花を愁いては― 時は流砂のように ―

 瓦礫と化した王城を掘り起こして、二人の遺体を見つけ出すのは困難だった。
 時間と人手さえ掛ければ可能かもしれない。
 しかし、その時間と手間が惜しい。
 彼らが王であったなら、何をおいても掘りおこす価値がある。
 グァンドールは久々に天井のある建物を歩きながら考える。
 付随う衛兵がグァンドールを追い抜いて、隠れていたエルディア人を――おそらく、逃げ遅れた神官だろう――取り押さえた。
「たたき出せ」
 処遇を問われ、ぞんざいに言い捨てる。
 キ・ファの言葉を解さないのだろう。神官は何を勘違いしたものか、息を呑み、身を固くしてうずくまった。
 半ば引きずられるように連れ出される神官の命乞いの叫びは通路にこだまする。グァンドールの口の端が皮肉に歪んだ。
 小物になど、用はない。
 欲しかったのは、エルディアの「王」
 その死は、この戦いの終焉の象徴にもなったはずだ。
 だが、彼らは王ではなかった。労を割いてまで掘り起すべき理由がない。
 遺骸を瓦礫の下から掘り返す理由がないと信じたいのか、それとも、掘り返すに足る理由を求めているのか。
 行動を理由付けようとする虚しさに、我知らず、ため息がこぼれた。
 冬の低い日がわずかに差し込むだけの長い通路に、ため息は果てしなく吸い込まれてゆく。
 石の床は砂地になれた足に、ひどく固く感じられた。

 それにしても、とグァンドールは半ば強引に意識を切り替えた。
 不思議な建物だった。
 葬神殿、と言うらしい。歴代の王を祭る、つまり墳墓のようなものだろう、と考えた。
 見渡した壁や、天井に刻まれた模様は花蔦図(クォルチュン)という。水の少ないエルディアではこうして壁や天井に草木を刻む。彩色はない。まず彩色で飾るキ・ファの建造物とは、趣を大きく異にしていた。
「記憶に咲く花はこのように姿を変えるか……興味深いものだ」
 極度に抽象化された花々が、水のように流れを作り、建物全体を取り巻いている。
 注意深く眺めれば、ところどころ、花に隠れるようにして鳥の姿が刻まれていた。
 なるほど、これが死を守る鳥(アズレア)か。
 雉によく似た細い首の鳥だった。
 多くは翼をたたんだ姿だったが、一羽のみ、片翼を大きく広げたものがあった。
 神殿中央の柱に刻まれたそれは、他のアズレアとは異なり、色も施されている。
 体は瑠璃の青。翼も同じく青いが、その羽の一枚一枚が黒く縁取られている。冠羽は燻した銀。大きくはないが鋭いその嘴は、薄い朱の瑪瑙。背の斑紋は金、尾は長く末に向かい、深い青から琅かんのように鮮やかな緑へと色を変え、大きく広がっている。真円を描く金色の虹彩、瞳の紅は髄玉か。目の際は白く、鮮やかな碧と黒で二重の隈取りがなされていた。
 特に大きく張り出した右翼は鋼で作られ、壁の彫刻に埋め込まれている。
 風切り羽は刃を模していた。ハルギスの原形だろうと思われた。
 鋭い鉤爪が握る台座に刻まれた文字を読む。
 ――我が翼は鋼の刃

「我が翼は鋼の刃
 乾坤にただ一人 君に捧げたる誠の証し
 鋼は我を大地に縛り 天を遠ざける
 されどこの翼こそ 我がさだめ
 我が希求せしもの
 我が矜持たる ただひとつなり
 我、天を忘るるとも 君をこそ忘れじ
 君、眠りにつきしも 懸けてその傍を離れじ
 我が身命を賭して 君が眠りを守らん
 鋼と変えし翼にて 常しえに 眠りし君を守らん」

 左の翼の下に庇うように抱いているのは一輪の花だ。
 アズレアの図の一部なのだろう、その花だけは周囲の彫刻とは異なり、白銀の箔が施してあった。
 灯りを映すその花は、月の光を思わせるやわらかな光を放つ。
 花芯に使われた石の鮮やかな水色が目を射った。
「母なるアディナの紋、王の象徴であったな」
 その名で呼ばれた女を、知っていた。
 女はエルディアでしか産出せぬこの石と同じ色の目を持っていた。
「銀の花(ファ・シィン)……か」
 もう、この世にはない。
「乾坤にただ一人、我が希求せしもの、とな」
 笑おうとして、失敗した。
 引き攣れた頬が、微かに震えただけだった。

 ここを仮とはいえ居城にすることに際しては、城下からも豪胆な、不遜な、などの声が聞こえた。が、ほかに適当な建物がないのなら、ここに起居することは彼にとって至極当然のことだった。
 墓だから、どうということはない。死者が恐ろしくて戦などできようものか。
 城下に逃げ込んだ官や王族の探索は部下に任せ、彼はいくつかの部屋を見て回った。
 そのうちのひとつがアズライルと名乗った先王のものであることが、入り口にかけられた幕を開けた瞬間に分かった。
 晶花(カシヤン)の匂いが部屋に染み付いていたからだ。
 二間続きのその部屋に、導かれるように足を踏み入れた。
 手入れの行き届いた部屋だった。
 手入れをしたのはファ・シィンだろう。
 葬神殿に封じられて二年のほとんどを、彼女はこの部屋で過ごしたと聞く。
 その気配が消え去るには、二ヶ月という時間は短いようだ。
 飾られたいくつかの絵や、調度の優しげな雰囲気に意外な思いがした。
 いっそ何もないほど殺風景であるほうが、彼女らしいと思ったからだ。
「いや、そうではない」
 初めて出会ったときのファ・シィンの姿を思い出す。

 黄金に輝く砂原に、花が咲く。
 場違いなその姿に目を奪われた。
 まるで天から降ったようだった。
 なんの間違いで、その少女がそこに現れたのか。
 とにかく止めなければと横から伸ばした槍が、図らずも少女の腕を切り裂いた。
 絹の長衣が馬上に翻る。鐙をふむ靴の小ささが強く印象付けられた。
 よくも、と、叫んだのだと思う。美しい声だった。
 当時はエルディアの言葉に不慣れだったため、その意味は推測でしかない。
 少女がその細い腕に槍を携えていることに気づいたのは、頬を抉られた後だった。
 兜の頬飾りの房が槍の突起翼に絡まったまま、引きちぎれた。
 返り血が涙に溶けて、白い頬にひとすじ流れた。
 よくも、兄上を。
 叫んで再び繰り出した槍は驚くほどに早かった。
 馬上で身をひねり、かわした。その柄を掴み引き寄せる。目が合った。雷で打たれたような衝撃を受けた。思わず、怯んだ。手のひらに傷を残し、少女の槍がすり抜ける。
 少女の振り回した槍の柄で、周囲の歩兵がなぎ倒された。
 囲みこもうとした騎兵の馬が足を傷つけられ棹立ちになった。
 どう、と倒れこむ馬を器用に交わし、グァンドールの横を駆け抜けてゆく。
 手を伸ばして少女を捕まえようとした。
 その細い腰に指がかかるかというときに。
 急に視界が反転した。
 後続の兵に、馬を切られたのだと気づいたときには、地面に投げ出され、蒼天を見つめていた。
 起き上がり、後姿を見送った。
 それが、彼女を見た最初だった。

「まったく同じことを二度繰り返すとは、わたしもとんだ道化だ」

 半ば呆然と遠ざかる少女を見送り、我に返ったときには、もはや取り返しが聞かぬほど隊列は乱れていた。
 なんとか撤退した後で、将官を失っていることに気がついた。
 被害を最少に食い止め、完全な崩壊を免れたことを評価され、ランガ攻略の将に抜擢されたのはもう二十年以上前のことである。
 野望の、あれが始まりだったように思う。
 あの日、わたしは伯父の顔色を伺い、息を潜め、地を這うようにして生きることをやめた。

 室内を見渡す。
 ひとつの額が目にとまった。
 それは片手で持てるほどの小さな絵だった。
 中天にさしかかる日、抜けるように青い空と金色の砂漠、逆光の中、見上げる角度で大きく描かれた城。
「ランガ城塞か」
 それは彼にとっても、輝かしい記憶の中にあった。
 額を壁から外す。
 この城塞を、彼は結局手に入れることができなかった。
 ランガの守護は、守りきれぬと見るや、城を破壊した。ファーレント製の爆薬で城ともども、木っ端微塵に吹き飛んだ。
「まあ、見事な散り際ではあったが」
 そのときの轟音よりも、露台で高らかに笑うランガ守護のだみ声のほうが印象深い。
 ファ・シィンの叔父だったらしいが、その姿に彼女を思わせる要素はなかった。
「思い切りの良さは、似ておったかもしれんな」
 炎と爆風、飛礫にグァンドールの率いる軍はその四半数を失った。
 ティエル・カンへの中継地点となる城も、まったくの無から作り出す必要が生じた。
 おかげで二年という時を無駄にさせられたのだ。
 砂漠の中央にある王都を手に入れるためには、補給路の確保が欠かせない。そして進軍はそれでも冬に限られる。
 北方サレア地方を経由すれば、夏でもティエル・カンに向かうことはできるが、ソナとサレの二つの山脈のすき間、ルギア渓谷を騎馬隊で越えるのは、不可能だった。
 もとよりガラムの山越えなど問題外だ。
 つまりランガ守護の某という男は、戦に備える時間をかせぐために城を破壊したのだ。
 己では守りきれぬ。だが、一年もあれば迎え撃つに充分な軍備を整えることができる、と。
 しかしその尊い犠牲と志は、エルディア王族議会に握りつぶされた。
 囲いこんだファ・シィンを再び放つことを危惧したのだろう。
 そもそも彼女にそんな野心があったかさえも、確かではないというのに。
「病んだ国よ。みすみす傾けるとは」
 力で劣るエルディアが、キ・ファの侵攻を止めつづけた。その功はファ・シィンによるもの。
 その知略に、グァンドールは幾度敗走したか。
 いつしか陣頭の彼女を見るだけで、キ・ファの将兵は浮き足立つようになった。ファ・シィンがランガから去っても、兵たちの心に沁みこんだ脅威はなかなか去らなかった。
 此度も、もし、ファ・シィンが二年前に軍を率いて迎えたのならば、ここに至るまで、グァンドールは少なくとも、もう五年は待たされたはずだった。
 そうならなかったのはグァンドールにとっては僥倖であったといえる。
 しかし、そのためにファ・シィンがあのような最期を選んだのであれば、それは憐れだった。

 そのまま手近にあった椅子に座ってしまったため、この部屋がなし崩しに玉座の間となってしまった。
 いまさら部屋を変えろというのも面倒だ。
 晶花(カシヤン)の匂いが気にならぬといえば嘘になるが、害のあるものではない。窓を開け放てと命じ、それきり気にしないことにした。
 机の上に置いたランガの額をとる。
 ランガも、王宮も石くれと化した。再建には月日が必要とされるだろう。
 この神殿でも駐屯地としての用は足りる。しかし充分ではない。エルディアの政の中央にキ・ファの皇帝が支配者としてあることを示すには、神殿ではやはり不足なのだ。
「やってくれる」
 聞けばまだ十六歳になったばかりだったというあの王は、二回り以上も年長のグァンドールを相手に一歩も譲らなかった。
 初めてランガで講和のために会見した当時のファ・シィンがたしかあれくらいではなかったかと思う。
 戦場での出会いから二年が過ぎていた。
「まこと戦とは惜しいものばかりが失われる。がらくたに用はないのだが」
 部下が捕らえてくるだろうエルディアの官らの処分を考えつつ、ふとよぎる思いを苦笑まじりに否定した。
 では、シェル・カンの娘とやらも、よく似ておるかもしれぬ。
 いや、あれほどの苛烈さを、まだ十五にもならぬ娘が持ち合わせようはずがない。
 十五にもならなかったファ・シィンが単騎、敵の軍勢に向けて飛び込んできた、あれは奇跡なのだ。
 似ていたら、と考えてゆっくり首を振った。
 似ていても、ファ・シィンではない。
「似ておらぬと良いが」
 そういえば、ファ・シィンにはもう一人、姪がいたはずだった。
「たしか」
 ファ・シィンと同じく、武人としての生を選んだ娘。
 あの運命の日に死んだカルシュラート公の子。
 グァンドールも幼子だった彼女には、かつてランガで会ったことがある。その面差しは叔母であるファ・シィンにどこか似ていた。
 ここまでの戦でそれらしき者は見かけなかった。ファ・シィンとともにあるのだろうと思い、そのまま忘れていた。
 近習を呼ぶ。
「アルデシールに伝えろ。ファ・シィンの姪、近衛左軍の上将を捕らえよと。おそらくはシェル・カンに向かっておる。ダル街道を西から回り込むつもりだろう」
 そう。玉杖と冠、衣に印章。それらの品々を持って、シェル・カンに向かっている。
 シェル・カンの王女を、戴冠させるために。
 誰か、と問う方が面白いかもしれないな。
 アズライルの声が耳に蘇る。
「なるほど。エルディア初の禅譲がエルディア初の女王を生むか。たしかに面白い。だが、そうはさせぬ」
 戦は終わらせる。
 そしてエルディアは我が収めるキ・ファ国の一地方となるのだ。
 わたしは エルディアを 手に入れる。

 刹那、無意識にエルディアがファ・シィンに置きかわった。

「……」

 絵の黄と青の鮮やかな対比が鋭く目にしみた。
「ランガ」は失われた。
 もはや戻らぬ。
 絵を伏せる。
 まぶたを伏せる気にはならなかった。
 伏せるわけには、いかなかった。
 しっかと目を見開いて見上げた天井では、石に刻まれた花の蔓がうねっていた。

 アルデシール将軍。
 それは皇帝の右腕とされる青年だ。
 正しくはアルデシール・ウルス=グァンドールという。
 皇帝、ラグル・ヴァストデュール=グァンドールの異母弟である。今年二十七歳、ゆえにその歳の差は十五。
 グァンドールに子がないため、彼は青宮と呼ばれる皇太子でもあった。
 ダル街道を進みティエル・カンに至ったグァンドール率いる本隊とは別に、アルデシールはエラ・ルジェ小街道添いに、エルディア南方を制圧しつつ進軍していた。
 エラとは、王都ティエル・カンとガライダルのシェル・カンを繋ぐ小街道である。
 そのエラ街道の半ばから、ランガに向けて築かれた街道、それをルジェという。
 この二つの道をエラ・ルジェ小街道と呼ぶ。
 ダル街道とは比べようもない小道だ。騎馬での進軍は難しいが、これをランガからシェル・カンへ騎馬隊が移動できるよう整えることができれば、王都を経由する道のりの半分の時間で西へ進むことができる。
 ガラム街道が整うまでは、この道がエルディア南方の主街道となるだろう。
 一定距離ごとに拠点を築きながら、アルデシールは進軍していた。
 途中幾度かエルディアの南方を預かる守護軍との戦闘が繰り広げられたが、大きな痛手を被ることもなかった。
 指揮系統を断たれたエルディア軍など、敵ではなかった。
 そして、エラとルジェの合流点、サハンに至ったとき、兄である皇帝からの新たなる命を受けたのである。
「近衛左軍の上将カルシュラート女公を捕らえよ。ティエル・カンよりダルを西に進み、チシャより折り返してガラム西街道をガライダルに向かったと思われる、か」
 シェル・カンのサキス王女を戴冠させるべく向かっている、との追記に、アルデシールは笑う。
 都の王と自身を囮にするとは、ファ・シィンも思い切った手に出たものだ。
 裏をかかれたと地団太を踏む兄を思い、彼はもう一度笑った。
「陛下は、あれでなかなか真っ直ぐなお方だからな」
 書簡に目を通した彼は副官に地図を広げさせる。
「際どいな。どちらが早いか」
 おそらくティエル・カンが包囲される直前に発ったのだろう。最初の街を越えるまでは、戦火を避けて逃れる民草にまぎれていたとして。
「休まずに駆ければ、もう、折り返している」
 全軍でエラを南下し、シェル・カンの手前で捕捉できればよいが、それではシェル・カンに逃げ込まれてしまう可能性も否めない。
「足の速い馬を選び少数の隊を編成。シェル・カンの手前で、ガラム西街道へ砂漠越えするか。この地域の砂地に、馬の入れない箇所はあったか」
「ガライダル高地の北端をこのように進めば、地も固く駆けやすいと思われます」
 と、地図を示す副官の指先を追う。
「では、それで行こう。時が惜しい。すぐに出るぞ。三十騎用意しろ。人選は任せる」
「かしこまりました」
「残りはそのまま南下。シェル・カンを包囲して待機。いいか、待機だ。わたしが戻るまで、決して仕掛けるな」
 軍衣を翻し、天幕を出る。
 中天に輝く日の光をも封じる闇色の髪が、風に舞う。
「エラム・カルシール。ファ・シィンの娘、か」
 小さく笑う。
「面白い。どれほどのものか」
 十五年前、兄に従った初陣で、彼はファ・シィンを見た。
 美しい女だった。目を奪われた。
 同時に戦慄した。
 兄は勝てぬ、と、直観した。いつかこの女に、兄は討たれる。
 そのときに感じた恐怖は、言葉にはできぬ。声にすれば、事実になるやもしれぬ、と、思った。
 その女がランガから消え、シェル・カンから消え、この世から消えた。
 もはやキ・ファを阻むものはない。
 後は、余興だった。
 そうだ。
 羽虫のように小うるさいガラと、古いだけが取り柄のファーレント。
 二国を押さえ、中原をものにする。
 その前座にすぎない。
 笑いが漏れた。
「楽しませてくれると、よいのだがな」