Diary

1月15日(月)

 家計簿、どうしてる? との友人の問いかけ。
 つけないと答えると、理由を重ねて問われました。
「1円でも使途不明が発生すると眠れなくなるから。職業病かも」
 家計規模の収支で雑費雑損雑益が度々発生するのも好きじゃない、といって完璧に管理するのは息苦しいというのがその答え。
 我が家の場合、家計からそれぞれの小遣いを出すのではなく、それぞれの収入から家計費を供出するので、二人でデートなんかすると、それを家計費にもたせるのか、各個人の財布から出すのか、境界が曖昧になるのも理由になるかもしれません。
「科目をどこまで細かく管理するかにもよるけど、それを考えるのが面倒。よって我が家では家計口座の収支および残高だけが管理されています。ちなみに管理責任者は旦那」
「あー、なるほど」
 彼女はしっかりものの奥さんなので結婚当初から毎日欠かさず家計簿をきちんとつけているのですが、旦那さんに見せたことはないのだとか。
「半分趣味だから。日記代わりでもあるし、相談しなくちゃならない大事も今のところないし」
 ところが、年末に弟さんが帰省したときに、奥さんが毎日のように家計簿を見せてくるからウザい、というようなことを言ったらしいんですね。
「毎日旦那に見せるものなのかと思って聞いたみたんだけど、ごめん、聞く相手、間違ったワ」
「そりゃすまんね。で、毎日見せられると辛いものなの?」
「見せられても『ふーん』としか言いようのないものではあるよね。問題がないなら」
 たしかに。
 それで弟さんは「俺にそれを見せてどうしたいの?」と奥様にお尋ねになったそうです。そうしたら
「喧嘩になっちゃったらしくて。一人で帰省してきた(笑)」
 家計の内容でならともかく、たかが家計簿を見せる見せないで喧嘩とはご愁傷サマ。
 想像に過ぎないんだけども、奥様はたぶん、旦那さんに褒めて欲しかったんじゃなかろうかと思う。
 偉いね、ちゃんと管理してくれているんだ、ありがとう、と言ってくれたらそれで終りだったのに、毎回「ふーん、そう」だから言ってもらえるまで頑張っちゃったのかもなあ……。
 というようなことをわたしが言うと、
「んー、ウチはつけて当たり前で育ってきたから、偉いねって言うほどのことではないんだよね」
 彼女も弟さんも小学生の頃からかかさずお小遣い帖をつけていたそうで、一人暮らしを始めてからもずっとそうしてきたのだとか。
 仕送りをしてもらっていた学生の時分は、帳面を一冊付けおわるごとにご実家のお父さまに送付されていたとのこと。すごい。
 それが普通で育つと、家計簿をつけるのは自然なことで「偉い」ことじゃないだろうな。
「まあ、でも『ありがとう』くらいは言ってもいいのかもしれない。うん、弟に言っとく」
 読みがあたって、事のお役に立てれば幸い。

1月14日(日)

 本能ってすごいなあ、と思うこの頃。
 子どもに懐かれ、甘えられることが多く、笑顔で応じつつ内心では辟易していることがあります。
 それでもなんとなく幼い子を放ってはおけなくて、相手の望むまま、半ば際限なしにお相手仕るのですが。
 が、この「なんとなく幼い子を放ってはおけない」こそが、本能であったのだろうと思うのです。おそらくは母性と名付けられる類いの。
 常々友人、それも男友達からは母性の欠如を指摘されることが多かったので、そうなんだろうと思っていたんですけども。
 どうやらわたしにも本能はあったと、赤さまのお相手をしていて思います。
 つまり「子どもの世話を焼く」のは本能のなせる業。幼い子どもに懐かれ甘えられれば面倒だろうが辟易しようがあらかた受け入れてしまう。
 反対に本能の対象外と認識される存在には、甘えられたり懐かれたりしても、とても受け入れらるものじゃない、と。
 人間は群れる動物なので、他の個体が産んだ子どもであっても小さいのを見れば保護しなくてはという気持ちも刺激されるでしょう。
 ですが「他の成体」に母性本能を刺激されるってのは、本能の仕組みを思えば、どう考えたって異常ですもんね。
 ようするに一人前の男(成体)に甘えられたときに母性本能が働かないのは普通のことで、「やめんか、気色悪い」と思うのも母性が本能である以上、仕方がないのでは、と。
 甘えられ懐かれて「まあ、可愛い♪」と思う相手は、たぶん成体とは認識していないんだと思う。わたしの本能が。
 で、結論なんだけど、「子どもが生まれてから奥様が冷たくなった」と繰返しぼやく友人は、奥様を半ばお母さまのように思っていたところが大きいのでしょう。
 奥様の母性本能はお子様に向けられて当然です。あまりがあったら肖れる程度に考えておきましょう。
 くれぐれも子どもと母性の取り合いをするなよ、と忠告して返信終了。
 おそらく子どもにかまけて旦那を蔑ろにするなよ、と彼は言いたかったのだろうけど、それは大きなお世話サマ。
 我が家の場合、子どもを欲しがっていたのは旦那であってわたしではないので、わたしが「赤さま第一(暫定)」になったところで、それは旦那の自己責任ってもんさね。

1月13日(土)

 なんかもー、母sからの電話攻勢にウンザリしてきました。
 心配してくれるのはもちろんありがたいんだけど、それぞれ育児方針が異なるからあちらを立てればこちらがたたず。っていうか、それぞれその時々の思いつきで喋ってる感も否めないくらい発言が一貫してないから、どちらも立てられないことも多くって。
 舞い上がるのもいい加減にしてくれー。
 本日堪らず旦那にそれを打ち明けると、
「子の子育てに心配るいい親を演りたくてやってるんだから、何をどうしたって口出しは止まらないよ。気にするだけ無駄無駄」
 いくつになっても頼りなくてウチの子ったらもう人の親なのにホント手がかかるわー、あら大変ねえ(褒め言葉)、ってやるのが、今は唯一の楽しみなんだよ、とある意味ではわたしよりドライなご感想。
「したいようにさせておけ。ただし、向こうから手出し口出しはさせても、こちらから手伝いや助言は求めないように。調子にのるから」
 いやはや、独立した男の人ってどこもこんなものかもしれないけど、妻としてはありがたく、でも母としてそれは切ないような……。
 義母の望みはなるべく叶えて差し上げたいと思う。ついでに母のも。
 むろんわたしの意の範疇で。

1月12日(金)

 首も据わり始めたので、赤さまの記念写真を撮ってもらうことになりました。
 本当はお宮参りの前後でお願いしたかったんだけど、双方の親をもてなすのに忙しくて(笑)
 赤さまは日々成長しますからひと月前と今とでは随分違います。
 彼のそのときそのときを残しておきたかったので、少し残念ではありますが、まあ、過ぎちゃったんだからどうしようもない。
 そういうことで今回はお宮参り“風”の家族写真(6kg超過だと祝い着とのバランスが微妙なんだけども)+赤さまのポートレートをお願いすることに。
 撮影日が楽しみです。
 出来上がったら両親sにも贈ろうかな。……一緒に写したかったって言うかしら。

1月11日(木)

 友人から電話。年賀状を出せなかったので寒中見舞いの電話だそうで(笑)
 昨年二月にお父さまを亡くした友人の弟が、一周忌前に結納をするのだそうです。
 おかしくない? との問いに「おかしくないでしょ」
 結納ってのは一人で決められるものじゃないので、それぞれの家長と仲人が話し合って決まったことならいいんだと思う。
「そうだよねぇ」
 でも友人の兄上は、納得しないのだとか。
「忌中に結納はヘンだし、一周忌には来ない(らしい)のは許せない! せめて一周忌の後に結納をしろ!!」
 と息をまいているんですって。
 ううむ。微妙。
 弟さんの奥さんになる人は今の時点では婚約者でもないわけですよねぇ……
 ただの恋人に法要への参列を求めるのは変わってるし、結納交わして婚約者になったあとでも……ぶっちゃけ恋人も婚約者も家族確定!ってわけじゃないから、一周忌の参列を辞退するお嬢さんはむしろ良識あるいい人だと思うんだけども。
「お供えだけ託けてそれでよし、じゃないのかな」
「でしょー、そう思うよねー。でも兄貴、もう手が着けられないくらいごねててさー。俺は長男だぞ、父代わりなんだぞって力んじゃってるのー」
 そのうち『参列できないならお供えくらい遣すように言え、いや俺が言ってやる』とか言い出しそうでー、と友人の声は苦りきっていました。
 あえてお供えを遣せなどと言わなくても、常識的なお家ならそれなりに包むだろうし、お供えをせがんだりしたら
「ターケ(たわけ:あほ、愚か者の意)か、言われるに」
「あああー、きっとやるー、絶対やるー、めちゃ恥ずかしー。どうしよー」
「お父ちゃんに祈る。兄貴がターケせんように、て」
 死んだ父にまで心配さす兄貴は親不孝者だ、と言う彼女の声に泣きが入っていて可哀そうでした。
「弟の恋人をすでに義妹=家族と認識してるんだから、お兄さんも根は懐の深いいい人なんだろうけどねぇ。一周忌に拘るのもお父さんを思えばのことなんだし。ちょっと今回は感情的になっちゃっただけだよ」
「うん、そうなの。主成分:人情って感じ」
「ははは、兄の半分は情けでできてますって?」
「残る半分は意地ね……やっぱりダメだー、知性の入る余地がないー」
 ……
 まあ、お兄さんもしばらくしたら落ち着くでしょうから(結納も一周忌も済んでしまえば)、友人には気長に兄上を見守ってあげてほしいものです。

1月10日(水)

 子どもがいる生活ってどう?
 と友人に訪ねられ、まあ普通、と答えるわたし。
 特別なことはないし、と。
 でも友人はこれまでの生活と比較してどうなのか、聞きたかった模様。
 遊びにいけないでしょ、とか、勉強する時間ある、とか、仕事辞めてどう、とか……。
 今の暮らしに不満はないか、彼女の今後の参考に聞きたかったみたい。
 たしかに勉強する時間は減ったし、仕事はしばらくできないし、そのあたりは満足してないな。
 でも遊びに関しては、赤さまがお腹の中にいた時分から慎まざるを得ない状態だったので、それ以前のことを思い出そうとしても、よく思い出せない感じ。
 週一で呑みに行っていた記憶はあるんですけどね。もはや他人事に近い感覚。
 一緒に呑みに行っていた友人は今も友人だから、会う機会が少なくなったことには多少寂しさも覚えるけれど、会えなくなったのではないし。
 勉強も仕事も趣味も交友も、これまでと同じってわけにはいかないけど、これまでと違った形で継続してゆけるような気がしてる
 続くか続かないかはわたし次第じゃないかな。
 続けたいと思うか否か、だよね。

1月9日(火)

 ご機嫌ななめの赤さまをあやすために踊ってみました。
 気が紛れてぐずりが止むことがある、と聞いたから。
 結果、ぐずりは止んだのですが、こう、口の片方の端っこをちょとあげるだけの一瞬の、含みある笑いをいただきまして、さらに視線を外されちゃったりして、立ち直れなーい!
 ぐずりは止まったんだから目的は達したんですけどね。
 なんかちょっと寂しいっていうか、切ないっていうか(笑)

1月8日(月)

 数年前、成人式を迎える娘を持つ叔母が振袖を貸して欲しい、と言ってきました。
 わたしは早くに結婚したので数度しか袖を通せませんでしたから、最初に聞いたときは、着ていただけるなら着物も本望だろうと思ったんですね。なによりわたしの振袖を気に入ってくれていればこそのことでしょうし。でも、
「(娘は普段和服を)着慣れないでしょ? どうせ汚すだろうから、あらためてレンタルしたり買ったりは、もったいないのよ。借りるので十分かと思って(笑)」
 というお言葉に
「ごめんなさい、お貸しできません」
 気をつけていたのだけれど汚れてしまった、であれば仕方がないけれど(貸す上はその程度の覚悟は必要だと思ってる)、汚すのが前提ではとても貸せませんって。
 振袖を親族から借りるのはいいことだけど、「汚してもOK! しかもタダ!!」っていうのはちょっとなあ……(苦笑)
 結局従妹は振袖をレンタルしましたが――彼女によく似合っていました。やっぱりその人のために選んだ品が一番だよね――その翌年学生結婚いたしましたので、ベストな選択だったのではないでしょうか。
 叔母はその後「けちっ」と方々で言いまわっていたようですが、タダで済まそうとした人に言われたくないなあ、と当時は思ったのでした。
 だけども今にして思えば、叔母上は従弟の結納やらなにやらで物入りでしたから、言葉の端っこ捕まえて(結果として)意地悪を言わなくてもよかったんだよなあ、とか……ちょっと反省してます。たぶん冗談だったんだろうし。
 貸出しを希望する親族の中には、袖だけでいいから少し詰めたい、などと言ってくる人もいたことを思えば、叔母上の冗談は随分控え目なものだよね。
 むしろ袖を詰めたいと言ってきた人はかなり本気っぽかった。というか、その後は譲り受ける気満々だったと思う。間に合えば、ほどいて仕立直すって言ってたから。
 さて、そんなこんなで未だに振袖のまま箪笥にしまわれている振袖。
 赤さまも若さまだったので、えー、どうしたもんでしょうね。
 結婚を期に振袖の袖を留めるから「留袖」なんだけど、留袖も色留袖も、今は別に仕立ちゃうからあらためて袖を落とす機会ってなかなかないんだよねぇ。そもそも総柄に近いから、留袖にできようはずもなし。でも訪問着として着るにも柄行が訪問着にしては派手濃いので、友だちの結婚式くらいにしか着てゆけないし。……まさに、箪笥のこやしと化しております。
 あっ、でも今年は着る機会が何回かあるかもしれないんだ!
 袖、留めようかな。

1月7日(日)

 手伝ってもらって嬉しいことは何? と旦那に問われました。
 赤さま関連は「親としてやって当然」だそうなので、それは手伝いには含まないのだそうですが、こうした休暇のときに家事にどこまで手を出してよいのか迷うんだそうです(家事の手伝い《≠分担》は家族として当然ではないらしい/笑)
 半端に手伝ってくれるのが一番厄介なので、やるなら完遂してくれるとうれしいと答えると。
「俺としては毎回完遂してるつもりなんだが」
 ……? ? ? !
「そういうことかー!」
 という感じで納得。
 たとえば。
 洗濯物を分類する、洗濯機を回す、洗いあがったものを干す、乾いたものを取り入れる、畳む、クロゼットに片付ける。
 これらの一連の作業は、(わたしの中では)洗濯というひとつの仕事を構成する作業項目なんですね。
 で、わたしの「完遂」は「仕事」の完遂なんだけど、旦那の完遂は「作業」の完遂なわけ。
 台所の洗物も、食器の回収、洗浄、拭く、食器棚に片付ける、でひとつの「仕事」
「そういうことかー!」
 解説すると旦那も同じアクセント、同じイントネーションで反応。
「ということは『洗濯』するなら、六つの作業をこなせ、と?」
「足りないならアイロンかけってオプションもつけるけど」
「満足です」
 ちっ、最初から七つの作業って言っておけばよかった(笑)

1月6日(土)

 初詣に行く予定でしたが、あいにくのお天気で中止。
 赤さまと一緒なので、人の多い時期を避けて詣でたかったのですけれど、このお天気(みぞれまじり)ではしかたがない。
 松の内に行けたらいいけれど……ちょっと難しいかな。
 まあ、気持ちだから(そういうことにしておく)

1月5日(金)

 もう初節句の話がでています。
 マンション暮らしなので場所をとるものはいりません。
 じゃあ何がいいの、と母が尋ねてくれたので、考えてみました。
 太刀:ある
 弓矢:ある
 甲冑:邪魔
 のぼり:邪魔
 馬:無理
 ……
「あー、陣羽織とか」
 洒落のつもりでしたが、母はやる気満々に。
 反物を買いに行くと聞いて、ちょっと後悔しています。

1月4日(木)

 実家へ新年の挨拶に行きました。
 初っ端、応接間に入ると同時にあまりのたばこ臭さに「うへぇ」
 心なしか空気も白っぽく見えて、換気を提案したところ、
「あんたたちが来るからと思って、今吸ったから」
 来るから吸ったんですか? と思いつつ、おそらくは「来る前に吸っておこうと思って」と言いたかったのだろう……ここは赤さまの滞在中だけでも吸わないでおこうとしてくれた心遣いに感謝すべきか、などなど、あれこれ考えながら換気をし、たばこの臭いが完全に消えてから、あらためて赤さまと旦那の入室。
 楽しく喋って食べて、およそ三時間が経過。
 持参した替えのおむつもなくなって、これ以上は赤さまが疲れちゃうからごめんね、と退出しようとしたところ、
「疲れたなら寝かせておけばいいじゃない」
 ……いや、そういう話じゃないんだけど(苦笑)
 この世に生まれてまだ六十日しか過ぎていない赤子ですよ、本来ならまだこんな長時間の外出自体、勧められたものじゃないんですから。
 子育てのときのことを全く忘れているのか、そもそも子育ては人任せだったのか、ますます疑問を覚える本日。
 わたしに乳母やがいた記憶はないんだけども。
 ありがちなのは、わたしや赤さまが実家を訪ねることは、母にとってはあくまでも「帰宅」であって「外出」ではないのかもしれないなあ。……それも微妙だ。

1月3日(水)

 育児記録をつけています。
 体温、授乳や排泄が何時に何回あったか(授乳の場合はその時間も)、睡眠時間はどのくらいか、といった記録です。
 でも旦那がおむつを替えると記録してくれないうえに、いつ替えたかを訪ねても「わからない。忘れた」
 だから長期休暇で旦那が在宅していると、記録は回数だけの曖昧で適当なものになってしまいます。
 そういうことでは困るなあと思い、今日は記録をする理由を説明したんですね。
 お医者にかかるときに、平常とどの点でどう違うのかを正確に伝えられるでしょうって。
 旦那はどうも「盆栽の観察日記」程度に考えていたみたいで、記録をつけるのは趣味でやってることだと思っていたんですって。
 ……趣味とはちょっと違うかもー。
 もちろん今後は協力してくれることになりました。
 言わなくてもわかることも最近では多いけど、わかってもらうためにはまず働きかけが必要で、働きかけなくてもわかってもらえたときには感謝しなくちゃいけないんだってこと、あらためて認識しました。

1月2日(火)

 焼餅は食事かおやつか?
 昼食は? さっきお餅を食べたでしょ、の会話で発覚。
 主に大根おろしにあえて食べるわたしは食事だと思うんだけども、砂糖醤油で食べる旦那はおやつだと思うみたいです。
 だから「何をつけて食べる?」というわたしの問いに「砂糖醤油」と応えた時点で、お餅は「おやつ」であとで食事があると思ったんですって。醤油タレに海苔巻きや大根おろしで出されたら、「これが昼食代わり?」と確認したんだとか。
 たとえば餡や黄粉だったらわたしもおやつだと思うけど、お餅をおやつに食べた後で昼食っていうのはちょっと無理かも。そもそもお正月に三食作る習慣がないしなあ。
 そういえば旦那はおせち料理をおかずに白いご飯を食べる人なんだけども、これもわたしの目には不思議な習慣だと思うのでした。
 でも、おせち料理をおかずだと考える旦那には、おかずだけを食べるわたしの姿は奇異に映るようです。
 わたし的にはおせち料理はどちらかというと酒肴(数の子や田造りは最高のつまみですよ)に分類されるので、肴とご飯ってのはどうも……むしろ欲しいのはお酒かなー。
 今さらながらに互いの差異を確認し、新鮮です。
 こうして考えると、ほんと、この十年はいったい何を見ていたのかと……仕事か(笑)

1月1日(月)

 あけましておめでとうございます。書いているのは15日朝。
 サイト運営先行きが思われる始まりですが、本年もよろしくお願い申し上げます。
 さて、元日は今後のお正月の過ごし方を旦那と談義することから始まったのでした。
 結婚してからは十年、一緒にお正月を迎えているのですが、最初の八年はお互い仕事に忙しい年末を過ごしていたので「お正月=長期休暇」で、旅行だったり、ごろごろしたりのお正月らしからぬお正月でした。
 次のお正月は喪中、翌正月が昨年でわたしは職場に復帰してしまっていたので、やっぱり「お正月=長期休暇」
 ですがこれからは、赤さまのためにそれなりにお正月らしいお正月の過ごし方を心がけたいねぇ、ということから始まった談義でしたが……。
 お正月の過ごしかたって家ごとの違いが大きいんだなって思いました。
 うちは三日には父の部下や取引先の方がお年賀のご挨拶にいらしていたので、初詣から帰った元日と二日午前中までがお休み。その間に書初めしたり歌留多をやったり、双六に羽根つきと忙しくお正月の遊びに興じました。だからいつもより早起きだったかもしれない。
 五日を過ぎると少しゆっくりできて、親しい親族と互いにお家を訪ねあって、という感じだったかな。
 長じてからは友だちと初詣(家族で詣でているから実は初じゃないんだけど)に行ったりも。
 でも旦那のお家にはまた違ったお正月がありまして。
 そして今の我が家も双方の実家とは異なる環境、状態にあります。
 わたしたちもこれから我が家らしいお正月を見つけてゆきたいねえ、と落ち着いたのでした。