雪が降る。
音もなく、降り積もる。
山野を白く染めあげて、いつしかわたしをも染めてゆく。
小さな池に揺れる下弦の月。
庭を彩る雪が、月に染まる。
枝から落ちた雪に、水面が揺れた。
小波だち、池の縁へと、うちあたる。
かすかな水音がした。
「みぎわ」
ふと口をついて出たことばに、祝(はふり)が顔を上げた。
もの問いたげな視線を、避けるようにわたしは月を見る。
形にならない面影が、月をよぎる。
並べばよいものを、恐れ多いと縁側に座る男は、渡来の酒を玻璃(はり)の高杯(たかつき)で恭しく差し出した。
「変わった酒だ。口の中で泡立つ」
一口飲んで、わたしはそう評した。正直に申せば、旨くない。甘すぎる。
わたしの知る異国の酒は赤く、葡萄を醸した渋みの強い酒(もちろん、わたしはこれも好きではない)だが、これはそれでもない。
「他になかったのか」
問うと、祝が難しい顔で言った。
「ありません。それに志野は未成年です」
「かたくるしいことを言う」
思わず苦笑する。並んで酒を酌み交わすことに畏まりつつも、この身で酒を嗜むことをこの祝は良しとしない。
「今宵は特別ではなかったのか」
「クリスマスですから、それをご用意いたしました。アルコール度数は、1パーセント未満ですが、一応お酒です。それで我慢してください」
いやなら飲むなと言わんばかりの口調だが、これが不機嫌なわけは他にある。
八つ当たりを甘んじて受けながら、もう一度飲んでみる。
しゃんぱんというらしいその異国の酒は、酒であって酒でない珍妙な飲み物だ。
珍妙といえば、この祝も妙なところで頑固だ。恐れ多いと言いつつも、そのわたしに八つ当たりできるのだから。
いや、八つ当たりの自覚がないだけかもしれぬ。
「十八ともなれば、もはや童とは言いがたかろうに」
「ダメです」
せっかく雪見と洒落込んだのだ。この酒ではあまりにも不似合いではないか。
「仕方がない」
わたしはつぶやきつつ腰を上げた。
わたしが力を使えば、その分、この身に負担がかかる。
なるべくなら使わぬに越したことはない。が、しかし。
わたしの影を、少々映したとしても、今ならば大きな影響はあるまい。
庭に下りようとすると、祝が即座に履物を用意する。
「大事無い」
実は、その履物のはき方を知らぬ。足の甲で複雑に結わえられた紐を見ただけで、おぼえようとする気持ちは、瞬く間に散じた。
素足のままで地に降り立てば、ひやりと心地よい冷たさが、足を通じて身にしみる。
困った様子で足を拭くための布を捜す祝が、目の端に映った。
池のほとりの小さな松の枝に手を伸ばす。これまた小さな松笠が二つ、ころりと手のひらに落ち込んできた。
うちの一つにわたしは影を映す。
何を唱えるまでもない。ただ念じる。それだけでよい。
わたしの意識は松笠の一つに宿り、その影をかつて与えられた姿に似せる。
浄玻璃の目を持つ祝にも、その影が見えたのか。
「雪、白……さま」
祝の呆けたような声が聞こえたが、説明は後でいい。
わたしの意識が抜け出すと同時に、主の体はくたりと力なく崩れる。
その体を抱き上げて屋に戻り、畳に横たえる。冷えぬように上着を着せ掛けた。
わたしの髪が、主の顔に触れる。かすかにうめいて、主はわたしの髪を避けるように寝返りを打った。
「それが、元のお姿でいらっしゃる?」
ためらいがちなその問いに、わたしは頷いた。
「これの祖が、わたしに与えた影を松笠に重ねた。それらしく見えるか」
「直衣(のうし)、ですか」
「さて。衣はあれに倣った。……多恵がよく好んだ」
指差す先には、この家の主の書棚、その一冊は能の舞台を説いたもの。
「ああ、道成寺の……」
祝は指差した先の書物を少々引き出して、見、見比べて首を傾げた。
「それにしても、真っ白ですね」
それは衣のことでなく、わたしの髪と肌を言ったのであろう。
「ゆえに雪白という」
白でない色を宿すのは、眼(まなこ)だけ。血赤のこの眼だけは、雪に染むことはない。
ははあ、なるほど、と祝は相槌をうつ。
わかっているのか、わかっておらぬのか、鷹揚な相槌とは裏腹に、重ねられた問いはなかなかに鋭い。
「では、雪白さまという御名も、その方が」
「さよう」
されば元の名は、などと尋ねられぬうちに、わたしは異なる話をふる。
「これならば、酒を嗜もうとも構うまい。いかように楽しもうと、あれの身に影はおよばぬ」
松笠のままでも良いが、松ぼっくり相手に飲むのは、そなたとて面白くなかろう、と、笑い混じりに問いかけた。
松笠相手に酒を酌み交わす己を想像したのか、二度三度瞬くと、祝はくつくつと笑い出す。
「ままごと遊びを喜ぶ年齢でもありませんからね」
「さて、どうであるかな。ここの娘御とは、楽しんでいるように見受けるが。今宵とても、つきおうてやればよいものを」
軽口に苦い表情で口を結んだ祝が、ご存じでしょうに、と肩をすくめた。
この祝は浄玻璃の目を持つ。それは隠されているものを見る力。見るだけの力、と言っても良い。
稀に見ぬその透かし見の力は、されど、この者の身にはまだ余る。
雑踏で遭遇する鬼たちに、一々驚きながらの外出では、娘も楽しくなかろうと遠慮したようだった。
「残念です」
娘はがっかりした様子でそう言うと、早々に部屋に戻ってしまった。
それで、この男は先ほどから落ち着かぬ様子で、苛々としているのだ。
「そういう志野だって、どうしてここで転がっているんです? 友達と出かけると、言ってませんでしたっけ」
「行く先が、気に入らぬと」
「どこです?」
「はて。どこぞの慰霊祭だと聞いたが、……火を灯して、なにやら歌を……異教の風習はよく知らぬ。それに、これが起きている間の出来事は、わたしには夢の中の出来事のようなもの」
「ああ、それじゃ大学裏手にある教会でしょう。そうか、あそこは外人墓地があるからな。有象無象の鬼でいっぱいでしょうしね。こんな日は」
「些少であれば構わぬとは申したのだが、気が進まぬとな」
鬼喰である主は、漂う雑多な鬼を喰む。
雑多であればよいが、時には御霊とよばれるような大きな鬼まで、意識せずに喰んでしまう。
また塵芥(ちりあくた)のような小鬼でも、多量に喰めば、やはり負担は少なくない。内に取り込んだ鬼らを昇華するまでに、半月もの間、床についていたこともある。
わたしが内に宿ることで、それらの事態を防いではいるものの、主の気が進まぬのも無理はない。
せっかくの日に、気の毒に、とつぶやく祝の声には、それが己が身と被さるのかやけに重々しい。
「ふさぐでない、鬱陶しい」
ため息をつく祝の目の前で、もうひとつの松笠を手のひらで転がした。
「それ、見よ」
一度解けた松笠の影は瓶子となって再度現れる。
「さて、上手い酒でも呑んで、仕切り直しとしようではないか」
「……瓶子はともかく、その酒はいったいどこから」
つまらぬコトを気にしながらも、祝は玻璃の高杯で、わたしの酒を受けた。
「雪だ」
酒の正体を明かす。
「朝には消えるまほろばの夢。丁度良かろう」
雪の光をうけて仄かに光る玻璃の高杯に注がれた酒が、映した月を潤ませる。
「雪、ですか」
「酒は宴を楽しむもの。そのように思えば、雪こそは天上の美酒よ」
まあ、呑め、と薦める。半信半疑、いや、おそるおそる祝は高杯に口をつけた。
一息に飲み干した祝は、うまい、と息をつく。
さもあろう、と継ぎ足せば、それも残さず飲み干した。
雪白さまも、と、わたしの手から松笠の瓶子をとり、酌をする。
しばしの間、雪と月を愛でつつ、酒を酌み交わす。
「志野も起こしてやった方がよくはないですか」
「……松ぼっくりと呑む芸当が、あれにできるとは思わんが」
鬼喰であっても鬼を見ることのないあれには、わたしは風に揺れるだけの松笠だ。
この影を見せてやれぬことはないが、見せたところで喜ばぬことは明らかであるし、と続けると、祝が神妙な面持ちで頷いた。
「気難しいですからねぇ。こーんな顔して呑まれたら、せっかくの酒がまずくなります」
その「こーんな顔」の可笑しさに高杯に映る月までが笑った。
「どなたかの名でいらっしゃる?」
和やかに呑みながら、交わされる他愛もない話の中に、ふとはなたれた問いの指すところが、先刻のわたしの呟きであることを、わたしは察した。
困ったことに、察するとほぼ同時に、わたしは肯いていた。
「みぎわさま、とおっしゃるのですか」
誰が、とは言わずともわかるのか。
「さよう。あれの祖の……わたしにこの姿を与えたものの名だ」
巳季和と、酒に指を浸し、縁に記す。
「巳(み)の季(すえ)の和(なぎ)」
記された文字を祝が読み上げる。
そう、確かに、蛇の末の巫だった。
「遠い昔」
再び、枝に積もる雪が、やわらかく水を打つ。
「わたしの住まう国に、荒ぶる神が訪れた。兄たちはその刃の元に屠られ、わたしは、兄とわたしの巫女の犠牲によって、ただ一人、逃げおおせた。その場は生き延びたものの、何もかも奪われたわたしに先はなかった」
「わたくしのことは捨て置き、この場はどうぞお逃げくださりませ。わが君」
あの声は、思い出せば今も、胸を抉る。
守るべきもの、祈りを捧げてくれる民人を失えば、遠からず消えゆく。それが、身をもたぬモノの定め。
刻一刻と希薄になり、やがては散じる。それを拒むなら異なるものに変じるしかない。
「どのように変じるか、そなたは知っておろう」
目を庭に向けたまま、わたしは言った。
祝が置こうとした高杯が床に触れ、ことことと音を立てる。
変じつつあったわたしを、あの思い起こすだにおぞましいわたしを知る祝の手が、小さく震えていた。
「厭わしいか」
「いいえ」
おいたわしい、と声に出されぬ思いが、わたしの耳に届く。
「それほどのことではない。変じてしまったものや、消えていったものに比ぶれば、わたしは恵まれている」
二度も失いながら、二度ともに取り戻したのだから。
ぐいと高杯を差し出せば、祝は瓶子を傾ける。
あおるように呑み干すと、玻璃の高杯の底に月が映った。
「あれはわたしを探し、見つけ出し、言った」
「わたしが、あなたの」
「……に、なろう」
その声を思い出した刹那、朧だった面影が、不意に形を持った。
激しく。
力に溢れ。
なにものをも貫く鋭い、刃のような眼差し。
凍てついた夜空の星のように。
冷たく燃えるその色は宵闇の藍!
雪に散る椿のような唇がほころぶ。
「あなたを隠す姿と名を。この雪白の大地に架けて」
「わたしとともに来い、雪白」
述べられた腕を取る。
消えよとばかりに吹きつける風に、はためく髪が宙を討つ。
ゆがみのない黒髪を泳がせたまま。
暴れる風を掴み取り、ねじ伏せる。
打ちつける雨を凪ぎ払い、流れに変える。
天地に轟く雷鳴さえも引き裂いて。
沸き立つ流れは、燃えさかる氷か。
白濁した水流が、雨も風も雷も、すべて呑み、昏き果てへと封じ込む。
凄まじきその力。
怒涛のように何もかもを押し流しながら、その花のような面に浮ぶ清冽な笑み。
「力を貸せ。雪白!」
「このまま、……へ封じ込む!!」
「雪白」
雪白の君。わたしの守。
わたしの君。
雪白、後は、まかせる……
雪白
雪白
雪白
「雪白さま!?」
慌てふためく祝の声に、物思いから引き戻されてみれば、わたしの姿がゆがんでいる。
巳季和の影を映し、巳季和が与えた姿を映し、まことの姿を、今の主の姿を、かつての主たちの姿を、とうに失われたあまたの影を映し、いくつものわたしが松笠の上で揺らめいている。
手を目の前にかざす。
透かして見る月に、わたしの前を過ぎていった巳季和の子らの影が浮ぶ。
「あの……」
うつろう影たちを見送るわたしに、ためらいがちにかけられた声にあらためてわたしは我に返る。
「案ずるな」
ことばに出すと揺らぎは徐々に収まり、姿は一定した。
しかし意識がそこに傾いているためか、その姿は巳季和がわたしに与えた姿ではなかった。
目の端に映る夜色の髪と、わたしのものではありえない、やわやわしい、ほっそりとした手が、それをわたしに教える。
「そのお姿は?」
「巳季和だ。よく、似ておろう」
あれに、と、眠っている宿主に目をやると、祝はしばし考える。
「似て、おりますでしょうか?」
「似ておらぬか」
「……志野の方が、もう少し、大人しいのでは」
大人しい、のことばに、静かな笑みが湧き上がった。
「なるほど」
あの細い身のどこにかような力があったのか、たしかに巳季和は嵐のような娘であった。
過ぎ去ってみれば、蒼天だけが残る、そんな娘であった。
嵐のように吹き荒び、一陣の風を残し、晴れ晴れと消えていった。
今の主は、たしかに巳季和より大人しい。
いや、比べることがそも間違いであるかもしれぬ。
巳季和の血をひくものたちは、みな巳季和によく似て激しくあった。
されど、誰一人、巳季和に及ぶものはないのだ。
そして此度の主には、その激しさは片鱗さえも窺えぬ。
もし、その激しさが押さえ込まれていなかったのならば、即座にわかったに違いない。
あれが新たなる、わたしの主であると。
わたしが離れていた月日に、主に何があったのか。巳季和の血の激しさを、ここまで押さえ込む何事かがあったのだろうが、主は、わたしがそれに触れることをゆるさない。
……強情なところはよく似ているか。
主を見るわたしの眼差しを追い、眠る主をみた祝が、なにやら高杯をあげたりさげたり、瓶子に手をのばしたり引っ込めたり。さんざん迷った後、「失礼かとは、存じますが」と、さらに一呼吸ほど間をおいて、訊ねた。
「巳季和さまのような力が、志野にも……?」
その問いかけには少なからず、驚いた。
わたしの思念までも読みとったと、この祝は申すのか。
これの目は、どこまで見てしまう。
祝の胸中を透かし見れば、そこに残る巳季和の影は、まさしくわたしの愛しき娘。
「……人に過ぎる力は、持たぬ方が良い」
それはかつて神であったわたしの心中に踏み込むほどの力を持ちながら、まるで自覚のないこの男に対してのことばであったかもしれなかったし、ただ純粋に、今の主の内に深く眠る力を使わせるつもりはないと言外に込めたのかもしれなかった。
あるいは、人に過ぎる力を宿したがゆえに、失われていったわたしの巳季和へのことばだったのかも知れぬ。
そのいずれであるのか、高杯を傾けつつわたしは思い巡らせたが、答えが出ないこともまた知っていた。
聞き、しばしの間考えた祝は、ゆっくりと頷き、意外にも笑った。
「良かった」
「良い、と?」
「ええ」
晴れやかな笑みと言葉を向けられて、不覚にもことばを失った。
「喧嘩をしたらますます勝ち目がなくなる、というのは冗談ですが、そんな力があると知れば、志野は使うでしょう。必要となれば、躊躇うことさえしませんよ。その結果身を滅ぼすことになっても、迷わない。だから、持たないほうがいいんです」
かつてためらわなかった者を思い出す。
今、この高杯の底に映る、久遠に懐かしき者。
そうだ、と、突如祝は立ち上がる。
あまりにも唐突なその動きに驚いたわたしの持つ高杯の酒が激しく揺られ、巳季和の影を滲ませた。
縁から駆け下りて、祝は小さな池のほとりの小さな松の木に向かう。
さきほどわたしが松笠をかりた松である。
祝は梢の雪をかき集め、なにやら不細工な桔梗らしきものを形作り、楽しげに戻ると、それをわたしの手にのせた。
「ここのうちにはないんですよね。クリスマスツリー」
本当は樅ノ木の一番上にその星を飾って……。
手渡された雪の塊を見る。ゆがんだ桔梗に見えた物体は、どうやら星を模したものらしい。なるほど、人の目には星はこのように映るのかと、手の中の星と月にかすむ星々を見比べる。
「うちはクリスチャンじゃない、という親父を懐柔して、昔、一度だけ母がツリーを飾ってくれまして」
お願い事をしてごらんなさい、和。星が叶えてくれるわ。
「験かつぎにもならない子供だましなんですけど」
夜が明けて、枕元にプレゼントを見つけたとき、すごく嬉しかったんですよ。
話す祝の声が、わたしの脳裏に一人の女を描き出す。
触れれば散る花のように、淡く朧なその影。
それはわたしの巳季和より、弱弱しい儚げな気を醸す女。
だがどこか似ている。
そうか、桜、だ。
界の水際を守る封じの者。
儚く咲いて散りながら、頑としてそこにある花の木よ。
咲いて散り、散りて咲き。
それは生きて死に、命を子に繋ぐ人の……
「やってみませんか」
もしかしたら、なにかいいことがあるかもしれませんよ。
雪の酒のせいか、やけに上機嫌で祝はそれをしきりと勧める。
さてもこの陽気さは、酒のせいか。
神の酒を人が呑めば……はて、どうなるのであったか。忘れた。
常であれば畏まり、けっして触れようとしないわたしの腕をとり、立たせると、松の木のもとへ引っ張ってゆく。
「やめぬか、こら。童でもあるまいに。松笠がはがれる」
とどめるわたしの言葉など、まるで聞きもせず。
「ほら、乗せてください」
さあ、との勧めに、酔うたものに真を説いても詮無きこと、とあきらめて、わたしは歪な星を松の木に乗せる。
乗せられた星が、松葉の上でゆるゆるとふるえる。
「いいことがあるといいですね」
祝は巳季和の姿のわたしを、こともあろうに抱きしめた。
あっけにとられて振り払うことさえ忘れたわたしの背を、祝はぽんぽんと軽く数度叩きながら、ずるずるとしゃがみ込み、あしもとでわだかまり、やがて崩れ落ちた。
なにやら幸せそうに笑い、祝はそのまま、眠りこけている。
「いいことがあるといいですねぇ。今日は本当にすみません」
夢見心地でつぶやくその語尾に、よく知った名を聞き取って、わたしは苦笑する。
「なるほど、迂闊に振舞うものではないと言うことか。我らの酒は、人の酒より、格段に効きがよいからの。うっかりしておったわ」
なにせ、蟒(うわばみ)と呼ばれるわが眷属たちですら、眠りに落とす酒である。
人の身にしては、よくも堪えたものだ。
雪の中に倒れた祝をそのままに、わたしは縁へと戻る。
戻りがてら池に映る巳季和を見れば、祝のつぶやいた名に得心がゆく。
水の末の巫は、地の末の巫にもよく似ている。
「そなたが言うように、人はめぐるものなのかもしれぬ」
影に語りかければ、揺らめく水鏡の向こうで巳季和が笑う。
「巳季和。そなたに久方ぶりに会うた。それが今宵の奇跡なら」
振り返る松の上の星。
「星の奇跡はあれに譲るか」
松笠から主の身に意識を戻し、何食わぬ顔で、寝こけている祝のもとへと、娘を向かわせた。
娘に何度か名を呼ばれ、うっすらと目を開けた祝と娘のほのぼのとした様子を酒肴に、雪の酒を楽しめば。
迂闊なるかな。
主の、人の身なれば。
主の見る夢に引きずられ、いつしかわたしの目も閉じる。
雪白。
涼やかな、明るい声がわたしを呼ぶ。
雪白、後は任せる。
笑い、濁流に消えたわたしの巳季和が残した者を。
得ては失い、失っては得ながら。
巳季和がわたしに残したものを知る。
それは、絶えることのない流れ。
絶え間なく通い、澱むことなく、また奪われることのない永久(とこしへ)の、命の流れだ。
人の中に依坐を持つわたしなれば。
二度と流れを失わぬようにと。
かけられた願い。
雪白。
雪の降る。
真白に染まるこの夜に。
君に、幸あれ。
終わり