遊びに来ると言っていた母が、来なかった(無連絡)ので、なんぞあったんかとヤキモキしていましたが、何か忙しくって連絡できなかっただけだったようです。
18時ごろに電話してみたらやっと家に帰ってきたそうで、ほっとしました。
「あ、そう。無事ならよかった。それじゃあ、またの機会に」
で、電話を終えたのですが、しばらくしてから「事情を聞いてほしそうだったかも」と思い……。
どうもわたしは人のことに興味が薄いようで、約束の不履行に対しても「何か事情があったんだろうし仕方がないよね」くらいにしか思わないんですよねぇ。
わたしから「どうして来なかったの」と尋ねることもしなければ、相手から事情を語られても「や、聞いてもどうしようもないしなあ」と途方にくれてしまうんです。
「ごめんね」「いいよ」で終わってしまうから、相手によっては物足りなく思うみたいです。言い訳をさせてくれない、と悲しい思いをさせてしまったこともあります。実のところ、言い訳を必要とするほど怒ってないというか、全く気にしてないだけなんですけど。
だけどホントウの問題は、わたしが「ごめんね」という立場になったときなんですね。
わたしは「ごめんね」の理由を求めないから、自分も「ごめんね」しか言わない。
「いいよ」と言われれば「ありがとう」と思ってしまう。
だから、
「ごめんね」
「いいよ、いいよ、気にしないで」
「うん、本当にごめんね、実はかくかくしかじかでね、ごめんね」
「いいよ、それは仕方がないよ」
「ごめんね、本当にごめんね」
「いいって、怒ってないし、大丈夫だから」
「そう? でもごめんねー」
というような会話を求めている人との間には、どうも行き違いが生じやすいみたいです。
「ごめんね」
「いいよ、いいよ、気にしないで」
「よかった、ありがとう」
「……(おいおい、それだけかよ、理由は? 弁明は? 釈明は?)」
みたいな感じ。謝意が足りない! と思われていたかもしれない。
事情を尋ねられればもちろん答えるのですが、聞かれなかったら言わないことが多いです。ええっと、聞かれないから言わなくていいや、といのではなく、単純に理由を求められていることに気づかないんです。たぶん、わたしはそういった場合に理由を求めないからだと思うんですけど。
自分は必要だと思わなくても、相手にとっては絶対的に必要であることも少なくないので、今後はできるだけ気をつけたいと思います。
母の事情は、次回、遊びに来たときにでもそれとなく話をふってみることにします。
退職前に頼んでおいたバレンタイン用チョコが昨日届きました。
すっかり忘れていたので、自分がプレゼントを貰ったように嬉しかったです。よくやった、過去のわたし!という気分。
これくらい頼んでおけば足りるかなー、と思っていたのですが……微妙な数だなあ。
今年のバレンタインデーはお家でディナー。とはいっても以前のように台所に何時間もたつことができないので、簡易ディナーなんですけども。なんとなーくソレナリに食卓を整えることができました。よしよし。
そういえば、明日、母が来るんだった……ああ、憂鬱だなあ。
赤さまとは終日一緒にいたいけど、こうして頻繁に母との時間を持たなくちゃならないなら、働きに出たくなるよ。
もちろん赤さまは、母には絶対預けない(笑)
日記をブログにしませんか、というコメントをいただきました。
検討中です。
いいな、って思うんです。
話題別にカテゴライズできるし、そうしたら興味のある話題の記事だけ読めますし、長文になるときは「続きを読む」以降におさめればページも長くならないですしねぇ。
以前から日記をブログにすることを度々考えていたので、前向きに取り組んでみようかな。
でもカテゴリが「日記」だけになる可能性もなきにしもあらずー、みたいな。
だって「日記」をどう細分化していいのか見当がつかないんだもの。
ほんと、わたしの日記って日常語りしかないからなぁ……これを期に創作騙り語りとかしてみる? うわー、無謀。
百日祝でした。晴れ着を着てお写真を撮りました。
最近は表情も豊かになり、首もあらかた据わって、支えがあればしばらくの間はお座りもできるようになってきました。
この時期って人生でもっとも成長が目覚しいんですよね。日々変化があって面白いです。
しかしこのところ、赤さまがとみに重くなって、足腰に堪えます。
筋肉を休める暇がないからなあ……
埋み火っていうんですけども。
火鉢の灰の中にそっと炭を埋めておくの。そうするとほんのりと温かい。
そうやってひっそりととっておく温もりがあってもいいと思う。
やがてその火も穏やかに消えて、新しい火を足すことになるだろうから、それまでは埋み火の仄かな温かさに癒される時間があってもいいんじゃないかな。
でも中毒にならないように、ときどき窓を開け放って空気の入れ替えはしたほうがいいね。
と、いうようなことを、言いたかったんだけども、言えたのは
「いずれ燃え尽きて灰になるからそれを待て」
……全然、違う。口下手でごめん、友よ。
旦那が赤さまを泣かすのでイラっとしました。
思う存分泣いたらよく眠るかも、と言うので益々苛々してしまいました。
だって思う存分泣かせなくちゃならないほどうちの赤さまは夜泣きしないもの!(今は)
わたしも赤さまも気持ちよく寝てるのに、あんたが夜遅くまでごそごそごそごそしてるから、起きちゃうんじゃないのさっ。
深夜にミクシィなんかやってないで、「飯、風呂、寝る」でさっさと寝なさい!
と、いう気分。
赤さまが泣いてるのは「眠いのにとうちゃんがやかましくするから寝られないー」だと思うんだけど。
そのうえ大泣きさせるだけさせておいて
「そか、とうちゃんじゃだめか。かあちゃんがいいか、よし、かあちゃんとこ行け。はい、八さん。あとよろしく」
「……これっぽちもお後はよろしかないんだよ、宿六」
「はっはっは。宿六か、懐かしい言葉だね。じゃあ、お休み。ぐー」(←本当に寝てる)
ぐずる赤さまを抱いて、ほんのりとした怒気を覚える夜更けです。
まあ、このところずっと残業続きでしたから、就寝時間が多少遅くなるのは仕方がないんです。自分の時間だって欲しいでしょうし。それはわかる。だから「さっさと寝ろ」とは言わないんだけど、わたしや赤さまの眠りを妨げるのはよしてほしいところです。
そういうことで、深夜までごそごそしていて赤さまを泣かせた翌朝は、旦那の朝食の用意をしないことにいたしました。
おおらかというか鈍い人なのでそんなことをしても面と向かって抗議しなければ気がつかないと思うのですが――昨夜は遅かったから疲れてるんだろう、寝せといてあげよう的に考えるみたいですよ。思いやりの方向が違うがな――現状、わたしの溜飲が下がればよいことなので、これで手打ちにしておきます。
たった今、ワイン漬けのレーズンにチョコレートをコーティングしたお菓子をうっかり食べてしまいました。
一袋美味しく頂いてから、アルコールが入っていることに気づき、母乳のことを思い出しました。
甘さ控え目、あっさりしてて美味ー → さすがソーテルヌの白……ん? → ……拙ー
という流れ。
幸い次の授乳予定時間まで二時間ありますし、なんとなれば冷凍母乳もあるので、そう悩まなくてもいいことなのですが……。
食べ終わるまで思い至らなかったことにショックを受けています。
なんていうか、こう、一口食べて気づかないアルコール慣れしたわたしの味覚に不覚をとった気分です。
ところでちょーっと焦点があわせにくいんですけど、まさかこんなお菓子で酔った?
連日の早朝出勤深夜残業に旦那は少々疲れ気味。
職業上、どうしても忙しさにムラができるのですが、昨年末までのんびりと過ごしていただけに、ここひと月の忙しさは体に堪えているようです。
とはいえわたしにはその仕事を手伝うことは不可能なので、せめて家ではゆっくりできるよう、環境を整えたいと思います。
やる気のあるときに備蓄用冷凍食品を作るわたしです。
ときどき作ったまま存在を忘れてしまうこともあります。
本日冷凍庫にて、食べ忘れた料理に遭遇いたしました。
食べられそうでもあったのですが、試してみてダメだった場合被害甚大なので熟考の末、廃棄処分となりました。
なんかすごいダメ主婦になった感じ。
あ、でも、それを食卓に並べちゃうよりは真っ当かも。
よし、その線で考えよう。
不慣れなことをしてるから、どうしても気持ちがくたれてしまうときもあるのだけれど、そんなとき「おめでとう」の一言が、めでたいことを思い出させてくれます。思い出すと「不慣れ」なことの重さから解放されて、「初めて」のことへのワクワク感を取り戻せる。
お祝いって、一番の励ましかもしれないな。
本当にありがとう。
鬼喰閑話「春なれば」についていくつかのご質問をいただきました。ありがとうございます。
本編のネタバレにならない程度にお答えいたします。
Q.いつのお話?
A.立春前のお話です
Q.和は帰省中?
A.11月末に帰省して、そのままです
Q.どうしてふた月も留守にしてるの?
A.理由は四話にて
Q.志野は?
A.12月の末に帰省しました
Q.電話の向こうの彼女は番外編の彼女?
A.おそらくは
Q.(志野は)彼女と一緒に戻ってきたりして
A.それはありません
ということで、本編は今週末ごろから連載開始の予定です。どうぞ今しばらくお待ちくださいませ。
さて、その連載なのですが。
執筆の速度がかなり落ちておりまして、以前のように週一回1ページ、というのんがとっても難しい状況です。
数週に一度1ページ更新(ゆっくり更新)か、週に一度3分の1ページ更新(ちょっとだけ更新)か……。
読む側としてはこっちがいいぞ、とのご要望がございましたらご意見お寄せください。
相談事を持ちかけて、
「その程度のことなら相談しなくてもいいよ」
と言われると、「わたしのやってることは所詮『その程度のこと』なんだ」と思う。
やっていることに自信と誇りがあるときは、
「そうか、その程度のことなんだから、気負わずにわたしにできることを尽くそう」
と思えるのだけれど、自信もなくて誇りもないときは
「どうせその程度のことしかやってないよっ。うわぁぁぁん」
という僻み気分になる。
聞いた言葉も内容も、全く変わらないのに、わたしの中で解釈が割れちゃうんだよね。
人の言葉が皮肉や嫌味に聞こえるときは、自分自身がネガティブな感情で満ちてるってことを、忘れたらダメだね。
節分の豆に鞘つき落花生を買ってきた亭主殿。
どうせ撒かないからいいんだけど、わたしはやっぱり節分の豆は大豆のほうがいいな、と思うのでした。
恵方まきの文化は我が家にはないのだけれど、あれ、想像すると楽しそうですよね。
家族全員でその年の恵方を向いて――畢竟、一列に並ぶことになると思うんだけど――太巻き一本を長いまま黙々と食べるのは、ちょっとしたゲームのようですよね。
わたしなんか想像するだけで吹きだしそうだから、食べ終わるまで無言でっていうのは、かなり難しいような気がします。
来年は赤さまも離乳してるだろうし、……やってみようかな。
御猫さまの寝床のひとつに「押入れの中」があります。
押入れの中に、御猫さま専用コーナーが設けられているために、収納スペースは若干目減りしています。
まあ、それは別の話として。
押入れの中にお気に入りの寝床があるために、御猫さまがいつでも出入りできるよう、その押入れは20〜30cmほど開いています。
ところがうちの母上は、遊びに来るたびに、「ここ閉めるわよ」と。
で、お気に入りの隠れ家を潰された御猫は、母を嫌がって旦那の書斎に逃げ込もうとするんです。書斎には余所の人は絶対に入ってこないことを彼女は知っているわけです。
でも書斎は御猫さまも立ち入り禁止なので(仕事関連の書類も多いため)、その扉は開きません。そこで御猫さまは
「開ーけーてーぇ」
と、扉の前で鳴くのですが。
母曰く
「開けてあげなさいよ、可哀そうじゃない」
……可哀そうなことをしたのはどっちだよ、と。
押入れを閉めた以上、御猫が鳴くのは想定済み。なのでわたしは気にしないのですが、母は御猫の泣き声が気になって落ち着かない模様。
それなら押入れの戸を開けておけばいいのに、それも落ち着かないらしいです。どっちもイヤだなんて、子どもの駄々みたい。
そういう母が導き出す案は、「御猫を書斎に閉じ込める」という極めて自分本位な結論なので、わたしとしてはものすごーく面白くない。
だから遊びに来てほしくない、と強く思うこの頃でした。
実の母だけに遠慮がないのですが、実の娘なのでわたしも遠慮せず「来るな」「帰れ」と言って……しまいたい(苦笑)
赤さま連れでの外出はなかなか大変で、「ちょっとそこまで」が精一杯のこの頃です。出不精の言い訳には調度良いかも。
そういうことでこれ幸いと読書に親しんでおります。
赤さまの傍らでできるうえ、赤さまのご要望しだいで途中で手を止められるし。
趣味に読書があってよかったとしみじみ。
で、最近読んだ中で面白かったのは永井路子さんの歴史小説「北条政子」と「炎環
」
鎌倉時代を舞台にした歴史小説です。
すごいと思ったのは、「乳母」の存在。
時代の君主を乳母が育てる=時代の君主は、意識的にせよ無意識にせよ、乳母の一族の影響を強く受ける(支配される)
そういう観点から頼朝蜂起から実朝暗殺に至るまでが描かれていて面白かったです。
聞くところによると、「それがでっち上げだとは言い切れない」ほど歴史を大切に描いた作品なのだとか。
これこそがホントウだというのは早計ですが、ホントウにこんな風だったかもしれないと浸れる心地よさが好きです。