Diary

7月15日(日)

 早寝早起きを心がけましょう、という家条に対して一番成績がよろしくないのが旦那です。
 どうにも早寝ができなくて、その結果早起きができません。
「昔っからだからさ〜」
 というので、義母の苦労が偲ばれます。
 でも、母の言葉も、妻の言葉も「昔っからだからさ〜」で聞き流していた旦那が、
「赤さまの健全な育成のためには、家族そろって早寝早起き」
 で、夜更かしを諦めて寝室に来るんだから面白い。
 それもわたしや義母がいうのではなくて、そのへんに転がしておいた育児書に、自発的に目を通してのこと。
 考えてみれば「言われること」は「聞かされている」というような押し付けられ感があるんだけども、ナナメ読みでも自分から本を読むときは「己が知識を得たいと思っている」ときなので、情報の入り具合は違いますよね。
 自主性って大事だわ〜(笑)

7月14日(土)

 旦那の食事。食べ終わるのが遅くてイライラします。
 わたしが5分で食べ終わるのは「早食いしたいから」ではなく、早く切り上げないといけないからです。赤さまが酢豚やら三絲湯やらに手を突っ込む危険性があるからです。ていうか、つっこむし!
 だから味わう暇もなくかきこむわけですよ。ががっと。酢豚の豚なんか3回噛んでごっくんですよ。ごっくん。
 肉食獣も吃驚するような丸呑みをしてのけているわたし。
 それに対し「よもや反芻してるんじゃあないだろうな」と思うほど悠長に、30ぷん近くもかけて食べてる旦那の横顔を見ると、無性にイラツキます。
 でも、まあ、せっかく作った料理、わたしも旦那もかきこみで「味わう人が誰もいない」よりはマシなのかも。
 ……そうか、たまにはお前がかきこんで、わたしにゆっくり食事をさせろ、と言いたいのかもしれない。
 んー、わざわざ言うほどのことでもないか。
 そだな、忘れよう。今日のご飯はおいしかった。わかんないけど、想像で。以上。

7月13日(金)

 赤さまに玩具のピアノを買ってみました。
 鍵盤をひとしきり叩いて遊んだあと、ピアノは「踏み台」に。
 しかしピアノもさるもので、三本足を生かして赤さまを転がす、転がす。
 それにもめげず挑戦し続ける赤さまの努力が尊いと思うのでした。
 や、ほんと、子どもは前向きですね。見習わないと。

7月12日(木)

 先日から離乳食が2回食になりました。
 赤さまは離乳食をあまり嫌がらない子なのでありがたいです。
 聞くところによると、食事の時間は大格闘というお家もあるようですし……食事はのんびり寛いでしたいから、それはわたしがイヤだー。
 一応、離乳食は全部味見をして、少しでも「まずい」と思ったものは出さないようにしてます。まずいかも、と思ったのに赤さまに出して「不味い」という態度をとられて落ち込むのはマゾっぽいよなあ、と(笑)
 ちなみにこれまでに作った中で一番不味かったメニューは「ミルク(乳児用粉ミルク)とかぶのパン粥」です。
 これはもう、なんていうか、人の食べ物じゃない感じ。もともと粉ミルク特有の油臭さがわたしはダメなんですけども。コーヒー用のミルクの油の臭いとよく似てる。
 何かの時のためにとスティックタイプの粉ミルクを買ってあったのですが、離乳食にも使えないとなると、もう出番はないかも。
 赤さまに人気があるのは
・茄子の煮びたし
・にんじんとじゃがいもといんげんの出汁煮
・鯛のトマトソースかけ
 他にお粥トッピングで好きなのが
・かぼちゃのマッシュ
・さつまいもの角煮
・おろしたにんじん(加熱済み)
・茹でたそら豆のみじん切り
 大人用のおかずを作る過程で取り分けて、赤さま用に少し手を加えるだけなので以前に比べると楽になりました。基本が薄味なのも幸いだったかも。それでもペーストにしなくてはいけなかった頃は、ちょっと手間に感じることもあったんですけどね。
 離乳食がこのまま順調に進めば、来年には同じ料理が食べられるようになっているのかもしれないなあ。

7月11日(水)

 結婚記念日でした。
 旦那が帰宅時にケーキを買ってきてくれて、うれしかったです。
 わたしは思いっきり忘れていたんですけども。で、思い出してみると今年は結婚十周年記念でした。
 あっという間だったなあ……もちろん、思い出せば決して平和なだけではない、いろいろあった10年なのですが(笑)

7月10日(火)

 ぶらさがりっこが好きな赤さまです。
 モップの柄を渡すと、赤さまはリフティングのように柄を持ち上げます。
 柄の、赤さまの手の外側を持ってゆっくり持ち上げると、赤さまが子猿のように
「きゃーっ、きゃあーっ、きゃわわぁー♪」
 わたしの上腕筋も鍛えられるよい遊びです。

7月9日(月)

 我が家の法務大臣はわたしです。
 赤さまと御猫さまは治外法権です。
 よって家法で割りを食うのは、主に旦那です。
 でも旦那は我が家の財務大臣なので、力関係は伯仲していると思います。
 何事も適度な距離感と均衡が大事なのです。ええ。  もっとも最近はやや旦那が伯な気もします。

7月8日(日)

 ダブルスタンダード。
 父母は平気で赤さまを舐めるし口移しさせたがる(ちなみに父はピロリ菌&B型肝炎ウイルス保有者。虫歯がうつる、どころの話じゃねぇよ、コラ)。
 そんな父母ですが、「掃除」と「消毒」には煩いです。
 わたしは「汚部屋でも生きてはゆける」ことを身を持って知っている人間なので――正社員だったころは掃除なんて週に1回でした。その間は散らかし放題さ! 赤さまが生まれてからはさすがにそんな暮らしも卒業しましたが――「掃除」「消毒」に喧しい父母が、平気で赤さまを舐めようとするそのギャップが理解できません。
 その点義母はそういうことをよく知っていてくださるので「八仙花さん、ここが我慢のしどころよ〜、ちゅうしちゃだめよ〜、したいけどね〜、すごくしたいけどね〜、ここは頑張って耐えるのよ〜」と(笑)
 まあ、実際にはわたしは虫歯のない(もちろんピロリ菌も肝炎ウイルスもない)人なので、軽くちゅうするくらいなら影響はないんですけども。
 口移しを止めると母は「がちがち(の育児)で赤さまが可哀そう」って言うのだけど、慢性胃腸炎やら慢性肝炎やらになるかもしれないほうがよほど「可哀そう」なんじゃあないか、と。
 医療費が少なくてすむ暮らしをプレゼントするって、「口移しで仲良し」より、ずっと素敵な贈り物なのにね。
 はっ、もしや「可哀そう」なのは好き勝手できない父母自身のこと?
 えー、そんなの知らなーい(笑)

7月7日(土)

 日中起きていることが多くなった赤さまと時間のを持て余し気味だったので、赤さま用教材を買ってみました。
 赤さまを教育するというよりは、赤さまにご披露するネタを増やすために……というか、ぶっちゃけわたしの母親スキルを上げるためには適当かも、ということで。
 なんか楽しいです。
 赤さまと二人、カードを投げちらし、積み木を打ち鳴らして遊んでます。
 たぶん絵本はふた月足らずで破れそう。
 まあ、わたしにとって本はコレクションじゃなくて実用品なので、赤さまがそうしたいなら破くのもありかなー、と。
 ただし壊した本は補修も必須っていうことは教えたいですが。
 それは、まあ、言葉を喋るようになってからですね。それまでは、ええ、わたしが直しますとも。

7月6日(金)

 友だちが彼のお家に遊びに行ったんだそうです。夕食をご一緒したんですって。
「一言で言って、困っちゃったわー」
 お互い結婚を意識しているとはいえ、まだ婚約もしていないので、彼のご家族をどう呼んでいいのかとまどっちゃって、と。
 結局その場は「○○さんのお父さん」「○○さんのお母さん」「○○さんのお兄さん」「○○さんのお姉さん」と彼の名前を頭につけて呼んだそうです。
 まあ、正解かと思います。
「でもね、困っちゃったのがね、お兄さんの奥さん」
 ……たしかに「○○さんのお兄さんの奥様」「○○さんの義理のお姉さん」は長すぎるし「○○さんのお義姉さん」では区別が難しいし
「□□子さん、ってお呼びするのも、他の家族と区別しすぎかなあと思って。それと、どの程度お客さんで居ていいのかも、迷ったよ〜」
 妻でも婚約者でもない、現時点では公には「親しい友人」の延長線上の人間。そういう立場だから、頼まれもしないのに台所に立ち入るのはどうかと思うし、といって、まるで何もしないのでは「気の利かない人」「尻の重い人」と思われそうで、本当に困った、と言っていました。
 わたしならどうしたかなあ……たぶん、最初に一度だけ手伝うと申し出てみて、「座ってて」と言われたら、その後は完全にお客さまを通したと思うけど。
 気が利かない、は、取り返しが利くけど(あのときはまだお客さまだったものねー、って感じで)、今から婚約者気取りだなんて図々しい、なんてふうに思われちゃうと、修復は難しいもの。相手の性分にもよるんですけど。
 友だちも今夜のところは「お客さま」を通そう、と割り切ったそうです。
 緊張したわー、と息をつくやり手営業課長の声が、初々しくて可愛かったです。

7月5日(木)

 わたしはあまり口数の多いほうではないので、赤さまもわりと無口です。
 これはいけないと思い、よく喋るように努力しています。
 具体的には「実況」です。
「お洗濯もの畳もうねー、これはパパのパンツ。大きいねえ。こっちは赤さまのパンツ。ちいさいねえ。ちいさくて可愛いねえ。あ、これはママのハンカチ。きれいなお花だねえ。これはパパのハンカチだよ。縞模様だね」
 とか、
「お皿洗うよ。スポンジぷくぷく泡立てて、きゅっきゅっきゅって洗うよー。これは赤さまのおさじだねぇ。さっきにんじんさん食べたねえ。赤さまはにんじんさんが好きだねぇ。ママは実は好きじゃないんだけどねぇ」
 とか。
 その甲斐があってか、最近、赤さまの喃語が劇的に増えました。
 で、気がついたんですけど。
 母は上述のような感じでいつも喋ってるヒトなんです。沈黙に耐えられないクチ。
 多分、あの癖は、わたしを育てている過程で身についたものではないのかと。
 ……わたしは適当な時期にそれを卒業できますように。

7月4日(水)

 少し前、赤さま関連講座からの帰りに古い友だちと待ち合わせて遊びに行きました。
 とはいっても短い時間、軽いお茶を一緒にしただけなんですけどね。
 昔話や近況報告をしていたところ、講座で一緒の人と、偶然会いました。というか、あとから思えばわたしの姿を見かけて、お店に入ってきたのかもしれません。
 お互い「こんにちはー」「こんにちは」で、そのときは終わったのですが。
 後日
「あの日、思い切って声を掛けたにも関わらず、同じ席に呼んでもらえなかったことはとても恥ずかしく、身の置き所もなく、酷く切なかった。そしてとても傷ついた。一人で黙々とケーキセットを食したわたしの情けなさが、一体あなたにはお解りだろうか。今後はこんなことは絶対にしないと約束し、できれば謝罪してほしい。先日の人に紹介してもらうのは後日、日程が決まってからで構わない。都合は合わせます」(簡易訳)
 とメールがありました。思わず
「ハァ?」
「仰る意味がわからないので、謝罪もお約束もいたしかねます」
 と返信しようかとも思ったのですが、なんだか面倒くさくなってそのままに。
 あれからもう二週間近くが過ぎます。
 幸い6月いっぱいの講座だったから、連絡さえしなければもう会うこともないと思うんだけども。
 どうしたものかなあ。
 友人に相談したら「言うとくけどな、紹介していらんし」とか言われちゃったし。いや、まあ、そう言う気持ちはわかるけど。
 きっと彼女はお母さん友だちがほしんだろうな……でもこのメールを貰ってお付合いするのは正直キツイ。
「先日はどうも。こんど機会があったらお茶でもどう?」
 だったら、「ええ、是非に。○日くらいはどうですか」とか返せたのになあ。ううむ。

7月3日(火)

 義理のご両親が二泊、遊びに来た友人。
「来客中は掃除しないものだと思って中一日掃除しなかったら、返り際に『お掃除くらい毎日しなさいね』って言われたー!」
 ……ううむ。
 たとえばご夫君が、ご両親を伴って外出してくれたなら、その隙にささっとお掃除できるとは思うんですが……ずっと一緒に行動していたら掃除は難しいと思うんですよ、わたしも。
 来客のシーツは毎日換えないのがマナーですけども(洗ったら「もう帰れ」という意味になります)、掃除も同じだと思うんです。ていうか、来客の目の前でお掃除なんてできない。
「何でもいいから何かアドバイスをしたかったんだよ」
 と友人を慰めましたが……ホントウのところはどうなのかな。掃除はしたほうがいいのかしら。えー、なんか納得できない。

7月2日(月)

 しばらくぶりに連絡をくれた知人が、「人づてに聞いたんだけど」とわたしの勉強のことについて意見してくれました。
 要約すると、
・子持ちの専業主婦がいまさら院に進学だなんて正直笑っちゃう。そう思う人は多いと思う
・恥をかく前に(夫婦不仲になったり子育てに失敗したりする前に)やめたらいいよ
 それだけを言いたくてわざわざ電話をかけてきたことがなんだか可笑しくて、ちょっと笑ってしまいました。
「そうね」と応じるわたしの声が笑い含みだったためか「真面目に聞きなよー、心配してあげてるのに」を何度も繰り返させてしまって、少し失礼だったかなあ。
 他には「イイトシをして夢見がちなことをしてると馬鹿だと思われるって。見栄も大概にしなよ」って。
 思われるも何もわたしが馬鹿なのは半ば事実だから、如何ともしがたいっていうか。
 それに見栄(お遊び)に何百万も掛ける余裕は我が家にはなかったりもして。
 知人はさぞかしや裕福な暮らしをしているんだろうなあと少し羨ましく思いました。

7月1日(日)

 親になって親の苦労がわかる、と言いますが、今のところはまだ「聞かされていたより楽だなあ」という気分。
 母はしきりと「これであなたもわたしの大変さがわかったでしょう」というのだけれど。ごめん、わかんないや(笑)
 ただ、今はわたしに頼りっぱなしの母も、わたしが赤子だった頃はこうしてわたしの世話を焼いていたんだろうとは思います。
 なんだかすごく不思議な気分。本当に今はわたしに寄りかかる一方だから。……母がわたしにとって保護者だったのは小学生くらいまでだったかも。
 それと、完璧主義だけど家事嫌い(たぶん育児も)の母にとって、わたしが大人になるまでの十数年は、相当負担だったんだろうという想像はできます。
 幸いわたしは手抜きを知っているし、やりたくないことをしない自由も知ってる――もちろん「どうしてもやらなければならないこと」はやるけれど、そんなことは人生さほど多くない――から、母ほどは辛くないんだろうな。