来月から旦那は新しいプロジェクトに参加することになったようで……これまでの19時退社から21時退社になる模様。
「土日は頑張るから、平日は頼む」
……いや、平日そんなに頑張ってる君に「土日の育児はよろしくー」とは言えんよ、さすがに。
そういうことで土日、旦那もわたしも赤さまも、楽しく過ごせる方法を考え中。
あまり物事は深く考えないほうがいいのかもしれない。
そういうもの(ひと)だと丸ごと飲み込んでしまえたら、もっと楽になるだろうと思う。
でも、そうは思ってもやっぱり心の中に釈然としないものが残ってしまうのは、「拘泥」するものがあるからなんだろうなあ……。
もう少し柔軟になりたいな。
愚痴のはけ口にされてるの、と相談すると、多くの場合
「嫌がらずに聞いてあげなよ。受け止めてくれる人がいると、それだけでストレスが解消されるんだよ」
なんてアドバイスが返ってきます。
善行を施しているつもりで頑張れってことだと解釈しています。
ほんと、苦行。
話すほうは負の感情を吐き捨ててすっきりするのでしょうが、聞かされるほうは負の感情を受け止めなくちゃいけないわけでして。
それでつい、聞きたくなくて都度そっと話を替えたりしていたところ、先日は
「あなたはいつもわたしの言いたいことを聞いてくれない!」
と言われてしまいました。
……
それを言うならわたしだって
「あなたはいつもわたしの聞きたくない話ばかりをする!」
と言いたいわよ〜。
でもそんなふうにキレても、やっぱりわたしにも愚痴をこぼしにくるのだから、よほどのことなんだろうなあ。
聞いてる側にとっては大したことのようには思えないんだけども……まあ、それはわたしの共感能力にも難があることですしね。
いつも、何に対しても、怒っているって疲れないのかなあ。
それにしても、毎回こんなふうに愚痴ばかりということは、他の人にもきっと愚痴ばかり言ってるんだと思う。
……他の人は余さず聞いてあげてるんだろうか。だったらわたしくらいは免除してくれてもいいじゃん、とか思ったりもする。
だって、本当に気力体力殺がれちゃうんだもの〜。
働いていたころ、わたしは毎月結構な額を貯金していました。
どうしてかというと、わたし、あまり物を買わない人なので。しかも生活費は全部旦那持ちでしたから、貯金する意図もなく、口座に残金が増えてゆく感じ。それなりに欲しいと思うものがあっても、ついつい「本当に必要?」などと考えてしまって、結局買わず仕舞いになることが多かったのも理由かも。
もちろん「貯金のプロ!」というような方から見れば、まだまだ甘いと言われるに違いない程度なのですが、今よりはよほど、という観点でのお話だと思っていただければ幸いです。
で、そんな風になんとなく溜まっていったお金はマンションの購入資金にしたり、義父の入院・治療費にしたり、数年間、毎週末お見舞いに通うための航空券代になったり、……甲斐なく義父は亡くなってしまったのですが、葬儀代、お墓の購入費、それから最近では赤さまの出産、育児資金として順調に消費されていっております。
それで思うことなんですけど。
今は働いていませんから、支出はあっても収入はありません。預金の果てが見えてきます。
するとですね。
なんだかやたらに欲しいものが増えてくるんですよ。
あれに似てます。
試験前になると俄然遊びたくなるようなあれです。
なんでしょうねえ、こう、失われ始めて初めて気づく……結局バカなんだろうなあ。
ああ、あれもこれもそれも、買っておけばよかったわー。
(言えば旦那が出してくれるんだろうけど、それもなんか癪なんだよねぇ。自分のものは自分の稼ぎで手に入れたいですし……。でも今は赤さまのそばにいたいから働きになんて出たくない。畢竟我慢するしかない、と。本当にバカだーわたしー)
昨日のママさんの話を聞いていて思ったこと。
育児も含めて何事も完璧に計画を立てて、完璧な計画を完全に遂行したい、と考える人ほど悩みが多そうな気がします。
わたしも計画を立てるのは好きなんですけどね。これで完璧、なんて。
でも完遂は難しい。
どうしても自分では制御できない外部要因というものがあるから。
ぶっちゃけ訃報の一つでも入れば、家事の予定も、外出の予定も、財布の予定も狂うわけです。
訃報じゃなくても招待状一枚で、月間(ときには年間)計画を見直し、だなんてことはザラ。
そんなときにこの外部要因による計画のずれを、どこで吸収できるか、が、腕の見せ所といいますか、まあ、わたしの楽しみでもあるのです。
だからわたしは計画には流動性を持たせたり、弾力を持たせたりします。言い方を変えれば、一分の隙もない完璧な計画、ではなくて、隙間たっぷりの計画を立てるってことですね。
だけども完璧な計画に未練が強い人は、計画の少しの乱れも許せなくて、それで悩みや愚痴が増えるんじゃないかと思いました。
とくに赤ん坊が相手の育児なんて、こちらの思惑通りにことが運ぶなんてのはこれぞまさに「幸運」てなものですから、あまり堅苦しく計画や予定に拘らないほうがいいかと思って。や、まあ、わたしが立てる予定なんて、ほとんどの場合未定案件の箇条書きみたいなものなんだけど。
こんなわたしが拘るのは、せいぜいが起床時間と就寝時間。でも、これだって翌日には調整できることなんだから、それほど気難しく考えなくてもいいかなって(笑)
育児についての悩み、というものが、あまり明確でないわたし。たぶん悩むところまで行き着いてないんだと思います。
で、そんなわたしの悩みが知りたいとあるママ。正確には悩みのアリナシが知りたいのではなくて、悩みの相談にのりたい親切心だとは思うのですが、……実はちょっと面倒くさいと思っています。
悩みを共有して、励ましあって、というのが好きなのかな。わたしはそういうのんはちょっとダメなので、彼女をもてあましてしまう感じです。
わたしはどちらかというと「我が子自慢」例:こんなことができるようになったのー、こんなことをして可愛かったのー 等の話が好きなので――それで「うわー、可愛いね」とか「すごいね」「楽しみだね」って盛り上がるのが好き――、悩みを聞かされるとなんとなーく重い気分になってしまうんですよねぇ……。
きっと彼女が「悩みを分かち合いたい相手」じゃないからだとも思うんだけど。でも、わたし、育児を分かち合いたい相手は旦那だけだから。
一番苦痛なのは、「わたしが悩みを打ち明けたんだから、あなたも言いなさいよ。一人だけ隠してるなんてイヤラシイ!」みたいな空気。
そんなこと言われてもあえて打ち明けるほどの悩みなんてないしなあ……困ったものです。
せいぜいが離乳食のメニューを考えるのが面倒ってくらいだけど、これもどうしても面倒なときは同じメニューで3日間9食続いたって赤さまは食べてくれるから、あらためて悩むほどのことではないんです。
食べてくれないときもあるけど、食が進まないことなんて誰にでもあることですからねぇ。
ベビーグッズは次から次へと際限なく欲しくなります。
たとえば似たようなものを持っていれば抑えられるはずの物欲も、持ってないから止まらない。
赤さまの秋服、赤さまの新しいおもちゃ、赤さまの絵本……。
もう、何を見ても、ありとあらゆるものが欲しいわけです。
旦那を困らせつつも、おねだりをやめられないわたしです。
それに御猫さまの新しいキャットウォークも欲しいんだよねぇ。
午前中、行きつけのガーデンへ。
久々に旦那も一緒で楽しかったです。
赤さまはお靴をはいてのお散歩デビュー。
……でも伝い歩きからすぐにしゃがみこんで砂いじり〜はいはいダッシュなんですけどね。
家の中ではもうよちよち歩いてるんだけどなあ。
靴が重いのかな。
元職場に用があって行ってきました。
みんな変わりなく接してくれてうれしかったです。
今のところ職に復帰する気持ちはないけれど、やっぱりいい職場だったなあと思うのでした。
そりゃあ、まあ、嫌なこともたくさんありましたけどね。
でも嫌なことがたくさんあったころのわたしって、ぶっちゃけ嫌なヤツだったのであたりまえかなって思いますし。
自分が変わると周囲も変わるんですよねぇ……。
だから今のこの好い関わりが続いて欲しいと願うなら、まずはわたしが好ましくあらねば、と思います。
問い合わせに対し、前置きの長い返信が来ると「用件だけでいいのに」と思ってしまいます。
わざわざ箇条書きにして質問をしたんだから、そのまま箇条書きで返してくれればいいのになあ、と。
妙に丁寧なんだけど、あきらかにわざと外した返答があると(あるいは素で質問の意味が理解できていないのか)、モニタに向かってマジギレしそうになります。
でも二回も問い合わせるのは面倒なので、即効解約。
だって忙しいんだもの。
乳児医療助成の所得制限が来年1月からなくなるそうです。
0歳児は所得制限なしで助成対象の自治体なので、赤さまの場合12月さえ無事に過ぎれば、このまま未就学の期間は医療費はいらない、ということになるようです。
湿疹でしかお世話になったことはないのですが、湿疹のお薬も自己負担となれば結構お財布は痛むし、といって市販薬では今ひとつ効果が見られなかったりもするので、ありがたいことです。
赤さまの昼寝時にかかってくる電話には、ほんのり殺意を覚えたりもいたします。とくに寝入りばな。セールスだったりすると2割増くらい。
電話を切るのは簡単ですが、昼寝を諦めた赤さまのお相手はその後数時間続くわけでして。
そんな日のわたしのプライベートタイムは「≠0」
貴重な休息時間を返してくれ、と思うのですよ。
時は金です。いいえ、金では換算できません。それくらい貴重なわたしの時間を返してー。
研究・開発関係の仕事をしている旦那。
関連企業の仕事を外部請負や派遣でお手伝いすることもたまにあります。
4月から7月までは請負でした。請負は契約の中で延べ時間が定められています。
超楽勝な仕事で暇をもてあましても、超難関な仕事で連日残業になっても、同じ金額。
もっとも請負の場合は旦那の勤め先が請負うので、いざ残業になればその分の手当ては会社が補填してくれるんですけどね。でもできるだけ契約時間で片付けてね、という感じ。
でも9月から派遣扱いのお手伝い。
この場合は会社は仕事を請け負うのではなく、人員を貸し出す形になるので、仕事内容に見合った残業の申請が可となります。
それで旦那はうれしそうに、
「これで存分に仕事が出来るー」
といっているのですが……旦那の帰宅が遅いのは嫌だなあ、と思うのでした。
赤さまと二人きりの時間が続くと体力的に持たないんだもの。
でも残業して帰宅する旦那に
「はい、君の息子が待ってたよ〜」
とわたしは子供のお世話を丸投げしちゃうんですけどね(笑)
可哀相? とんでもない!
親業は24時間年中無休ですから。
旦那が親業を勤めてくれる間、わたしは妻業にせいを出せるわけでして。
いえ、別に旦那が妻業を肩代わりしてくれるなら、わたしが親業一本×2でもいいのですが、それはどうしてもヤダって旦那が言うんで仕方なく〜(笑)
我慢強い人は、他の人にも我慢を強いるところがあるかも、と思った日。
わたしの母はとても一面では我慢強い人で、同時にとてもわがままな人でもあります。誰にでもそういうところはあると思いますが、母はそれがとてもわかりやすいのです。わたしには。
この「わたしには」の部分が重要。
他の人には「我慢強い」側面しかみせません。でも、わたしにはその裏側の顔を、よく見せてくれます。たぶん、わたしに対する信頼感とか甘えのようなものがなせる業、ではないかと思っています。
母はよく我慢する半面で、その我慢や辛抱の代償をわたしに求めるんですね。
たとえば、「わたしはいつもみんなのために我慢しているんだから、あなただってわたしのために我慢してくれたっていいじゃない!」というように(注:「みんな」はわたしとは無関連の人々です)。
母は無意識なんです。別に自分が抑圧された分を、娘から取り戻そうだなんて考えているわけじゃない。本当に無意識なんです。
ただ、自分ひとりが我慢している状況が辛くて、他の人にも辛さを割り振ろうとしてしまうだけ。その「他の人」がたまたま「自分の娘」であるということ。まあ、一番気安いからなんでしょうね。
でもねえ……。
そんな、他人に辛さを振り分けなくちゃならないほど苦しいなら我慢しなくていいのにって、わたしは思うの。
誰も母にだけ我慢してくれ、だなんて言ってないだろうし。
一人いい格好をして、あるいは嫌われるのが怖くていい顔をしておいて、その代償を案件とはまるで無関係のわたしから取り戻すことは「無理」「不可能」なんですよねぇ。
わたしがもう少しマゾっぽい性格だったならよかったのかもしれないけどねえ(ため息)
わたし、我慢と癒しは無駄だと思ってるから。だって我慢しても癒しを受けても事は解決しないでしょ。その場しのぎにしかならない我慢や癒しより、根本を変えないとね。
9月ですよ。本当にあっという間に日が過ぎ去ってゆきます。
一日がそもそもにして短いというか……朝起きて、家事や育児で気がつけばもう夜、なんてふうですもの。
不満を覚えるほどにも暇がないといった日々ですが、まあ、とりあえずは幸せなんだと思います。