赤さま関連の雑誌を2冊、定期講読しています。
これが案外、よい助けになってます。
ちょっとした疑問の答えが得られる、というのはもちろんなのですが、疑問にも思っていなかったことの特集記事を読んで学ぶこともありまして。
興味のある記事や綴じ込みや別冊の付録をファイルに綴じ込むのも楽しいこの頃です。
得た知識が役に立っているかは微妙ですが(笑)、赤さまと日々楽しく過ごせるヒントにはなっているので、まあまあ、良いのではないかと思っています。
赤さま、つかまり立ちをする。
もう卓袱台の上も安全圏ではなくなりました。
急げ、模様替え!
最近他者の子どもっぽさを受け入れる余裕がありません。
たとえば旦那がちょっと子どもっぽいこと(具体的にいうと下手なツッコミやくだらないボケを二度三度繰返すなど)をすると鳥肌が立つくらい気持ち悪いし、腹が立ちます。
大人は大人らしく、TPOを弁えろと思ってしまうのです。
そして常に、弁えるべきとわたしが考えるTPOに、悪ノリが許されるシチュエーションはありません。
言ってみれば、子育てをしているわたしは常に「真面目」モードなのです。
しかも思うだけでなく、態度に出してしまいます。
「今のボケ(ツッコミ)がいかに非常識な振舞いであるか。そういった態度が赤さまにどのような悪影響を与えるか」をこんこんと説教して「空気が読めないボケ(ツッコミ)サイテー」と白けてみせる。
困ったことに、こういうときは悪ノリを拒絶されて傷ついている姿をみても、「鬱陶しい。煩わしい。自業自得」としか思えない。だからフォローも一切なし。完全放置。向こうがわたしの顔色を窺いつつ低姿勢で謝ってきても「何度同じことをしたら気がすむのか」「今は謝っていても、どうせまた同じことをするんだろう」と言ってしまう。嫌悪感と言うよりは憎悪に近いんじゃないかと思うくらい、ドロドロとした感情でいっぱいになってしまいます。
わたしはもともと悪ノリが嫌いで、真面目な話をしている最中のボケやツッコミも嫌いです。そういうリアクションをされると「聞く気がない」と判断して、会話を打ち切ってしまうところがあります。大事な話は叱ってでも軌道修正しますが、どうでもいいノリの話ならそこで打ち止め。
それでも子育てを始める前まではまだ「……またかよ、仕方がないな」と思いながらも相手ができていたのですが。
なんかもう、子育てに対して「お祭りノリ」の旦那と、「真剣勝負」のわたしでは、相容れない部分があると割り切るしかないのでしょうけど。
でも悪ノリするくらいはっちゃけてる旦那が相手では、割り切ったとしても我慢するのはわたしだけ。損だなあ、と思うのです。
旦那が子どものようにはっちゃけて悪ふざけをする、わたしもそれに対して子どものように癇癪を起こす。
これでこそお相子なんですけどね。それじゃあ解決しないでしょ、と。
ああ、どうしてわたしにだけ大人の対応が求められるのか。
理不尽感が消えません。これを昇華するのは容易でないかも〜。頑張れ、わたし。
赤さまのはいはいがやっと様になってきました。
でも、まだまだずり這いのほうが勝手が良いようで、急ぐときは高速ずり這いで移動します。
満面の笑みでずりずりと寄ってくる赤さまが、ときどき謎の生き物に見えます。かわいいんだけどヘン(笑)
片側一車線の優先道路を走っていたところ、左折で出てこようとしている車が80mほど前方に。
時速は50km。制限速度です。
よもや出てはこまいが、と思いながらも、まったく右方向を見る様子のない運転手の様子になんとなく危機感あり。
アクセルから足をはなし、ブレーキのほうへと移動。速度はいまだ時速50km弱。
よもや、よもや、よもやーっのテンポで、出てきましたその車。
わたしの車が20mほどに迫っているのに!
ブレーキを踏み「気づいてぇぇぇっ! こちとら今さら止まれねぇー!」と叫びつつクラクションを派手に鳴らすと、首をすくめながらギョロ目(見開き2頁)でこちらを振り返る運転席の女性。口はウの字に半開き。
……その手にはオレンジ色の携帯電話。
咄嗟に対向車の隙間を縫って避けるわたし。ブレーキ放してハンドルを右に半周、アクセル吹かして左に4分の3周、再度アクセルを踏み込んでキックダウンでギアチェンジ、ハンドルを戻して軽くブレーキを3,4回。……たぶん。二度はやれない芸当。無事だったのはきっと奇跡。
後方では後続車が急ブレーキを踏む音がふたつ。
はたして後続の皆さまは無事だったろうか。接触音はなかったと思うけど。
わたしもMT車だったらキックダウンできなくてガードレールにぶつかってたかもしれない。どきどきする心臓を抱えて帰宅しましたが、通り過ぎザマの一瞬の彼女のギョロ目と半開きの口はしばらく忘れられなさそう。
ちなみにそのときのわたしの顔を鏡の前で再現したところ、こんな感じでした → (@益@)
顔に関しちゃ、オタガイサマ確定だ。
義妹が話してくれたのですが、義母がわたしたち夫婦の子育てに対して
「お勉強はいいけど、四角四面な育児で赤さまが心配」
と言っていたのだとか。
育児雑誌を夫婦で読んだり、子育て関連の講座に参加したり、そういうことを「お勉強」のしすぎで心配だ、と思われたようです。ニュアンス的には赤さまが型にはめられてかわいそう、みたいな?
えー、むしろわたしとしては「適当」すぎてないか、そっちを心配されると思ってた……。
赤さまは勝手に育つのでそんなに気にすることもないんですけども、母親としてのわたしとか、父親としての旦那とかは、ある程度意識的に育てないと育たないし……育児雑誌を読んだり、ベビーマッサージやベビーサインの講座に参加しているのは、赤さまと接する方法を学ぶためなんだけども。
それが何ゆえ赤さまを型にはめることになるのかよくわからないですが、まあ、心配させてしまっているのは確かなようなので、もう少しまめにコミュニケーションをとって安心してもらえるように心がけたいと思います。
でも、母曰く「親の言うとおりの育児をしてくれれば安心だけど、本の知識や先生の入れ知恵で勝手な育児をしていると不安」なんて感じの不安だったら一生心配させることになっちゃうかも……。ま、それはそれで仕方ないか。
「たばこ吸っていい?」
と言うのは自由ですが、
「だめ」
との返答に
「うわー、イイ性格してる」っていうのはないんじゃないかと思う本日。
わたしにしてみれば、
・喫煙者のいない家にきて
・「たばこ吸っていい?」と言い
・十中八九「いいよ」との返答があることを期待している
ほうがよほど「イイ性格してる」と思う。
だって「だめ」と言われるとは思っていないから、「だめ」の返事に「うわー」と思うんでしょうから。
まあ、喫煙者が来訪する時点で配慮すべきだって意見もあると思うけども、わたしはやっぱり非喫煙者の家を訪ねる時点で一時断煙の覚悟をすべきだと思うよ。わたしだって、喫煙者の家を訪ねて「吸わないで」とは言わないんだから。一時喫煙を覚悟して行くわけで。
「じゃあベランダで吸ってくる。吸殻も持ち帰ればいいんでしょ」
「近隣へのご迷惑になるので、煙を出さずに吸ってね」
「……根性悪〜」
無論、親しい友人同士だからこそのじゃれ合いでもあるのですが、それでもやっぱり他人のテリトリーにいるときは、テリトリーの主の意思に従えよ、と思うのでした。
夜は演奏会を聞きに行く、とかで、旦那は有休。
ひとりで遊びに行く穴埋めに、日中は家族サービスをしてくれるとのこと。
そんなに気を使わなくてもいいのになあ、と思いながらも、やっぱり嬉しいのでベビーマッサージの講座が終わるのを待って遊びに行ってきました。
わたしと赤さまに本も数冊買ってもらったり。
夕食を三人でとった後、外出する旦那を見送って、わたしは赤さまと二人、楽しく遊びました。
このところ赤さまのコミュニケーション能力は富に発達したようで、遊ぶのも楽しくなってきました。
やっぱりリアクションがあるっていいです。
帰ってきた旦那は素晴らしくご機嫌で、演奏会の様子を一生懸命語ってくれました。
土産のアイスクリームを食べながら、
「三人で聞きに行けるのはいつ頃かなー。早くそうなるといいな」
と、夢見る旦那に
「7年後だな」
などと現実を突きつけてみたりして、楽しい一日でした。
馴れ馴れしいなあ、と思うことがあります。
これまで丁寧語で話していた人が、最近になってまるで十年来の友人のような口の聞き方をするのです。
ご近所さんなんですけど。
先年まで日中は家にいない生活をしていたので、ご近所さんともそれほど親しくはありません。
そもそもがご挨拶だけの関係だったのですから。
たまにお話しする機会があってもいわゆる「時候のご挨拶」だけ、それも1分に満たないような通りすがりのご挨拶です。
それが最近になって、顔を見るとやたら話しかけてくる。その内容はプライベートな質問ばかり。
「いつ結婚したの?」「ご主人はどこに勤めてるの?」「仕事は辞めたんでしょ?」「何をしてたの?」
赤さまを抱いているし、荷物は多いしで、ながながと立ち話をしたくありません。
早々に失礼するのですけれども……これは答えない限り、同じ質問を何度でもしてくるなあ、という感じ。
ところが不思議なことに旦那と一緒のときは「思い切り無視」に近い態度だったりして。
あまりお近づきになりたくないタイプの人です。
そんな人にイライラさせられている自分がちょっと情けない。
お気に入りのお散歩スポットにお出かけしました。
赤さまがご機嫌なので、景色を楽しみながら些少ではありますが読書をする時間が取れます。
さすがに屋外だとわたしも読書にのめりこむこともなく、「あーうーうっ」の赤語おしゃべりに「うん、きれいだねぇ。それが好き? そうなのー、わたしはこっちの花が好き」とかなんとか適当に相槌を打ちながら過ごすこともできまして。
赤さまと静かにのんびりゆったりと過ごせる場所があるってありがたーい。
日記に書くことが家事育児ネタ中心になってきた、といったら
「じゃあ、書かなきゃいいじゃん!」という友人と「それが日常ならしかたないんじゃない」という友人がいて面白かったです。
書かなきゃいいじゃん、という友人たちは、家事育児は当たり前すぎてわざわざ日記に書くことじゃない、というスタンス。
中には「負け組の自分としては、その発言は自慢されてるようで微妙にムカつく(笑)」という人も。(わたしにしてみれば一線で活躍してる彼女が負け組には思えない、というか、あれで負け組ならわたしは何、とも思ったり)
しかたない、という友人たちは、日記には日常を綴るものだから日常が家事育児ならあたりまえ、というスタンス。
中には「家事育児しかしてない現実の前では仕方ないでしょ」という人も。
それぞれに一理あり、です。
どきりとしたのは
「今の日記の内容が気になるということは、今の自分の日常にどこか不満があるからかも」
というものでした。
うん、確かにどこか不完全燃焼な部分はあるんですよねぇ……もっと勉強する時間がほしいとか、もっと自由に動きたいとか。
今は育児を優先したいと思いながらも、どこかで自分の欲求を通したい気持ちがある。
「……それぞれに不満があるものなのねぇ」
という友人の言葉に重みを感じました。
それだけに、不満を唱えても仕方がないんですけどね。
今を大事にしながら、未来に備えるかな。
時間のマネジメントは多少上手になってきたような気がします。
だいたい10時ごろには家事を終わらせることができるようになって、随分楽になりました。
まあ、あいかわらずの手抜き家事ではあるのですが。
後はもう少しだけでいいから、集中できる時間が欲しいなあ。
わたしは集中するとほかの事がまったく見えず聞こえずになるんです。ということは、赤さまのことも意識の外側に追いやられちゃったりするのではと思うと、なかなか怖くて(苦笑)
こう、赤さまを常に感じながら集中できる手練れな母になりたいです。かっこいいー……叶う前に親離れされるかもしれん。
キーボードがへたってきています。
空白キーとその上部C〜Nが特に感度が鈍くなっていて、わたしの入力速度についてきてくれません。
一年くらい前から少し鈍いかな、と気になっていたのですが、最近は
「我慢ならねえ!」
ほど、気になります。
そのうえ変換もおかしなことになっていて、まるで他の人が使った後のような違和感を覚えることが多くなりました。
音節の区切りが変なんですよね。
たとえば「おかしなことになっていて」が「侵しな子と担って居て」とか。
旦那は別のパソコンを使っているし、たとえ使ったって上の変換はないでしょ、みたいな。
考えられる点といえば、赤さまがキーボードを叩いたり、keyをはがしたりしてくれるので、keyの反応に関してはそれが影響している可能性も十分にあるのですが。それにしたって変換の無様はどうよ。
たまに時間が取れてお話を書いていてもこれは本当に萎えます。
誤変換くらいならいつものことですが、音節違いは修正が面倒くさくって困ります。一度学習辞書をリセットしたほうがいいのかもしれないな。
……それともいっそリカバリー?
運転席の後にベッド型で取り付けていたベビーシートを、助手席の後ろにチェア型で取り付けなおしました。
案の定ご機嫌で赤さまは座ってくれました。
で、後部座席用のカーテンを取り付けてみたり、リアウインドウにUVブロック用のフィルムを張ってみたり、バックミラーに赤さまの顔を映す鏡を取り付けてみたり、と車がますます赤さま仕様になってゆきます。
実は「BABY IN CAR」のステッカーも貼ってみたかったのですが、
「お先にどうぞ、赤子乗せててとろいので」
の重要な部分(太字)が書かれていないのでやめました。
ステッカーだから短文、短文で仕方がないんですけども「妊婦乗ってます、挙動不審になったらごめんね」とか「年寄りが運転してます、動作鈍かったらすまんね」とか、伝えるべく重用ポイントが「想像してね」仕様になってるのはどうもなあ、と思います。
お先にどうぞ、を文章にして、赤さまのイラストをつけるほうが、わかりやすいと思うんだけどなあ。
赤さまを乗せての運転も、随分手馴れてきました。
赤さまも車での移動になれてきたのか、随分大人しく乗っていてくれるようになりました。
で、なれたせいなのか、ベッド型を嫌がるようになりました。
「ぼく、もうねんねじゃないです。椅子に座るです」
と言わんばかりにぶーぶー言うのでリクライニングを起こしてみたところ、ご機嫌で。
そういうことで、明日はシートの付け替えです。