カルシュラート公の引見がなされたのは春もまだ浅いころのことだった。
捕らえて数ヶ月、やっと決まった処遇に誰もが胸を撫で下ろしていた。
もはや軍とも言えぬありさまではあるが、エルディア国軍を預かるカルシュラートが公式にキ・ファに膝を折ることは戦の終結には必要なことだった。
これで各地で起きている細々とした反乱も収拾へと向かうだろうと思うと、自然、兵らの表情は明るいものとなった。
広間から見える中庭に回廊の柱が描く影にさえ、彼らはやわらかさを見る。
手入れする者もない庭だが、それでも木々は緑を芽吹かせようとしていた。
凍えた時の終りがそこにはある。
わずかばかりの緑に遠い故郷を思う。砂色に染められたエルディアでは稀にしか見ることのない懐かしい色だった。
しかし引見の刻限から四半刻がすぎても、カルシュラートは姿を表さなかった。
どこの国も女は人を待たせるものだ、などの戯れ言も半刻が過ぎるころには聞かれなくなった。
どういうことだとの顰めた声が末席では聞こえた。
それがと応える声に皆が耳をそばだてる。だが内容を窺い知るには声はあまりにも小さい。
逃げられたのでは、あるいは自刎に及んだのでは。
それぞれが思案をめぐらした。
声にされぬ不審はやがて疑念に変わる。
はや日は中天に差しかかろうとしている。影の去った中庭は鋭い白一色に埋められてゆく。
目を眇め、眉を寄せ、その白の中に人影を見出そうとするが気配はない。
起立したまま待つこと一刻。将兵らがついに壇上の主を仰ぎ見た。
カルシュラートの身柄を確保せよとの命を待ってか、逸る者の中にはすでに剣の柄に手を添えている者もある。
兵の動揺にシェクァードが皇帝に耳打ちしようとした矢先、カルシュラートの到着を告げる声があった。
即座に居住まいを正した将兵らの目は、自ずから広間の入り口へと向けられる。
例がないほどに待たされたことに、視線は棘を含むものとなった。
何者のつもりだ、と誰かが呟く。
窘める声はない。
名ばかりを王族に連ねる女ごときが、と想念が語る。
満場の目は一点に注がれた。
しかしようやく姿を現した公の姿に声ならぬ声さえもが奪われた。
わずかの間の静寂の後、いっせいに吐き出された息が広間の床に落ちる。
「これは……」
「なんと」
「……いや、しかし」
言葉ともいえぬ声までもが随所からあがった。
規律を重んじるキ・ファ軍を率いる将たちにはめずらしいことだった。
彼らが見るその先に将の姿はなかった。
兵でさえない。
中庭に満ちた光を負い、すくと立つ姿は後々までも謳われることになる。
まさに天女のごとし、と。
呆気に取られた。
王と元帥が不在の今、カルシュラートがエルディア軍の全ての責任を負う。
その沙汰を言い渡すための引見だ。
確かに正装でと申し伝えはした。
しかしそれは近衛の将としての軍装であることを前提にしていた。
よもやこのような姿で参りこすとは思いもしなかった。
言うまでもないと念を押さなかったことを悔いたがもう遅い。
正装で赴かせ、広間に入る前に帯びさせた剣をあらためて取り上げるつもりだった。
それをもってエルディア軍が完全に解体されたことの証とするはずでもあったのだ。
さらには王権の象徴の名を冠した者を継ぐ――ファ・シィンの娘と呼ばれる――近衛の上将をキ・ファ国の皇帝に跪かせることで、この国の支配権が誰にあるかを示す重要な機会でもあった。
だが眼前の人物からは奪い上げるべき剣がない。それどころか戦の匂いがしない。いや、生きた人の匂いが、というべきか。生身の存在が持つはずの気配がない。
冬の名残を残す冷たい風が回廊から広間へと吹き込んだ。
かすかに花の――瑞香か――匂いがした。
瞬くどころか半ば開いた口を閉じることも忘れた兵らをゆったりと眺めやり、カルシュラートは足をとめる。一切の表情を見せぬまま、鷹揚に右手を挙げた。
動きにあわせ衣が滑る。聞こえるはずのないそのかすかな音が耳介を撫でた。
意を図りかね、アルデシールは我知らず眉を寄せる。
解した後は肝を抜かれるどころの驚きではなかった。
困惑さえ覚えぬ動揺の中、壇上から声があった。
「姫を案内して差し上げよ」
主の声に三度居住まいを正したものの、次には誰がその手を取ったものかとの思案が広間を貫く。
高貴なる姫君の手を取り皇帝の御前まで案内できる者は、畢竟、ただ一人に限られていた。
衆目が皇帝の隣に立つその人物に注がれる。
「アルデシール」
名指しで命じられ、アルデシールは壇上を下りた。
兄の声が失策を責めるものでないことだけに救いを覚えていた。
してやられた、と、この日のことを思い返すたびにアルデシールは思う。
皇帝の面前まで案内し、アルデシールは壇上に戻ることなく檀下に控えた。
将としてではなく王の血族として、かつ不在の王の名代として引見に応じられたためだ。
いや引見でさえない。
これではまるで対等の和平交渉のようだった。
極めて当たり前のようにカルシュラートは壇上へと上る。グァンドールがカルシュラートのための椅子を用意するよう手近の兵に耳打ちした。
用意された椅子にカルシュラートは深々と腰を降ろす。兄帝と半ば向き合う形になる。
椅子の背に身を預け、肘掛に軽く手を添える。
単身敵陣にありながらのその姿に、亡き叔母を思ったのだろうか。兵らが感嘆の息を漏らした。
顔かたちばかりはバルクの民に似ていても、そこに座る人物はまさしく「ファ・シィンの娘」だった。
対等の和平交渉を演出されてしまった。
カルシュラート、いやエルディアを預かる者が兵を伴なわぬうえは、キ・ファ側が兵を列席させることは難しい。
アルデシールは兵に退席を命じた。
ちらと壇上を仰ぐと、それでよいと兄帝が無言で頷く。
退席する者が壇上の主に礼をとる。その方向にはカルシュラートがいる。
これでは将兵を並べたことも、カルシュラートを礼遇するためであったかのような印象を与えてしまう。
その場に止まることが許されるのはアルデシールと同じく皇帝とは血縁で結ばれる者、シェクァードのみだ。
歯噛みしたい思いもあったが、いまさらやり直すこともできぬ。
将兵らが退席した後、苦々しさに口を閉ざすアルデシールに代わり、シェクァードが口火を切った。
「化けられましたな。そのために刻限を?」
シェクァードの皮肉にも動じることなくカルシュラートは檀下に控えるシェクァードに笑みを返した。
「キ・ファ国では女は槍を取らぬものと伺いました」
声に阿る響きはなく、浮かべる笑みにも一切の媚はなかった。
キ・ファの慣習にあわせてやったのだと堂々と言いのけ、その上でアルデシールに視線を移す。
「前もってお教えいただければこのように皆さまをお待たせすることもございませんでしたが、青宮殿下もお人が悪うございます」
段取りが悪い、と言わんばかりの物言いだ。
顔色を変えたアルデシールに向けられた唇が緩やかな弧を描く。
「正装でとのお申し付けをいただきましたが、簪はいつぞや殿下にお預けしたまま」
ほう、と間抜けた声をあげたシェクァードが何を考えたものか。
「代わりを取りにやるわけにも参りませずご無礼を。どうぞご容赦くださいませ」
凍えた花びらを手のひらに乗せ吹くような口調だった。
正装で赴くに値せず、との宣言でもある。
会釈とも言えぬ軽い礼をアルデシールに与えた後、カルシュラートは徐に皇帝を向き直った。
「お久しゅうございます。グァンドール殿にはお変わりもなく、とは申せませぬわね」
声にも顔にも阿諛の色はない。だが傲然というほどの力みもない。
「キ・ファ国皇帝陛下」
さして深くない礼に耳朶を飾る玉が涼やかな音を立てた。
――襦裙をお纏いになられれば、さぞお美しいでしょう
――髪を結い上げて、玉や花で飾り、紅をさして
いつぞやのセラナスの言葉が耳に蘇った。
――お幾つなのでしょう、ご夫君はいらっしゃるのでしょうか
白銀の蔦が脳裏を這う。
目の奥に緩やかな渦を覚えた。
得るところのない会談は終わった。
武装解除に応じることはやぶさかでない、しかし他は己の一存では承りかねる、とカルシュラートは応えのだ。
「わたくしは武官でございます」
王族ではあれど議会に席のない己には政に関する決定権はない。国王の定めたる元帥亡き今、新たなる元帥が定められるまでの間その職務を預かることに触りはないが、それ以上のことは許されるべきもない。カルシュラートは笑う。
「和平の条件はわたくしが女王陛下にしかとお伝えいたしましょう。無論、その機会があれば、のお話ではございますが」
「王が良いと言えばそのようになさると」
かつて王の命にいいように扱われた女を思い出す。
「是非もないことを。女王陛下が定め議会が承認したことであれば、いかようにもいたしましょう」
「忠義なことだな」
しかし女王が見つからぬのであればその機会は永遠にこない。
「探せ、と仰るか。あなたの王を」
カルシュラートが口元だけで笑う。
その笑みにグァンドールは気づいた。シェル・カン宮の王女を女王であると認めてしまった。
「女王がすでに儚くおなりのときには」
「議会が新たに王を定めるでしょう」
議員の多くはこの戦で失われた。あらたに議員を任じ、議会を召集する王もない。
「なるほど、女王には是非生きていてもらわねばならぬようだ」
娘は口元に薄い笑みを浮かべる。
遠い記憶をなぞるかのような問答にグァンドールは苦笑を浮かべた。
「あなたはよく似ておいでだな。叔母上に」
「似ている?」
ファ・シィンの娘が二、三度瞬いた。娘がふと浮べた表情にはかすかな憐みが混じていた。
「ご不満かな」
「いいえ。光栄です」
そこでカルシュラートは仄かな苦笑を見せた。手にした扇が一度、短く鳴った。
「しかしわたくしが叔母に似ていると思われるのならば、それは貴公がそれをお望みであればこそのこと」
「わたしが」
聞き返すとファ・シィンの娘は考える様子を見せた。
ちらと彼女が視線を投げた先にはシェクァードらがいる。
「ご懸念は無用。忌憚ないところを聞かせていただければありがたい」
娘は己の膝元を見る。そうして目を伏せると日の色の瞳が隠れ、一層その叔母に似て見えた。
「そう。叔母に似ていると言われれば、わたくしはうれしい。けれどわたくしは叔母には似ておりません」
慎重に選ばれた言葉が丁寧に発せられる。
「わたくしの母はランガの生まれ。その父母、祖父母と遡ればバルク、あなた方の故郷へと至ります。わたくしのこの姿はエルディアの生粋を表した叔母とは、少なからず離れておりましょう。そのわたくしが、あなたの目に叔母に似て映るのであれば、わたくしが叔母にこそ似ていて欲しいと、あなた自身が願うからに他ならない。そのように思います。いかがでしょうか」
伏せられていた目がグァンドールを見る。矢のように真っ直ぐに向けられる目にも覚えがあった。
胸に突き立つその矢を引き抜くと、傷口からは皮肉な笑いが零れ落ちる。
「なるほど。たしかにわたしはあなたがファ・シィン殿に似ていればよいと思っているな」
シェクァードが壇上を仰ぐ。浅くない皺の浮ぶ顔が僅かに青ざめていた。
「いや、似ていてくれぬと困る」
エルディアのためにもと続けた言葉に、娘の目がかすかに揺らぐ。だが叔母によく似た揺らぎを垣間見せた娘は、記憶とは異なる眼差しをもってグァンドールの眉間を射抜いた。
殺気というほどの激しさはない。にも関わらずグァンドールの左手は我知らず剣の柄を探ろうとした。それが会談ではなく戦の最中であれば、剣を振るわずにいることは難しかった。
恐れにも程近いものを覚えさせられたことに驚愕する。
覇気と言ってもよい。
その叔母には決して見られなかったものだ。
首元から背へと流れ落ちた冷気が心地よい夢からの覚醒をグァンドールに促す。
醒めた目であらためて眼前の娘を見る。
目裏に乾いた原がよぎった。
低く垂れる白銀の雲に、草萌ゆ前の草原が返す淡い金。渡りゆく風はまだ冬の冷たさを残し、だが春の匂いを纏う。
これはバルクだ。いや、ランガか。
決然と立ちふさがるあの城を、キ・ファの西進を阻み続けたエルディアの東の城壁(ランガ)を思い出した。
これはバルクの原を、ガラムの峰を、ソーマの谷を、そしてこのアルダの道の安寧を守る者だ。
天啓などは信じぬ。信じるのは己の直観だ。
あれはこれを育て上げるため、滅びの中枢で芳香を放ちながら腐りゆく果実の様をつぶさに見せたのだ。
何が国を滅ぼし、何が国を保つのかを教え、国を起こす力を与えるために。
なればこそまた決然と一国の滅びを見送った。
冷気が雫となり背を流れ落ちた。
烈帝と謚された伯父ラージーンがグァンドールに見せた厳しさも、これには遠く及ばぬ。
あれはグァンドールへの猜疑と恐怖に支えられた厳しさでしかなかった。
だが眼前の娘の目にはそれはない。
敵意も害意もなくこれほどの苛烈さを宿す者にかつて出会ったことはない。
直観は確信に変わる。
これこそがファ・シィンを継ぐ者。ファ・シィンを継ぎ、やがてはそれを凌駕する者。その力をこそキ・ファは望む。エルディアに、いや他国に渡すわけには行かぬ。
「エルディアのためにも?」
娘が薄い笑いを浮かべた。
傾けた首に耳元の玉が歌う。
も、の音に乗せられたささやかな重み。
「さよう。エルディアの民のためにも」
グァンドールは一層の意志をこめ、その言葉を繰返した。
「無論、我らのためでもあるが、公には異存があられるか」
深い金色の瞳に映りこむ影が己を厳しい表情で見返していた。
「……両国のためにと」
大きく頷いて見せるとカルシュラートの覇気は途絶えた。あまりに唐突な変貌に指は再び剣の柄を探ろうとする。
気に留める様子もなく、娘は短く息を吐いた。花の色に染められた唇が、僅かに白く曇る。
「他には何が、とはお聞きせぬことにいたしましょう」
グァンドールが乾いた口を開くより前にカルシュラートは続けた。
「結構。ファ・シィンの身代わりを演じろと仰るのであれば、そのように。されど我が身命は女王のもの」
「よかろう。あなたの王を探してここにお連れしよう」
あくまでもカルシュラートを手元に囲うための方便だが、見つかるのならばそれもよい。そのときは女王も手元に置くだけだ。
エルディアの民は「ファ・シィンの娘」に靡く。
ファ・シィンの娘は二人いる。
実利を尊ぶキ・ファ、いやバルクの民であれば、血を引くのみの娘を選びはしない。だがエルディアの民はアディナの「血」に額ずく性がある。
たとえ身を隠すこともできぬほど愚鈍な女王であろうとも、そちらを尊ばぬとは限らない。
だがどちらであっても同じことだ。
エルディアの民が血を選ぶのであれば、女王を質に政を取る。
カルシュラートを選ぶのであれば女王を質に、カルシュラートに政を取らせる。
そう結論付け、グァンドールは会談を打ち切った。
カルシュラートは僅かの名残も見せず席をたつ。
その後姿に現生においては再び目にすることはない者の影を見、グァンドールは胸のうちで苦笑した。
拳を作る。
手の甲に薄く残るハルギスに打たれた痣を見る。
エルディアの民は死した後、砂に返る。
再び生を受けるという思想はこの国にはない。
だからこそ、ただ一度の生を全うすることに真摯なのだろう。
では、とグァンドールは思う。
次生においての邂逅も望むべくはないのだ。
掴んだと思った影は砂となり、指の隙間からさらさらと音を立ててこぼれてゆく。
このまま己も砂となり混じってしまえれば、と心のどこかが呟いた。
この十四年余りの月日に、幾度となく繰返した独白だが、己がそれを選ぶことを決して己に許さぬこともまた熟知していた。
すでに選択は済ませた。
グァンドールは拳を解いた。
手の中に残る最後の砂は零れ落ち、風にさらわれて消えた。
「アルデシール」
檀下に控えていた弟を呼ぶ。
「あれがキ・ファの皇妃となるものだ」
おまえの妃にすると告げると複雑な表情で弟は黙りこんだ。
「爪を整えるに、少々時がかかりましょうなあ」
シェクァードがそういう言い方で、すぐさま青宮妃にするには危ういことを指摘する。
いつ寝首をかかれたものかしれぬということだ。
己を軽んじられたとでも思ったか、アルデシールが眉間に皺を刻んだ。
だが子のないグァンドールの、ただ一人の後継者であるアルデシールを重んじればこその懸念だ。
弟もそれは弁えているようで、不快を露わにしたものの言葉にして問い詰めることはしなかった。
「その必要はない。爪も、牙も、そのままにしておけ」
「なんと」
「いや、いっそ磨かせろ。東方の抑えに使う」
意を得たのか、シェクァードが二度深く頷いた。
「ははあ。我らバルクのものがキ・ファを名乗ることに不満の輩も東には少なくない。そういうことでございますな。バルクのウェルアード殿からもその報せは再三ございました」
陛下を担いでおきながら、己たちは甘い汁を吸い続けられると思うておったようでございますからな。
「浅はかな輩よ」
「まことに」
しかし、とシェクァードは続ける。
「あの娘、バルクではなく、キ・ファを選ぶことはありますまいか」
そのようなことになればバルクは東西を敵とすることになりかねない。
「青宮殿下の御身も危うくなりましょう」
「なくはない。だがないと言ってもよい」
「バルクの血を引く青宮妃であれば、と?」
「いや」
グァンドールは首を振る。
「させぬ、ということだ。ウェルアードに使いを。ランドゥイスを遣せと」
「母上を? この戦地に?」
俯いて何事かを思案している様だったアルデシールが首を上げた。
「戦は終わった。婚儀はこの地で執り行う。これによりエルディアが我らと手を結んだことを諸国に知らしめる」
「ティエル・カンの民も喜びましょうな」
「そうだ。盛大に祝わせる。その際青宮の生母が列席せぬのでは形が整わぬ。女の旅だ。ランドゥイスがここに到るまで、ふた月はかかろうが、気候も良い頃合になるだろう。婚儀がすんだ後、青宮、青宮妃はランドゥイスをバルクへ送り届けろ。その後は兵を率いて旧皇都へ向かえ。不穏な動きを見せている者共を一掃する」
はたして妃殿下は、とカルシュラートをそのように呼んだ。
「それを承諾いたしましょうか」
「女王を押さえる」
「なるほど、シェル・カンから無事に逃れていたとしても、子供の足。それほど早くは進めますまい」
しかしどこへ潜んだものか。
捜索隊の編成とどこに重きを置いて網を張るかでシェクァードは思案する。
「北だ」
アルデシールの言葉に顎鬚を撫でていた手が止まる。
「北、と。さて何ゆえ」
「ソーマは越えられぬ。ガラに捉まれば国が割れる。東はバルク。北にしか潜む場所はない。わたしならそうする」
道は、と地図を広げシェクァードが問うと、アルデシールはしばらくじっとそれを見つめる。
「これだ」
指差したのはアルダ砂漠の東、バルクを掠めるようにして南北に通う小さな街道だった。
「ガラムを越えて、バルクの鼻先を……大胆ですな」
仰ぐシェクァードにグァンドールは頷いて同意を示した。
「ではこの街道に重点を置き、北への道を閉ざしましょう」
「シェル・カンへ向けるはずだった兵をそちらにまわせ。指揮はイレデラットに任せる」
見つからねばそれでもよい。適当な者を女王に仕立て上げるのみ。
従妹とは言え、カルシュラートと女王が分かれたのは十年以上前のことだ。顔もろくには知らぬだろう。あの惨事の中王冠も玉杖も印も失われたとしてなんの不思議があるものか。
「ではすぐにでも手配を。わたくしはこれにて」
「頼んだ」
「畏まりました」
偽の女王であれば、我らに叛旗を翻すこともない。好都合だ。
ならばなぜ、と再び胸のうちに声があった。
女王を探すのか。
形だけでも探さねば、カルシュラートは納得すまい。
それが方便に過ぎないことは、よくわかっていた。