Diary

1月31日(木)

 このところいよいよ闊達になってきた若さまとの時間は体力勝負です。
 体力を温存しながらお相手するだけの知恵は、わたしにもあるのですが、それを上回る体力消費量。
 妊娠後期と同じ勢いで食べているのに、わたしの体重は増えるどころか緩やかーに減っているんですから、カロリーだけでも確実に消費している。
 +積もりゆく疲労感、なわけで……。
 これで14ヶ月なら、魔の2歳児になったときにはいったいぜんたいどうなることやら。
 かなり本気で対策を考えないと、拙いような気がします。
 とりあえず筋力は鍛えなくちゃならないだろうな……。
 あとはわたしが疲れず若さまが発散できる、なにか習い事。
 体育会系だとわたしが(精神的に)疲れちゃうので、リトミック系でいいところが見つけられるといいんだけど。

1月30日(水)

 母はわたしの旦那にコンプレックスがあるのかもしれないなあ、と思うこのごろ。
 言葉の端々に、嫉妬と言っては酷かもしれませんが、それに似た棘が混ざっています。
 で、たぶん、わたしにもその言に同意してほしいのだろうけれど、わたしが旦那の肩を持つ(母view)ので面白くないみたいです。
 言葉の上だけでも同意しておけばいいのかもしれませんが、そうすると今度は想像だにしない場面で
「○○さん(主人のこと)を、八仙花も〜〜って言ってたのよ」
 とくるので、迂闊に同意できないんですね。
 旦那はそういうのんはまったく気にしない人(厭味に気づかない厭味)なので構わないのだけど、義母にそれをやられたら、申し訳ない。
 義母も旦那の母上だけあって、あまり気にしないようですが、そういうことをわたしが言っていたと思われることが、わたしには不快なので同意どころか聞き流すことも難しいのでした。聞き流すと「否定しないなら同意」くらいの勢いで都合よく解釈しちゃったりするんで。
 そんなにコンプレックスを抱くほどの人でもないんですけどねぇ……。
 よほど娘を取られたのが気に入らないのかもしれません。
 だけども、そういう子どもっぽいことをしても、娘はもう戻らないのだということを一体いつになったら理解してくれるのか。すでに結婚して11年ですよ。もういい加減諦めてもらいたいものです。

1月29日(火)

 同じくらいの子どもを連れた見知らぬ女性に「奥さん」と話しかけられたのですが、自分のことだとはこれぽちも思わず、通り過ぎてしまいました。
 その後「ちょっとちょっとちょっと!」と呼びとめられて、初めて気がついた(笑)
 ……そういえば、わたし、「奥さん」という二人称で話しかけられたのは初めてだったかも。
 ご近所さんとは苗字+さんで呼びあうので、本当に「奥さん」と呼びかけられたことは皆無。
 もしかして主婦友(?)がいれば、そういう経験もしたのかもしれませんが、主婦繋がりの知人っていないからなあ。
 というか、「奥さん」という二人称が現実に使われていることを知った、と言ってもいいのかもしれません。店頭の呼び声ではよく聞くフレーズなんですけどね。
 おたがいに「奥さん」と呼びあって会話するなんて、ドラマの中だけのことだと思ってたふしは否めないかもしれないです。
「奥さん」が「わたし」に直結しなかった自分に笑えます。
 ほんと、主婦の自覚ゼロだ。反省せねば〜。

1月28日(月)

 最近若さまは語尾上げでわたしに呼びかけるので、表記すると「ママァン?」
 やけに甘ったるい響きがくすぐったい。
 小首を傾げる若さまは可愛らしいのですが、わたしのキャラクターがその甘さに不似合いすぎ。
 数ヶ月内には普通に「ママ」になりますように。
 ちなみに旦那は「パゥパゥッ!」で、微妙に語尾下げ。
 この違いってどこで生まれるんだろうなあ。

1月27日(日)

 若さまが挙げた両手を交互に伸ばすので何かと思ったら、テレビの「コフウチョウ」の求愛ダンスの真似でした。
 まさに「ほいっほいっ」という掛け声が似合う様での踊りっぷりは、実に可笑しなものでした。
 で、わたしがそれを真似て、一緒に「ほいっほいっ」とすると、それがまたやたら嬉しそうに笑うんですね。
 いや愉快、愉快。
 旦那は「こら、二人とも。食事中だぞ。お匙は置いてやりなさい」なんて言ってたけど、ツッコミどころが微妙に違う。
 なにはともあれ楽しい時間でした。

1月26日(土)

 我が家の味付けはもともと薄味です。
 どうしてかと言うと、わたしが濃い味付けがあまり好きじゃないから。
 香辛料は割と平気なんですが、「味」が濃いのは舌が痺れてしまってダメなんですね。酒飲みにあるまじき、ですが(笑)
 だからほとんどの市販のソースとかケチャップ、マヨネーズのあたりは、一番小さいボトルを買っても、4分の1も使いきれないままに賞味期限を迎えます。
 あと、喉の手前というか舌の奥の方と言うか、そこらへんに妙な味が張り付いたみたいになることもあって、それも苦手。
 苦手なだけで食べられないわけではないので、外で困ることはないのですが、家の中なら――ましてや自分で作るのなら、自分の好きな味がいい、ということで、基本薄味です。
 どのくらい薄味かと言うと、たぶん完了期離乳食程度。素材によっては完了期の離乳食のレシピの方が濃いくらいかな。
 なので最近は若さま専用のおかずを用意する手間もすくなくなりました。
 別に作ることそのものは大したことではないけれど、後片付けも含めるとね……鍋が二つくらい余分に要ったりしますから。
 去年の夏あたりのことを思い出すと、随分ラクになったなあ、と思います。
 逆に手を掛けられる事が少しずつ減ってゆくのを実感して、ちょっと寂しいような気も(笑)

1月25日(金)

 しばらくぶりで連絡をくれた友人。話を聞いていて、びっくり。
 詳細は聞かなかったのだけれど、友人(わたしは知らない人)からの嫌がらせがあるのだとか。
 共通の知人に相談したら悪口になってしまうから、とわたしに相談してくれたのですが、その内容はあまりにもドラマチックでして
「創作(ネタ)?」
「そんなんよう作らんわ」
 みたいな。
 ベタな話もあるもんだなあ、と感心しつつ、しかしベタなだけに悩みも深かろうと思うのでした。
 まあ、ぶっちゃけるときっかけは相手の「やっかみ」みたいな感じなんだけども、やっかむという感情自体よくわからないですし、そういった感情を抱えているうえに逆恨みみたいなものを晴らそうとする行動が信じられないというか、それ、いつの時代の昼ドラ?
「ああ、いっそネタにして。これでなんか書いて」
「お門違い」
 そんなこんなで、とりあえず元気になってくれたようなのでひと安心。

1月24日(木)

 若さまが自己主張するようになって、楽になってきたなあと思います。
 前は一から十まで察しなくてはいけなかったのですけれど、このところはある程度若さまが主張してくれるので。
 特に「イヤ」を主張してくれるのはありがたいです。
 それに若さまの「イヤ」は一過性ですしね。一過性というか、瞬間的なもの、なのかな。今はイヤ、でも1分後ならいい、みたいな。
 なんだか知らないけど顔を真っ赤にして泣いてる、ですと、どこか悪くしているのかもと不安になりますよね。
 でも「それはイヤ〜!」って泣いてるのは、理由がわかっているだけに気楽なんですね。
 あやすこちらも余裕をもって対応できる感じ。
 身体的には辛いこともあるんですが(寝不足とか腰痛とか肩こりとか)ね。まあ、それは体をもう少し鍛える方向で頑張ってみようかと。

1月23日(水)

 夜泣き対応で旦那にキレてしまいました。
 未明、若さまの夜泣きをなだめて、「起床まで1時間弱眠れるかな」というところで旦那が「うぉっほんっ」と遠慮ナシの咳払い。
 当たり前ですが、寝入りっぱなの若さまは再度夜泣きモードに突入。
 せっかくなだめたのに、と恨めしく旦那を見れば、気持ちよく寝なおそうとしている。
 カチンときて手伝いくらいしろと声をかければ「咳はでるものだから仕方がないだろ」
 そうだよ、咳は止めようのないものだよ、反射だから。
 わたしが言ってるのはそこじゃない。
 人の努力を無にしておいて、ひとり好き勝手するんじゃない、と言ってるんだ、と早朝から説教をたれる羽目になりました。
 寝かし付けができないなら茶の一杯でも煎れてくるくらいの心がけはないのか。
 それとも「ああそうだね、咳が出ちゃったんだから仕方ないよね、それじゃあ、あとはよろしくね」とわたしが寝ることは構わないのか。
 正直なところ、わたしは若さまが夜泣きしようが未明に目覚めようが構わないんだ、わたしと若さまは日中の過ごし方でその乱れを調整することができるのであるから、と。言えば根が素直な人ですから
「ごめん、俺が至らなかった」
 なんですが、言わなきゃわからないのが男の人なんでしょうねぇ……
 でも「言わなきゃわからないから言ってくれればいい」なんて態度でいるくせに、逐一教え諭したらプライドだか沽券だか犬の餌にもならないようなものが傷ついた、なんてことになるんだろうなあ、と思うとため息がこぼれます。
 ……それにしても、早い所気力体力を回復しないと、寛容さが失われてしまう。
 明日はのんびり過ごすかな。

1月22日(火)

 方針の違いって、誰との間にでも、どんなことにでもあります。
 共同で何かを行うなら「すりあわせ」が大事だと思うんですけど、そうでないなら別個でいいと思うんですね。
 ところが、わざわざ方針の違うわたしにとくとくと自己の方針を語って聞かせ、わたしからの賛同を得るまで頑張るタイプの人と、最近接触をもってしまいました。
「まずったなあ」という気持ち。
 お察しの方もいらっしゃるとは思うのですが、議題(笑)は子育て+女性の就業について。
 彼女がどんな子育てをしようと、働こうが働くまいが、わたしには無関係です。
 なのでどういう主義でどんな方針でいようとどうでもいいのですが、しきりとわたしにも同じくすることを求めてくるんですね。
 共同事業でもやってるつもりなのでしょうかねぇ……。
 そういう話はご主人となさったらよろしいのに。変な人。

1月21日(月)

 このところ、若さまが夜泣きをします。だいたい一晩に2回。多いと3回。
 21時ごろに就寝して、11時半ごろ、3時過ぎごろ、5時半ごろ、という様子。
 少し湿疹が出ているので、眠りが浅くなるタイミングで「かゆい〜」から夜泣きにいたるのではないかと思っています。
 睡眠不足で少し辛かったりもするのですが、夜泣きが続いたあとは、若さまが目に見えて成長することが多いので楽しみだったりもします。
 ああ、それにしても眠い。
 夜泣きだけはわたしが対処しなくちゃいけないからなあ……旦那は会社があるし、なくても役に立たんし(←ここ重要)
 旦那も夜泣きに付き合って体は起こしてくれるんですけども、頭がまったく働いていないというか、基本ただぼーっと布団の上に座っているだけ。
 何かしてくれようとはしているようですが、かゆいところに全然手は届かないんですね。頭寝てるから(笑)
 気持ちだけはありがたく受け取って、期待はしないほうがいいんだろうな。
 でもついつい甘えたくなって、期待して、「何やってるんだ、違う、そうじゃない、あー、もう」なんて思ってしまう。
 あー、半日惰眠をむさぼることができたなら、この先3ヶ月は頑張れそうなんだけどなあ。

1月20日(日)

 若さまがご機嫌のよいとき、
「今、若さま落ち着いてるから君にお願いしても大丈夫かな」
 なんて尋ねると、
「んー、まあ、でも泣くだけだし?」
 みたいな。半ばは冗談、半ばは若さまに気を使い過ぎている(ように旦那にはみえるらしい)わたしへの配慮なんだろうけど
 泣かすな、コラ。泣かさんよう配慮する気ぃはないんかオノレは。
 と、思います。
 たしかに幼児は泣くのがデフォルトみたいなところもあるんですがねぇ。
 いつか
「んー、まあ、でも(君が)泣くだけだし?」
 とか言ってみたい。
 簡単なところではあれだな、食事の支度。
「んー、まあ、でも君がひもじいだけだし?」とか。
 でもきっと、単にわたしの機嫌がよくないだけと解釈し「……え、あ、……そ、そうだね。うん、わかった(しょぼーん)」になるだけで、若さまへの対応は変わらないんだろうな。
 はっきりと言うか。
「泣かすな、でなきゃ泣かすぞ」

1月19日(土)

 お墓参りに行って、飛行機を飛ばして、楽しい一日でした。
 帰宅してからも折り紙飛行機を室内で楽しみました。家族みんなで楽しめる遊びっていいですね。
 若さまのベビーサインや言葉もこのところぐっと増えて、名詞だけでも飛行機、自動車、電車、ヘリコプター、自転車、鳥、象、馬、豚、猫、牛、ねずみ、熊、絵本、ブランコ、滑り台、ママ、パパ、、赤ちゃん、目、花、口、耳、手、足……まだまだ言葉よりもサインや身振り手ぶりのほうが多いんですけどね。
 遊んでいても、いろいろと意思疎通が測れるようになってきたことが嬉しいです。
 旦那が投げた飛行機が若さまの頭にこつんと当たったときなんかは、
・若さま、自分の頭にゆっくり手のひらを当てる
・紙飛行機をとんとんと二回指差す
・最後にパパを指差す
「頭にこの飛行機が当たった、パパが投げたヤツ」みたいなちょっと英文チックな表現をしてくれるんですね。
 もー、その仕種が可愛くって。
 他にもたとえば新聞を持たせて「パパにあげて」なんてお願いすると、旦那に「んっ」と差し出したりして。
 今が一番可愛い時期かもしれないなあ、と、寝顔を見つめて思います。
 これから成長するに伴って、ときには小憎たらしく思うことも出てくるんでしょうが……どんなときも余裕で「あら、可愛いことをしてくれるわね」と思えるように、わたしも成長して行きたいです。
 それが一番難しいんでしょうけど。

1月18日(金)

 若さまに絵本の読み聞かせをしていて、ちょっとした疑問を覚えました。
 テーマは順番待ちについてなんですね。
 基本的に順番は早い者勝ちの世界です。
 どんなことでもそうなんですけども、たとえばコンビニのレジ待ちでも、先客が会計を終えるのを待つしかありません。
 だからこそ、先の者は後の者への思いやりを持たなくてはとは思うのですが。
 思うのですが。
 待ってる人がいるから代わってあげようね、とか、次の人がいるから早く終わってあげようね、とか、その本の趣旨はそんな感じなんですね。
 わたしはそういうことを教える前に、
「自分の番が来るまで、ゆっくり待ちましょうね」
 を教えるべきだと思うんです。
 まずは待つこと、そして場合によっては順番が来ないこともあること。
 それをよく知った上で、「だからこそ、自分が先である場合には後の者へ心配ることを大切にしたい」と考えられるように、親は子を導かなくてはいけないんじゃないのかな。
 そして己が後である場合には、先の人の心遣いに感謝しなくてはって思うんだけど。
 なんか、「順番だから代わってよ、ずっと待ってるんだから早くしてよ」って、まるで当たり前のように恥ずかしい要求を口にしてしまえるって嫌だなあ……。
 そりゃあ、わたしだって急いでいるときに前の人がレジで店員さんと話しこまれちゃったりしたら「うわー、今日はついてないなあ」とは思います。でも、それってついてない「わたしの運」が悪いのであって(わたしが急いでいることも含めて)、前の人には関係のないことじゃあないですか。
 そこをイライラしちゃうようだと、人口過密地では生き辛いと思うんですね。
 待ってる人(自分)がいるのに代わってくれないなんて非常識! とか、そういう風に考える癖がつくと、毎日イライラしなくちゃいけなくなるし、おまけにそのイライラって、相手の好意にすがってしか解消できないし、好意や善意って要求するもんじゃないし、で、ホントきっついと思うんですよねぇ……。
 まずは待つ、その上で待っている人を思いやる、他者に思いやりは要求しないって順番で、わたしは若さまにわかってもらいたいな。

1月17日(木)

 Eyes関連のご質問。一番多いのは連載の再開はいつ、というもの。
 すみません。本当にごめんなさい。
 ストーリーそのものはほぼ完全に出来上がっているのですが、書くのに必要なテンションが他2作と比べて高いというか、とってもハイになれたときにしか書けないので(それこそお酒で出来上がってるくらいのテンション)今しばらくは難しいのが実情です。なにせアクションシーンが多いものですから……。
 ちょこちょこと書き溜めてはいるんですけどね。
 他には登場人物がとても多いので、かく人物の特徴をわかりやすく一覧にしてほしい、というご要望をときどきいただきます。
 Eyesのキャラクターは、キャラクター間に明確な序列があるので、これは一度自分のためにも整理をしたほうがいいのかな、とは思っています。
 三日間かけて、いただいたご質問やご要望を確かめてみて、気がついたことがたくさんあります。
 気がついたことを作品内でお話してゆけたらいいなあ、と思う夜更けです。

1月16日(水)

 風紋でいただくことが多い質問に、国のイメージというものがあります。現実の国にたとえると○○風、というのでしょうか。そういうイメージはあるか、というご質問。
 ぶっちゃけ、ありません。
 最初に地図的なものが頭にあって、
 舞台は大陸内陸部:他国との国境が多いほうが面白そうだから。
 にしようと決まりました。
 内陸=海から遠い=気温の変動が激しい、乾燥気味 なのでエルディアは「砂漠の国」となりました。
 砂漠の国なら産出物は無機物だろうなあ、とか、東西の交易のための道があるだろうなあ、とか、そういうことを考えているうちに、なんとなく話が纏まってきたので、モデルになる国はないんですね。
 出てくる国が似たり寄ったりではわかりにくいので、それぞれに違った特徴の分化を割り振ってみましたが、まあ、それも実は適当です。
 エルディアが砂漠だから、キ・ファは温暖湿潤な土地=穀倉地にしよう。じゃあその中間に草原をつくって、ここが主たる舞台。
 じゃあ、キ・ファと反対側には、やや寒冷な土地で牧畜がさかんということにしよう、エルディアとの国境は河川と湿地帯。
 南の山脈に一国、その南にさらに一国、えーと北は一応エルディアの国土だけどほとんどが凍土にしよう。
 みたいな。
 その気候条件に合うように、適当に地理を肉付けしていって、その気候風土にあった文化と、その文化にありそうな歴史をぽいぽいとくっつけて、お話ができたという感じです。
 で、当初思いついたお話はファ・シィンとグァンドール帝の(しかも恋の)お話だったんですが、いくらなんでもこんな悲劇で終わるのは後味悪すぎじゃーん、と思い(ハッピーエンド好きですから)、世代がひとつ後のお話になったのでした。
 ちなみに世代がひとつ後になったことで恋愛色はほとんどなくなりました。
 資料集に地図がほしい、というご要望もいただいておりますので、えー、そのうち(笑)
 明日はEyes関連のご質問について。