** ネットマナーってなんだろう **

こんにちは。
「花明かりの庭」管理人 八仙花です。
ここではマナー、特にインターネット上でのマナーを、考えてみたいと思います。

はじめに

 ネットマナーのページは世に多いです。
 ですから本当は、あえてここで語らなくてもいいようなことです。
 オススメのネットマナーのページのバナーをトップにでも張っておく、それで充分かもしれません。
 ところが、まあ、ネットのマナーも千差万別なんですよね。
 あるサイトでは「絶対禁止!!」なんてことが、別のサイトでは「普通のことです」
 あるいは、あるサイトでは「推奨」であることが、別のサイトでは「非常識」ということも。
 一体どれが正しいのー!? さて、どうしたらいいのでしょう。

1. マナーってなんだろう

 そもそもマナーってなんでしょう。
 まずはそこから考えることにしましょう。

 1) マナーとルール

 英語で manner と書くと、その意味は、「態度、物腰、挙動、行動様式」です。
 これを複数形 manners と記すと「行儀、作法、風習、習慣」などになります。
 日本語でマナーというときは、複数形のmannersの意味合いですね。
 日本語には名詞に単複の別がないのでこの区別に戸惑われる方もいらっしゃるかもしれません。
 でも、
 個人ではなく、たくさんの人で共有する「行動様式」を「お行儀」という
 ことは、なんとなくご理解いただけると思います。
 つまり、マイルール、俺様式(おれ ようしき、と読むか、オレサマ しき、と読むかでまた微妙に意味が違うかも)は「マナー」とは言わないのです。
 個人的に気に入らないことを指して、「マナー違反だ!」と叫ぶのは誤りなのです。
 マナーとはあくまでも「公に認められた様式」ですから。
(ちなみに mannered となると、「気障な、もったいぶった」という意味に。何事も適度が肝心ですね/笑)

 では、ある行動様式がマナーとして公けに認められるには何が必要でしょうか。
 その行動様式を共有するたくさんの人が必要です。
 聞くところによると、世界のネット人口は六億人を突破した、とか。
 6億人です。想像できますか? 日本の総人口の5倍です……。
 この6億人の人々がよしとする行動様式。それが「インターネットのマナー」になるのです。

 これに対しルールとは、「規則」です。
 基準を定め、それに則して行動することが求められるもの。
 基準はそれを共有する人々の間で決定されます。
 決定は拘束力を持ち、それに従わない人をコミュニティから淘汰する役割をも持つものです。

 マナーが自然発生的に共有され、マナーを共有する者が同一のコミュニティを構成するものであるなら、ルールは人工発生的に共有され、コミュニティを構成するために共有しないものをコミュニティから除外するものなのです。
 ですから、ある一部のコミュニティでのみ通用する約束事は「コミュニティのルール」であり、「インターネットのマナー」ではありません。

 今、自分が求めているもの、また自分に求められているものは、コミュニティの「ルール」なのか、インターネットの「マナー」なのか。
 相反する項目に対面したときは、その別をよく考えなくてはなりませんね。

 2) どちらが大切?

 とはいっても、マナーとルールはワンセットであることが多いです。
 マナーもルールも円滑なコミュニケーションのためには欠かせないものと考えれば、これも当然のことですね。
 どちらが大事か、ではなく、どちらも大切にしてください。

 3) おおらかな心でね

 さて、お国違えばマナーも違う。
 ご飯を食べるときに、「左手でお椀を持って食べなさい」なんて、小さな頃に注意されたことはありませんか?
 でもこれは和食のマナー。中華ではお皿を持ち上げるのはNG、洋食でも皿をテーブルから浮かせることは歓迎されません。インドでは食事に左手を使うことさえ禁止です。
 和食では汁物に別の料理を浸して食べるのはみっともない行動だと解されますが、洋食ではそれほど可笑しなことではありません。皿に残ったシチューをパンで拭って食べるのは、叱られるようなことではありません。
 そうです。マナーもルールも、コミュニティを同一にする人の間でしか共有することはできないのです。

 こうして考えてみると、マナーやルールの鬩ぎあいがどこから発生するのかも推察できます。
 ひとつには、コミュニティの中に外部のマナーやルールを持ち込むこと。
 ふたつには、コミュニティのマナーやルールを外部にまでに適用しようとすること。
 違うマナーやルールに従う人を「礼儀知らず」と責めても、その人にはその人の信じるルールとマナーがあるのですから、お話は平行線を辿るしかありません。
 だって根本が違うんですもの。

 4) どんなマナーにも共通すること

 マナーもルールも千差万別であることはわかりました。
 千差万別だから諍いがあっても仕方がない? いいえ。違います。
 マナーには、共通する概念があるのです。

 では「マナーに共通する概念」とやらを探してみることにしましょう。

 なぜ日本ではお椀を持つのでしょう。
 卓袱台(ちゃぶだい)登場以前の日本の食事はお膳でした。お膳は正座したときの、膝くらいの高さしかありません。
 椀を持ち上げずに食べるとこぼれるし、飛び散ります。畳も着物も汚れてしまう。
 そうならないように身をかがめると、まるで獣のような食べ方になります。
 見ていて不快でしょう? だから持ち上げるんです。
 でも、中国や欧米には卓(テーブル)があります。
 椅子に座ったときに胸の下あたりにお皿がくる。だから、持ち上げなくてもよい。
 持ち上げる必要がないのに持ち上げるのは、取り上げられることを恐れて、慌てて食べているようです。
 まるで飢えた獣が久々の餌を貪り食っているよう=下品=見ていて不快、となりますね。
(面白いのは、テーブルが日本の食事の風景に登場しても、根付いた文化はそのままだということ。
 やっぱりご飯を食べるときにはお椀を手に取るのです。
 外からひとつふたつ持ち込まれる要因だけでは、変化しない特性も顕著です)

 つまりマナーに共通する概念とは、「不快」を望まない気持ちです。
 そしてルールとは不快な思いをしなくてすむように、マナーの一部を明確化したものです。
 あなたも、わたしも、みんなが心地よく時と場を共有するためのものであること。
 マナーやルールを語ることで誰かを「攻撃」してはいけないのです。

 日本ではお皿は左手に取るんだ、と、余所のお国で我を張るのは無粋ですし、なにより「相手の文化を否定する」という無礼を働くことになってしまうでしょう? あら恥ずかしい。

 自分が知っているルールとマナーだけを正しい「行儀」として、異なるルールやマナーを知ろうともせず、相手を詰る。
 どちらが礼儀知らずか、もう、おわかりですよね。

 マナーは互いのためのものです。
 自分の平穏のためだけにマナーを騙ってはいけないのです。
 そしてルールとは支配を意味する言葉でもあります。
 ルールを押し付けるということは、その人を支配しようとしている行動であることを、よくよくご承知おきくださいね。
 他者から支配されることを好む人は多くありませんから。

2. 管理人ってなんだろう

 管理人をよく「神さま」や「王さま」にたとえる人がいらっしゃいますが、わたしはそのようには思いません。
 わたしはエンターテイナーでホスト(亭主)です。
 だから、お客さまをもてなすことが第一義。楽しんでいただけて、なんぼ、です。
 神さまのように崇められちゃうと、尻がこそばゆいので、ここでは
「管理人≠神さま、王さま」で、よろしくお願いします。
 管理人は運営するサイトの管理(マネジメント)をしますが、サイトを訪問する人を管理(コントロール)する人ではない、というのがわたしの信念です。

3. お客さまってなんだろう

 商いであれば品を「お買い上げくださった方」。
 ですが、ここは「訪ねて下さる方」のことです。
 お訪ねいただいた方をおもてなしすることは亭主(ホスト)であるわたしの務めですが、お客さまに務めはございません。どうぞ心安くお楽しみくださいませ。
 ただ、訪れてくださるすべての方に楽しんでいただくためにも、誰かを不快にさせるような行為はご遠慮いただきたく思います。
 具体的にあげるなら、以下の3つの行為です。

  1. 特定個人や団体の誹謗中傷や、個人情報の公開
  2. 詐称(誰か他の人を騙ること)
  3. 他人の権利を侵害すること

 これだけは、やめてくださいね。マナーどころか、法律にも反しますから。

最後に

 自身への確認もかねて、簡単にまとめます。

  1. マナーもルールも他者に押し付けてはいけません。
    押し付けは不快です。不快をもよおすようなマナーはマナーではありません。
  2. サイト管理人は、エンターテイナー(主催者)です。
    お客さまから搾取してはいけません。
  3. 閲覧される方は、エンターテイメント(催事)を阻害する振舞いを慎みましょう。
    自分ひとりだけが楽しんでいるのではありません。

 たぶん、それだけのことだと思います。
 マナーを守る、というよりも、相手を大切にしましょう、というところで。
 わたしの結論とさせていただきます。

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