Diary

10月31日(火)

 今週末が出産予定日なのですが、今のところそんな気配は微塵もありません。
 こんなものなのかな。
 そういうことでお掃除などをしながら、出産後の生活を思い浮かべてみるのですが……想像できん。

10月30日(月)

 育児休暇を申請するといっていた旦那ですが、納期の都合で育児休暇の許可は下りなかった模様。
 そんなところだろうと思いましたとも(笑)
 毎年、秋は忙しいですから。
 しばらくは一人で頑張るか、と、思ってふと気づいたのですが、これは可愛いのを独り占めできるよい機会なのでは!
 旦那はそのことにはまだ気がついていないようで、ひたすら「ごめんな」を繰返しているのですが、気がついたらきっと「ごめんな」は「ずるいぞ!」に変わるのではないかと思います。

10月29日(日)

 たぶん、子どものいない最後の日曜日になるんだろうな、と思うと感慨深い一日でした。
 これからしばらくは外出しようにもできなくなるので、今日も旦那と二人でお出かけ。
 近くの喫茶店でケーキを食べるくらいのささやかな外出ですが、今度これが叶うのは……何年後なのかなあ。

10月28日(土)

 入院の準備もいよいよ最後ということで、用意し忘れたものがないかをチェックしてお買い物に出かけました。
 お腹はかなり目立つようになっていると自分では思うんだけど、人の視線は通常その人の「目線の高さ」にあります。人の腹を見ながら歩く人はあまりいない。視界にないものに対して注意を払うことは簡単ではないので、こちらで精一杯気をつけるしかありません。迷惑になりたくはないしね。
 そう、お腹といえば最近少し下がったような感じがするので、いよいよ母になる日が近づいてきているようです。
 でも心は未だ定まらず、「ああ、こんなハズでは〜」と子どもを持たない間にやりたかったいくつかの事柄のやり残しに思いをめぐらせることも。
 この期に及んでわたしも随分呑気かもしれません。
 まあ、先のことはね。どんなに考えたってなるようにしかならないことも多いし、そういう中で自分にできることをやっていくしかないわけで、思い煩ってみても仕方がない。過去のことはいくら省みたところで、変わるわけでなし。
 今を大事に、なんて言うと聞こえはいいけれど、結局のところ「今をしか大事にできない」ってのがホントのところかもしれないな。

10月27日(金)

 わたしが母の手伝いを拒む理由。愚痴系なのでご注意ください。
 シチュエーションは義父の葬儀で留守にする五日間、御猫のご飯の用意を依頼。
 その一 いらんことをする
 事例:
(1)洗濯物は扱いの難しいものが多いのでそのままにしておいてほしい、と念をおしたが「扱いが難しい=手洗い=ネットに入れて洗濯機、弱水流でOK」と脳内変換がなされたらしく……。また根菜入れとして使用していた籠をランドリーラックに変更、根菜はストッキングに入れてベランダに吊るされていた。使用されていたストッキングはインポートのレースを使用したガータタイプのお気に入りで……もういいや。
(2)訪問ついでに我が家で昼食を作り、食べ、食器を片付け、動きにくいから、と台所の機器の大々的な配置換えをした。また、勝手に壁に釘を打ち布巾ハンガー他を設置。葬儀を終えて帰宅後、破壊された動線の復帰までに数日を要する。その間の食生活がいかようなものであったのか、思い出せない。
(3)玄関マットをあがりから下ろし、靴裏の砂落とし用マットとして使用。インポートのわりとレアなつくりのマットは砂と埃にまみれ、廃棄を余儀なくされた。仕方なく買いかえた廉価版の玄関マットを見るたびに、今もなお、あの玄関マットを恋しく懐かしく思い出す。
(4)書斎や寝室までも掃除をしてくれた。使用頻度別、ジャンル別(辞書、学術書、小説など)、著者別、管理者別(旦那かわたしか)に分けられていた書籍類を書籍サイズ別に並べなおした上、各種書類(公文書or私文書、決済or未決済、処理済or未処理など)も紙サイズ別に分類。ファイリングに半月を要する。また寝室のドレッサーを触ったらしく、いくつかの物品の配置が常とは異なっていた。アクセサリー類は保管・手入方法別に分けてあったが、用途別(デイリー、フォーマルなど)に変更されていた。おかげでシルバー類はすべて磨きなおすハメになる。
 その二 我が家の機器を壊す
 事例:
(1)コードレスでも使えるアイロンのコード部分とアイロン部分を無理やり引き剥がし壊した。
(2)コーヒーメーカー付属のステンレスの保温ポットを直火にかけて焦がす。取っ手箇所は見事熔解。
(3)電話機の使い方がわからなかったようで、適当に弄った挙句に設定を初期化。留守中の電話連絡の履歴他は抹消。
 その三 いらないものを置いてゆく
(1)増えすぎて管理できなくなった万年青の鉢植えを置いてゆく
(2)同、折鶴蘭の鉢植えを置いてゆく
(3)同、アロエの鉢植えを置いてゆく
(4)同、……略 他には不要になった絵画やインテリア用品などを置いてゆく。不要になったなら捨てろ、つの。
 その四 依頼内容を守らない
(1)御猫のご飯はこれです、と指定したにも関わらず、別のものを食べさせていた→御猫、渋り腹になる。
 そんなこんなで、母は徹底的に「手伝い」には向かない人なんです。
 人の指示や依頼よりも、徹底的に「わたしの判断」に重きを置いちゃうから。
 手洗いなんてしなくても、こうすれば洗濯機でも洗えるって教えてあげなくちゃ、とか。
 台所の配置はこの方が断然動きやすいって教えてあげなくちゃ、とか。
 玄関マットはこうして使うほうが掃除がラクだって教えてあげなくちゃ、とか。
 書類や書籍はこうして並べるほうが部屋がきれいに見えるって教えてあげなくちゃ、とか。
 その一はだから主に善意。受ける側にしてみれば、いらぬ節介(苦笑)
 その二は機器の説明書を読む手間を省いて、自分の直観を優先しちゃう結果かな。直観が正しければ問題は表面化しないけれど、悲しいことに母の機器に関する直観は、当てにならないことのほうが多い。
 その三はよくわからない。その四は「あの子が指定した餌よりも、わたしが選ぶ餌のほうが正しい」的な何か。
 ワンマンとは少し違うような気もするけれど、まあ、なんていうのかな……それも個性なので普段は気にしないけど、出産後ひと月もそんな環境下に置かれたら、わたしの体はまず回復しないと思う。
 いや、わたしの体調程度のことなら次のひと月で戻す自信はある。でも赤さまの健康にも関わることなので、絶対に譲れない。
 後は、のべつまくなし喋ってるところとか……静寂に耐えられない人と静寂を愛する人とでは、上手くゆくはずがござんせんとも(ため息)

10月26日(木)

 義母から今月三度目の野菜軍団到着。各種レシピ同梱。
 甘いものが無性に食べたくなる、と前回お話したところ、今回はサツマイモが中心でした。
 レシピもさつまいもを使った簡単なおやつ類が主で、ありがたや〜。
 何かしてほしいことはある? とは義母は一度も聞かない。でもちょっとした会話の中からわたしが喜びそうなことを推察して、何も言わずにやってくれる。
 わたしもそういうお母さんになりたいな。
 さて夕方、実母から電話。
 こちらは「してほしいことがあったら何でも言ってね」とはいうのだけれど、いざ何かをお願いすると「……それよりこっちのほうがいいんじゃない?」と自分のしたいことを優先してくれちゃうので……助けにならーん(苦笑)
 気持ちは嬉しいんですけどね。だから気持ちだけ受け取っておくのがいいかなって最近は思います。
「今のところ思いつかないんだけど、何かあったらお願いするかも。そのときには、ぜひよろしく」
 で、円満におさまるので、しばらくはそれで流すことにいたしました。
 でも、実際に何かをお願いするのはタブー(笑)
 結局「頼ってね」という言葉をかけることで相手を気遣う人は、「頼られているらしい」ことがわかる返答があれば、それで満足できる。
 だから現実に何かをお願いされると困っちゃうのかもしれないな。
 かといって、何もできないしたくない気持ちがある事実を認めるのは、相手に対して申し訳ないように思ってしまう、とか。
 人の心は実に複雑だぁ。

10月25日(水)

 検診のときに、「じゃあ、生まれていなければ次は11月1日ですね」と次回の予定を告げられました。
 生まれていなければって(汗)と思いながらも、そろそろそんな時期なんだなあ、と。
 早い。

10月24日(火)

 我が家は現在マンション住まいなんですけれど、マンションというものに対する旦那とわたしの感覚に隔たりがあることが判明。
 わたしにとってマンションは資産というよりは耐久消費財的で、十年くらいを目処に住み替えを考える対象。でも旦那にとっては資産で「終の棲家」のよう。
 まあ、それならそれで資産として考えることにしてもいいんだけど、30年後にはたぶん、老朽化著しく資産価値は限りなくゼロに近づくだろうし、終の棲家として考える場合には……たとえば何か大きな災害にみまわれたとき、自己資金だけで原状復帰はできないんだけども、というところに首をひねってしまいます。
 当座の仮住まい、適当なところで手放せば賃貸よりは少しお得、くらいにしか考えていなかったからここを購入したけれど、旦那がそういうつもりでいたのなら、もっと厳しく検分しただろうなあ。
 ここもわりと気に入っているから、このままでもいいんだけどね。
 子育てを思うと、もうひとつ向こうの通りぞいに購入したかったかな。

10月23日(月)

 旦那の容態が少し落ち着いたので、送別会に行ってまいりました。
 ドイツ料理のお店で食事を楽しんで三時間。今までのようには会えなくなる人たちとゆっくり話ができてうれしかったです。
 行っておいでと快く放してくれるから、ただいまと気持ちよく帰ってこられるのでしょうね。
 これからしばらくの間はわたしがいってらっしゃいと送り出す側になるから、ただいまと気持ちよく帰ってきてもらえるように心を砕きたいです。

10月22日(日)

 旦那がひどい風邪をひいています。もう一週間くらいになるのかな。
 幸い今回の風邪ウイルス君はわたしとの相性最悪らしく、わたしの体内ではどうも増殖できないようなので安心なのですが。
 明日の送別会への参加は見送ったほうがいいのかもしれません。
 旦那が寝込んでいるときに外出してもしものことがあったら、後悔も大きいですからねぇ……。産気づいちゃうくらいならまだしもだけどさ。
 せっかくみんなが祝ってくれるのだから参加できないのは申し訳ないし、本当に残念なんだけど、お礼の品だけ終業直後に届けて、事情を説明して帰ってくるほうが安心だよね。
 あー、もう、どうしてこんなタイミングで体調を崩すかな〜。
 きっと出産が近づいていろいろ緊張が高まってるせいだと思うんだけども、もちょっと肩の力抜いて過ごそうよ、旦那さん。
 でなきゃ産後がもたないよ。
 ……男の人のほうがデリケートにできてるってのはホントウかもしれないな。

10月21日(土)

 里帰りをしない旨を伝えて以来、義母はしきりと
「じゃあ、産後ひと月くらいは産婆さんがお世話に通ってくれるんでしょう?」
 と言います。
 なんでも義母が宅の旦那(他兄弟)を生んだときは、産後ひと月の間、産婆が家に通って沐浴他、家事全般、授乳以外のほぼ全てを面倒見てくれたのだとか。
 それはあまりにも窮屈でイヤだなあと思いつつも特に感想は申し上げず、
「産科で一週間、助産師さんの指導の下、みっちり母親研修を受けたあとは自宅で自力です」
 と毎回事実だけをご報告。
 義母は、毎回、確認しては仰天しています。
「ええぇーっ! 入院中も休ませてくれないの? そんな病院で大丈夫!?」
 時代のみならず地方格差もあるんでしょうけれど、わたしも毎度驚きます。最近は「この話、何度目だっけ」の驚きも加算。
 たぶん義母にとっては何度確認してもにわかに事実だと信じることはできない非常事態なんでしょうねぇ……。
 家事も育児も何もかもを完璧にこなそうとすると手伝いが必要になるんでしょうけども、「非常事態」なんだから適度に諦めて八分で満足するって選択があってもいいと思う(仕上がり八分で納得するか、家族が分け持って十二分に頑張るか)。
 昔はそんな選択、ありえなかったんだろうなぁ。
 今はいい世の中だと思います。なんたって選択肢が多い。選択肢が多いということは、実は選択できる手立てが限定されているということでもあるけれど、それでもオンリーワンより比較対照があるだけマシに決まってる。
 オンリーワンよりナンバーワンだと実感するのはこういうときです。
 もちろんモアベターでしかないことには片目を瞑る潔さも大事。
 ただ、義母に安心してもらうことも大切なことなので、場合によっては産褥シッターさんをお願いすることも検討しておこうかな。
 そんなことになったら実母は烈火のごとく怒るだろうけど(ため息超ド級) 「血肉を分けたわたしより、金で雇う相手がいいなんてーっ」
 ……最悪。

10月20日(金)

 母からの電話攻勢が一際凄まじいものになってきました。
 気遣いはありがたいけど、むしろそっとしておいてくれるほうがわたしとしては安気。
 母もね、わたしにストレスを与えているつもりはまったくないのです。それはわたしもわかってる。
 ただ、母にとってわたしはどこまでも「我が血肉を分けた」存在、つまり己の分身のようなものなので、わたしには母とは別個の意志があることを、根底ではまだ理解できていないんです。
 それでいて、わたしへの競争心というものも尽きないようで……。
 なんていうのかな。うまく言い表せないのだけれど、「我が子にはいつまでも己の庇護下にあってほしいから、どんなときも我が子が己より幸せであってくれては困る」というような、微妙な気配を感じさせるのです。
「今は理由あって離れて暮らしているけど、いつか必ずあの子はこの母の元に帰ってくる」っぽい思考も、ちょっと受け入れがたい。
 心情を抜きに語るなら「共依存を求められている」とも言えるのかな。
 少しでもわたしに隙があると見るや、凄まじい勢いで係わりを持ちたがるので気が休まりません。係わりたがるだけならまだいいけれど、
「ほら、だからあなたには誰よりもわたしが必要なのよ。これでわかったでしょう?」
 というのが、耐え難く重いんです。
 事例を挙げると本当にきりがないのでここでは割愛しますが、ともかくも、今のわたしにはそういう母のありようが心底辛い。
 平時はそれでも適度に受けとめ、適度に流しながらやってゆけますが、こういうときはそれも難しんですよねぇ。
 わたしの側に母の願望を形だけでも受け入れることができるだけの余裕があればいいだけのことなんだけど(ため息)
「わたしにやれることがあるならいつでも頼ってくれていいからね。それが当たり前なんだから」
 人を世話すること、人の面倒を見ることでしか自己を実感できない精神状態から、母が脱却してくれることが、今一番母にお願いしたいことです(笑)
 ていうか、ほんと、わたしのことはしばらく放っておいて〜。

10月19日(木)

 サイトの手入れをしています。現在進行形。
 ディレクトリやファイル名の変更に伴い、各ページのURLも変わりました。
 今後も落ち着くまでにまだ変動があるかと思います。
 下位ディレクトリのページに直接ブックマーク、リンクをなさっている方にはご迷惑をおかけいたしますが、TOPページ(http://www.hanaakari.org/)からはご覧いただけるように注意いたしますので何卒ご容赦くださいませ。
 退職して今日で四日目。体の重さを実感する日々です。
 仕事を辞めて気が緩んだから体の重さに気づいたのか、それとも物理的に重くなったのか。
 答えは承知しておりますが、あえて考えないことにしています。気も重くなるから。
 ちなみに中の人は現時点で2900gちょっと。予定では出産時には3100gから3200gの間だろうとのこと。大きいなあ……標準らしいけど。
 一時期やや小さめと言われていたのでほっとしたような、裏切られたような微妙な気分です。
 入院に際して持っていったほうがよいもの、のリスト。皆さまからいただきまして、本日荷物の再確認。
 なるほどー、と思ったのは「目薬」「爪きり」「化粧品」「やわらかい(←ここ重要)トイレットペーパー」
 自分をケアするお道具は大事かも。
 病院って乾燥してますものねぇ……わたしはもとからドライアイ気味なので、目薬は必須だろうな。お見舞いに行くだけでも目がしぱしぱしちゃってましたし。
 同じ理由で化粧品も外せないです。特にスキンケア関連。来客もあるだろうし、多くはカメラ携えていらっしゃるだろうし……いや、若い人はそういう心配もいらないのでしょうけれども。いっそ検診時以外は普通にお化粧してるほうが、気持ちにも張りがあっていいかもしれません。むろん、化粧をする気力と時間があれば、の話なんですけど。
 爪きりは失念してました。伸びた爪で赤さんのお手入れするのはNGですものね。
 そして最後の「やわらかい(←ここ重要)トイレットペーパー」
 ……経験者だけしか気づかない重要ポイントなのかも。
 そういうことでロールペーパーホルダー(芯を抜いて中心部から引き出せるタイプ)を週末に買いに行く予定です。
 皆さま、アドバイス、ありがとうございましたv

10月18日(水)

 水曜日は定期健診。午前中は留守ですよー、と言っておいたにも関わらず、母上は午前中に数度電話をくださったようです。
 どうも水曜日は予定がないから手伝いに行ってあげる♪ とお考えだったもよう。
 で、夕方何度目かわからない(当人談)電話を下さって、
「ふらふら出歩いて何してるの!」
 と(笑)
 検診ですよ、前に言ったでしょうと応えると、
「……あら、そうだったかしら。……そうだったかも。それなら言ってくれれば付添ってあげたのに〜」
 いや、いい大人(三十路越え)が検診程度で付き添ってもらっていたら恥ずかしいでしょうが。
 具合悪そうに思われてもヤだし……鉄剤の処方が増えたら堪らんがな。
 そういうことで「よほどの事情がある方以外は皆さんお一人でいらしてますから」とお断り。
 掃除はどうなの、手伝いが必要なら言ってね、などとも言っては下さったんですが……。
 以前義母が遊びに来るときに手伝いに来てもらったことがあるんですけれども……掃除してる時間よりおしゃべりの時間が長いって言うか、むしろ何もせずに時間だけ潰して帰ってくれたことがありまして(当然その日は深夜までお掃除でした。時間が遅くなって掃除機が使えないから雑巾掛けになったことは腰の痛みとともによく覚えております。昼前に来て、昼食、午後のお茶としゃべり倒し、おしゃべりはこの程度にして片付けを始めましょうとわたしが言ったら「なんかお邪魔みたいだから、わたし帰る!」と……義母にヤキモチを妬いたんだと思うんですけどね)、とてもじゃないけど戦力としてはアテにならない。
 母上にとって我が家のことは全部「お楽しみイベント」。何事においても現実感が薄いんですよねぇ……。
 母にとっては「お楽しみ」でも、わたしにとっては紛れもない「現実」で、現実である以上、楽しいだけでは済まされないので。
 夕飯時に電話をかけてきて一時間もの長電話とか……ホント、お祭り気分でしかないんだなあと思うと、頼みにする気はますます薄れるのでありました。
 あるいはわたしが少々マザコン気味の男の子だったらバランスがとれてよかったのかもなー。いや、そしたら嫁が可哀想だな。

10月17日(火)

 運も実力の内、と言う。それに対してとある知人が、運を実力として評価するのは不平等ではないか、と言ったことがある。わりと最近のことだ。
 それを聞いたときに何かがおかしいと思ったのだが、具体的に何がおかしいのかわからなかった。
 今日不意に思った。
 実力には二種類ある。ひとつは才能によって支えられるもので、もうひとつが努力によってささえられるものだ。
 努力による実力こそが評価の重大を占めるべきであるとする価値観において、「運」が「天賦の才」であるのなら、たしかに「運を実力として評価するのは不平等」となるに違いない。
 だが実力を評価するとき、その力量が才能に由来するか努力に由来するかが問われることは少ない。
 そしてある事柄において才能が平等であることはそもそもありえず、また「運が才能である」という実証はない。
 したがって知人の仮説は成立たないことになる(平等である、とも、もちろん言えない)。
「運を実力として評価するのは不平等ではないか」
 だがこれは、事実ではなくとも、努力では埋められない差に至った持たざるものの悲鳴ではある。
 才あるものはこれを救いたまえ。
 でも、ある程度の運は努力で引き寄せることも可能なんだよ。
 運がないと思う前に、なぜ運が向いてこないのか、そこをちょっと省みてみるといいんじゃないのかなって。
 機会があったら彼女に伝えてみたいと思う。
 だけどたぶん、そういうことを知る機会が決定的に少ないってのが、彼女の運のなさに繋がってるのかもしらんね。
 たしかに不平等かも。

10月16日(月)

 入院準備はできているのか、と母に問われ、できていると返答。
 お掃除や洗濯物、冷蔵庫の中身もきちんとしておくのよ、との指示。
 ……は?
 という気分。
 出産前の気ぜわしいときに世の奥様方はそんなことまで気づかってゆくのか、と感心する反面、
「それくらい自分でやるでしょ」
 と。
 旦那のやり方では納得できないというのなら自分でやるしかないのでしょうが、わたしは家事にはまるでコダワリがありません。適当にやっておいてもらえるなら、その方が断然いい。アレをお願い、コレもお願いと言うことさえ、実は面倒。好きにやってくれて構わないし、やってなくても構わない。どうしても受け入れがたい状況であれば、気が向いたときに自分でやり直せばいいだけのことですもの。
 もっともうちは結婚して十年共働きでしたし、旦那は結婚以前に十年のひとり暮らし経験がありますから、「一人暮らししたことありません」「家事は母(妻)が全部やってました」って人(=父)とは事情が違うかもしれないけれど、赤子が生まれるという大事においてまで男性の家事能力をそれほどに低評価するのは、むしろ失礼なんじゃなかろうかと首が傾ぎます。
 人間、必要に迫られればやるようになるものなんですから。
 母は家事……というか、自分の裁量下にある(と本人が思っている)事物に対し、わたしには及びもつかぬほどの執着をしめすので、こういうわたしの「どうにでも適当にするんじゃないの」的な態度が許せないみたいなんですけどねぇ……。せっかく裁量下にあるのに! みたいな感じで。いや、そんな裁量、わたしはいらない(汗)
 退院してからの家事についてもあれやこれやと言っていたけれど、やりたくなればやるし、できないならあきらめるし、で、母が何をそんなに心配しているのか、ちょっと見当がつきません。
 洗濯はクリーニング、掃除は散らからない程度に、食事はデリバリー。いざとなればそれで間に合うと思うんです。
 何事についても「かくあるべし」「完璧」に固執しちゃう人は大変だなあ、と思うのでした。
 っていうか、自分で自分を縛り上げて、何もかもを「大変」にしちゃってるんじゃないかなあ。母上もそれに気づけばラクになるのに。