シェル・カン宮―ガライダルの宝珠―

 シェル・カン宮を抱くその街が第二王都と呼ばれるようになったのは五一二年早春である。それは、サキスがシェル・カンの主となった年でもあった。
「エルディアには世界に名だたる二つの都。一つは金砂の王都ティエル・カン、二つは白亜の都シェル・カン。ガライダルに輝く玉石の城。見事なるかな、天上の宮」
 シェル・カン宮を訪問したガラ国の大使が、そう評したことに端を発する。
 シェル・カンを形作る白い石が、ガラ国で産するものであったことにも関連するだろうが、大使の身内びいきを差し引いても、シェル・カンは美しい街だった。

「大陸のほぼ中心に位置するアルダ砂漠。東西の国交を長きに渡り分断してきた不毛の土地。そこにエルディアはあった」
「アルダ砂漠の町、アルダ・イーラ。エルディアの語源ね。エルディアは国土の七割を砂地に覆われた国。収入源は、道路税を主体とする通商税収。荷の重量や取引金額、隊商の規模によって細かく税率が決められていた」
 勉強の成果を誇らしげに語るフィル=シンに祖父は微笑んで頷いた。
「そう、フィルはまったくよく勉強している」
 当然でしょ、と言いかけたフィル=シンを黙らせたのは、あとに続けられたことばだった。
「が、それは、ルフィスイリアが即位して後のこと。この時代はまだ、宿場の宿料にかけられた宿税が中心だった」

 エルディアには東西を結ぶ大きな街道が三つある。その三つの街道沿いの町の宿にかけられた税。これを宿税という。
 宿泊する者はその宿泊料の三割にあたる金額を町の役場に納めなくてはならない。
 町の多くは南方、ガラ山脈の遠く離れた水源から水路を引いて水を得ていたために、その維持管理には莫大な費用を必要としたのである。
 しかし、宿税は町に入る前に収めるのが通常であるため、納められないものは宿場に入ることができず、また、宿場を利用しないものは税を納める必要がなかった。ゆえに、しだいに宿場の利用を見合わせる旅をする者が増え、エルディアの国庫は次第に傾いていく。
 場所によっては国の管理が行き届かぬのをいいことに、地下に敷かれた水路を掘り、勝手に井戸として利用する者もあった。そのために水質が悪化し、街ごと疫病で失われるようなことが、このころたびたび発生する。
 また、旅人が野宿することで野盗が跋扈するようになり、治安もゆるやかにではあるが、確実に悪化していた。
 大陸随一と謳われたエルディアに忍び寄る斜陽の時。
 サキスが生を受けたのは、そんな時代だったのである。
 さて、この三つの主街道にはそれぞれに特徴がある。
 アルダ砂漠の北部を通るジレ街道。冬場は雪に閉ざされるため、「夏の道」とも呼ばれた。
 もうひとつの街道はダル街道である。ダルは荒れた砂漠の中央を行く道で、宿場も少なく、大規模な隊商、つまり食料や水を大量に持ち運べる者でなくては通れない道だった。
 ジレとは対照的に夏場の暑さは尋常でなく、水や食料の傷みが激しいため、利用されるのは主に冬場。そこでこれを「冬の道」と呼ぶ。これのほぼ中央に王都ティエル・カンはあった。
 ダルのさらに南にはガラム街道がある。四季を通じて利用されたが、途中何度か山越えをしなければならず、大隊商には不向きだった。そのため荷の多くは道になれたエルディア山岳部の民によって、町から町へと人づてに運ばれる。荷の運び手を伝書鳩になぞらえて「鳥」という。したがってこれを「鳥の道」と呼ぶものもいた。
 このガラム街道の南に広がる高地ガライダルの東部にシェル・カンは作られた。
 おそらく、ガラム街道の整備の拠点とするためだったとの見方が強い。

 ガライダルの気候は四季を通じて安定している。冬場の気温は低いが、砂漠をわたる北からの風のために降雪は少ない。夏場はガラ山脈から降りる風のために気温も上がりにくい。
 水脈も豊かだった。
 これがジレやダルに変わる街道となるならば、その宿の維持にかける費用は半減し、宿税を減らすことが可能だった。そうして宿場を利用するものが増えれば、国庫は潤い、野盗は放っておいても廃業に追い込まれることは必定であった。さらに、もし余剰が出るのであれば北部二街道を守護する騎兵を増やすこともできる。
 それは、エルディアの再興をかけての一大事業、まさに活路を開くための第一石だったのである。

 堅固な石造りのシェル・カンは、ランガ城砦によく似ていた。その景観がランガと違い無骨な印象を与えないのは、ひとえにそれを形作る白い石のおかげだ。
 もちろん都市の雰囲気を和ませるためにこの石を使用したのではない。
 エルディアで産出する石はきめが粗く、雨に弱いためだ。
 砂漠に立てる城ならばそれでもかまわないが、湿潤なガライダル高地には不向きだった。
 そこで、ガライダル高地のさらに南方のガラ山脈から切り出した石を使用したのである。
 実用を優先した結果ではあったが、その白い城は人々を魅了した。
 真白の城は、周囲の深い緑と対を成すようだった。
 日の光を浴びて白金に輝き、月光には淡い金色の光を返す。
 草たなびく高原のシェル・カンを見るためだけに、遠方からも多くの人が訪れるようになった。わざわざ南方から険しいガラ山脈を越えて訪れる者もあった。
 国の内外から訪れる者たちの間で情報や物品が交換される。集まる物資が増えると、今度はそれを目当てに訪れるものが増えた。
 市が立つ日には、集客を見込んでの興行も行われた。
 やがて常設の舞台が用意されるに到って、今度は舞姫や歌姫たちの競演が盛んになった。
 昼夜に分けて催される華やかな舞台は、旅の語り部たちによって遠い地方にまで伝わる。
 そうして図らずも、築城よりわずかの年月で、シェル・カンは大陸でも屈指の文化都市になっていった。
 ガラム街道も、東へと徐々に整備されてゆく。
 そして、シェル・カン築城十年を記念する祝賀会。
 ガラ国大使のことばに、列席した各国の大使がため息と共に賛同を示す。口々にその美しさを讃えた。
 以来、誰ともなくシェル・カン城を第二王都と呼ぶようになり、やがて地図にさえも第二王都シェル・カンと記載されてるようになってゆくのである。

 この祝賀会で、
「エルディアで讃えられるべきは、唯一つ。堅き砦、黒鋼のランガである」
 キ・ファから使わされた使者がそう言ったという。
 白亜の宮とシェル・カンを賞したガラ大使の言葉に対し、彼はランガを黒鋼の砦と讃えた。
 いや、キ・ファの西進を8年に渡り、完全に阻止し続けたファ・シィンをこそ、彼は讃えたのであったかもしれない。
 さすがは蛮人の国よ、との嘲笑の中、使者はそれきり口を開かず退席した。
 ファ・シィンは使者のことばを肯定も否定もしなかった。
 使者に向けかすかに微笑んだ、とする私録もあるが定かではない。

「この使者の発言で、キ・ファとの戦端が開かれることを予測し、ファ・シィンは王都へ戻ったのだと主張する研究者もいるな」
「それは……どうかしら」
 フィルは首をかしげた。右手の人差し指を軽く唇に押し当てるのは考え事をするときの彼女の癖だ。
「もし、気づいていたなら、彼女はランガに帰るはずだわ。ランガが堅かったのは、ファ・シィンがいたからだもの」
「そう。ファ・シィンはランガにこそ帰りたかったのだとわたしは思う」
「では、なぜ王都に?」

 ファ・シィンが城主の座を退き、娘サキスに譲位したのは、サキスがまだ十二歳の夏だった。
 皮肉にも天上の城、玉石の宮、ガライダルの宝珠と讃えられたことが、彼女にシェル・カンの城主としての役目を退くことを決意させたのである。
 玉とは玉座のことであり、引いては王のことでもある。天上の城にある玉は、王であるべきだった。
 ファ・シィンの治める城市が玉と称えられたことを聞き及べば、議会も王族も揺れるであろう。その揺れが、小さなものであっても、国にとって好ましいことではない。
 ここ数年、不穏な動きを見せている東方の事情を思えば、なお、望ましくない。
 また国力が弱っている今、さらに国の内部で諍いを起こすわけにはいかない。
 彼女の決断は早く、「玉石」の報が王都にもたらされる前にシェル・カンの城主を娘に譲位した。
 ファ・シィンが「玉石の都」シェル・カンの主であることが、王に不必要な気をもませることがないようにとの配慮の結果である。
 ファ・シィンはサキスにわずかばかりの指示を与え、自らは単身、王都ティエル・カンへと赴いた。
 叛意のないことを示すあまりにも潔い姿勢に、未だ若い王は感謝し、ガライダルの草が枯れぬ季節(それはつまり、年の三分の二をあらわす)はシェル・カンにあってサキスを補佐するよう言った。
「陛下は人がよろしい」
 キ・ファを手玉に取ってきたランガの守護は、陛下がそのように仰せになることも見越した上で、このように出でましたやも知れませぬのに、と、ファ・シィンは笑った。
 あっけにとられた王がことばを失い、居並ぶ議会の代表や、王族たちが互いに顔を見合わせるなかでファ・シィンは晴れやかに続けた。
「隠居した母がしゃしゃり出ては、サキスも面白くなかろう。あれが幼く、その政に不安があるのであれば、どうぞ陛下御自ら、ご教示賜れよ。議会からあれの目付けに相応しい長たるものを、遣わされるのがよろしいでしょう」
「されば、ファ・シィン。あなたの望みは」
「拙めも先の王の妃の一人にして、奥の宮に部屋を賜りたく存ずるが、奥の宮に空きがなくば、神殿の隅にでも住まわせていただければと存ず。それも適わぬのであれば、致し方ない。ティエル・カンの門番の一人にお取立てくださらぬか。これでもかつては、陣頭にて槍を振るった身であれば、王城鎮護の兵として、些かのお役にはたとう」
 武人であったファ・シィンの口調は、華やかさには欠ける分、清廉であった。
 ファ・シィンに感銘を受けた王は玉座を立ち、歩み寄り、跪く彼女を立たせ、逆に跪いた。
 もちろん、これは異例のことである。
 王は葬殿であるエルディア神殿に祭られる歴代の王にのみ跪礼をとる。
 その王がファ・シィンの前に跪いたことは、ファ・シィンを歴々の王たちと同列に見なしたということだった。
「かしこまりました。では、御母上さまには、ぜひとも守護をお願いいたしたい。ただし王都の門ではなく、このわたくしの、政の守護として」
「御免被る。それではいっそう拙の心根を疑われようもの」
「ならば、せめて神殿の聖騎士として。エルディアに名高きランガの守護ファ・シィンを、王都の門番になどしようものなら、このわたくしが笑いものとなりましょう」
「さても、困りしもの。受けざれば王が、また受ければ拙が、笑いものになる」
 困った様子で形のよい眉を顰めたファ・シィンに、王が笑む。
「では、ここは、王であるわたしのために、どうぞ笑われてください。今よりあなたはエルディアル(エルディア神殿)の聖騎士」