第1章 竜との遭遇 (2)

「様子は」
「近づいてくる。だけど……気流音が違う。もっと小型なんだ。それに低い。地面すれすれを飛んでる」
 少年は瞳を閉じてかすかな音に意識を集中する。
「スターゲイザーじゃない……。あの音は白王獅子(はくおうしし)だ。張じいさんの白王獅子だよ」
 風の中に溶け込んでいた動力音が、浮かび上がるように聞こえ始める。青年も自ら確認し、安堵の息をつくと座りなおした。張老人は組織の者ではないが、敵ではない。少なくとも、今は。
「プリンセス・グレーシス80−895型軽量飛行艇。略称PG8x。船体識別番号PG−π1.T2。コールネーム白王獅子。張白鶴(チャン・パイクォ)の愛機。間違いない。PGは、あれ一機しか現存しない。稼動するものは、な」
「うん」
 網膜が焼け付きそうなほどに強く輝く空を見つめ、少年は頷いた。一旦ぎゅっと目を閉じて、視線を大地に移す。何度か瞬きをし、あらためて青年に問い掛けた。
「ええっとさ、でも、今日って来客の予定、なかったよね」
「あれば外出許可は降りなかった」
「そうだよね。じゃ、あれ、誰の客を乗せてるの」
「さあな」
 心なしか表情が硬くなった少年に、青年が分からない程度に優しく声をかけた。
「心配か」
「そりゃ、ね」
 少年は素直にこっくりと頷いた。
「だって、今日は来客予定なかったし、それって、じいさんがくる必要がないってことだろ。それなのにわざわざこんなところ飛んでるのは」
「別の組織への客を運んでいるか」
「そう、それか、特別急ぎの用件か……複雑だな」
 他組織への客ならば、問題はない。あるひとつを除いては。
 だが、急用ということになると、もたらされる仕事はかなり切迫した状況にあるということだ。一刻を争う事態でもなければ、連絡を遣さず谷を訪れるなどという愚行は犯せない。なんといってもここは無法地帯なのだから。そんな危険を冒してまで届けられる仕事は、実入りも多いのだがリスクも尋常でなく大きい。
 現在の経済事情を考えれば、金になる話はありがたいが。
 しばしの沈黙。
 やがて機体が黙視できるほどに白王獅子が近づくと、青年はぽつりと呟いた。
「急用なら、いいが」
「急用さ。そうに決まってる」
「思い込みは冥土への第一歩だ」
 青年のことばに、少なからずむっとした様子で、少年は口を尖らせた。
「どうしてそうやって、いつもいつも悪いほうに考えるのかなあ。……楽しい? それで」
「楽しい、楽しくないだけでは生きてはゆけない。身近にそういうやつがいる場合はなおさらだ」
「それ、俺のこと?」
 少年が不機嫌そうに問うと、青年は意外なことを問われたというように二、三度まばたきをし、少し首をかしげながら逆に聞き返した。
「……違うように、聞こえたのか」
 そいつはどうもすみませんでした、と言いながらも少年は反論する。
「でも、じいさんはあいつのこと大っ嫌いだもん。あんなヤツの客なんか絶対に運ばない。それにあいつは同業者じゃない。ただの強盗さ。客なんか要らないんだよ」
 名前を口にすることさえしない少年が「あいつ」をどれほど嫌っているのか想像に難くない。
「信じるのも、思い込むのも勝手だが、事実を見落とすな。張もプロだ。俺たちよりも擁焔に適当な仕事なら、向こうに渡りをつけることもあるだろう」
「ありえない」
 少年は一言のもとに、青年の示唆を切り捨てる。
「絶対に、ない。これは希望や推測じゃなくて、事実。じいさんはあいつを、許さない。孫娘とその娘の仇だもの。だから白狼(パイラン)がここにいるんだ。お母さんと、お姉さんの仇を討つために、白狼は来たんだよ。爺さんもそれは承知してる。そういうのって理性では片付けられないんだ。もし、仮にあのバカでなきゃできないような汚い仕事なら、じいさんは聞こえなかったふりをする。『わしはもうヨボヨボでよく聞こえんのじゃぁ』とかね」
「他人を信じすぎるな。生き残るためなら家族でも売る。ここにそういう人間は少なくない。おまえは随分白狼を気に入ってるようだがな」
「他人じゃない。仲間だろ。家族だよ」
「向こうもそう思っているとは限らない。信じすぎるな。それは堅気には美徳でも、俺たちにとっては致死性の毒にもなりかねない」
「いいんだよ」
 頭上を過ぎる白王獅子に、もう一度視線を投げて、少年は言った。
「毒だって、制してやるさ」
 もう随分と傾いているにも関わらず、依然として鋭い日差しが上空を通過する白王獅子にさえぎられ、ひととき、わずかに涼しくなった。
「おまえ自身が猛毒なら、それも可能かもしれないな」
 ふん、と鼻で笑った青年は、小馬鹿にするような態度でそう言った。
 毒をもって毒を制す、とい古い格言がある。酸とアルカリが中和することを暗示した太古の格言だが、適当に混ぜ合わせればおかしな化合物か混合物ができるだけである。毒消しにならないどころかショック死する可能性も否めないことは今日では周知である。
 含みを持たせた青年のことばに、少年はしかしニヤリと笑った。
 てっきり拗ねるか、怒るかするだろうと考えていたらしい青年は、面食らったようにまばたきを一回。めずらしく戸惑った様子を見せる青年に、少年は正面から視線をぶつけた。刃のように清冽な光が放たれる。
「中毒にでも、させてやろうか」
 少年の鋼色の瞳が、夕日を受けて一層強く輝いた。

 白王獅子の通過で、谷底から乾いた風が吹きつけた。
 熱気を含む風と砂埃から、青年はその瞳を手をかざして守る。
 砂混じりの熱風をやり過ごし、彼らは三度上空を見上げた。

 大気が希薄なこの惑星の夕焼けは、透明で深みのある紫紺だ。かつてここが楽園と呼ばれていたころ、空は淡く優しい翠玉の色をしていたという。その夕焼けは見事な薔薇色だった、とも。
「ノスタルジーって、思わない?」
 急速に夜に向かい始めた日暮れの空に浮かぶ白王獅子を見つめ、少年は言う。
「白王獅子か生まれたころ、夕空は薔薇色だったかもしれないって」
「いくらなんでも、そこまで古くない。あれでも一応、今世紀初頭に造られている」
「じいさんの曽祖父さんの作品なんだよな」
「元は。今じゃスクラップパーツでない箇所を探すほうが難しい。オリジナルパーツはAIだけだろう」
 そこで一度ことばを切った青年は、上空を飛び去った白王獅子の後姿を眺めながら、右手を顎に当てて続けた。
「何度か、補修を手伝ったんだが……俺が修理に関わったことはふせておきたい姿だな」
 少年は何度も首を上下に振りながら、そのほうがいいよ、と言う。
「おまえの名誉のためにも」
 事実、白王獅子は凄まじい姿をしていた。
 純白の機体。張老人が日夜、気力体力を惜しまず磨くため、色は美しい。
 が、つぎはぎだらけなのだ。
 八重咲きの白牡丹のようだ、とは、誰が言ったのだろう。非常に好意的な表現である。
「鼻をかんだ後のちり紙みたいだ」という少年の意見のほうが、より公平で客観的だろう。
「あんなので、どうして飛んでいられんだろうね」
 空力、無視した姿だよね、と少年が白王獅子を見上げたまま感想を述べた。
「テラ……母星の博物館にPGが展示されているんだが、白王獅子がPGだとは、一見しただけじゃ分からない。改修に改造を重ねた結果なんだろうが、いまだにPGだという確信がもてない。製造番号は確かにPGシリーズなんだが……PGとは数世代離れた後継機の特徴が見られる。そういう箇所に限って、オリジナルパーツだ」
「もともと、特別仕様だって張じいさん言ってた。曽祖父さんのお母さんが、金に見合うだけの技術提供で充分だ、見合わない分は出してくれる人にだけ提供してやれって言ったんだって。それが公正な資本主義取引だ、とかで」
「……間違ってはいないな」
「曽祖父さんは、中央政府お抱えの技術者で、マザーテラをプログラミングした人の、二人目の奥さんの何番目かの息子の、長女の……なんだったかな、とにかく縁者だったんだって。だからかなりのエリートさんで、端っこでもセレクトって感じだったらしいよ。テラに住んでたって聞いてるし。でも、曽祖父さんの目指すPGとお偉いさん方の意見が食い違った挙句、公金横領とかの濡れ衣を着せられて、逮捕されかけたんだってさ。それで、そのとき完成してたプロトタイプに奥さんと、張爺さんのお母さんにあたる娘を乗っけて、逃げたんだっ言ってた。資本主義に詳しい曽祖父さんのお母さんはそのとき病気で入院していたから、一緒に逃げられなかったんだ」
「逃亡生活は病人には負担が大きすぎる。ただの公金横領なら、療養中の母親にまで及ぶ罪状ではない。なによりそれが濡れ衣だというなら、被せた方の目的は、張敬秀……張白鶴の曽祖父に開発から手を引かせるか、従順にさせることだ。彼は他に類を見ないほど優秀だったらしい。仮に彼が政府案を了承しさえすれば、おそらくその犯罪は『間違い』として処理され、経歴にも残らなかっただろう」
「うん。でも、張敬秀にその意思はなくて、決裂。それで、逃亡することになるんだけど、そのときお母さんがアドバイスしてくれたんだって」
「何を」
「せっかく横領したことになっているのだし、帳簿と残高が一致しないのはかわいそうだ、こんなことになったとは言え、長年世話になった相手だろう、せめてその金額は合わせていっておやり、って」
「……どうやって」
「公金っていってもああいう予算ってリアルマネージャないんだってね。政府の口座を担保にしたEマネー。その担保口座のファイアーウォール創ったのは張敬秀。だから、公金横領を向こうも持ち出したんだと思う。それで、彼はそのとおり実行した。一部をリアルマネーに換金して、残りは金の出所を気にしない取引先にがんがん送金、パーツを入手してプロトタイプを改造、完成させて、高飛び。すごい額だったらしいよ。正式な開発費用の3倍とか4倍とか。詳しいことは聞かなかったけど。ほら、俺、そういう話得意じゃないし。で、そのときお母さんの口座にいくらか入金しておいたんだって。もちろん、公金だって証明できないように細工して。すごいよね、テラの追跡を振りきれちゃうんだからさ」
「それで、その母親はどうなったんだ」
「その四年後に病気で亡くなったって。当時はけっこう報道されたらしいよ。プロトタイプ強奪犯の母、病死するって。でも曽祖父さんは帰らなかった。あたりまえだけど」
 少年は上空を旋回する白王獅子を見上げて手を振った。
「なんていうか、メーワクな話だよね。そもそもの原因は開発者の意向を組み入れないテラの側にあるのにさ。逃亡生活強いられて、母親の死に目に会えないどころか葬儀にも列席できないなんて」
「……意見を一致させられなかったことについては張敬秀側にも一因がある。平穏な生活を望むなら、ある程度は自分の意思で自分の主張を制御する能力も必要だ」
「テラは絶対に譲らないのに」
 少年は半ば怒りながらそう言った。
「機械の分際で、でかいツラしてるよ。生きてないし、死なないから、生きることがどんなことか知らないんだ。それなのに大上段に正論ふりかざして、ところかまわず振り下ろす。誰かは問わぬ、何故かも聞かぬ、わたしの意に染まぬ事実だけが真実だってんじゃ、ホントたまらないよ。よくそんな環境で生きていられるよね、セレクトたちもさ」
 同意を求めるような少年のまなざしを、どうでもいいことのように青年は受け流した。
「さて、どうする。張白鶴を出迎えるか」
「当然。あの航路なら、着陸地点は彩の谷だろ。ここからなら先回りできる。真下だからね」
「確認していいか」
「うん?」
 小首をかしげる少年に青年は問いただす。
「真下。確かに真下と表現して差し支えない。71度の傾斜があるが、見た目はほぼ垂直。いや、抉れているようにさえ俺には感じられるが、真下、だろうな。川底まで直線距離にして約80メートル。東に1キロ半移動すれば彩の谷だ。それで、おまえはここを下るつもりか」
「ぐるっと回ったら、先回りはできないよね。あまり時間をかけていると間に合わない。客はどうだか知らないけど、爺さんはもうトシだし、ヤツラに襲われたら即死だよ。白狼への責任もあるし、見過ごせないと思うけど」
「……よく分かった。止めはしないが、俺は遠慮する。これ以上汚れたくない」
「仕方ないね。ムリには勧めないよ」
 それでも行く、という少年の無言の宣言に、青年は何か言おうとして息を吸い、少し間をとり、結局何も言わなかった。吸った息がそのまま溜め息になる。
「俺も行く」
 諦めてそう言い、青年は手首の通信機に向かい、張白鶴の予定外の来訪と、その目的の確認のために着陸地点に向かうことを連絡した。何をどのように止めようと、少年が出迎えると決めている以上、ともに行くしかない。保護者の務めと割り切って、ならばこれ以上の会話は無駄だと判断する。到着を待て、という先方のことばをさえぎって、一方的に伝え、一方的に回線を切った。
「ふうん、つき合い、いいね」
 にっこり。
 満足げに機嫌よく微笑む少年に、表情でさえ応じず……いや、苦虫を今当に噛む表情で無言のまま、青年は少年より先に、谷に飛び込んだ。