第3章 不思議の国の道化師 (4)

 首都の貧民街で医院を営む蔡浩継(ツァイ ハオチー)の元に花散里から突然の手紙があったのは、日がまだ沈みきらぬころであった。いまから八時間ほど前になる。
 蔡氏は医院の経営者であると同時に、仁に厚く義を重んじる名医であった。名医であったが、経営者としての才覚にはあまり恵まれていなかったので、こんな場末の開業医だった。当然、貧しくはなかったが裕福ではなく、質素な暮らしを送っていた。そんな蔡氏だが、実はたくさんの資産を持っていた。資産管理に有能な弟子がいてくれたおかげで、今も増え続けている。したがって病院の収入はないに等しくとも、十分にその経営を維持できていた。ただ弟子は師の金銭に対するおおらかさをよく知っていたので、決してその管理を怠らなかった。つまり、蔡氏の小遣いは、その出納係が定めた範囲で賄われているのである。蔡氏の楽しみは、十日に一度、城の花散里に会うことだ。本当はもっと頻繁に、毎日でも会いたいのだが、許可されている小遣いでは生活費を引くと十日に一度が限度だった。もちろん、蔡氏はそれでもここの近隣の住民に比べれば格段に幸せな生活をしている自覚があったので、小遣いアップを出納係に願い出たりはしなかった。しなかったが、以前、家にあったアンティークのティーセットを花散里にプレゼントして、叱られたことがある。蔡氏にとってはきれいなだけが取柄の骨董品だったのだが、その価値を知る弟子にとっては驚天動地の暴挙だった。それで花散里を身請けするならばともかく、気前よく譲渡してしまうなんて、とさんざん叱られたことはまだ記憶に新しい。
 ところで、花散里の心中を思うと蔡氏の胸はひどく痛んだ。突発性の狭心症かしら、と心配になるほどに。城の姫がこんな形で客に文を送るなど通常では考えられぬことだけに、そこまで追い詰められている花散里が哀れだった。そしてこの危急の事態に、自分を頼ってくれたことがうれしかった。手紙を届けにきた花散里の禿――姫たちの雑用をこなす少女たちのことである――蛍にしばらく待つように蔡氏は告げる。
 患者たちの容態を確認し、助手と弟子に緊急時の処置などを指示し、蛍とともに彼は大急ぎで城へ向かった。さすがにこのときばかりは小遣いの前借を出納係の弟子に願い出た。弟子とはいっても義理の姪であり、蔡氏の城通いにもっとも否定的見地を持つ彼女の説得には一時間ほどを費やすことになった。詳しい説明を渋る蔡氏から事情を上手く聞きだした彼女は、最後にはしぶしぶながら出資してくれた。叔父を病院の玄関で見送った姪はちょっと肩をすくめ、自分を待つ患者のいる病棟へと戻っていった。
「よくお出でくださいました」
 蔡氏を出迎えたのは、花散里ではなかった。花散里と客の人気を二分する、城のもう一人の看板、六花だった。同時に蛍は奥から走ってきた姐分の禿に連れてゆかれる。
「六花さん、花散里は」
「まずは、こちらへ」
 こぼれんばかりの愛嬌を振りまく花散里と対照的な六花は、淡々と蔡氏を奥へ案内した。雪の結晶をしめす名のとおり、六花は静かで、冷ややかな印象をあたえる姫だった。表情を変えることは滅多になく、声をあげて笑うこともない。その氷花のような姫の笑顔見たさに通う客は多い。神秘の姫とうたわれる美女だが、蔡氏は花散里の熱心な客だったので、どうしても隔意があってことばを交わすのも姿を間近に見るのも、今回が初めてだった。
 花散里は容態を崩しまして今日は表に出ておりませんので、と言い訳する城の主は六花に蔡氏の接待を任せると、下がっていった。
「六花さん、花散里はどうしたのです」
 再度問いを放つ蔡氏に、六花は目を伏せ、しばらく黙っていた。長いまつげが白い頬に影を落とす。
 やがて、思い切ったように六花は話した。
「蔡さま、……花散里は、花竜様のお怒りを買い、谷へ連れてゆかれました」
「ええ!?」
 六花のことばに蔡氏の顎は間接が外れたように開けっ放しに、顔は色は漂白したように白くなり、次に蒼くなった。
 谷はこの世の地獄である。牛頭馬頭より恐ろしい悪人たちが跋扈する世界だ。花竜は中でもとりわけて恐ろしい人物で、それはもう、鬼か悪魔のように恐れられている。いや、鬼か悪魔にちがいない。その花竜の怒りを買って、花散里は、谷へ連れ去られてしまった。
 歯の根が合わない蔡氏は、何度か口を開閉し、唇をひくひくと震わせる。気を落ち着けるために、震える手で杯をとると中の酒を一気に飲み干した。
 ごくり、と音をたてて飲み下す。味なんかわからなかった。
「ど、どうして?」
 のどに張り付いてうまく発声できない。
「蔡さまに手紙をお送りしたことが、花竜さまに……」
 六花はもう一度まぶたを伏せた。伏せた目から涙がぽとりと膝に落ち、彼女の纏う艶やかな着物に染みをつくった。
「花竜さまやその組織のことを、話すことは禁じられております。花散里は、その禁を破った、と」
「そんな」
 家族を思うのは人として当然のことである。医師にその旨を相談すること、それがどうして罪になるのか。
「ここは花竜さまの持ち物と噂されています。でも、それはただの噂でした。花散里が、あなたにそれが真実であると明かしてしまうまでは」
「私は誰にも話さない」
 即答した蔡氏を見、六花は悲しげに首を振った。
「蔡さま、あなたが人にお話などなさらないことは、この六花もよく存じております。でも」
「でも?」
「花散里が弟を思うあまり勝手な行動をしたことに変わりない、と。そう仰って、王虎さまが」
「王虎!?」
 平常に戻りつつあった蔡氏の心拍数が、再び跳ね上がった。
 王虎といえば、花竜に臣従する猛者である。ハーフドールの異名を取る彼は、首落としの二つ名も持っている。首を引きちぎる怪力というものがどれほどの力か、人体の構造をよく知るだけに凄まじさを想像できる蔡氏の胃がきゅうっと縮んだ。王虎は一撃で敵の首を吹き飛ばす怪力を得た代わりに、慈悲の心を母親の胎内に置き忘れたのだろう、と蔡氏は思った。
 血の気がひいたため、めまいまで起こした蔡氏に、六花はさらに語る。
「花散里は、もうここへは戻らないでしょう。蛍も。きっと花竜さまに、……いいえ」
 六花はことばを飲み込んだ。彼女のきれいな瞳からはらはらと涙が散った。
「いっそ、お手打ちにしていただければ、どんなに幸せか……」
「なぜだ」
 蔡氏の声は悲鳴に近い。
「どうして、そんなことに」
 花散里がどうなるのか、あまりにも恐ろしくて聞けない。
 聞けないが、なんとしてもそれを阻止しなくてはならない。
「だ、だが、花散里には李氏が…………」
 李氏は恋敵である。と、蔡氏は信じていた。月に数度、李氏は花散里の元を訪れていた。謎に満ちた人物、というより李氏は謎そのものだった。李という姓しか知られていない。さる大物の息子であるとか、セレクトの一人であるとか、数限りない噂が彼を取り巻いていた。花竜の側近であるという噂もそのひとつである。そして花散里の思い人だ、とも。
 ゆっくりと左右に六花は首を振る。
「それでお許しいただけるのであれば、王虎さまがここへ来ることなどございませんわ」
 なるほど。しかしそんな大物にもどうしようもないのなら、ただの町医者のわたしに何ができるんだ。
 いや、できるできないは関係ない。見過ごすことができないのは確かなのだから、何かしなくては。
 蔡氏はそれほど多くない度胸を、それでもありったけ集めると言った。
「六花さん、わたしを花竜さんに会わせてくれませんか」
「蔡さま」
「わたしが花竜さんに会って、説得を」
「お聞き入れくださることなどありえません」
「でも、だからといって放って置けない。花散里ももちろんだし、彼女の弟には一刻も早い手当てが必要なんだろう? それに蛍さんや、六花さん、あなただって、このままでは」
「わたくしは、いいのです。あの人が死んでしまったら、生きている意味なんてありませんもの」
「六花さん……」
 重傷を負った者の中に、親しい青年がいたのだ、と六花は告げた。
「……」
 声もなく涙をこぼす六花の手をとって、蔡氏は言った。
「そんなことはない。あなたはわたしに教えてくれた。花散里も、あなたの恋人も、死なせない。絶対に。そうだ、死なせたりするもんか。そんなことは、わたしは許さないぞ。病人やけが人の処置は、医者の管轄だ。花竜に口出しなんてさせない」
 言うにしたがって蔡氏の意気があがる。引いていた血が、反動付で一気に頭に上る。興奮は正常な判断の妨げになる、と蔡氏の理性がささやいた。しかし理性はその直後、正義感と義侠心に叩き伏せられてしまったのか、蔡氏の心には影響を及ぼすことはできなかった。
「善は急げ、だ。六花さん、すぐに花竜に連絡してください。蔡浩継が、お会いしたいと言っている、と」
 嫌がる城の主を急き立てて、蔡氏は花竜に会見を申し出た。
 申し出るとほぼ同時に、二人の男が城に乗り込んできた。蛍を捕らえるために花竜が使わしたようだった。蔡氏は無謀だと止める六花をなだめて強引なほどの頑固さでその船に同乗し、花竜の元に向かったのである。
 八時間前の出来事である。

 そして現在、蔡氏は花竜との対面のため、谷を訪れていた。
 蔡氏を迎えにきたのは白狼と名乗った若い男と、もうひとり。王虎と並び悪名高い石涼で、蔡氏の肝は小さく固まった。
 およそ四時間の行程、石涼は一言も口を開かず、白狼も必要最低限のことばしか口にしなかった。蛍も同乗していたが、互いに話のできる雰囲気ではなかった。
 緊張のあまり、消化器に樹脂を流し込んだらこんな風に痛いかもしれないというような痛みを体内に抱えて、蔡氏は応接室のソファに座っていた。応接室は落ち着いた雰囲気だった。調度は実用品であり、それらを愛でる習慣のない蔡氏にはわからなかったが、その美術的価値と価格を知る者が蔡氏の姿をみたら、大声で叫ぶに違いない。そのソファに座るな、その絨毯に足を置くな、と。
 ただ、蔡氏にもその部屋の家具――そう、蔡氏にとってはあくまでも家具である――の趣味がとてもよいことはよくわかった。しかし、おどろおどろしい空気がない応接室は、非常に現実的で、かえって蔡氏は全身の血管が収縮するような緊張を感じずにいられなかった。
 だが、不思議なことに、来なければよかったとは思わなかった。
 待たされること二時間。ようやく蔡氏は花竜に会う許可を得た。
 案内された先で、蔡氏の消化器の樹脂は固化してしまった。そこには黒尽くめの軍服に身を固めた、数人の男たちがいたからだ。容貌を見て、わかる。堅気でないことが。
 花散里と蛍は部屋の中央に近い床に直接座らされていた。花散里は男たちから蛍をかばうように、その袖で少女を包んでいる。緊張のためか花散里も蛍も青ざめているが、乱暴された様子はなく蔡氏を少し安堵させた。
 部屋の奥は、一段高くなっており、御簾が下がっていた。おそらくそこに花竜が座るのだろうということは蔡氏にも理解できた。
 胃を抑えてしゃがみこたくなった蔡氏の膝が砕ける直前、居並ぶ男の一人が花竜の出座を告げた。
 時代がかったその宣言を笑う余裕さえ、蔡氏にはなかった。
 御簾内に、花竜が着座した。
 御簾の一番近く、左右に控えていた男の一人が言う。
「花散里の裏切りに関し、参考人として医師蔡浩継に証言を求める」
 その大柄な男は隻眼だった。傷跡の具合から見て、ごく最近、その傷を負ったのだということが蔡氏にはわかった。
 裂傷に見えるが、と蔡氏の脳細胞はその傷の診断を始める。職業的条件反射だ。
 裂傷ではない。表皮は左右に裂かれているが、顔の筋肉に引っ張られたり巻き込まれた様子はない。なんだろう、変わった傷だ。しかもあの目はどうしたことか。手当てを施せば視力は回復するだろうに。医師が、いないのか?
 ぼんやりと考え込んでいた蔡氏は、再度発言を求められ、我にかえった。震える声で蔡氏は言う。
「わたしがここへきたのは、証言をするためではありません」
 蔡氏の発言に、居並ぶ男たちがざわめいた。驚いた様子で花散里が蔡氏を振り返る。
「わたしは、あなたと商談に参ったのです。花竜さん」
「蔡氏、あなたに求めているのは、花散里が禁を破った事実の確認だ。それ以外の発言を許可した覚えはない」
 隻眼の男は突き放した口調でそう言った。
「証言をする、ということをわたしは承諾した覚えがありません。わたしは当初から、花竜さん、あなたとの取引を申し出ているのです」
 ひと言発言するたびに、胃は痛み肺は縮む。顎や舌を動かすどころか呼吸することが難しいと思ったのは、蔡氏生まれて三十二年、初めてのことだった。
 しかし、それでも彼は懸命にことばを繋いだ。並々ならぬ勇気である。
「花散里の酒楼が、花竜後宮と呼ばれていることは周知の事実。花竜の組織に医療施設は要らないか、と考え、花散里に打診したまでのこと。それを、このように下位の席につかされた挙句、ありもしない証言を求められるなど、心外です」
「しらじらしい。嘘を言うな」
 蔡氏の発言に、王虎が大声で怒鳴った。怒鳴ったのが王虎だということは、一目瞭然だった。ハーフドールの呼称に相応しい姿だ。恐怖のあまり卒倒しそうになったが、花散里がこの乱暴者に連れ去られたことを思い出した蔡氏は、王虎の大声に、負けじと声を張り上げた。
「何を根拠に嘘だと言われるのですか」
「何だと!?」
「わたしが言っていることが嘘だという根拠は何かと聞いたんだ!! 答えられないなら黙ってろ!」
 即座に怒鳴り返した蔡氏に、白狼がその細く鋭い目を見張る。その驚いた様子を視界の端でとらえた蔡氏に、ほんの少しだけ精神的余裕が生まれた。生まれたばかりの小さな余裕を懸命に育て、蔡氏はことばを続ける。御簾内の花竜らしき影を一心に見つめて。王虎を直視するのはあまりに怖かった。
「商談を持ちかけた者に、こういった扱いをするのがあなたの流儀なら、わたしは帰らせてもらう。遠方からはるばる出向いたうえに二時間も待たされた。それだけでも、商談に応じる気があなたにないというのは明らかだ。わたしも多くの患者を抱える身。暇ではない」
「秘密を知った者を無事に帰すと思っているのか」
 あざ笑った王虎を、蔡氏はキッと睨みつける。
「お前などに話していない。引っ込め、三下」
 王虎を怒鳴りつけ、黙らせることに蔡氏は成功する。善良で温和そうな蔡氏だが、下町の開業医を十年も務めているうちに習い性になったのか、なかなかに堂の入った啖呵の切りかただった。三下などど呼ばれたことがなかったらしい王虎は目を白黒させながら、御簾のむこうの花竜を仰ぎ見る。
「花竜さん、先ほどからあなたは手下に交渉を任せきりにしている。高みの見物ですか。それで有利に事が運ぶとでもお考えなのですか。甘く見ないで下さい」
 アドレナリン分泌が盛んになった蔡氏は、いまや恐怖も忘れて、半ば怒っていた。
「いい加減にしろ、無礼者」
 蔡氏をしかりつけたのは隻眼の男だ。男は蔡氏を叱りつけたが、その声には揶揄も険悪さも感じられなかった。
「無礼はそちらでしょう。取引を交わす気がないのならそれで結構。しかしこのような扱いを受けなければならない理由がわたしにはありません。わたしを無事には帰さないとその男は言ったが、わたしが無事に戻らなければ、わたしの患者たちが黙ってはいない。わたしの患者たちの多くは法の境を漂う連中だが、そういった者を敵にまわしてあなたに利が上がるとは思えませんがね、花竜さん。あなたの商売はわたしの患者たちから寄せられる情報を元に成り立っているのではないですか。情報源が城だけに限定されることに躊躇がないなら、好きになさい」
「えらく高飛車じゃねえか。センセエ様よ」
「わたしはごく常識的な話をしている」
「蔡氏」
 穏やかな声が、蔡氏の発言を止めた。声の主が、蔡氏は見知った相手だということに気付く。李氏である。もちろんことばを交わしたことはない。互いに城で見かけただけの間柄である。一見してわからなかったのは、髪形のせいだ。
 やはり李氏は花竜の側近であったのか、と蔡氏は内心で苦々しく思う。それならどうして、この事態を回避しなかったのか、と。
 隻眼の男と同列であるのか、李氏は花竜のすぐそばに控えている。だから彼が側近の中でも花竜により近しい立場にあることが想像できるし、それならば花散里を庇ってやることもできたのではないかと考えると、いっそう憎らしくなってきた。そうだ、あの二人が花竜の双璧に違いない。睨むようなまなざしを投げる蔡氏に、李氏は淡々と問いかける。
「あなたが、なぜ商談を持ちかけたのか、わけをお聞かせいただきたい。それが理に適ったものであれば、われわれも納得ができる」
「理由などあるものか、大方、花散里恋しさの芝居よ、芝居」
 茶化すような王虎を制し、その隣にいた石涼は蔡氏に軽く会釈した。石涼の口調は、非常に礼儀正しく丁寧なものだった。
「申し訳ない。ただ、われわれも戸惑っているのです。なぜならあなたは善良な医師として不自由なく暮らしている。その医院も、今のところ傾く様子は見受けられない。と、すれば、あなたが危険を冒してまでわれわれと接触する理由が見受けられない」
「理由? ここに医師を必要とする人間がいるからです」
 もっともらしい理由を見つけられなかった蔡氏はとりあえずそう言い、言ってからその科白に活路を見出した。
「しかもそれは常時。そして、医師はいない。すくなくとも充分ではない。違いますか」
 石涼が頷く。それに促されるように、蔡氏は話す。
「医師の務めはけが人を治し、病人を癒すことです。わたしは医療を営利と考えたことはない。あいにくそれに利を求めなくてはならないほど貧しくはありませんのでね。それは、あなたが先ほど言ったとおりです。ここに医師を求めるものがいるのなら、わたしはそれに応えるまでのこと」
「では、何ゆえ商談と言われたのです。利益のないことをそう表現された理由はなんです」
 その発言は白狼のものだった。冷徹な印象を受けるその容貌とは異なり、若く穏やかな声だった。
「投資です。わたしが医療を提供する。必要とあれば、経費の一部も負担しましょう。患者たちの同意が得られるなら、彼らから得られる情報も提供します。その見返りとして、あなたが請け負った仕事の利益の一部を医院の運営資金としてわたしは回収する。あなたの組織の堅実さは、わたしも知っている。なぜなら先ほども申し上げた通り、わたしの患者には堅気でない人が多いのでね。それに資産は運用しなければ減る一方。そして投資するなら回収が確実なところがよい。いかがです?」
 話しているうちに、その気になってしまった蔡氏の舌はよく回転した。資産運用云々は姪の受売りだが、花竜のこれまでの仕事の成功率を考慮すると、説得力はあった。なにせ成功率百パーセントなのだ。
 石涼がその発言に頷き、花竜に視線を転じた。王虎はこういったことは門外漢らしく、そっぽを向いていた。
「テラの機嫌を損ねることになっても、か?」
 確認するように問いを放ったのが誰なのか、蔡氏には初め分からなかった。その声は、硬い玉を打ち当てるように澄んで美しい。声の主が花竜であることを知ったのは、居並ぶ男たちが――もちろん花散里と蛍も――いっせいに平伏したからだ。
 その様子と、なにより予想外に美しい花竜の声に驚いた蔡氏が行動を決めかねていると、花竜がもう一度訊ねた。
「谷の者に関われば、テラの怒りを買うやも知れぬ。それでも、構わぬと?」
「けが人や病人に、街も谷も、善も悪もありません。少なくともわたしにとっては。わたしが人を区別するとしたら、それは健康かそうでないか、それだけです」
 ここが正念場だということを蔡氏は直感した。ことばを選び、慎重に発言する。
「けれど、テラが谷の住人と関わることを、本当にそれを厭うのなら、なぜあなたが存在するのですか。あなたに仕事を持ちかけるのは谷の人間じゃない。正式なテラの市民です。そして彼らもあなたも、生きている」
 蔡氏のことばに花竜が笑みをこぼした気配があった。衣擦れの音で彼が立ち上がったことが分かる。立ち上がった彼は、李氏に御簾を上げるように仕草で伝えた。李氏は頷き、末席にいた男に御簾を上げるよう指示した。
 するすると御簾が巻き上げられるにしたがって花竜の姿が現れた。黒を基調とした衣の上に、金糸銀糸の刺繍が施された錦の上着を纏っていた。しかし蔡氏を驚かせたのは花竜の壮麗な衣装ではない。
 その姿だ。
 少年か少女かにわかには判別しがたいが、成人でないことは確かだった。