昨夜からの発疹に、今日も診察を受けに小児科に行きました。
「たぶん、突発性発疹」とのこと。
突発性発疹はヒトヘルペスウイルス6型か7型への最初の感染で起こるそうで、生後4,5ヶ月から1歳前の乳児に多い病気なのだとか。
型が二つあるということは、もう一度、突発性発疹に罹る可能性があるということで、正直「うへぇ」という気分です。
先生曰く、
「これは早い時期にやっておくほうが楽なんだよね。薬も飲ませやすいしね……。これだけ走り回るようになってからでは……ご苦労様です」
まあ、あまり低月齢のうちに罹れば、それはそれでやっぱり心配だと思うんです。
小さい赤ちゃんは体力もないし。
だから「走り回るようになってから」だからといって、とっても大変というのではないでしょう。
でも確かに逃げ回る若さまを追いかけて捕まえて解熱剤(座薬)を入れるとか、ゼリー様オブラートにくるんだ薬を「ぺっ」と吐きだす若さまにどうやって薬を飲ませるか、などのことを考えると、
「去年の春先、ようやく寝返りを始めた4ヶ月ごろ」
なら、わたしは楽だったかも、と思います。
でも4ヶ月の若さまが熱に浮かされるのも可哀相ですしねぇ……。
うん、やっぱり、今でよかったのだと思います。
「何に混ぜてもよいので飲ませてみてください。発疹にも効果があるので。でも、お子さんに与える前に必ず味見だけはしてくださいね。わたしのお勧めはフルーツヨーグルト。薬の匂いも目立たないので大概の赤ちゃんは騙されてくれます。プリンに混ぜるのもいいですよ。混ぜる分量は薬一包につき、ヨーグルト大匙3くらいを目安にしてください。それと、この薬を飲むと眠くなる赤ちゃんが多いので、お母さんも楽になりますから。頑張って!」
というアドバイスもいただいたので、若さまには頑張ってお薬を飲んでもらおうかと思います。
さあ、あと少し、発疹が消えるまで頑張ろう。
今朝になって熱は随分下がりました。
平熱までは至りませんが、平熱+1℃くらい。
食欲も出てきたようで一安心。
ですが。
午後になって汗ばんだシャツを着替えさせたところびっくり!
お腹と腰に小さな発疹がいっぱい!!
いつもの湿疹とは違うので、本当に仰天しました。
罹りつけの小児科は午後は休診なので、夕方の診療時間を待って出かけようと思いましたが、肝心の若さまが夕方から爆睡。
それに気温もとても低いので、明日の朝、診ていただくことにしました。
いつもの小児科へ。
平熱+2℃の若さまですが、診察を嫌がる程度には元気になったようで、先生には申し訳ないけれどちょっと安心。
やはりインフルエンザや麻疹ではないようなのでそれも一安心。
飲み薬と座薬をいただいて帰ってきました。
でも、夕方からまた40℃近い発熱があり、ぐずぐずも激しさ倍増。
薬を飲ませると嘔吐するのも辛い。やっと飲めた母乳ごと吐き出しちゃうので。
飲ませなければという気持ちと、こんなに辛そうなのにさらに嫌がることはしたくない気持ちの間をぐらぐらゆれてます。
我が身なら「飲まない」のですがねぇ……。
……無理には飲ませなくてもいい、と看護師さんもおっしゃっていたし、今日のところはやめるかな。
若さまの初の病気が連休中でよかった。
これが平日だったら、何もかもひとりで対応することになるんですよねぇ……。
今後そんなこともあるのだろうけれど、願わくば旦那が休暇を申請できるタイミングでありますように、とか思う本日。
ちなみに旦那は明日は午前半休にしてくれるそうです。
ありがたや、ありがたや。
熱は上がったり下がったり。下がるといっても平熱+2℃くらいなので、若さまは基本ぐったり、少し元気があるとぐずぐず、といった様子。
一晩中に4,5回程度起きるのは慣れっこなので、わたしにはまだ余力があるのですが、旦那がややリタイア気味(笑)
でも傍に居てくれるだけで心強いです。
お茶を入れてくれたり、食事を作ってくれたりしてくれるので、わたしが若さまの看護に専念できる。
で、ふと母は苦労しただろうな、などとも思ったり。
わたしの父は昔の人にはありがちな(というかそれが普通だった?)「育児は男の仕事じゃない」という観念の持ち主だったので、よい夫でよい父ではありましたが、こういったことには全く無力。無力なだけならよいのですが、そんなときでも母が「妻」としての仕事を疎かにすることは理解しませんでしたから、ぶっちゃけ「邪魔」だったのではないかとも思います。
だから母は母として娘の看病に必死になり、妻として夫の世話に懸命になり……まあ、そういうときほど生き生きとして楽しそうなのは事実なんですが――むしろ父やわたしが手の係らない状態にあると、手が係る状態になることを望むようなところがあります――それはそれとして辛かったと思うんですね。
恵まれてることを実感すると、母は不憫だと思うしいまさらだけど労ってさしあげたい気にもなるのですが、そんな母に今連絡をしたら
「活躍のチャンス到来!」
とばかりに目を輝かせてやってくるのは確実。でも今のわたしに母の相手をする余裕はない。
だから、まあ、連絡をするにしても、とりあえず若さまの病気が完治してからかなー。
きっと「どうして呼ばないのよ(せっかくの好機をふいにしてくれちゃって)」なんて言うのだろうけれど、それもご愛嬌かも。
昨晩から、若さまが発熱+嘔吐。
これは大変、ということで、休日ですが診察に行ってきました。
休日診療所は、わたしが病院を苦手とする理由の具象図(多数の病人で待合はいっぱい、立っている場もないほどの混雑)といった様子でして……病気をしているのがわたしなら、迷わず帰宅したことと思います。
なんかもう、だって野戦病院みたいなんだもの。
でもそれだけの混みようにも関わらず、待つこと1時間足らずで診察の順番が回ってきたのには感動。
医師も看護師も薬剤師も受付もすばらしい手際で、普通の総合病院もこれくらいがっつり働いてくれたらいいのに、とか、思ったり。いや、無理だけど。
診察の結果、「おそらくインフルエンザではない。目は異常なし、口内もきれい、咳も鼻水もない、呼吸も特に困難な様子はないので、様子見しても大丈夫でしょう。連休明けにかかりつけ医に相談。発熱が昨夜からなら、それから抗ウイルス薬を飲んでも間に合います」とのこと。
ほっとしました。
そこで2,3質問する中、今回が初めての発熱であることを告げると
「15ヶ月まで病気ナシ? 珍しいね」
とのお言葉。……そうか、随分楽をさせてもらっていたんだなあ、と若さまの健康にあらためて感謝いたしました。
昨晩はほとんど寝ずの看病でしたが、これを低月齢のころに味わっているお母さんもいらっしゃるわけで。
本当に頭が下がります。
今シーズン初の積雪。
しかし若さまは雪があまり好きではない様子。
わたしも特に好きでもないので「寒いし冷たいし、お家に帰るです」といった感じの若さまの気持ちはよくわかります。
旦那は南国育ちだからか(でも旦那の里は普通に雪も積もるのだけれど)雪は物珍しくてうきうきするものらしく、うきうきしない若さまとわたしに少々疎外感を覚えていたようです。
まあ、これがスキー場などのレジャーであればわたしも楽しいんですけども、街中ではねぇ……。
ということで、早々に引き上げてまいりました。
若さまがわたしの真似をします。
掃除機をかけるのを真似てみたり、洗濯物を干すのを真似てみたり、食器を運ぶのを真似てみたり。
時にはお化粧を真似てみたり(笑)
学ぶ、という言葉の原点は「まねぶ(真似をする)」であることを、実感します。
真似したいお年頃のようなので、お手伝いもさせています。
新聞を運んでもらったり、使った食器を取ってきてもらったり、ゴミをゴミ箱にいれてもらったり、の簡単なことですが。
若さまはやるのが楽しくてやっているので、厳密には手伝いというよりも遊びのひとつとして認識されていることと思います。
このまま、ママとの遊びのひとつとして、お手伝いに相当することを二人で楽しんでゆけるといいなあ。
……そのためには、わたしが「手伝ってもらうことで仕事が楽になること」を望まないようにしなくてはね。
それと「家事を仕込んでいる」気持ちになると、よくないような気がする。
自分が楽になるために家事を仕込んでいる、のでは、仕込まれるほうは当然楽しくないものね。
赤ちゃんの多くは全き善意の中で生きている。
人を見れば笑顔全開、駆け寄って行く。
誰に対しても基本的には信頼を持っていて、よもや辛く当たられることがあるとは思っていない。
いつか成長してゆくにつれて、誰もが好意的ではないことを知って、人に対して身構えることも覚えてゆくんだろうなあ、と。
当たり前のことなんだけど、切ないと思う。
願わくばすべての人が、それぞれにその構えを解く時と場を得られますように。
上の部屋に住んでいるご夫婦は、ここ数年、喧嘩しっぱなしです。
ていうか、たまに静かだと「今日は喧嘩してないんだな」と気がつくくらい。
怒鳴りあう声は毎晩のように聞こえます。
それほど安普請ではないはずなので、相当大きな声でやりあっているんだと思います。
実は話の内容も部分的にではあるけれどわかってしまったり……。
若さまの情操教育によろしくないので、防音対策に
「5cmくらい天井を下げるってのはどうだね」
と旦那に提案してみたところ、瞬時に却下されました。
防音壁紙とかって効果あるのかなあ……。わたしの素人判断では、どうも配管が共鳴箱の働きをしているからだと思うんだけども、だとすると壁紙程度では効果は望めないだろうな。
若さま1歳3ヶ月。
大きくなったなあ。
もう赤ちゃんと言うのは相応しくないかも。
でも子どもと言うにはまだ小さいのだけど。
自己主張もしっかりできるようになってきて、我慢も覚えて、制止もとりあえず聞き入れてくれることが多くなり。
最近若さまへの呼びかけに「こら」や「だめ」が増えてしまっているような気がします。
「こら」「だめ」を言わなくてもいいような環境を整えなくては、と思いながら、若さまの成長にわたしが追いつかない日々です。
恵方巻きを食べました。
おいしかったです。
干瓢巻きが苦手なのでどうかなあ、と思っていたのですが、はまりました。
これは来年もぜひ食べたいです。
来年は若さま様に、若干細めのものも用意しようと思ってます。
わたしの母はどちらかと言えばスパルタ系です。根性大好き人です。
極端に高い目標を提示し、おまえには決して達成できないだろうと相手を悔しがらせるような言動で発破をかけ、いわば反骨精神を刺激して伸ばす、というような育て方が好みです。
それは特に悪い方法ではないと思うのですが、母には気の毒なことに、わたしは浮き草のようで、根はナシ、伸びる気もナシ、という子どもだったので、いつも母はひとりで空回っていました。
およそ、わたしは何事かをやるときには「楽しみたくて」やってるんですね。
上達しようとか、好成績を納めようとか、認められようとか、そういうことには特に興味がない。
楽しんでいる付録が「上達すること」であり、結果として「好成績を納める」ことはあっても、それは目的にはなりえない。
もちろん褒められれば嬉しいけれど、褒められることを目的にはしていないので、ご褒美のために励むこともない。
あくまでも、それらは余禄であって、なければないで構わないものなんです。
最大の目的である「楽しむ」が果たされているから、それで十分に満足できてしまう。
同時に貶された悔しさから精進するほど懸命にはなれない。
わたしの頭の中は、もっぱら「いかにして楽しむか」に占められているのだと思います。
極論すると、一種の「全き自己完結の世界」にわたしは生きているのかもしれませんbr />
だから母が頑張ってわたしのなけなしの才を伸ばそうとした途端に、わたしはそれをやめてしまう、というサイクルができあがっていました。実は今でもそうです。
貶されて、凹む。凹んでやめる、なら、まだ親子の関係としてはマシだったのかもしれませんが、わたしは母の見当違いなツッコミの相手をするのが面倒くさくなってしまってやめてしまっていたので……いちいち見当違いを指摘するのも疲れますし、指摘しても「言い訳はだめ。悔しいならもっと努力しなさい、そうしたら認めてあげる」なんてふうだと、言葉もなくなるんですよねぇ。黙っていると、何がしかの反応を見たくてか、エスカレートしてゆくし。
すごい勘違いなんですけど、幼いころは「人の楽しみに口出しするくらいなら、自分でやればいいのに」と感じていたようにも思います。
母としては「見込みがあるかも!」と思えばこそ、「反骨エンジンに点火するつもり」で
「まだまだねぇ」「だめねぇ」「やっぱりこの程度よねぇ」
などを繰り返したのでしょう。
よもや火をつけるつもりで水をさしていた、とは、今も母は気づいてはいない(笑) もちろん知らせるつもりもありません。いまさら知らせても可哀相だし。
だから、いつからか、本当に大切に楽しみたいこと(たとえば作曲だったり、執筆だったり、クラフトだったり)は母に知らせないように味わう癖がつきました。知られると、「楽しみ」が「果たすべきこと、修行」になっちゃうので。
能動的に秘密にしていたのでもないのですが、積極的に知らせたりもしない、という感じかな。
かと思えば、なんでもない、ごく当たり前のことを当たり前に処理しただけのことに、感涙にむせび泣かれたりすると……ようするに、母とわたしのタイミングが合わないってことなんですけども。
で、気づく。
わたしが若さまとの時間に母を介入させないのも、根本はここにあるんじゃないかなって。
今、わたしは若さまとの時間を楽しんでいるんだけど、母が介入すると「ノルマ」になりそうなんだよねぇ……。
むろん子育ては「楽しい」だけじゃダメだけども、あえて「苦行」的なものにシフトするのはイヤだからなぁ。
その上、やって当たり前のことを「えらい、よく頑張って……よよよ」なんて言われるとゲンナリするだろうし。
若さまと暮らすようになって以降、母との関係を省みる機会が増えました。
わたしは母のような母にはなりたくないなあ、と、正直なところ、そう思います。
悪い人じゃないんだけど、熱くて湿っぽいのがどーも身に馴染まないんだもの。
やりくりが楽しいこのごろ。
一種ゲームのよう。
難易度を上げてみようかと思ったりもいたします。
で、やりくりしてどうするのかと言うと、特に目指すものはなかったりして。
でも、この「目指すところはない」ことが楽しさの前提であり、必須でもあり。
これがノルマだったりするとめっきり気が萎えちゃうんですよねぇ。