Diary

11月15日(水)

 自宅で数日を過ごして、赤さまの日常生活に不足しているものがいくつかあることに思い至りました。
 リストアップしてみると、「なくても不都合なくやってゆけるけれど、あったほうが断然快適」という類いのものが特に多いです。
 出産前は、この程度あれば当座は大丈夫だろうと思っていたのですが、当座、欲しいものがこんなにあるなんて〜、という気分。
 いやはや、実際に生活を始めてみないとわからないものですね。
 今はネットで不足品のほとんどを揃えられるからよいものの、これがも少し前のことだったら結構大変だったかも。
 わたしは外出(したいけど)できないし、旦那はわたしが何を欲しがっているのか今ひとつぴんと来ないみたいだし。もちろん赤さまに関わる時間が増えるに従って、そのうちわかってくれると思うんだけど、「そのうち」じゃ遅いわけで。
 ネットのありがたみをあらためて知る本日です。

11月14日(火)

 21時から0時まで仮眠、0時起床〜赤さまのお世話、身支度、趣味、朝食の支度、朝食、洗濯、お掃除〜10時頃からお昼寝、昼食後は夕食の支度までの間、赤さまのお世話をしつつ自由時間、というのが基本的な生活リズムになりそうです。
 深夜と昼下がりに自由時間というのはこれまでにはないパターンなのですが、どうにか馴染んでゆけそうな気配。
 赤さまをあやしながら執筆ってのも、そのうち可能になるかもしれません。
 今のところ覚え書からプロットを起こすだけで精一杯ですが(笑)
 勉学のほうも、まあまあ順調です。発達心理学実習、といったところかな。
 楽しくやってます。

11月13日(月)

 毎朝母から電話があります。徹夜明け、寝入りっ端なので辛いです。
 本日堪らずそのことを告げると、「えっ徹夜だったの? どうして? 早く寝なきゃ」とのお応え。
 ……わたしは夜は早くに寝付いて朝まで起きない扱いやすい赤ん坊だったんだろうか。素晴らしいな、わたし(ありえない)。
 ところで現時点では家事も普通にこなせてまして、いや、正直なところ、以前よりマメに家事に精を出しているかな。
 とにかく赤さまが寝ているタイミングでないと炊事も洗濯も掃除もできないわけですから、「ま、後でいいか」が使えない。結果として家事もはかどるという具合。
 家事に関してはどこまでも大雑把で適当なわたしには、赤さまはよい重石になってくれているように思います。

11月12日(日)

 今日はお宮参りの予約をいたしました。
 わたしは当初、氏神様を家族三人で詣でるつもりだったのですが、イベント好きの母がそれでは納得しなくて(苦笑)
 ご祈祷していただくことには否やはないのでそういうことになったのですが、盛装(もちろん和装)でその後祝膳を、などとも言い出したので頭が痛いです。
 伝統やしきたりを重んじるのもよいのですが(こんなときでもなければ伝統を振り返る機会もないことですしね)、産後ひと月足らずのわたしの体調や赤さまのはじめての長時間外出であるということも、是非慮っていただきたいものです。
 あまつさえ、氏神様ではなく当地の某有名処に参るのだとも言い始めています。氏神様なら車で10分弱の移動で済むけれど、某有名処は移動時間は3倍以上になってしまいますから、これはもちろん却下いたしますが。
 ……母の頭の中には「お宮参り」というイベントだけがあって、その目的や意味を思う余裕はない感じ(ため息)
 お宮参りに気張って母子ともに体調を崩した場合でも、むしろ喜んでお世話に通ってくれるとは思うんだけど、……健康って世話をするしないの問題じゃないからなあ。

11月11日(土)

 久々に怒涛のおしゃべりから解放されて、のんびりとした昼下がりを過ごすことができました。
 ありがたやー。
 で、昼過ぎに、昨日旦那と一緒に講習を受けた「赤さまの沐浴」に挑戦。
 それなりに上手くできたと思います。
 ただ旦那の赤さまを抱く手付きが危なっかしくて、時折ヒヤヒヤいたしましたが。
 まあ、1週間だけとはいえ、わたしのほうが先んじているから仕方がないんですよね。
 旦那のあの危うさは1週間前のわたしの危うさで、つまり1週間すぎれば今のわたしと同じくらいになるってことだもの。
 そういえば病院でも数日先輩に「わたしも一昨日はそうだったよー。だから大丈夫」なんて励まされたなあ。

11月10日(金)

 退院でした。
 母は病院の玄関でスタッフ一同のお見送りの中、「おめでとうございます」とか言われながら花束の贈呈でも受ける気でいたみたいで、「お世話になりました」「お大事になさってください」の退院に
「……これだけ?」
 と肩透かしを食らった模様。これが普通だと思うんだけどな。
 だから総合病院じゃなくて産院にすればよかったのに、と言っていましたが、なにが「だから」なんだか。
 産院なら花束贈呈にスタッフ全員でのお見送りが標準なのでしょうか。
 ……ううむ。これはもう好みの問題だと思うけど、それが産院の標準だというのなら、わたしはここにしておいてよかったと思ってしまう。
 だって感動を演出されると、わたし、却って醒めてしまうんだもの。ドラマチックなシチュエーションは、どうも現実感が薄くなってしまって感動が遠のいちゃうんです。お芝居の中に居るみたいな感じで。
 素敵だなって思うんですけどね、ひとさまのそういうシーンは。
 だけど、自分はダメだー(笑)
 さて、1週間ぶりに帰った我が家。やっぱりよいです。
 1週間しか経っていないんだけどもっと離れていたような懐かしさと、一昨日も昨日も居たような安心感の二つを同時に覚えながら、のんびりと過ごしています。

11月9日(木)

 明日の退院のための服を旦那にいくつかコーディネートしてもらったのですが、及第点には至りませんでした(笑)
 そうたいした服でもないんですけれどね。
 エレガントなトップスならそれをある程度中和するカジュアルなボトムスをあわせる、とか、そういう匙加減ってあるじゃあないですか。そこがまったくない。くどい程エレガント、カジュアルというより作業着、のような極端なコーディネートで実に笑えました。
 同時に「ははあ、わたしはこれまでかなり気を使って着衣を選んでいたんだが、その辺、見てもいなかったんだなあ、君は」っぽい気分にも。
 もっともわたしも旦那のためにあれこれ考えていたわけでもないので、そこは相殺か。
 明日にはもう不要なものを旦那に持って帰ってもらい、病室は随分すっきりしてしまいました。
 退院は嬉しいのだけれど、とても居心地の良い環境だったので、もう少しここに居たいような気持ちも覚えます。

11月8日(水)

 仮眠の連続でも睡眠は足りるものだなぁ、と思う本日。
 1時から4時にかけて2,3回の授乳。それでも5時半には目が覚めて、身支度整えて、6時半にまた授乳。
 7時からは朝食で、8時には赤さまを検診に預けて、9時に回診、その後順番を待ってシャワー、軽く仮眠をとって11時半ごろ、赤さまを迎えに行き授乳、昼食後は15時まで仮眠。
 本当はもう少し寝たいんだけど、母が来るので(笑)
 たぶん明日もわたしの睡眠時間を削りに来るはず。当人は退屈な入院生活を紛らわしてくれているつもり。
 ま、15時から20時までの5時間に、2〜4回の授乳を挟むので、纏まって眠れるわけじゃないですしね。
 ただ、18時ごろには旦那が来るので、その時間以降はできれば席をはずすくらいの気遣いがほしいとは思う。
 今後の手続きやらの相談もあるし、と。
 それに赤さまとわたしたち、親子水入らずで過ごす時間も欲しいじゃあないですか。
 そういうことで本日は18時に母にご退場願ったわけですが、「わたしとだって親子じゃないの! 仲間はずれにするなんてプンプン」てな感じで拗ねておりました。や、まあそれもそうだけど、この場合、ちょっと違うんだな〜(笑)

11月7日(火)

 深夜の授乳室通い。
「頑張ってるねー」と助産師さんに言われて「皆さんこんなものなんじゃないですか」と驚くと、ミルクを作りながら「そういう人も少なくはないけど、だいたい2時前ごろに音を上げて、新生児室に赤ちゃんを預けに来る人のほうが多いかな〜」とのこと。
 そうだったのか……。それで昨日も今日も新生児室は賑やかなんだ。
 二日目から母子同室、と聞いていたから、毎日こんなに生まれてるんだ、と思ってた。
 だって日中授乳室を訪れると、この二日、いつも陣痛室や分娩室のほうはとっても忙しそうだったから。
 ……。
 ただ、そうは聞いても赤さまを預けるのがもったいなくて。
 それに8時に赤さまを検診に預けてから11時半のお迎えまでの時間に、上手くゆけば3時間くらいの纏まった睡眠が得られるので(しかも看護士さんや助産師さんが見ていてくれているから安心して眠れるし)、他は仮眠でも結構いけるように思うんですよ。
 無理をしている感じも今のところないし。
 そういうことで、辛くなったときにはどうぞよろしくお願いします、と応えたそのとき。
 母子同室初日の、まだ少女のように愛らしい(見目も掛け値なしに可愛いんですよ、この方)ママが
「看護士さ〜ん! 赤ちゃんが泣きやまないよ〜、助けてーっ」
 と半泣きで授乳室に飛び込んできて、ふと駆け込み寺にでもいるような気持ちになったのでした。
 さすがと思ったのは、全身で泣いているその赤ちゃんを、10秒足らずで落ち着かせた助産師さんの技!
 わたしも身につけたーいっ

11月6日(月)

 夜中1時間半から二時間おきに赤さまはお目覚め。お食事をお求めになります。その都度、授乳室にご案内〜。
 これじゃおちおち寝られんがな、と思ったんですが、この分なら日中は割りと寝ているんじゃないかと思いなおし、
「それなら赤さまと一緒に寝起きするさ。どうせやることもないんだしー」
 と。そう考えると特別辛いことでもなさそうなので(昼夜逆転はあまり得意じゃないけど1ヶ月くらいの短期集中ならなんとかなる、たぶん)、深夜の授乳室通いを楽しんでいます。
 一応「授乳室」という名称なんだけれど、24時間助産師常駐のサロン(フリードリンク制)のようになっていて、居心地がとてもよいことも辛さを覚えない理由かも。
 助産師さんには抱き方やおむつの替え方、着替えのさせ方、ミルクの飲ませ方、げっぷのさせ方、あやし方に寝かしつけの技などを伝授いただけるのも嬉しいところ。
 ただ、その分、日中の赤さまが寝ている時間はわたしも眠りたいのですが。
 これがまた、もうお察しの方も多数いらっしゃるかと思うんですけども、母がやってきてですね、
「あら、(赤ちゃんが)寝てるのなら丁度いいわね」
 なんて感じで喋り倒していったので面会時間の15時から20時まで、結局一睡もできなくて。
 今夜はやけに昂揚した気分です。ドーパミンだかアドレナリンだかが極度に分泌されてる感じ(笑)

11月5日(日)

 思いのほか元気です。
 昨日の午後は若干貧血ぎみだったのですが、それでも普通に歩行できましたし。今日はもう「平常」という感じ。
 食欲も旺盛で、三食+おやつを完食。お昼前にはシャワーも浴びて気分爽快。
 午後からは赤さまとも同室で、ほんわかとした気分を楽しみました。
 だからどうして「ムリをしちゃダメよ」と母がわたしをベッドに寝かしつけようとするのか、よくわからなくて。
 一度はナースコールを鳴らそうとしたくらい。車椅子がどうのとか言ってたけど、車椅子で介添えつきで手洗いなんて恥ずかしいからやめてーっ 歩けないわけじゃないんだから、と(笑)
 この程度の疲労感なら、むしろ〆日明けのほうがよほど辛いですよ。だって一睡もしないんだもの。昨日は午後から昼寝もできて、なおかつ9時消灯で就寝。赤さまは新生児室だったし。
 さて赤さまは可愛いです。
 まだ自分の子供という実感はありませんが、なにやら小さくて頼りなくて可愛いのが傍にいるのはとてもどきどき。それからちょっと和みモード。
 昨日は土偶だった顔も、赤ちゃんらしくなってきました。いや、たぶん、見慣れただけだとも思うんだけど。

11月4日(土)

 土偶だ、と思いました。色もまた艶やかな埴色で。
 何がって、生まれたばかりの我が子です。
 あまりにも土偶、どう見ても土偶、さもなくば宇宙人。
 それでいて子猫みたいにふにゃぁ、ふにゃぁと胸の上(カンガルーケア)でか細く泣くので、そのアンバランスに思わず吹きだしてしまいました。
 達成感だの充足感だのを味わうほどにも時間がかからなかったので、感想としては「こんなものかー」みたいな感じ。
 以前主治医の先生に「(通常は)妊娠も分娩も自然現象ですから(さほど不安に思うようなことじゃないですよ)」的なことを言われたのですが、まさにその通りだったかな。
 むしろ出産後駆けつけた母との間でカケヒキじみた微妙なやりあいがあって、そっちのほうが疲れました。
 どうして陣痛が始まった時点で連絡しないのよ、わたしは母親なのよ、里帰りもしないって言うし、あんたいったいどういうつもりなの!っぽいことを母は言っていたんですけれどもね。
 出産後、本当は新生児の父(=産婦の夫)しか入れない分娩室にまで入ってきて言う台詞じゃないでしょう、と(苦笑)
 こういう母に、陣痛の最中「ああしたほうがいいわよ、こうしなさい、ほら、こうでしょ、どうしてそうしないの!」を続けられたら喧嘩になりそうじゃないですか。余分な体力を消耗したくなくって。
 そういうことで母が傍らに居るより、そんなことには決してならない旦那が居てくれるほうがわたしにとってはずっと心強いのでした。
 思うにわたしがこうなのは、父第一義の母に育てられたからなんじゃあないのかと考える昨今。
 家を捨てるようにして父と一緒になった母だから、今度は自分たちがわたしに切り捨てられるような気がしているのかも。それが怖くて、わたしを懸命に繋ぎ止めようとしているのなら。
 そんなことは決してしないから安心して、とは言ってやれないところが申し訳ない(笑)
 子は親に倣うものなんでしょう、となら言えるのだけれど(そんなことを言ったら恐ろしいことになりそうだ)。
 きっとわたしの子も、いつか唯一の人を見つけたら、あっけなくこの手の中から発ってゆくんだろうな。だからそれまでの時間を精一杯大事にしたいと思います。

11月3日(金)

 朝からなんとなくお腹が張るような、痛いような感じが断続的に続き、日付が変わるころ陣痛は10分間隔に。
 初産婦は陣痛間隔が5分になるまで自宅待機、と言われていたので馬鹿正直に間隔が5分を切るまで待って4日朝、病院に連絡。
 だって早くから病院に行って、「○時間後にまた来てください」とか言われるのって面倒じゃないですか。出直すことになるくらいなら、ギリギリになってから出かけるほうが二度手間がなくてずっと楽じゃん、と。
 そしたら思いのほかお産は進行していたらしく、入院から二時間も経たず、赤さまは生まれました。
 あっという間のことで、まあ、苦しいこともあるにはあったんですけども、想像よりはよほどラクだったと思います。

11月2日(木)

 旦那がいろいろ気遣ってくれて嬉しいこの頃。
 子どもができてよかったな、と思うのはこういうときです。
 前にも少し書いたけれど、結婚して十年目、実のところ互いに互いを「空気」のように感じている部分もあったと思うんです。
 だからなんていうかな、お互いの存在は背中で確認しつつも、互いを見る時間っていうのは申し訳程度にしかなかったような気がします。意識は外へ外へと向かってしまう。家族とは、もとよりそういうものかもしれませんけど。
 勉強や仕事や趣味、友人、擬似恋愛的な要素を含む幾人かの存在 etc.
 外を見ているときって自分の内面や、社会のもっとも基本的構成単位である家庭を思う時間と言うのんは限りなく少なくて。
 今回、自分自身や家族、家庭と言うものを熟考する機会を与えられ、これはとてもありがたいことだと思いました。
 自己の欠点や短所を新たに知ったり、再確認したり……パートナーの癖や得手不得手。知っているつもりだったことに、思い違いをしていたこと。家庭における互いの役割とかね。
 今は再確認の途中だから見落としていることもまだまだあるだろうけれど、これからも再発見や新発見があるのだと思うと、それにも楽しさを覚えます。
 でもできるなら、これまでの「嬉しい、楽しい」を新しい「嬉しい、楽しい」に置き換えるのではなく、これまでの「嬉しい、楽しい」の上に新しい「嬉しい、楽しい」を重ねたいと思う。
 欲張りかな。
 だけど、こういうことは欲張りでなくちゃ、叶えられないもの。

11月1日(水)

 来週までに生まれていなかったらいくつかの検査を受けていただきます、との担当医師の言葉に「問題でもあるんだろうか」と青ざめる一瞬。そして続いた言葉、
「でも来週だと予定日も過ぎてるし、もう生まれてるかな」
 には、別の意味で青ざめるわたし。
 うわー、いよいよお母さんだよ、どうするよ、どうもできんよ。
 じゃ、なるようになるしかないなら狼狽したって仕方がないか、みたいな。
 そんなこんなで今日ものんびり過ごしています。