Diary

4月15日(火)

 トイレトレーニングをどうするか、と旦那。
 どうする、と言いながら「そろそろ始めたら?」と言わんばかりの態度。
 そりゃ始めてみてもよいですが、君、ノータッチで済むと思っているなら大間違いですよ。
 そう応えたら
「……まあ、のんびり行こうか」
 なんて正直者(笑)
 夏に義母のところに遊びに行くから、正直それまでおむつでいいと思うんだよね。わたしは。
 だってせっかく頑張っても、環境が変わったことで失敗したら可哀相だもの。

4月14日(月)

 1週間の献立をざっと考えるようになってから、炊事の手際がよくなりました。
 たとえば棒棒鶏に添えるきゅうりの千切りを作るときに、明日の朝のサラダも用意してしまうとか、そんな程度なんですけどね。
 今まではそういうことを考えながら台所に立つ余裕がなかったんです。
 今はいかに手間をかけずにそれなりの食事を用意できるか、というところを考えるのが楽しい感じ。
「もののついで」の積み重ねの大切さを教えてくれた元上司殿には、今もって足を向けられません。

4月13日(日)

 飛行機を見に空港へ。
 行くたびに飛行機に慣れてくるのでしょうね。
「大興奮!」というのではなくなってきたこのごろですが、それでも若さまは飛行機が好きなよう。
 ベビーサインの飛行機をしながら展望デッキの上を走る若さまを見ていると、ほのぼのとした幸せを覚えます。
 旦那がいちいち飛行機の型番を教えているのが可笑しかったです。
 で、赤福を買って帰りました。
 久々に食べましたが、変わらずおいしかったです。
 売り切れ御免でいいんだよ、売り切れるから食べたくもなるのだし、と今さらながらに思ったり。

4月12日(土)

 今日は風も穏やかなよいお天気だったので、近くの公園で紙飛行機を飛ばして遊びました。
 旦那が自分で設計した飛行機なのですが、……なかなか思うようには飛びません。
 でもおかげで、若さまには地面に落っこちた飛行機を拾うという楽しみがあったようです。
 拾われてしまうとあっという間に破壊されてしまうので、彼方から旦那が必死の形相で走って来るんですけども、これがわたし的にはとても楽しい。
 もちろん旦那の代わりに拾い上げたりはいたしません。
 若さまと旦那の真剣勝負です。
 大体が若さまが一勝を挙げた時点でその日の試験飛行はオシマイ。
 最近は少しずつ滞空距離と滞空時間が増えてきたためか、若さまが一勝するのも難しくなってきています。
 なのでわたしが折り紙飛行機で若さまと遊んでいるのだけれど。
 どうもわたしの折り紙飛行機のほうがよく飛ぶんじゃないかしら〜と思う本日。

4月11日(金)

 しばらくぶりです。
 まるまる二ヶ月以上の無沙汰をすみません。
 2月初旬に若さまが風邪をひきまして(数日で回復したのですが)、以降、なんだかんだで日記の更新にいたりませんでした。
 とりあえず、本日、3月分までの日記を更新いたしました。
 抜けている日はいつか埋まるかもしれません。
 日々メモをしているそのままなので、中には少々感情的な内容の日記もあるかとは思いますが、まあ、「日記」ということでお見逃しください。
 先日四捨五入したら四十路という年齢になりました。
 早いものです。
 不惑も間近なのに、まだまだ惑うことの多い日々。
 でもあれやこれやと迷うことにも楽しみがあったりするので、まだしばらくはこれでも良いかな、とか(笑)
 人間、なかなか変われませんね。ま、精進精進。

4月10日(木)

 旦那を見送りついでに若さまと朝の散歩にでています。
 途中まで旦那が若さまの手を引いて、とある場所で「行ってきます」「行ってらっしゃい」をするのですが。
 パパ大好きな若さまは、半べそをかいて旦那を追いかけます。
 もちろんわたしがすぐに若さまを抱き上げて、二人で旦那をお見送り。
『パパ、どこ(に行っちゃったの)?』とベビーサインをする若さまに「パパはお仕事に行ったよ〜。帰ってきたらまた遊んでもらおうね〜」なんて声をかけてます。
 でもね……パパはおそらく君が起きている時間には帰ってこないから、明日の朝早起きをして遊んでもらうほうが確実。
 そういうことでお昼寝時間を今までより1時間前倒ししているこのごろ。
 遅くに帰宅して(遅くに就寝して)朝早くに若さまに叩き起こされている旦那も、ぶつぶつ言いながら幸せそうだから、まあこれでいいか。

4月9日(水)

 昨日の知人から連日の長電話。いい加減、疲れてきた。
 何もかも、わたしのやっていることは気に入らないらしい。
 気に入らないなら距離を置けばいいのに、どうして構ってくるんだろう。
 それを友人にぽろりとこぼしたら、
「本当は自分も同じことがしたいのに、理由があってできないからかもね。『わたしにはできないのに、あなただけズルイ。わたしができないんだから、あなたもやめてよ』ってとこかなあ」
 と言われた。
 ……ますます嫌になった。
 やりたいならやればいいし、できないなら別の方法を探せばいいのに、どうしてわたしのしていることをやめさせようとするのか。
 わたしがやめたって、知人が「できない」ことには何の変わりもないのに、何て無益な。

4月8日(火)

 育児や教育についてはいろんな考え方がある。
 それぞれの親が信じる方法で良いんじゃないかな、と思っている。
 でも知人はひたすら「わたしと同じにしよう!」と言ってくるので疲れる。
 都度、そのつもりは毛頭ないことを、はっきりきっぱり言っているにも関わらず、滅気もせず、諦めもせず、繰り返し言ってくるので、本当に困っている。
 その主張を簡潔に記すと
・教育的活動のすべてをやめよう
 だ。個別に例をあげるなら
・絵本の読み聞かせは、読書を子どもに押し付ける行為だ。
・童謡を聞かせるのは、子どもらしさの押し付けだ。
・書き殴りしかできない子どもにクレヨンを持たせて、無理をさせるのは良くない。
・リトミックにいたっては親のエゴの最たるもの!
 などである。(わたしには)戯言にしか聞こえない。
 絵本は「読んで」と持ってくる、童謡は「歌って」とせがむ、お絵かきは「描いて。描かせて」と主張する、音楽をかければ勝手に踊る。
 それらは我が子にとって遊びのひとつであり、無理強いはさせていないことを伝えても
「すでにあなたが子どもをそのように仕立て上げたからだ! 今ならまだ間に合う!」
 と、てんで話にならない。
 そして「子どもは勝手に育つ、親が何かをしてやる必要はない、むしろ構うことは害悪だ」と言い募る。知人は確かにそれを実践している。
 それが彼女の教育方針なのだろう。
 彼女の教育方針に口を挟むつもりはない。
 だからわたしのことも放っておいてくれないかと思う。

4月7日(月)

 服がない、思うことが多いこのごろ。
 手持ちのラフな服が少ないんですよねぇ……かつての通勤着や仕事着は今の普段着にならなくて。
 汚れるのは別に構わないのですが(しまいこんでおいたって役には立ちませんから)、機能的に足りない。
 仕事が休みの日にしか着なかった服は、量的にも通勤着や仕事着の5分の1くらいしかないし。
 まとめ買いしちゃおうかな。

4月6日(日)

 旦那の書斎をクロゼットルーム、元寝室兼クロゼットに夫婦共用の書斎、わたしの書斎を若さまの遊び部屋に、和室をリフォームして寝室に、というのが一番簡単な配置転換。
 この案だと、旦那の書斎の片づけが一番の作業になってしまいます。ざっと記すと
 旦那の書斎を空ける→寝室の衣類をクロゼットルームに移す→元寝室に書斎を構築→空いた部屋を若さまの遊び部屋に
 という流れになります。
 しかし、旦那の書斎を片付けるのは容易ではありません。
 旦那の腰はわたし以上に重いので。
 先にわたしの荷物を元寝室現物置部屋に、無理やりにでも移してしまえばいいのかな。
 ……なんとかなりそうかも。

4月5日(土)

 絵本だけで書棚ひとつが一杯です。
 買わずに借りればいいのでは、とは知人。
 しかし最寄の児童館、図書館は交通の便が悪く、乗り継ぎ2回の片道40分。かつ「公共交通機関利用のこと(駐車場がほとんどない)」なので、どうも足が向きません。
 それで、絵本もおもちゃもたいがい自前で用意することになるのですが……。
 たった1年で書棚ひとつが若さまの絵本に占拠されました。一番小さい書棚ですけどね。
 しかし若さまは満足することなく、新しい絵本をつぎつぎに読みたがるので、今後もどんどん増える予測です。
 むしろ増えるスピードは加速傾向にある?
 おもちゃも小物はいいのですが、ジャングルジムとかボールプールとかピアノとか積み木とか一抱えもあるようなぬいぐるみとか、場所をとるものがどんどん増えてゆきます。
 足蹴乗用は頂き物で2台とか、これにさらにペダルカーが増える予定だったり。
 これは早いところ若さまのお遊戯部屋を用意しなくてはなあ、と思いつつ、なかなか腰の上がらないわたしです。
 だって、順当に考えるとお遊戯部屋に適当なのは、現わたしの書斎なんだもの。
 さてこれらの大荷物をどこに引っ越したものか。
 それが決まらないと始まらないのよ〜。

4月4日(金)

 普通はしない話をすることが親しさの確認方法になっているのかもしれない、とか、昨日一昨日のことを思い考える今日。
 普通はダメだけど自分には許される、だから自分はこの相手から愛されてる、という思考なのだとしたら、怖いと思う。
 このくらいなら大丈夫? じゃあ、これもいい? そしたらこれは? と次々にエスカレートしてゆきそうなんだもの。
 そしていつか「No」と言われたときに、「信じてたのに裏切られた。愛情は贋物だった」となったりしたら、もうサイコサスペンスだよね。
 まあ、そこまで空想するのは行き過ぎなんだけど。
 最近お話を書かなくなっているから、どうにもこういう想像が膨らんでしまいます。
 夜中に見る夢もどこか映画仕立てだったりね。
 今朝はヒロイックなロマンスを、下人その3の立場で見てる夢でした。
 夢の中で下人てのが切ない。しかも「その3」。
 他人に対してはいつも傍観者でいたいのかもしれないなあ……。距離をつめられると怖いんだよね、わたし。
 失うときが辛いからなあ。

4月3日(木)

 昨日の話から、義弟のお嫁さんに子どもの作り方を教えてやって、と、縁戚から言われた一昨年のことを思い出してしまった本日。
 冗談だとはもちろん理解しているのですが、「うへぇ〜」という気持ちは少しも軽くなりません。
 年をとるとデリカシーとか恥じらいとか、そういうものがなくなってしまうんでしょうかねぇ。
 わたしも大概年寄りじみてはいるんですが、言うほうの恥じらいは枯渇していても聞かされるほうの恥じらいは潤沢だったりするので、気を付けたいものです。
 恥じらいのない話題をあからさまにするのは「おおらか」とか「気さく」とか「親しみ」じゃなくて「恥知らず」なんだと、ちょと辛口に思ったりする。

4月2日(水)

 友人間での出産報告ならぬ妊娠報告が普通って文化もあるんですねぇ……。
 わたしは仕事関係の友人以外には妊娠報告はしませんでした。
 結婚と同じように(式に呼ぶ友人以外には)事後報告で十分だと思っていたので。
 それでもなんの不思議か、大事に思っている友人はどこからかそれを聞き知って、お祝いの言葉や励ましをくれました。
 わたしの友人の多くもそんな感じだったから、最近知り合った人が
「何の連絡もなしに子どもが生まれましたって事後報告は失礼すぎるよねー」
 と言っているのを聞いて驚いたしだいです。
「生まれてから報告されても、お祝いよこせって言われてるみたいでムカツクし」
「大変そうなところをちらっとも見ずに、幸せですぅ〜てだけ聞かされて、お祝いなんかできすはずないじゃん!?」
 に至っては、飛び出した目玉が花火になるような気持ちがいたしました。
 わたしは安定期に入るまで、両親にも報告しなかったから、彼女の感覚がわからない。
 家族にも準じるような関係だと彼女は信じていたのかもしれない、とも考えたのですが、
「もともとそんなに親しくもなかったし、これでばっさり縁切り!残念!」(古いよ)
 とも言っていたので……
 ……ていうかそんなに親しくもないのに、妊娠報告されちゃったら、万が一のときには聞かされていたほうも気まずいじゃん、慰める励ますったってあーた、そんな立ち入って踏み入ってデリケートなことだし、「次挽回すればいい」類のことじゃないし。
 よほど信頼できる間柄なら、また別の話なんだけどね。でも大切な友達なら、どんなタイミングでも教えてくれれば嬉しいと思うんだけどな。
 どうも話を聞いていると、彼女の回りでは「彼ができた」から始まって「職業、年収、家族構成」「プロポーズされた(した)詳細」「返事をした」「婚約する」「結納した」「式の日取りの相談してる」「日取りが決まりそう」「決まった」中略「妊娠した」「つわりキツイ」「体重管理大変」中略「生まれたよ」まで、まめまめと報告しあうのが普通だったようです。
 中略のなかには「子作りに励んでる」とかも含まれるんだろうか、とか思ったのですが、聞くのはハシタナイような気がしてやめました。
 で、彼女とは少しだけ距離を置く予定。
 だってこの調子でわたしのことを知りたがられたら、ちょっと堪らないもの。窮屈すぎて(苦笑)
 きっと世代の差もあるんだろうなあ……15歳も違えばそれも当たり前か。

4月1日(火)

 どうやら今日から町内会の役員です。
 ていうか、何、この四月バカ、という気分。
 まあ、これだけルーズでもOKというなら、気楽でいいかもしれない。
 できるかぎりのことはやりますが、できないことはできません、で通す予定。
 とはいえ、引き受けたからにはそこそこには頑張らなくちゃね。