鬼喰 ― たまはみ ―

第一話 邂逅 四

 あれから数日、わたしは調査と護衛を兼ねて志野くんに付添っている。
 彼がどの程度の能力を持つ鬼喰なのか知らなくては、対処の仕様がないという神主さんのことばに抗えなかった。わたしとしてはお稲荷さんの傍で掃除でもしていたいのだが、万が一にもお稲荷さんが喰われてはいけないということで、志野くん共々、御神域への立ち入りを禁じられている。

「で、どうなんだ」
 街を歩きながら志野くんが言った。
 彼は特筆するほど美少年ではないが、そこらの高校生と比較するとやはり人目を引く容貌だ。今時めずらしいほど真っ黒な直毛と、なにより記憶に残るのはその瞳である。
「そうだね、この程度の鬼なら、一瞬で食べてしまうみたいだね。蕎麦を啜るより簡単そうだったよ」
「この程度って」
 そう、彼は鬼喰だが、感知能力は皆無だ。見えないから、平気なのだろう。見ているとホラー映画のSFXか、そうでなければスプラッタ映画のSFXだ。金輪際、そういったエンターテイメントでは満足できない凄まじさだが、数日をともに過ごすことで、わたしも徐々に慣れてしまった。今喰われていった女に対して、わたしは二十年ほど前に教えられたうろ覚えの真言を思い出し思い出し唱えることができる余裕を持っていた。
「ええっと、説明が難しいな」
「格付け」
「格付け?」
「危険度別のレベル分け。五段階評価……ランクC.喰われたことにさえ気付かず、俺に同化してしまうもの。ランクB.抵抗もなく喰われたが残像が残るようなやつ。ランクA.抵抗するやつ。ランクAA.抵抗し、かつ俺に何らかの影響を与えるもの。ランクAAA.俺に危険があるもの。こんなところでどうだ?」
 実に現代っ子な意見だ。弟を思い出す。よくよく考えてみると彼は弟と同じ年齢だ。やけに大人びた雰囲気を持っているが、それは彼の生い立ちに起因するのだろう。
「その分類だと、確証がとれたときには手遅れということもあるね」
「そのあたりは、適当に判断してくれてかまわない」
「わたしが?」
「俺には見えない」
 全面的な信頼を得た、と受け止めるには、少年の表情は硬い。
「俺自身よりは、信用できる」
 ぽつりと付け足されたことばに、胸を打たれた。
「そうか。……今のは、ランクCかな。君には何の影響も出ていないようだし。そうすると、わたしが最初に見たあいつが、ランクAか。うん、だいたいの見当はつけられそうだ」
 あえてビジネスライクに応答すると、彼は一瞬見せた不安げな表情を消し去った。おかしな話だが、わたしは彼の子供っぽい不安顔よりもすべてを超越したような無表情のほうがよほど好きなようだ。寂しそうな表情をされると、こっちまで悲しいような苦しいような気分になってしまう。
「そういうのは、どのくらいいるんだ」
「どのくらい、ねえ」
「そうだ。たとえばこの通りにいくついる」
 的確な質問だ。
「この通りには……わたしに見えるのは二十三体、かな」
「二十三か」
「さっきのと同程度のしかいないね」
「ここが特に多いというんではないんだな」
「うん。人が集まるところにはもっと多いよ。でも、まあ平均値だね」
「全部俺が喰うと、どれくらいの影響がでそうだ?」
「さあ。わたしもそういう経験はないから」
「喰った後の霊的真空の規模が知りたい。たとえば、レベルCを二十三体屠ったあと、……レベルAAやレベルAAAが来る可能性はあるのか」
「そういうことか。レベルCの雑霊の存在する力、仮に存在力とでもしようか。これを1とする。神主さんがお話した精霊やご神霊というのは規模が全く違う。少なくとも、10や20程度ではないよ。だって神社跡には数え切れないくらい、雑霊が集まっていたから。 うちのお稲荷さんの跡地にあれだけいたってことは、100以上だ。だから、いきなりレベルAA,AAAとご対面って言うことにはならないと思う。割りと大きな存在とご対面するなら、他人様の守護霊や式、家の守り神、そういう可能性のほうが大きいとわたしは思うよ」
 そう、他人様の、である。
 なぜなら志野くん自身には守護霊がいない。もしくは存在を感知できない。前者の場合、守護を必要としないほど当人が強いことが大半で、後者の場合の多くは守護者が当人と限りなく同化しているということだ。稀に当人にさほど強い力があるわけでもなく守護者を持たない者がいる。彼らは自己防衛のために危険を察知するための力を有することが多い。そう、例えばわたしのように。
 志野くんの場合は、守護者を必要としていないのか、同化しているのか、……あるいは喰ってしまったのか定かでない。わたしには守護者がいないし、神主さんの守護者は(ご本人には告げていないが、それは美しい白狐である)喰われるような小物ではないし、 それは彩花さんの守護も兼ねている。
 したがって、万が一の事態が発生するとしたら、それは他人様の、特に当人との結びつきが堅固でない守護者に限られてくるのだ。
 ちなみに彼のご両親やご家族にはお会いしたことがないのでわからない。
 彼と同じようにその存在を確認できないか、それとも既に喰われてしまったのか。

「あんたは平気なのか」
 ふと気がついたように志野くんが問う。
「わたしには守護者がいないからね」
「いない?」
「うん。昔から。たぶん生まれたときからじゃないかな。そのかわりに見えるんだよね。見えないと危険だから、ってことかもしれないと最近は思うんだけど……仮説だよ。わたしの」
「それで、大丈夫なのか」
「こうやって生きてられるってことは、大丈夫なんだろう。きっと」
 肩をすくめておどけて見せると、彼は何と、かすかに笑った。
 気楽なひとだな、と呆れたように呟く。
 その安堵の表情に、わたしはわたしのことばが彼にもたらしたものを遅ればせながら知った。

 守護者がいなければ、または失われれば、人は自己防衛の力を発揮する、ということ。

 つまり、志野くんが誰かの守護者を喰う事態になっても、守護者を喰われた人間にすぐさま生死の危険が迫るわけではないのだ。志野くんが生きている人間や動物に悪影響を与えるとしたら、対象の精気を喰ってしまうことだけである。
 そして精気を喰われて亡くなった二人の死因は、一方は転落による外傷であり、他方は眠りから目覚めるまで体力が持たなかったというだけで、志野くんに直接の原因があるのではない。
 正気を失った霊能者も、在りえない事態を前にした恐怖で自ら正気を手放したのであって、志野くんが狂わせたのではない。現にわたしは鬼喰の現場を目撃してその場では失神したが、いまだ正気を保っている。言い方は悪いが、仮にも霊能を生業にしている人間が超常現象を恐れるなど笑止千万。恐ろしさのあまり狂気に陥るなど、あまりにも見苦しい。大方、多少見鬼の力を持っただけの、自称霊能者だったのだろう。気の毒と言うよりは、自業自得、身からでたサビ、身の程知らず、墓穴を掘るといった感情しか持てない。恐怖を感じるなら、それを売り物にすべきでない。高所恐怖症ではトビにはなれないし、火薬がこわくては花火職人にはなれない。蕎麦アレルギーならそば屋になれないし、魚が食えないならすし屋になるべきじゃない。それと同じことだ。だからわたしは実家を継がなかったのだ。
 わたしがことばにしなかったそれらを彼は感じ取ったのだろう。表情を緩めた少年はわたしを見る。
「こわくないのか」
 君が? それとも見えている鬼が?
 とは、わたしは聞かなかった。
「君はこわいのか、志野くん」
 逆に聞き返す。案の定、彼は烈火のごとき怒りに顔を染めた。
「こわくない! 理由がわからなかったから、戸惑ってただけだ」
「ふうん、そう?」
「それと志野『くん』ってのはやめろ!! 俺は子供じゃない!」
「そうかなぁ。神主さんだってそう呼んでたよ」
「うるさい!」
「それに君はわたしのことを『あんた』って言ってるじゃないか」
「うるさい、うるさい、うるさい!!」

 かくしてわたしは彼を志野と呼ぶことになった。彼は相変わらずわたしのことを『あんた』と呼んでいる。

 志野がここに来て、二週間が過ぎた。
 神主さんはなんら解決策を探しているようには見えない。
「あ、そうだ。和さん、志野くん」
 四人での朝食もすっかり習慣になったその日、神主さんはのんびりと言った。あまりにものんびりとしていたので、彼が発したことばの意味を正しく理解するまでに、わたしは十五秒、志野は十五秒と半、間があった。
「今日はいいお天気ですね。遠出するにはもってこいです。町外れに立てかけたまま二十年近く放置されてる家があるんですけど、見に行きませんか。なんでも人に悪さを働くモノがいるそうですよ。実は昨日、行ってみたんですがね、あんまり怖くて、門の前で逃げ出してきました。こう、首の後ろがちりちりするような嫌な感じを受けましてねえ。あれは居ますね。かなり大きいですよ。地鎮祭もなにも全部端折っていきなり立て始めたそうですからねえ、まあ、いて当然でしょう。志野くんたちも小物ばかりじゃ試験データも揃わないでしょうから、ちょっと大物に会ってきてはいかがでしょう。食べられるようなら食べちゃって構いませんよ」
 煮えたかどうだか食べてみよ、ムシャムシャムシャ。
 わらべ歌が不意に脳裏に浮かんだ。
 喰えるかどうだか食べてみよ……。食べられなかったら食べられてしまう。にも、かかわらず。
 神主さんの白狐さまが警告を発するほどのモノがそこに居て、人に悪さをするから退治して来い、とそういうことを彼は言っているのだ。
「冗談じゃない」
「まっぴらごめんです」
 反応速度は志野のほうが速い。さすが若いだけある。
「そうですか、嫌なら、しかたありませんね」
 やけにあっさりと引き下がった彼の様子に、わたしはなにやら不吉な予感を覚えた。
「あ、これ、渡さなくちゃいけませんでした」
 ひらりと差し出された二枚の紙には、それぞれ志野とわたしの名前が書き込まれていた。
「……請求書」
 手にとった志野が標題を読み上げた。
「さっ、36万7,500円!?」
 わたしのほうには15万15円とあった。
「この2週間の滞在費ですよ。明細にあるとおり、一泊15,000円。志野くんには1日辺り10,000円のエスコート料が加算されています。一日25,000円の十四日。加えて消費税。和さんは退職後の滞在期間が通算で十七日。内、十四日にはエスコート料8,000円が支給されますので、差額として143,000円と消費税です」
 志野が支払うエスコート料とわたしが受け取るエスコート料の差額2,000円は、神主さんの口利き料か。
「暴利だ!」
 叫ぶ志野を神主さんはにこやかに制す。
「安いくらいですよ。宿泊費、施設利用料、食事は三食。すべて込みですからね」
 絶句する志野と、諦め顔のわたしに神主さんはにっこりと笑った。
「もしお支払いただけないということになると、大変残念ですが、お引き取りいただくことになりますねえ」
 凍りつくわたしたちの表情を交互に眺め、彼はお茶を啜った。
「あ、言い忘れていましたが、その家の家主さん。この件を処理してくれたらお礼として50万下さるそうですよ」
 367,500 + 150,150 = 517,650
 517,650 − 500,000 = 17,650
 わたしたちの脳裏を瞬時に計算式が通過する。
 当然だが、未成年である志野にわたしのエスコート料を負担させる気はない。
「加えて日当として一人10 ,000円、わたしからお支払しますが、いかがですか」
 笑顔の神主さんを、睨みつける志野の歯が、ギシリと鳴った。
 その瞬間、わたしはわたしの運命を悟ったのだ。
「一人20,000円だ! それ以下では引き受けない!」
 かっとしやすい初心な少年は、姑息な大人の策に見事に引っかかった。たった2万円ぽちで、命を売るなよ、と思いつつも。わたしは相棒を見捨ててひとりでにげられるほど、逞しい精神をしていない。それは神主さんもよくご存知だ。予想どおりの展開に、もはやため息も出ず、わたしは味噌汁を一口飲んだ。
「いいでしょう。今回は初仕事ということで、特別にご祝儀もお付けしますよ」
 初仕事!? ということは、今回だけではない!?
 口の中の味噌汁のせいで、そのことばは声として発することができなかった。味噌汁とともに胃に落ち込んでゆく。
 わたしの顔に走った動揺に気付かない志野と、気付かない振りをした神主さんが契約を成立させてしまった。
 満足そうに頷いて神主さんは、請求書を引っ込める。
「これは仕事が終わるまで、お預かりしておきましょう。気休めでしょうが、これをさしあげます」
 請求書に代わって出されたのは二枚のお札である。この場合お札は「おさつ」ではなく「おふだ」と読む。
 どうやら日当および仕事料は完全に成功報酬式のようだ。
 なんとも言い得ぬ表情でそれを受け取ったわたしたちは、彩花さんに見送られ、暗澹たる思いを抱え思い足を現場に運んだのであった。