今日は久々にお家でのんびり過ごすことにしました。
外に連れて行ってもあげたかったのですが、近々来客の予定があるのでお片付けついでにお家遊び。……いや、遊びついでにお片づけかな。
若さまは最近食器を重ねたり、かぼちゃを積み上げたり、本を本棚に入れたり、物をカテゴライズすることに目覚めたようで、お片づけをしているとお手伝いの真似事をしてくれます。
ただ、こう、彼のカテゴライズがわたしのカテゴライズとちょっと一致しないこともあって、そんなときは笑えます。
「えー、それはそっちなの??」
「ん!」
みたいな。
あとでこっそり片付けなおすんですけど、今日はおもちゃ箱に旦那のトランクス(洗濯済み)が何枚か入っているのを見つけてしまいました。
コレクターかい(笑)
実母は相変わらずです。
今日も「若ちゃん、お正月はおばあちゃんと一緒に(某有名神社)に初詣に行こうか?」とか言ってました。
某有名神社というのは毎年初詣の人出が全国ニュースで紹介されるお宮です。三が日、人波は引きません。
そんな人ごみに、こんな小さいのを連れ出してあんたはどうしたいのか、と……。
「あー、無理無理無理」(最近母に対する言葉遣いがゾンザイになってきました)
で流しましたが、本当に何を考えているのだか。
三が日以降、松の内終盤でならば、と一応代替案を出してもみたのですが、
「それじゃ遅いわよ! 意味ないじゃない!」
三が日でなくては、オトモダチの三が日の話を聞かされたあとだからだめなんだってさ。「こういうことは先制パンチでないと!」 ……なんじゃそりゃ。
どうも若さまを初詣に連れて行ってやりたいのではなくて、若さまを連れて初詣に行った自慢をしたかったようです。
なにそのジジババドリーム、付き合うオトモダチは選びなさいよ、というのが正直な気分。
あー、でもわたしも1歳の元旦に初詣に連れ出され、肺炎になったんだったよね。ドリームは昔からかな。
それに対する母の言い分は「あなたは日ごろの行いが悪いから、初詣に行って神様から罰をあてられたのよ」だったりします。
1歳児の日ごろの行いの悪さってなによ。
結局のところ、わたしや若さまのために何かをしてやりたいのではないんでしょうね。
疲れる人だわ……
その昔、子持ちの友人を含む数人で出かけたときのこと。
未就学の子供を置き去りにして、母親は姿を消してしまいました。
母親がいないから仕方なく、わたしはその子供たちの目付けをしていました。
20分以上が過ぎて戻ってきたとき「どこにいっていたの」と訊ねたら
「カレー、食べてた。おいしかったぁ♪」
「……」
わたしを除く皆さんで食事をしてきたんですね。
あっけに取られました。
そのうえ、あとで別の友人から聞いた話では
「八仙花ちゃんが見ててくれるって。だから大丈夫」
と言っていたのだとか。
「何かおかしいとは思ったんだけど、遠目に八仙花が子供の面倒見てるのが見えたから、話はついてるのかなと思ってさー」
友人たちは「じゃあ、八仙花は食事はどうするんだって?」と確認したところ、「えー? いらないんじゃない? ダイエット中とか?」という答えだったのだとか。
「子供たちの食事はどうするのかも聞いたけど、たまには子供の世話を考えずにゆっくり食べたいからって」
複数の友人たちが同じことを言うので、事実関係に間違いはないと思います。
おまけにそのあとお土産を買うという段でも
「あ、なんか子供たち、まだ遊びたいみたい。あたし、お買い物したいなー」
どうもわたしが気を利かせて
「わたしが見てるから買ってきたら?」
とでも言うことを期待していたようでした。
腹は減って気は立ってるし、好きでもない子守をさせられて苛立ってるしで
「頑張ってね、お母さん」
とだけ言い残してさっさと買い物に向かいました。
その後、その母親とは会っていません。
もう何年も前の話ですが、忘れられないし、今でもムカつきます。
彼女も別にわたしを無料のシッターにしたつもりはないんでしょうけどね。
友人の手伝いと気遣いを当てに、遊びに行くのだけは嫌だと強く思います。
……ていうか、わたし的には若さまを人任せにはしたくないんだよね。一人目だからそう思うのかなー。
じゃあどうして何人も産むかなー、もー。ひとりで面倒見きらんのに……。
でも、おかげでよい勉強をしたとも思います。
たまに子供の世話を考えず友人と遊びたくなったら、子供は家においてゆくべき、ということです。
子連れで出かけるなら子供の世話を忘れることは不可能です。
離乳食についてご質問をいただきました。
質問は次の三つ。
・離乳食は毎回作るのか、作り置きか?
・大人の食事と同じ時に作るのか、別に時間を設けてつくっているのか?
・市販のベビーフードは使用しているか?
ベビーフードは適宜利用しています。
疲れちゃったときとか、作る気にならないときとか、「面倒くさ」と思ったときとか……だいたい月に2,3日でしょうか。重宝しています。
離乳食を手作りするときは、ぶっちゃけ、気分しだいです。
大人の食事と一緒に作ることもあれば、別に時間をとることもあるし、食事ごとに作ることもあれば、数日分作り置くこともあります。
こう、という方法は決めていません。決めてしまうとその決め事を守れなかったとき、ストレスを覚えるので。
決め事を達成することに快感を覚えなくもないのですが、家事って「ここまで出来たら達成!」っていう区切りがないじゃないですか。結果が出るのは30年後、みたいな。
だから、まあ、そのときの気分に任せて、作り置きしてみたり、市販のBFを利用したりです。
あとはまあ、「今週はBFのお世話にならずに頑張れるかな」くらいの短期目標(しかも「かな」なのでかなり緩い)を立てて、でも、これも実行するもしないも気分しだい、ですね。
若さまのお世話に関してはきっちりと(3食おやつは必ず出す)、だけど自分の仕事(食事の用意)は適度に手を抜いて、が今のところわたしには一番向いているようです。
以上、参考になれば幸いです。
午前中は雨でしたが午後からは日が差し、よいお散歩日よりでした。
今日は家族で少し離れた公園までピクニックに出かけました。
しばしば行く公園ですが、今日はいつもと違うエリアをお散歩。楽しかったです。
小さなアスレチックで遊ぶ若さまは――思いっきり親バカですが――可愛かったです。
初めてのトンネルに大はしゃぎで、くぐっては出て、出てはくぐってを飽きずに繰り返していました。
どんぐりを拾い、落ち葉を放り投げて遊び、若さまにも楽しい一日だったと思います。
若さまにとっては、生まれてからずっと毎日新しいことの連続。
これからもまだしばらくは「新しいこと」が続くのですけれど、それを若さまが楽しいと思えるといいなあ。
ねばならない、が多くなりすぎて、少し参っていたみたい。
しかもその「ねばならない」は自分で勝手に設定したものだったりして。
一種の自家中毒のようなものかな。
それに気がついて、肩の力が抜けました。
もそっと気楽にゆこう。
わたしが数日きっちりしてなくても、朝寝したって昼寝したって、夜更かししたって世界が滅ぶわけじゃない〜♪
若さまの1歳を記念してポートレートと家族写真を撮影に行きました。
当初の予定ではポートレートを1枚、家族写真を1枚のつもりでしたが、まあ、例によって例の如く、それだけでは収まりませんでした。
子育てって出費が嵩むわ〜(笑)
若さまはあまり場所見知りも人見知りもしないので(前提条件として「わたしがいれば」なんですけどね)、うきうきと楽しく遊んでいる姿を撮影してもらえます。若さまにとっては「おもちゃのお試し会」みたいな感じなのかな。
わたしの「ぜひ写真に残したい!」気持ちが、若さまのストレスにならないのはありがたいです。
そうそう、少し前にこのスタジオのフォトコンテストに参加したのですが、ありがたいことに金賞をいただきました。
その写真は広告にも使われるということで。
広告はラミネートして永久保存決定!
……でも気取りがないというよりは、実に「素」の写真なので、いったいどんな広告に仕上がるのか、不安なような楽しみなような。でもやっぱり楽しみかも。
ちょっと疲れ気味なのか、機嫌が一定しません。やや情緒不安定な感じ。
どうしたのかな。それほど体は辛くないんだけど。
家の中のことが、急に嫌になってしまいました。
だってやってもやってもきりがないんだもの。それならやらなくたって同じじゃない。
なんて。
まあ、一過性のものだから、こういう日はだらだらしちゃうに限ります。
よし、今日は若さまとダラダラする日に決まり!
若さまの最近のブームは階段の上り下りです。
最初、数日前は両手両足で上っていたのですが、今は片手でわたしの手につかまって、もう一方の手でバランスをとって、足だけで上ろうとしています。
不思議ですよね。だって両手両足でも問題なく上れるんですよ。
それなのに、どうして足だけで上ろうとするのか。
手を使うより不安定になって、速度も落ちるのにあえて足だけで上ろうとするのはどうしてなんだろうって。
大人になると慣れ親しんだ安全な方法から離れられなくなるけれど、子供は次々にいろんなことに挑戦してゆくんですね。
面白いなあ。
そういうことで、今日も階段を上って下りてで……わたしの足も少しは引き締まるかな。
近くの公園で、おじいさんに話しかけられて困ってしまいました。
お年寄りとお話をするのはやぶさかでないのですが、わたしには歩き始めた赤子がいます。目が離せないんです。
二言三言のご挨拶や、長くても数分のお話ならよいのですが、わたしにはまるで関係のない履歴を延々話されると、本当に対応に困ってしまいます。
きっと話し相手がいなくてお寂しいのだとは思うのですが……。
若さまが小走りにわたしのそばを離れてもお構いなしにしゃべり続け、若さまについてわたしが移動すると回り込んできてしゃべり……。
わたしは我が子と遊ぶために公園に来ているのです。ていうか、そのためだけに来てるんです。若さまのためでなければ、公園になんか行きやしません。
決して見知らぬおじいさんの話し相手を務めに来たのではないのです。
そっけない相槌を返そうにも、話の内容が「俺は昔はここらでは名の通った暴れん坊」。機嫌を損ねて暴れられたら面倒極まりありません。うっかり怪我でもさせることになったら、それも困ってしまいます。
俺の家はすぐそこだから、を繰り返していましたが、すぐそこだからなんだというんでしょうね。お茶のお誘いなら半世紀遅いよぅ。
これでは落ち着いて遊ばせることはできない、と、早々に帰ってきました。
わたしは若さまとマンツーマンで過ごせる貴重な時間を大事にしたいので、正直、腹立たしい思いがいたします。邪魔してくれちゃっても〜。
赤さまも1歳になったことですし、今日からは若さまと呼ぶことにします。
まだまだ赤ちゃんなんですけどね。
……ちと寂しい。
今日は保健士さんに離乳にトイレトレーニングなどの相談に行ってまいりました。
わたしはのんびりとやってゆきたいのですが、やはり世間一般的にはそろそろ乳離れ、おむつも卒業を目指す時期らしく、「あーもう少しこのままでいたいー」という気分倍増です。
なんていうか、あまり急かしてもしょうがない気がするんですよねぇ。
若さまの語彙といえば「まぅまー」と「ぱぅぱー」と「ねぅねぅ(御猫のこと)」の他は「○△□×? ○□×、△△□○?」みたいな感じですし。
「あ、はい、少しずつそうしますー」
なんて答えながら、まあ、もう少しあとでいいことにいたしました。
だって、ここで進めようとすると、なんていうか、わたしのほうがストレス溜まって「○○△×□!」になりそうなんだもの。
赤さま1歳の記念に、家族で小旅行に行ってまいりました。
とはいっても近場、かつ日帰りですが。……普段の外出と変わらないような気もするのだけれど、そこはまあ雰囲気で(笑)
最初は宿泊も考えましたが、赤さまにとっては「疲れて帰ってきて休む先」は断然「お家」がいいだろうということで、今回は日帰り小旅行となったのでした。
お天気も上々。晴れていて、日差しも強くなく、寒くもなく。よい行楽日和だったと思います。
お散歩と史跡見学をメインに、お昼寝をはさみつつゆるりと過ごし、わたしもとても楽しかったです。
ほぼ1日の外出でも赤さまの体力が持つようになってきましたし、なにより赤さまが歩けるようになったことが外出を楽にしてくれたように感じます。
抱っこの時間が減ったし、ベビーカーじゃなくてもいいし。
まだまだ「小走り可」レベルで、危うい歩みではあるんですけどね。むしろ小走りするだけに目が離せないところもあったりもいたしますし。
手を繋いで歩けるようになったら、もっともっとお出かけが楽しくなるだろうなあ。
それまではハーネスとスリングの助けを借りつつ外出を楽しみたいと思います。
昨年の今日を思い出しつつ、旦那とお話。
話してみると旦那のほうが興奮気味だったようで、覚えていないこともいくつか。
わたしは何時何分に何があったのか、わりと正確に思い出せるんだけど、旦那は
「事象は覚えていても、時系列がはっきりしない」
のだそうです。面白い。
わたしは「ほぼ時系列で覚えているけれど、いくつか思い出せなかった事柄がある」なので。
まあ、双方話してみれば、時系列も事象も「ああ、そうだった、そうだった! それで〜だったんだよね」という感じなんですけどね。
それと話していて気がついたのですが、わたしが「自明の理」として省いてしまう選択肢も、旦那は候補に入れて話をする差異を発見いたしました。
たとえば「とある道程での左折の数」だとします。
わたしは、「敷地から公道に出る際」とか「公道から敷地に入る際」、他に「一方通行等で選択の余地のない左折」をノーカウントとし、行程における左折は二回としたうえで話をしていると、旦那は「え? 左折って? 左に曲がることでしょ? 二回? え? どういうこと? 五回はあるよね? 二回ってなにが?」みたいな(笑)
旦那は物理的(?)に「左に曲がる回数」を左折の回数とし――だから敷地から公道に出るときも、公道から敷地に入るときも、道なりに曲がるときもハンドルを左に切るときは全部「左折」なんですよね――、わたしは「自発的に左折する回数」だけを左折の回数としている。
この違いの発見がすごく面白かったです。
今後旦那と話をするときは、「〜については、自明の理として以下省いて話をいたします」の宣言が必要かも。ちょと面倒くさい(笑)
育児記録を整理しつつ、なぜにわたしはこんなにも実母が苦手になったのか、を考えておりました。
多分なんですけど、出産した翌日の出来事が原因かな、と。
検査やら診察やらで離れていた赤さまがやっと自分の手元に帰ってきたとき、わたしより先に母が赤さまを抱いたんですね。
それも、
「……わたし、昨日からまだ一度も抱かせてもらってない」
なーんて半泣きで。
わたしだって出産直後のカンガルーケア以外では触れてもいないんですけどー、もちろん旦那だって抱いてないしー、というそういうときだったので
「何、この場違いな人……」(内心の声)
って思っちゃったんですよねぇ。
そのときは「アホか」と思いつつも、あきれが先にたち「じゃあ抱けば?」と答えたんですが(そう答えた以上、自己責任でもあるのですが)これがわたしの中で、すごーく根深い問題になってしまっている模様。
おそらく「母性」という「本能」の働きで、実母=「我が子を奪った対象」としてインプリンティングされたみたいなんですよねぇ。
その後のお宮参りや百日祝いのときの「わたしが陣頭指揮をとりたい! わたしが! わたしが! わたしが!」といった主張も重なって、見事に「敵」認定がなされたんじゃないかと。
一人娘の出産、当然初孫ですから、そんなふうに浮かれてしまった母の気持ちもわからなくはないのですが、わからなくもなくてもやっぱり「いや」だし「許しがたい」気持ちはまだ拭えません。
実母でさえこれですから、世のお姑さんは相当気を使って遠慮しててもお嫁さんには「敵」認定されやすいんだろうなあ、などと納得してしまいました。
わたしもいずれ姑になるので、せいぜいお嫁さんを刺激しない控えめな姑になりたいと思いました。
で、その話を旦那にしたところ、
「……その話を聞くと、(俺の)母に立会いを遠慮願ったのは正解だったなあ」
まったくだと思います。
そういえば、実母にも立会いを断ったんだけど、あの人連絡もしてないのに勝手に乱入してきたんだよね……(恥)
おかげで今、義母との関係は至って良好で、わたし自身が
「お義母さんにこの子を会わせたい、抱いてもらいたい、成長を見ていただきたい」
と思いますもん。
実母に対しては
「もーちょっと遠慮してほしい。ていうか、こちらから接触することはありえない!」
なのにね(苦笑)
早いところこのケダモノモードが収まって、母に対しても寛大になれるように努力したいです。
時間は相当掛かりそうだけど。ほんと、出産前後のあれこれって根の深〜い問題になるなあ。
最近更新を楽しみにしているサイトさんが、「新連載は11月から」と案内をしていました。
それを読んで、「あー待ち遠しいなあ」と思っていたのですが、全然遠くなかった。もう11月ですよ。
早いなあ。
1日1日は長いような短いような……でも1週間はあっという間で、もう明日には週末!みたいな。
それを4回も繰り返せばひと月が過ぎてしまうんですよね。
毎日毎日同じような繰り返しだけれど、季節はすっかり冬めいてきましたし。
つい最近まで聞こえていた虫の音もすっかり聞こえなくなっていることに、やっと気づいた夜更けです。