はいはいが上手になって、つかまり立ちは完璧、伝い歩きもほぼ大丈夫。
と、なってくると、俄然動き回りたいのでしょう。赤さまは日々忙しく動き回っています。
畳んである洗濯物は全部広げなくちゃいけないし、積んである本の山も崩すのにも忙しいし、新聞はわしゃわしゃにしなくちゃならないし、きれいな色のついた広告は味見もしなくちゃいけないし、カーペットのほころびは毎日少しずつ大きく育てなくちゃならないし、御猫さまの毛もむしらなくちゃいけないし、隙間があったら体がちゃんと隙間に収まるか確認しなくちゃならないし、リモコンのボタンも全部動くことを確かめなくちゃ……。
安心していられるのは、彼がお昼寝をしている時間だけです。
あー、来週からわたし一人で大丈夫なんだろうかー。
お供えのお団子を作り、お下がりをいただきました。
おだんごの粉はお米なので赤さまにも少しだけお下がり。
黄粉(砂糖なし)を軽くまぶしたところ、大盛況でした。
来月のお彼岸も、赤さまがお下がりをいただけるように、お砂糖なしのお萩も少し作ってみようかな。
朝早くに、お墓参りに行きました。
一通りお掃除をして、お参りをして、お買い物も済ませて帰宅してまだ午前中、というのは、本当に気持ちがいいです。
これがいつものように昼近くに出かけて帰宅したら夕方、なんてふうですと、何もできませんものねぇ……。
旦那も早起きに慣れてきたのか、「早起きをすると一日が二倍使えるねえ」などと言っておりました。
この調子で今後も「休みの日も6時起床」に馴染んでもらいたいものです。
人の辛苦を聞いて、「ああ、自分だけじゃないんだ」と安心できる人にはわたしの母のような人が合うのかもしれません。
わたしはどちらかというと共感能力が低いのか、現在進行形の他人の苦労話に感銘を受けることがありません。だから母と話していると疲れてきてしまいます。
わたしが興味をそそられるのは、苦労話じゃなくてサクセスストーリーなんですよねえ……。それも艱難辛苦乗り越えての成功じゃなくて、さらっとからっと極めて当然であるかのごとく、それでいてめいっぱい幸せそうな話。そういう話を聞いて
「わ、素敵! わたしもそうなりたいー!」
ってモチベーションを上げるのが好きなので
「苦労してる。頑張ってる」というだけだと、わたし的に
オチのない話
になってしまうのです。
話を聞くごとに
「で、オチは?」
不完全燃焼の連続は嫌だー。
子育てを始めて、これまでにはなかったあれやこれやに思い煩うこの頃です。
よく、親になって親のありがたみがわかる、なんて言いますけど、今のところ逆というか……親になって親の未熟を知ってしまったような気がしています。
まあ、あれですかね。ろくに反抗期もなかった反動かもしれません。
子育てについて、あまりに「辛い」「辛い」を聞かされてきたので――たとえば「わたしは自分を犠牲にして子育てを頑張った」とか「自分のやりたいことやほしいものも我慢して子供のために尽くしてきた」とか――子供を持つことに消極的だったのですが、正直、
「なあんだ、たいしたことないじゃん。これなら十年早くても十分やっていけたかも」
というところ。むしろ十年前のほうが体力があってよかったかもしれない。
わたしが母に聞かされてきた半分も辛くないというか、なんというか「辛い」という感覚が子育てに伴わないのです。
赤さま優先当たり前、みたいな。ていうか、赤さまのことが今のわたしの最優先事項であり、「赤さま」を優先してる感がない。あくまでも「自分の最優先事項」を最優先している結果として「赤さまが優先になっている」というのでしかなくて。
母は未だに「子育て」=「大変・辛い・切ない・悲しい」ことのようで、今もわたしが苦労していると思い、あれこれと手助けをしたがっています。
だけど、わたしが子育てで頼るべき第一の人は赤さまの父である旦那ですし、これがよく出来た亭主なので(照)母までお鉢が回ることってまずないんですよねぇ。
それにどうもこう、愚痴しか言わない人に手伝いを頼む気になれないし。
逆に義母は育児の楽しさを語ってくれるので、落ち込みそうなときに電話があるとついつい長話になってしまうのですが。
やっぱりネガティブなことしか言わない人って重圧ですもの。
8日日記の追加ですが、「ごはん」もありました。
あれは小学生のころ。たぶん低学年。夏休みでした。
夕時にわたしが「お腹空いたー。ごはん食べたい」的なことを言ったときのこと。
母の返答は
「ごはんなの!? 食事なの!? ごはんだけでいいの!?」
何か「朝ごはん」とか「昼ごはん」とか「夕ごはん」とか、そういう表現は母の中では「間違い」だったらしいことは、今はわかります。
当時の母には「食事」を「ごはん」という感覚はなかったのでしょう。
まあ、たしかに洋食だったりすると「ごはん」そのものが食卓に上らないですしね。「朝食」「昼食」「夕食」のほうが表現としてスマートかな、とは思うんですが。
なにも十にもならない子供に怒鳴らなくてもよかったんじゃないかと。
結局その日はどうしてか「ごはん」が喉を通らなくて、お腹が空いているのに食べられないという不条理の思い出です。
変換がおかしいのは、キーボードが下手ってきているからかもしれないなあ、と思うこのごろ。
わたしの入力速度についてきてくれない。……前はぴったりだったのに。
たぶん、何度か赤さまにはがされたキーがあるので、そこで入力が躓いて、タイミング悪く変換を確定してしまって、その可笑しな変換が学習されていっているのではないか、などと推察するのでした。
今はっきりとわかっている「調子の悪いキー」は、e,r,y,u,i,f,g,k,b,n,m に、左のシフトキー、それから中央の空白キー。
……これだけおかしかったら、まともに入力できなくても当たり前かもー。
ご飯をよそうお椀を「お茶碗」という方は少なからずいらっしゃるかと思います。
「お茶碗取ってくれる?」と言われれば、汁椀ではなく、湯のみでもなく、ごく普通に飯椀を取ると思うんです。
最近赤さまと接しているとふとした折に、幼いころの母の発言を思い出すのですが……
上述の「お茶碗」なんですけど、多分、小学生くらいのころだったと思います。
何かのときに飯椀を「お茶碗」って言ったんですね、わたし。
そうしたら母がすごい形相で、「お茶碗? お茶碗って? あなたこれでお茶でも飲むの?」
別の時には「湯のみ」といったら「湯のみ? ふうん、あなたにはこれからお湯をだせばいいのね!」とか……。
たぶん、母にとって「茶碗」は抹茶茶碗で、お茶を飲むものであり、ひいてはお茶を飲む器全般が茶碗だったのだと思います。
したがってわたしが(母にとって)間違った言葉を使うことが許せなかったのではないでしょうか。
あとは「歯磨き」でも似たようなことがあったかな。「歯磨き粉なの!? 歯磨きブラシなの!? どっち!?」と詰め寄られました。
あれは幼稚園のお泊り保育のときだったように記憶しているのですが、言われている意味がわからずとても困ってしまいました。
先生の「歯磨き(セット)を忘れずに持ってきましょう」を伝えたことの何が母を怒らせたのかがわからず、頭を悩ませました。
結局、歯磨き「粉」をわたしは知らなかったので(練り歯磨きは知っていましたが)「歯ブラシだと思う」と答えました。
「それじゃあこれはいらないんだね、捨てるからね」と練り歯磨きのチューブを母は捨てようとし、「捨てないで、それもいるから、お願いします」と泣いてすがった記憶があります。
もちろん母は忘れてると思うんですけど(笑) あっさりしてるというか、怒りが持続しないというか、その場限りの人だから。
わたしもどうして長年忘れていたことを、今になってなぜ急に思い出したのか不思議です。
母は教育熱心でしたし、それに完璧主義がたたって少し育児ノイローゼ気味だったのでしょうね。
わたしはもそっとおおらかに子育てしたいと思います。
おひさしぶりです。八仙花です。
もういい加減、「休止中」と案内するべきか迷ってはいるのですが。
もともと定期更新であったことは稀なので、ま、いいかなと思っているしだいです。
近況は特にご報告できるようなこともなく、平和に穏便に、時々は波風も立ちながら、普通に暮らしております。
日記も最近は手帳にメモしておいて(アナログ)、週に一度htmlに書き起こしています。
まだしばらくこんな状態が続くかと思いますが、なにとぞよしなに。
変換辞書の調子があまりにも悪いので、リセットしてみました。
リセットしてしまえば変換ミスがあっても「ま、仕方ないか」と思えるのですが、5年蓄積したデータがあって異なる変換をされるのは耐えられない、ということで、すっきりすっぱりリセットしてみました。
多少不便はありますが、「おかしな事になって」が「可笑しな子と担って」にはならないので爽快です。
いつからか「こと」を「子と」、「〜になった」を「〜担った」などと変換されるようになってしまって、ほとほと困っていたのでこれが解決されたのは本当にうれしいです。他にも「〜のような」が「〜の酔うな」とかね。
漢字を覚えたての小学生が何でも漢字で書きたがって誤字をする、みたいな変換にイライラしっぱなしでしたもの。
さてさて、変換辞書をリセットした不便もこれからは出てくると思うけど、……いつか快適な変換ライフに戻ることを信じて頑張りましょう。
……そのためには、お話もまとめないとな。
あなたにとって子育てとはなんですか、と問われる。
別になんでもない、と答える。
「なんでもないってナニソレ?」「子育ては子育てでしかないというか」
しいて言うならば「人物保証」のようなものか。
人の親たるにふさわしい人物である、と。
むろん、今はまだ「己は人の親たるにふさわしい」と胸を張っては言えない。
したがって、かくあるべく修行の道、とでも言おうか。
そしてお師匠様は他でもない赤さま(笑)
今日も容赦なくしごいてくれます。
新しいエアコンが着ました。万歳。
木曜日くらいまでは室温が30度をこえないくらいでしたから、それほど辛くもありませんでした。でも、昨日は室温でさえ32度近くまで上がり、しかも昨日の湿度は70%
さすがに堪えると思っていたので、エアコンから涼しい風が吹きだしたときは心の底から「ありがたやー」
エアコン取り付け工事のお兄さん方も、暑い中お疲れ様でした。
一応、いつでもお好きなときに飲めるように冷たいお茶と、手土産に冷たいお菓子を用意してはいたのですが、……本当に今日は暑い日でしたからねぇ。午後1時から2時の、これまた一番暑い時間での作業は大変だったことでしょう。
利器にも人にも感謝です。
赤さまは今日で満9ヶ月。いよいよ「赤ちゃん期」も終盤に。
もっと赤さまでいてほしいー。
……ところで赤さまを卒業した赤さまを、ここではなんて呼ぼう。いつまでも赤さまもへんだし。若さま? ぼん? お子さま?
生活リズムも軌道に乗りました。
自由な時間も確保できるようになったので、あとはモチベーションをあげれば、またお話も書けるようになるかな、と。
ただ5時半起床なので、どうしても赤さまが昼寝に入るとわたしも一緒に眠ってしまったりして(笑)
朝方(8時ごろまで)に家事を終えられるようになったので、昼寝をしてしまっても、まあ家事に影響はないのですが……自由時間はなくなるよ、という感じ。
自由にできる時間をお昼寝にあてるのもそれはとても幸せなことでもあるのですが、生産的なことにも使えたらいいと思うこのごろです。
結局母はわたしたちと同居したいみたいです。
でも母との同居はわたしたちにとってデメリットしかありません。
今日ははっきりと「今後も同居するつもりはない」とわたしの口から伝えました。
「いつかは母子同居」を夢見ていた母の衝撃は察するに余りありますが……わたしにとって守らなければならない家庭とは母の家庭ではないので、母の家庭は母自身で守ることをしてもらいたいものです。
「老後は娘の収入で生計をたて、年金を小遣いに悠々自適」なんて考えていたのであてが外れて気が動転するのは、まあ仕方がないでしょうが。
そういえばわたしが就職したとき「お父さんが退職しても、あなたが就職したからよかったわ!」なんて言ってたなあ。
娘の収入を一生涯あてにしていたんだなあ、と思うと、早々に結婚して家を出たのはホント正解だったと思う。
大学卒業を待ってプロポーズしてくれた旦那には感謝しなくちゃ。
子供を生め、生め、も、子供を生んだら必然的に親を頼るようになると皮算用をして、「同居して孫の面倒は見てあげるから、あなたたち夫婦はそのまま働いていいわよ」ってつもりだったみたいだし。
どんだけ〜
とうとう8月です。
とうとうひと月以上、日記さえ更新できませんでした。
……