は一旦幹線を離れ、駅の手前から西へと迂回する。
 見知った道、覚えのある垣越しに懐かしい校舎が見えた。その隣に立つ講堂兼体育館も外観に大きく変わるところはない。
「あとで寄ってみる?」
「そうだな。時間があれば」
 最後に見たのは桜の蕾もまだ固い頃だった。今朝の夢では枸橘が咲いていた。今はその小さな実が温かに色づいているだろう。
 実の色に柚子を思った。冬至も近い。
 景色を窓の外に見送って、わたしたちは目的地、笹野の駅前にできたショッピングモールに到着した。

 このあたりには馴染みにくい光景だね、と車を降りた洋が呟く。
 長閑な田園風景の中に突如として現われる西洋風のモールは異彩を放っていた。
「……そのうち馴染んでゆくんじゃないか?」
「でも、箱が変わっても中身は変わらないからね」
 モールを箱に見立てたのなら中身が指すのは人だろう。
「中身は動くし、増えるからなぁ」
 疎らに見える人の数だが、このあたりの人口と時間を思えば賑わっていると言える。昼が近づけばもっと人出も増えるに違いない。
 モールを訪ねる人が多ければ、少なからず町も変わってゆかざるを得ないだろう。
 わたしがそう応えると、洋は首を傾げた。
「増えるって言っても、周辺から笹野に人が集まるだけじゃない? 集まっても大差ないかも」
「少しずつでも他から入ってくるものもあるよ」
「たしかにね。まあ、便利になるのはありがたいか」
 洋は車に向き直り運転席のロックを確認する。
 駐車場からモールへと、わたしたちは急がずに歩き始めた。
「仰木くん」
 記憶の声によく似た呼びかけにわたしは振りかえる。
 見覚えのない少女だった。
 思い出す時間だったのだろうか、一呼吸おいて洋が応えた。
「……ああ、久しぶり」
「本当だー、久しぶりだねぇ。二年ぶりくらい? もう少し? 三年だっけ?」
「さあ、そうだったかな」
「わあ。あいかわらずの薄情っぷりー」
 きゃらきゃらと笑う少女に洋が少し困ったような優しげな表情を作った。
 三分にも満たない時間、立ち話しをし「じゃあね」と少女は友人らしき青年の元に走っていった。友人に二言三言話しかけ、振り返って洋に向かい手を振る。洋が軽く片手を上げて応えた。
「今の子は? 同級生?」
 会話からそう推測して問うと、洋は曖昧に半分だけ頷いた。
「元彼女、かな」
 意味を理解するまでに二秒弱。へぇっという声はかろうじて飲み込んだ。
 あの小さかった洋が、と、もう何度目かの感慨を覚え言葉もないわたしを見、洋は苦笑だか照れ隠しだかわからない笑みを浮かべる。
「高校一年の夏から一年弱。中学校の同級生で、帰省してたときに再会して」
 洋は高校から他県へ出ている。夏休みに帰宅したときに縁があったのだろう。
 ふむふむと聞いていると、でも実質は最初の半年だね、と続けられた。
「秋は連休が多いし、そうこうしてるうちに冬休みだし」
「春が過ぎて袖にされた?」
 何度か言われた言葉を冗談で返してみる。
 洋は少し首を傾ける。
「どうだろう。そういうことになるのかな」
 淡白な言葉にはこれといった感情の動きは見られない。
「別れ話を切り出したのは向こうだから。でも、俺がそう仕向けたんだけど」
「仕向けた……って?」
 モールへ向けて歩きながら洋は話す。
「そりゃあ休みには帰ってくるけど、毎日遊んでるわけにもいかないでしょう」
 手伝いもあるし、と洋はわたしに同意を求める。
「うん、まあ、そうだね」
 洋が帰省する時期は法事も多い。春秋は彼岸、夏は盆、冬には正月前に済まそうと法要が前倒しされる。いや、本来はそうした行事のための休みでもあるのだ。休みにあわせた前倒しも、皆が揃う時期に法事を営みたいと思えばこそでもある。
 今回わたしがこんな半端な時期に帰省をしたのも忙しい時期を避けるためだった。洋とは違いわたしには受付とお茶汲み以外に法要の手伝いはできないからだ。その受付やお茶汲みさえも、この町の人とすっかり疎遠になってしまっているわたしにまっとうできる保証はないが。
「向こうにしてみれば休み以外には会えないのにっていうのがあったんだろうね。だけど」
 毎晩電話を掛けてきては遊びに行こうと誘う。しかし手伝うとは言わなかった、と、今度は明らかに苦笑とわかる笑みが洋の口元に浮ぶ。
「会いに来てとは言ってたけど、会いに来る気はなかったと思う。うちが寺だってことは知ってたし、盆、暮れ、彼岸は忙しいことは何度も伝えたし……一度だけ手伝ってくれないかって言ってみたんだけど、聞き流された」
 だが洋が浮かべるのは苦味を欠片も含まない穏やかな苦笑だ。
「それからだね。なんとなく煩わしさを覚えるようになって」
 煩わしいという言葉に伴うだろう苛立ちさえ感じられない。
「彼女の誘いを三回に二回断るようにしたら、薄情者、って」
 わたしは小走りに去った少女の遠い背中を見る。先刻の印象からもわかる。軽やかで明るく、華やいだことを好むだろうことは一目で窺い知れた。
「……まあ、休日に法事の手伝いというタイプではないみたいだね」
「そう。タイプじゃなかった。だから『別れましょう、そうしましょう』で終り」
「……」
 あっさりと言ってのけた洋にわたしは絶句する。仕向けておいてそれではさすがに冷たすぎるのではないかと思ったのだ。
「あれで良かったと思うよ。お互いにね」
 ほら、と洋が目で彼女の方を指す。少女は友人の腕に腕を絡めて楽しげに歩いていた。
 時折こちらを振り返っては、連れの青年にぶら下がるようにしてじゃれている。
「彼女は俺には向かない。俺も彼女には向かない」
 穏やかな口調だった。
 無関心は優しさに似ている。異なる点は、あの少女の今が楽しいと呼べるものでなくとも、その穏やかさに変わりはないことだ。
 案じることさえもないだろう。
 思いも寄らなかった洋の淡白な一面に触れて、わたしは戸惑ったのだと思う。
「……おまえは? 今は?」
 訊ねるわたしの声は固い。
 対して洋の口調はのんびりとしたものだった。
「遊び相手なら、まあ、ね。一緒にいれば楽しいけどそこまでだな。今は」
「……」
 遊びの内容については深く言及しない方がいいような気がした。
 再び絶句したわたしを、洋が悪戯めいた笑みで振りかえる。
「タイプと言えば、結構いいよね。お姉さん」
「は!?」
「何も言わなくても察してくれるし、お行儀もいいし、所作も自然だし。あの人、お家でもきちんとしてるでしょう?」
「ふ……普通だろ」
「でも違うよ、彼女とはね。お姉さんは知人の連れを、無視したりはしない」
 言われてみればそうかもしれない。彩花さんならおそらく友人を呼び止めた後、話し込む前にその連れに自己紹介をするだろう。友人の兄だと知れば、しっかりと挨拶もするに違いない。
「ちゃんとしたお家に育ったんだろうって親父たちも言ってたけど、俺もそう思う。結構厳しい人でしょう、お姉さんのご両親って」
 少なくとも父親はそうだ。甘いように見えて甘くはない。甘くみえるのは彼が娘をきつく叱ることがないからだが、それは彼女が叱られるようなことをしないせいでもある。
 しかし彼女の成長過程では、あの家にわたしという他人がいた。今はもう一人増えている。だらしなくしたくてもできない面もあるように思う。
 そう、実際初めてあったころの彩花さんといえば、まるで「麦」のような子供だったのだから。
 ちらと肩の上の麦に目をやる。
 何か、と首を傾げるしぐさは愛らしい。しぐさは。
「それは、まあ……人の出入りも少なくない家だし」
 だから彼女の頑是無い悪戯の被害にあったのは、おそらくわたしだけだ。
「うん。うちもね。それもあって熱心なんだと思うよ、親父たちも。兄さんが向こうにいるのを許してるのもそれが大きいんじゃないかな。兄さんが寺を継ぐ可能性もまだゼロじゃないんだし」
「それはもう終わった話だ」
 言いかけたわたしを制して、洋は言葉をつなぐ。
「たとえばお姉さんがああいうタイプだったら」
 もう一度目で少女を示す。その眼差しにかつての恋人や思い出を見る甘さはない。冷静に対象を観察する目だ。
「俺は反対したし、親父たちもあれほど歓迎はしなかったと思う」
「……」
 父たちの歓迎っぷりを思い出し、ありがたいようなありがたくないような複雑な心もちでわたしはモールのアーケードをくぐったのだった。