今年も今日で終り。なんだか慌しい一年でした。
年始から復職して、四月から復学して、同じ頃妊娠がわかって、そこから先はあっという間に年末でした。
……サイトのお話はまるで更新できなかったので、これももっとたくさん書きたかったー。
来年はもう少し落ち着いて日々を過ごせるようにしたいな。
毎週末更新していた一昨年くらいのペースに戻せるように頑張ります。……まずはひと月に一回の更新を目標に(笑)
おせち料理を母が作ってくれたので、旦那に取りに行ってもらいました。
わたし、おせちは母の料理が一番好きなんです。
特に黒豆、田作り、千枚漬けは絶対に譲れない(笑)
今年は家にいるから自分で作ろうと思っていたけれど、赤さまがいるとなかなか纏まった時間がとれなくて。
うれしかったな。
わたしが赤さまと一緒におせち料理を作れるのは何年後かな。
旦那の赤さまのお世話にはまだまだ難があります。
赤さまのおむつ換えに手間取って、赤さま噴水→着衣が濡れてお着替え×2とか。
赤さまのおむつがカバーからはみ出していて、着衣びしょぬれ、お着替え×2とか。
赤さまを抱き上げるときに、水平に抱き上げられなくて頭がさがるから、赤さま吐き戻してお着替え×2とか。
昨夜なんか寝る前の数時間で四回もお着替えですよ。
そんな感じで旦那がお休みのときは、もう、赤さまの洗濯物が増えて増えて(赤さまにとっては着替えの回数が増えて増えて)、いい加減にしてくれと思うこともあるんです。
でも、叫びながらも楽しそうに頑張っている姿を見ていると、悪くないなあと思うのです。
「だけどこいつ、こんなこと、きっと覚えていないんだろうなぁ……寂しい」
そういう旦那はきっといつまでもこういうことを覚えていてくれるでしょうから。
大きくなって知った口をきくようになっても、父親のおむつ替えにめそめそしていたころの赤さまを思い出せれば、彼も我が子をライバル視しなくて済むように思いますし。
親が子を競争相手のように思ってしまうと、ほんと、関係が難しくなるからねぇ……(しみじみ)
大物ベビーグッズは長期間使えるものを選びました。
具体的にはチャイルドシート兼用ベビーシート(7歳ごろまで)、ベビーチェア兼用ベビーラック(チェア使用で4歳ごろまで)、ベビーベッド(2歳ごろまで)、ベビーカー(2歳ごろまで)ですが……。
生後二ヶ月にして、すでにおさがりの予約が親類から入りました。早い。
でもこれらをおさがりで貰った友人では、諸事情により
「結局買いなおした」
人が大多数を占めるんです。
主な理由は、古くなっていて使えなかったり、新しいもののほうが勝手がよくなっていたり、といった感じ。
「すごく素敵だったから子どもが生まれたら絶対欲しいと思ってたんだけど……」
ベビーと一緒にグッズも歳をとるんですよね。生まれたてのベビーと一緒にみるベビーグッズはどんなものも新品できらきらしてて素敵なんだけど(笑)
だから4,5年後使い倒したこれらを、彼らが本当に欲しいと思うかは、まだ未定。
場を盛り上げるためのお世辞も多分に含まれているでしょうし、特に返事も求められなかったので、こちらもあえて返事はしないでおきました。
でも、おさがりとして欲しい品がまだ使用期間中だったらどうするんだろ。
まさか「約束したんだからちょうだい。ダメならお祝いで新品でもいいよ」てなコトにはならないとは思うけど。
まあ、約束は約束だからそれはおさがりであげちゃって、改めて年齢に適した新品を買うのでもいいか。
布団がふっとんだ、という駄洒落がありますが、本日我が家の布団は強風にあおられ吹っ飛びました。
風が強かったので飛ばないように気をつけなければとは思っていましたが、まさか本当にふっとぶとは思いもしませんでした。しかも敷布団が!
布団が飛び立つ瞬間を目にしたのも初めてです。ももんが降下する布団を見つめて、マジで肝が冷えました。
今は「事故にならなくてよかった」の一言。
高さがあったことも影響し、結構な距離を飛んでいってしまったのですが、親切な人に回収も手伝っていただけてうれしかったです。
回収までの二分半で布団は数箇所を轢かれましたが、汚れ以外には目だった損傷もなくこちらも助かりました。
客用布団だったことも幸いしたかな。すぐに使う予定はないので週末クリーニングに出すことにいたします。
赤さまグッズのおさがりをくれようとする人がいるのですが、ちょっと微妙。
たしかに「短い期間しか使わないから何から何まで新品で揃えるのはもったいない」と考えるのもわからなくもないんですけど。
短い期間だからこそ、わたしの選んだもので楽しみたいんですよねぇ。
頂いても使わないとなればゴミにしかならないし、後になって「次子が生まれるから返して」と言われる可能性を思うと捨てられないし、そうじゃなくても「わたしがあげたアレ、使ったらいいんじゃない?」とか、そういう会話になると面倒なんだけどな。
結構です、とお断りしても、遠慮していると思われるのか「何枚あっても無駄にはならないから」と(苦笑)
あああ、思いっきり無駄になってるんです〜(涙)
わたしは一人っ子なので「おさがり」に慣れていないからかもしれないのですけども、身につけるものも身の回りのものも、基本的には「その人だけのために」用意したいと考えるので……ご親切は身にしみながらも、示される善意を持て余すこの頃です。
まあ、うん、もったいないとは思うんだよね。短期間しか使わないからほとんどが「美品」。捨てるのもなんだから使ってくれる人がいれば是非活用してほしいという気持ちは察してあまりありますしねぇ。
お付合いって、どこまで自己都合(その人のために用意したい気持ちや無駄なものを保管する手間)を相手のために抑えることができるか、が鍵になるのかもしれないな。
……それなら「あげたい欲求」も適度に抑えてくれー!(笑)
ぐする赤さまを上手くあやせずどうしたものかと途方に暮れかけたときでした。
「ふゃいやいやいやん!」
何事かを訴えながらわたしの胸を小さな手でぺしぺし叩くんです。そのあまりに一生懸命な姿についつい笑ってしまいました。察し悪くてごめんね、とも思うんだけど、可笑しさのほうが先に立つ感じ。
結局抱かれ心地がイマイチだったようで、姿勢をかえて抱きなおしたらすやすやと眠ってくれたので、わたしもほっと一安心。
やあ、なんだか赤さまとの時間が面白くなってきましたよ。かわいいと言うよりは興味深い。見ていて飽きない。
ただ抱いていると大人しいんだけど、ベッドに下ろすとぐずるので肩や腕の筋肉を休める暇がありません。冷たいゴムの塊が筋肉の中に入っているような痛みで、激痛というのでもないんですが、ずーっと痛い。腱鞘炎も併発気味。腰痛はもはや我が身の一部です。
これが仕事なら痛み止めを飲むとか消炎剤を塗るとかするんですけど、……痛み止めはまあダメでしょうが、消炎剤は塗ってもいいのかな。あまりに酷くなるようなら、病院に相談に行こうと思います。
とはいえ、首も据わり始めているようなので、もうしばらくすれば抱っこも多少ラクになるんじゃないかと……ほのかに(本当はかなり切実に)期待中。
去年のクリスマスイブは日付変更線を越えて働いていました。職場の友人には
「八仙花さん、旦那さんのこと放っておいていいの?」
旦那には
「あーあ、せっかくのイブなのに」
などと言われ、わたしだって好きで深夜残業してるんじゃないやい、と思ったものでした。そして
「イブは来年もある。仕事は今日中に片付けなくちゃならん」
と自分への言い聞かせも兼ねて返答いたしました。それで「フリーズドライ」だの「乾物」だの言われたわけですが。
思えば二人きりのクリスマスは去年が最後だった……。
今年からしばらくは、二人でディナーに、なんてことも難しいわけで(預けるって手もなくはないんだけど、遊びにゆくためにそうするのはどこか落ち着かない)。
つくづく未来の不確かさを思い、「今」を大切にしなくてはならないと考えるのでした。
今年から数年はイベントのほとんどを自宅で家族と過ごすのですが、こういう時間にもやっぱり限りはあるので今を大事にしてゆきたいです。
これからの一年は特に、全てが「三人で迎える初めての」イベントなので、ひとつずつ大切にできたらいいな。
何の気なしに食べたいと言ったケーキを旦那が買ってきてくれてうれしかったです。
母乳育児なので食事には気を使うことが多いのですが、なにも嗜好品の全てを断つ必要はないか、と。お酒は我慢してるんですけど(アルコールが抜けるまでミルクにすればいいのですが調乳が手間。飲酒の快楽<調乳の面倒という感じ)、乳製品やお菓子は気の向くままに食べてます。香辛料も使うし。
そういうことでケーキも美味しくいただきました。明日はクリスマスケーキも食べる予定です。
なんでもそうなんだけど、完璧を求めるとダメになりやすいっていうか……楽しみながらできる範囲でやるほうがわたしには向いているみたい。
あれはダメ、これもダメ、それもダメ、と抑制が続いたり、絶対にこうしなくちゃダメ、と行動を限定されると、すっかりやる気がなくなっちゃうんです。ストイックな暮らしに喜びを見出すタイプじゃないから(笑)
でも「制限」を「推奨」に置き換えると、結局ほとんどそれに従っていたりしてね。
子育て仲間には、布おむつに母乳育児なんてよく続くねぇなどとも言われるけど、頑張り過ぎないのが続く理由かも。
まあ、わたしの場合、ミルクの調乳や使い捨ておむつを捨てに行く手間よりも、母乳や布おむつのほうがラクだってところに端を発しているのも続く理由だろうけれど。
だって、これを止めたらもっと面倒くさいことになるものー。
「a」と「e」、「i」と「y」を混ぜたような音と「n」と「f」で赤さまが何かを喋って(?)います。
無理やりひらがなで書くと「あえあえあえあえいあいあやー」とか「いあいあえあや?」とか「ふぁやいゃいゃん!」とか。
不思議なことに「u」「o」は、おしゃべりの中ではあまり聞きません。赤さまの中で何か決め事があるのかも。
おしゃべりはわたしが「うん、うん」と聞いている間ずっと続きます。その一生懸命な様子は適当な相槌をうつことが躊躇われるくらい。
いつか言葉を話すようになったら、あのときなんて言っていたの、と訊ねたい。きっと覚えてはいないのだろうけど。
母が赤さまにと用意してくれるものはことごとくわたしの趣味に合わなくて苦笑いが続く日々です。
なんていうんでしょうね……宴会用の着ぐるみみたいなのとか、カバーオールというよりも全身タイツみたいなのとか。もじもじ君か!(懐かしい)と思うようなものもあり。自分で購入するのは馬鹿馬鹿しいので、洒落で一着二着なら面白いと思えるんですけども、「シリーズ全5着、全4シリーズ」というような勢い。
それも「ネタ」じゃないんですよ、本人、至極まじめに買ってきてくれるの。
母「きっと可愛いと思って!」
八「……あー、うん」
使えないものが増えるのは収納の無駄なんだけども、まさか「いらない」とは言えないし、さすがに捨てるなんてできないし、仕方がないから押入れに直行です。
一体このセンスはどこから来るんだろう、と押入れにしまいながら毎度思っていたんですが、どうもこれ、一族共通みたいです。
今日伯母から着ぐるみが届きました。昨日は伯父から届いています。
……わーい、うれしくて涙がでちゃう。
産後ひと月と半が過ぎて外出する機会も増えました。
そして面白いことに気がつきました。わたしへの言葉がね、二通りあるんです。
ひとつは「元気そうだね」とか「幸せそうだね」とか「楽しそうだね」系。
もうひとつは「疲れてる?」「大変そうだね」「辛くない?」系。
同じものを見ていても、人によって見える像は違うみたいです。
わたし自身は「少々疲れながらもおよそ元気で、幸せなりに大変で、辛いこともあるけれど全体としては楽しい」のでどちらも間違いじゃないと思います。ただ、感触として
・ 元気で幸せで楽しく暮らしている人は前者
・ やや疲れ気味で大変なことを抱えてて少しばかり辛い思いをしている人は後者
という感じを受けるかな。見るものに自己が投影されてる……いや、自己の中にあるものと通じるものに聡くなるというほうがしっくりくるのかも。
楽しいときは相手の楽しさもよく感じられて、辛いときには相手の辛さもよくわかる。
そんなの当たり前のことだけど、あらためて考えると人の心って奥が深い。
模様替えを考えています。
家族が増えると暮らしも変わる、暮らしが変われば物の要不要も変わる、ということで、リフォームに近い、かなり大々的な模様替えになりそうです。
家具もいくつかは処分して新しいものに買いかえる予定。
こういうとわたしの母なぞは、必ず「もったいない、まだ使えるのに」と言います。しかし一見使えるように思えても、実際に使わないものは使えないものとほぼ同義。
そう、母とわたしではたぶん「使える」の定義が違うんですね。
わたしにとって「使える」は「有効に使うことが可能」なんだけど、母にとっての「使える」は、おそらく「使うことも不可能ではない」なんだと思います。
可能である、と、不可能でない、の間には大きな溝があるので、こういう話になるとどこまでいっても並行線。
たとえば使っていないダイニングテーブル。わたしは今の生活で使っていない以上、使えないものと考えるので処分対象になります。
でも母は、せっかくダイニングテーブルがあるのだから、それを使う生活にするべきだ、と考えるんですね。
暮らしにあわせてものを替えるか、ものに合わせて暮らしを変えるか、という違いなのかもしれません。
わたしも本音としてはできるだけ活用したいとは思うんですけどね。リサイクルショップに売るほどのものでもない以上、処分するより他はないですし。
捨てなくてもいいように購入時に吟味すべきだとも思いますが、購入した十年前といまとでは、家族構成に住まいと異なることが大きすぎ(笑)
家具にあわせて住み替えて、赤さまを里子に出すなんてことはできないので、ここはさっくり家具を処分することにいたします。
っていうか、人の家の間取りやら物品やらを指導しようとするあの性分は本当になんとかならんものかねぇ……。
昨日でやっと赤さま誕生に行事(?)がひと段落。
ほっとしています。
このごろは赤さまのぐずぐずの理由も察しがつくようになって、少しずつリラックスできるようにもなりました。
そのせいか、ちょっと疲労感も覚えることも増えているのですが。
渦中にあるときは「疲れた」だなんて言っていられないことを思えば、渦中は脱したとも考えられますしね。
疲労感もそう思うとありがたい(笑) かもしれない。
赤さま優先でご機嫌ななめだった御猫さまにお仕えする時間も確保できるようになってきて、少しずつではありますが、「日常」が作られていっているように感じます。
本音をいうと、もう少し遊ぶ時間が欲しいんだけど、ま、どこからか捻出できるようになると思います。
……むしろその前に、勉強する時間を作らないと。今年度は留年必至なんだけど(笑)
義弟夫婦が赤さまの誕生祝いに訪ねてくれました。
一年くらい前は、義妹と「(子どもは)一生いらないと思ってるわけじゃないけど、今はまだ子育てって気持ちにはならないんだよねー♪」「ねー♪」と話していたので、
「八ちゃん、これには一体、どんな心境の変化が?」
「……えー、変化というよりはナリユキ?」
そんなやり取りが会話のはじまりになりました(笑)
でもうちが子持ちになったことで、弟夫婦が「マゴマダ攻撃」の次なる標的にされたようです。
わたしは「そういうことは神さん仏さんのお導きしだい(わたしのせいではない)」とか言ってスルーちゃっていたけど、義弟やその嫁さんはわたしより優しくて細やかな心の持ち主なのでプレッシャーにならないか、ちょっと心配です。
迷う人にとって子どもを持つという決心は、人に言われたからといってできる類いのものではありません。だから「まだかまだか」とせかしたところで効果は薄い。それどころか、逆効果ってこともあるんですよねぇ……。
だけどうるさく言わなきゃ孫は一生抱けないかもしれないじゃない! っていう人には、可愛い我が子を追い詰めて苦しめて虐げてまで孫に固執するべきなのか、よく考えて欲しいです。
むしろ「子どもは持たない」という決心を二人がするのなら、その決断を信じて受けとめるのが家族なんじゃあないかと。
まあ、言う側にとっては「子供ができれば将来的には感謝するに決まってる!」なんでしょうけどねぇ……本当に「決まってる!」かどうか、希望や願望、感情とは別に、じっくり考えてみてほしいと思います。
そんなこんなで難しい立場にある二人ですが、はじめての「甥」をとても可愛がってくれてうれしかったです。
赤さまへの夢中っぷりを見ていると、二人ともたぶん、子どもは好きなのだと思います。今は子どもより好きなことがある、というだけなら我が家と同じくナリユキしだいで子どもを持つことになるだろうし、ホント、外野は黙ってろ!(笑)
楽しくて楽しくて、あっという間に時間が過ぎてしまって気がつけば外は真っ暗。
良い時間が過ごせて幸せでした。
わたしたちに訪れた偶然の変化が、必然的圧力となって心優しい二人の人生を曲げてしまいませんように。
元勤務先に出産報告に行ってきました。
久々に友人たちにも会えて、うれしかったです。
赤さまも皆さまに紹介できてよかった。
もうちょっとゆっくりお話ししたい人もいたのだけれど、忙しい時期のこと。仕事の邪魔になってしまってはいけないので、欲張らず、会えたことを喜んでおこうと思います。
これが最後じゃないんですもの。
やー、なんか久々に身内以外の人と話ができて、それだけでも楽しかったな。
うわー、こうして考えるとほんとに世界が狭くなってるー(笑)
まあ、しばらくはこれでいいか。
などと思えるのも、変わらないでいてくれる友人のおかげだね。
年明けには家に遊びに来てくれるので、……新年会とか企画してみる?