その強き翼を以て― 声なき祈り ―

 尋問は長引いた。
 みな、聞かれもせぬうちからよく喋ったが、そこに欲しい情報がないことは予測されていた。
 主だった官はすでに戦場にて討ち取った。今生きている官の多くは端役であり、あるいは私腹をこなすことにこそ余念はないが国政には無関心であった者たちである。彼らが知っていることになど期待はしていない。
 ゆえにこの尋問は、情報の収集より脅しの意味合いが強かった。
 東から進軍し、王都を押さえた。これより西でキ・ファに抗うことのできる軍を備えている都市はシェル・カンだけだった。もやはエルディアは九割九分、キ・ファが押さえたと言って過言はない。
 だが押さえただけでもあった。
 これを自国のものとして統治するには、この土地に住むものの協力が欠かせない。エルディアの風俗に詳しくない者が直接民を治めるよりも、民を治めるエルディアの役人をキ・ファが統括する方が摩擦は少ない。
 役人が民とうまくゆかぬようであるならば、挿げ替えるにも易かった。
 民は統治者に頓着しないことを、グァンドールは知っている。
 民が心にかけるのは、常に自らの暮らしだ。
 日々を安寧に幸福に暮らせるのであれば、頭上に立つ者が誰であろうとも、興味を示すことはない。
 自らの血族を軒並み屠った叔父ラージーンも、民に対しては温情をよく示した。事実、ラージーンが玉座にあった四十年近くの期間で、それまで辺境の一国に過ぎなかったキ・ファ国は大陸の東半分を統治する大国となった。
 エルディアに対し戦を仕掛ける、というのも、ラージーンの民にたいする示威政策のひとつであったのだ。
 国が富み、民は潤うその政ゆえに、民はラージーンの粛清に目を瞑る。弾圧を受けるカーディイヤの血を引く者に同情を示しながらも、決して庇わなかった。
 トゥーランシヤがその玉座を失ったのも、実のところ放蕩のためではない。彼がどれほど奢ろうとも、民も同じく富んだのであれば、廃位されることなどなかった。彼はラージーンのようには、民に潤いを与えられなかった。だから、民はトゥーランシヤを見限り、自らにより豊かな暮らしを恵んでくれるだろう者を玉座に望んだのだ。
 あの当時、キ・ファでもっとも豊かな街を築いたバルクの城主を。
 玉座へと押し上げられ、壇下にてグァンドールの名を歓呼する民を見、悟った。
 これは贄を奉げる祭壇なのだ、と。
 民の安寧を願って立てられる、人柱なのだ、と。
 だが、我が身を柱として支えねばならぬものの大きさには、まだ気づいていなかった。

 当面の協力者として相応しいのは、野心家でなく、慎重で、人に阿ることに強い抵抗を示さず、実務には適度に長けた者。尋問はその見極めを兼ねて行なわれた。
「存じあげません。わたしはここ十日ほど姿を見ておりません……」
 カルシュラートの行方について、男はそう答える。直前に尋問した者は五日ほどと言い、その前の者は八日ほどと言った。中には二十日、あるいはひと月以上見ていないという者もあった。
 殿上を許されぬ小役人とあれば、それも仕方のないことだろう。
 だが、こうまでそれぞれに異なる答えを返しながら、おおかた陛下を恐れ逃げ出したのでありましょう、と、舌を噛みつつ続けられる言葉は変わらない。「ではその前日には確かに見たのだな」と部下が問えば、黙り込むのもやはり同じだった。
「エルディアの官は兵も兼ねる。自軍の、しかも近衛を預かる上将の動向を知らぬどころか、姿を見た覚えがないなどという話があるか」
 詰問する衛兵の口も滑らかだった。同じ言葉を昨晩から繰返しておれば無理もない。
「も、申し訳、申し訳ございません」
 温い午後の日差しを眺め、グァンドールは釈明を聞き流す。
 申し訳ございません、と、這い蹲る男が本来許しを乞うべき相手は王城の瓦礫の下にいる。

 いかに厳寒期とはいえ屍を幾日もそのままにしておくわけにはゆかない。
 崩れた城を片付けるよう、兵たちには命じた。
「死者は丁重に葬るよう」
 そこにキ・ファとエルディアの兵の別はつけなかった。
 勝敗が決してしまえば、敵味方を分けることは無意味だ。死者は死者でしかない。
 それを葬るのは生き残った者の務めでもあった。
 疫病は敵味方、文武、官民の別なく人を襲う。せっかく戦を生き延び、疫病に死にたくないのならば葬るのは当然だった。
 それを厭い、疫病を避け、この地を捨てて他の場所に陣を構えることも可能だが、街を戦火で荒らして去れば、キ・ファへの反感だけが大地に染みることとなる。
 エルディアを滅ぼすつもりならそれもよい。
 抗う者を殺し尽くせば、終わることだ。
 だが、グァンドールが欲しているのは屍に埋められた大地ではなく、国だった。
 瓦礫を動かす音に耳を傾ける。
 重い石柱を動かす掛け声が、随分と長閑に響く。
 瓦礫の下に旧知の者を見つけたのであろうか。すすり泣く声も微かに聞こえた。
 いずれ先王とその騎士の骸も見つけられるはずだった。
 それを前にしても、これらは同じように、敵であるわたしに諂(へつら)い続けるのだろうか。
 敵国の主に言葉を繕い、自軍の将を罵って命乞いをするさまを、見れば見るほどに、不快が増した。

「あの小娘は、戦を前に怖気づいたのでございます。陛下の武勇はこの国にも轟いてございますれば」
 陛下、と呼ばれるたびに虫酸が走る。
 だが、斬ればさぞ刀が汚れような。
 剣の柄を無意識に撫でつつ、壇下に這う男を見、そう思った。
 頬を波打たせ一心に慈悲を乞う。血の気の退いた額には脂汗。申し訳程度に床に付く両手には、芋虫のような指が生えていた。本人は精一杯平伏しているつもりだろうが、腹が邪魔をして、それ以上上体を倒すことができない。尻についた布団のような肉は、男に正座を許さないため、その姿勢は四つ這いに近い。
 尻をやや落とし首だけで叩頭を繰返す姿は、数日間餌を抜かれた家畜が主の顔色を伺いながら飼を貪る様子に似ていた。
 煩わしい。
 これは使えぬ、と衛兵に目で合図を送る。視線から意図を汲んだ衛兵が男に下がるよう命じた。
「お許しを。お許しを、どうぞ命だけはお助け下さい」
 下がれという命も聞こえぬ様子に、衛兵はその衿を後ろからむんずと掴んだ。
 衿をつかまれたまま二人掛かりで引きずり出されてゆく男は、手足をばたつかせながら「お慈悲を、お慈悲を」と拙いキ・ファ語で繰り返し叫んだ。
 重い、と一言。衛兵が男を小突く。大げさな叫び声が室内に響く。
「生きておるなら立って歩け。引きずるなら死体のほうが手間がない」という衛兵の一喝に男は弾むように飛び上がった。
「申し訳ございません」を繰返しつつ、よろよろと歩き始める。
 その様子を見ていた将の一人が、
「鞠のようでございますなぁ。城壁から投げれば、一里先まで弾むやもしれませんぞ」
 零した言葉に、居並ぶ者が失笑する。
「笑っておる場合か。早急にカルシュラートの行方を掴まねばならぬときに」
 苦笑しつつも窘めた老将がグァンドールを振り返った。
「陛下、神官を当ってはいかがでしょうか」
 葬神殿に勤める神官のうち、僧官と呼ばれる先の王たちの臣を、と老将は言う。
「四代前、になるのでしたか。それの臣が僧官となっておりましょう。ファ・シィンの父の、そしてカルシュラートの祖父の臣です。何事か知っておるやも知れませぬ」

 葬神殿の機構は、その主が死者であることを除けば、それだけで独立したひとつの国のようであった。
 いや、治める民を持たぬ以上、国とは言いがたい。国よりもはるかに清々とし、だが、どこまでもよく似ていた。
 神殿も全てが小ぶりではあったが、王城と基本的な造りは変わらない。
 謁見の間も同様だった。壇上から見下ろすその広間は、先日の戦を思い起こさせる。
 傷ついた膝が疼いた。
 聖騎士であるならば、彼女はここでグァンドールを迎えるべきだったのだ。大神官である甥とともに。
 であれば……。
「陛下、いかがいたしましょうか」
 問われ、不毛な回想を断ち切る。
「僧官か。さて、どの程度使えるか」
 神官は帯刀し戦場に立つことで神殿騎士と呼ばれる。位階はあれど、これらを総じて正神官という。
 神殿にて学ぶ者は準神官と呼ばれ、平常は正神官と画されるが戦場では同じく神殿騎士を名乗り、ハルギスを帯刀することが許される。
 しかし、神殿にあり一般には神官と呼ばれながら、神殿騎士とは呼ばれぬ者もあった。
 ひとつには神殿内の雑用をこなす者。なんと言ったかは忘れたが、宮中における雑役のような者。
 昨日つまみ出した幾人かはこれらに該当する者だろう。
 そして、僧官(アルデュート)だ。
「僧官は葬官とも申しまして、亡き王に従い神殿に入った者だとか。今の葬官の多くは、ファ・シィンの父王の代に国を支えた者。ランガにあったころより、カルシュラートをよく見知った者どもでありましょう。たとえ行方そのものを知らずとも、いつごろここを出たのか、幾人従えていたのか、そのときの様子程度のことでしたら、あるいは」
「なるほど」
 グァンドールは椅子の肘掛をその爪で軽く二度鳴らした。
 王の擁する近衛の三師団とアルディエート公の神殿騎士団、これらを王都四師と呼ぶ。近衛師団は左、中、右の三つに分れ、それぞれに王都の三門を守る。順に、東、南、西である。残された北面には葬神殿が配備され、これを神殿騎士団が守る。
 エルディア国軍はランガ地方には東軍が、南西部はガライダルを中心に南軍、西軍の二軍が配備されていた。国の北部を守るのは北軍と呼ばれる王都四師。その王城の北面守護を務めるものが神殿騎士団であるならば。
 つまるところ、神殿騎士団こそが近衛の際。
 国情に明るく、またファ・シィン直属の部下でもある。
 その神殿騎士と寝食をともにした僧官であれば、あるいは詳細を知っている可能性はあった。
「彼の王以降の朝はどれも今ひとつぱっとしません。老いてはおろうとも、僧官を用いる方が何事にも利があるかと」
 ファ・シィンの父を助けた者がキ・ファを主として認めるならば、たしかにエルディアの民が靡くのも早そうだ。
「しかしどれほどが生きて残っておろうな」
 怪訝な顔で主を見上げた老将にグァンドールは皮肉な笑みで返す。
「葬官もかつては王の側近くに仕えた者。僧官となり帯剣を禁じられておろうとも、ファ・シィンの……旧主の娘の求めに応じぬはずがない」
 ましてや王を兼ねる大神官がそれを認めたとなれば、応えぬほうがどうかしている。
 老将がその細い目を見開いた。
 もしや、とこぼされた声にグァンドールは頷きつつ視線を王宮の方角へと向ける。
「幾人も見た。ランガにて剣戟を交えた者を」
 白い頭はよく目立った。
「なんと、葬官までもが……惜しいことを」
 大神官が王として立ち、生きた聖騎士が元帥を兼ね、僧官が剣を取り、王女が戴冠する。
 ことさらにエルディアの慣例を無視した振舞いが、ファ・シィンらしくないことを、グァンドールはふと思う。
 わたしも城に入れていただけたなら、と老将は失われた腕の残滓を左手で撫でつつ言った。どこまでが本気であるのか測りかねる口調は、しかし戯言とも思えぬ響きを有している。
「とうとう右腕の仇を討ち損ねました」
「右腕の後を追わずに済んだと思え」
「これは手厳しい」
「おまえの腕の仇が居たかどうか知らぬが、気づいただけで二十はいたな。僧官どもの歳を思えば全てが剣を取ったとは思えぬ」
 だが、とグァンドールは続けた。
 ファ・シィンの父がランガにて軍を率いたのは三十数年前に遡る。当時前線にあったとすれば、若い者で六十を越える。剣を取れぬほどに老いた者となれば。
「戦に参ぜずとも、残りはとうにこの世の者ではなかろうよ」
 吐きすてたグァンドールに「やられましたな、またしても。まことランガの、いやエルディアの守護は手強うございます」
 老将は笑う。
 その笑みに苦み以外のものが混じるのは、懐かしさからか。
 思えば、バルクにて手下(てか)となる者を集めたあのころは、何もかもが輝いていた。
 そこに負うべき務めはなく、ただただ夢を追う楽しみだけがあった。
 手に入れた夢はその瞬間に現実となり、予期せぬ務めとともにグァンドールの肩に重く圧しかかった。
 担うにはあまりにも大きな務めだった。
 投げ出した瞬間にも、自身が潰されることはわかっていた。
 手に余る役割を、それでも手中に留め置こうとすれば、広げた指の間から零れ落ちてゆくものも少なくない。
 身を屈めそれを拾うことは許されなかった。
 許されぬ? いまさら!
 意志をもってグァンドールはその感傷を塗り替える。
 玉座を担うと決めたときに、諦めることもまた覚悟したのだ。
「だが、これが最後だ」
 グァンドールの言に老将は頷く。
「さて、ではいかがいたしましょうや」
 取らねばならぬ手立てを思う。瞬く間に、個としての意識は遠のき、支配者のそれに摩り替わる。
 広くはない謁見の間に並ぶ数人の将官を確認した。
 戦を始める前にはあった顔が、三つ欠けていた。
「ファル・カイズ准将」
 名指された末席の将が前へ進み出て跪く。
「一大隊を率いてサハンへ向かえ。御物の運び手を取り逃がした場合、アルデシールにはシェル・カンの攻略を命ずる。その指揮下に入れ。可能ならば王族は生かして捕らえるのだ。捕縛がなった場合には、アルデシールには虜囚を連れて本隊へ戻るよう伝えよ。そなたは隊を率いてシェル・カン城西部に布陣。街道を封鎖。特にガラへ続く道に穴は作るな。展開し終えたら待機しろ」
「待機は、いつごろまでと」
「長くはない。せいぜいが数日のことと心得よ。準備が整い次第、軍を送る」
 では、と若い将は目を輝かせた。
「総攻撃だ」
 二日で落とせ、三日かければガラが出てくる。
「畏まりましてございます」
「その場合、王族の安否は問わぬ」
 エルディアの王族は、一人が手元にあればよい。アルデシールがかの娘を捕らえることができたなら、他は不要だ。いや、邪魔になる。
 間違っても「ファ・シィンの娘」をガラ国の手に渡すわけにはゆかない。
 言外に、捕獲が難しいようであれば殺せとの命を含ませた。
「御意」
「シェクァード」
 老将を呼び、下命する。
「バルクに残した兵の半数をガラの牽制に向かわせろ。ランガの南、ガラへの街道沿いに大隊を配備。シェル・カン方面に兵を割く余力を与えぬよう適度に脅せ。深追いはするな。エルディア軍の残党はシェル・カンに誘いこみ、まとめて叩く」
「畏まりました。西はいかがいたしましょう」
「西はソーマ東岸に三連隊を配備。橋を関として守る。ファーレントは動かぬ。少なくとも、こちらの旗色が悪くならぬ限りは。今動いてもファーレントが得るものはない」
「確かに。ファーレントから見ればソーマ川より東は不毛の土地に見えましょうからな。良い鉄を産出する鉱山もここより東。手を伸ばすにはいささか遠い」
 古い歴史と豊かな農地を持つファーレントにとって、エルディアの国土は魅力的なものではない。ふむふむ、とシェクァードは頷いた。
「戦で鉄の産出が滞ることの方が、ファーレントにとってはよほど面倒でございましょう」
 動くとすれば、今後エルディアが有していた利権を手にする高い可能性を得てからだ。
 その利権も、血を流してまで欲っする類いのものではない。
 ゆえに、たとえエルディアがファーレントに援軍を要請しようとも、すぐさま応えることはないだろう。年端もいかぬ王女に自国の軍を貸したところでその王朝が無事治まる保証はなく、長期に亘りその統治を支援したところで得るものは少ない。鉱山と街道には価値を見出すこともあろうが、エルディアを介してではその利も知れたもの。
 女王を自国の統治者と娶わせるとしても、ファーレントは完全な議会制をとっている。永代的な友好を保つことは難しい。いや、エルディアの外戚となった者がその国力を背景にファーレントを独裁に導く危険性を思えば、これは案にも上らぬはずだ。
 相手を選ぶ確かな目をファーレントの執政官らが持っているのなら、恩を売りつけるのはエルディアではなくキ・ファか、ガラである。それならば、ファーレントは何一つ失うことなく新たなる街道の覇者に便宜を要求することができるのだ。
「畏まりました。ガラ、ファーレントについてはわたくしめにお任せください」
「任せた。ラールバジール少将」
「はっ」
「街道、宿、関、および治水について復旧に必要な日数、費用、人数等を早急に調査せよ。復命はバルクの宰相ウェルアードに」 「畏まりました」
「イレデラット上将」
「はい」
「シェル・カン攻城のための軍を編成せよ。ここに残す兵は最小で良い。残る兵には、ティエル・カンの防衛及び市街の治安維持を申し付ける。チェリシェス大佐は以って准将に叙し、その指揮を命ず」
 次々と命を下しつつ、しかしグァンドールの脳裏には、憑いて離れぬ思いがあった。

 死を守る鳥よ。
 汝その強き翼を以て、眠りし者を守れ。
 その久遠の眠りを、白日に晒すなかれ。

 声にすることのない祈りを、幾度か繰返す。
 それ以上を、決して願わぬために。
 目を落とした右手には、ハルギスに打たれた痣が未だ赤く刻まれていた。