Diary

10月15日(日)

 中途半端に一口残す癖はなんだろうな、と旦那のコーヒーカップを片付けながら思う本日。
 コーヒーに限らず、ティーポットの中の紅茶も、茶筒の中の茶葉も、米櫃の米も、すべて一回分、あるいは一人分には微妙に足りない分量を残して放置する傾向が旦那にはあるもよう。わたしもそれに気がついたのは最近なんだけど。
 思えばシャンプーや入浴剤、トイレットペーパーも微妙に残すんだよね。他はまだいいとして、最後の一項目に関してはショックだからやめてほしいと常々思ってるんだけど。
 わたしは半端に残ってるとすっきりしない。でも、旦那は半端でも残っているほうが安心感があるのかもしれないな。
 そういうことならまあ大目に見てやるか、とか。そんな感じだったわけ。昼ごろまでは。
 で話は変わるんですけど、数日前から「たらこの歌が頭から離れない!」と旦那は言っておりました。「たーらこー、たーらこー、たーっぷりー、ったーらこー」ってキューピーのアレです。しかもその部分だけループ、みたいな。
 わたしなら極力思い出さないようにするか、うっかり思い出してしまったら別の歌で気を紛らわすかなんですけど。
「ループするのはうろ覚えで完結しないからだ!」
 などと言い出して、わざわざキューピーのページを開いて聞くの。わたしは思い出したくなかったので(ループするから)席を外しましたけど。
「それで完結してすっきりした?」
 数分後、訊ねてみたところ、かなりうな垂れ気味に 「……そもそもがループなのかフェードアウトだった」
「笑わせてくれるじゃん」
「笑うな」
 10年をともに過ごしてまだこんな(くだらない)発見があるとは思わなかったなー。

10月14日(土)

 いい夢を見たときに目覚めてから「ああ、いい夢だった」と思えるか、「なんだ夢か」と思ってしまうか。
 思考の分岐点なんだそうです。
 夢じゃなくても、いい時間を過ごしたことを「よかった」と思えるか、ずっと続けば「よかったのに(=現状は以前ほどよくない)」と思ってしまうかは、その後に大きな違いをもたらすような気がします。
 今朝はなんだかすごくいい夢を見ました。内容詳細はまるで覚えていなくて(覚えていないからこそのことだとは思うのですが)漠然とした幸福感だけが残っていて、おかげで一日がとても幸せでした。
 もしも詳細に亘って明確に覚えていたら、「本当だったらよかったのに」と思ってしまったかもしれません。
 そして夢とはことなる現実を不満に思ってしまったかもしれません。
 好いことも、好くないことも、精密には覚えていないほうが心地よく過ごせることもあるんでしょうね。
 過ぎた時間に執着しすぎるなってことなのかな。
 これは今後のわたしには重要なことだろうなあ……。

10月13日(金)

 両手に余る退職祝いに帰宅はタクシーかな、と思っていたら、なんと上司殿が家まで送ってくれました。
 実は上司殿、入社時期はわたしとほぼ同じ。
 ヘッドハンティングでやってきて社内改革の先鋒を担ってきた彼の、わたしは第一期生でもありました。
 これまで特に「入社したころは」なんて昔話をすることもなかったんですけども(いつだって「これから」のほうが大きかったですからねぇ……)、今後しばらく一緒には仕事ができないということもあり、車の中で昔話に興じてまいりました。
 懐かしいこともあれば、思い出したくないこともあり……十年って長いと感じたり、あっという間だったようにも思えたり。
 自分にできたこと、やってしまったことを省みて、よい締めくくりになりました。
 こうやって一つずつ締めてゆくのは、新しい時間への準備のようでいいかもしれない。

10月12日(木)

 指示された仕事の内容に確認漏れがあって、完成に自信がない場合どうするか。
 わたしならまず確認、事情があって確認できないときは「とりあえず」自分の判断で暫定的に仕上げておいて、違っていたらすぐにやり直す。いつでも誰でもどこからでもやり直せるように手はずだけは整えておく。合っていたら密かに手前味噌。
 でも、どうにも「やり直し」が怖いタイプの人は、
 わからない → 今は確認できない → 後で確認してからやろう
 で、仕事をプールしてしまう。もちろんそうなってしまったときには「プールしてよいか」の確認もできていないことが多くて、後になって「できてない!? 何故??」なんてことが多発したりいたします。
 最初に確認すればいいでしょって言っても、仕事に不慣れなうちは何を確認すべきなのかその場では思いつかないこともある。
 だから、確認したいことができたときにはすぐに確認できるルートを確保しておかなくちゃいけない。
 どうしても即座の確認が取れないときは、暫定や(仮)や(案)で凌ぎつつ、並行して連絡をとりながら、仕事を進める。
 間違っていたら拙いかも、って思うけど、まだまだ仕事に不慣れな人間に与えた業務に「取り返しのつかない失敗」なんて存在しないから、そこは上司を信じてまず進む。
 で、結果が違っていても、合っていても、どうしてそう進めたの判断の根拠も含めて、包み隠さず上司に報告する。
 合っていれば判断を褒めてもらえるかもしれないし、違っていればどこでどう違ったのかを必ず教えてもらえる。
 やり直しもどこからやればいいのか明らかだから、損はしない(損をしないということは損をしないという得をしたということ)。
 そうやって「指示がないときの判断、対処」を覚えてゆくんだと思うの、わたしは。
 なのでまずは自分で考えて、その結論にしたがってやってみてってアドバイスしたんだけども、彼女、結局まるまる保留にしちゃったみたいなんだよね……。
 出先から戻った上役殿はそれを聞いて「……」
 しばしの沈黙の後にわたしの顔を見るわけよ、無言のまま。
 こんな感じでいいなら、とわかる範疇で仕上げておいた書類を手渡すと、変更指示が何箇所かあって。
 そんなこんなで、結局ぎりぎりまで働いてしまいましたが、まあ、わたしはこういうことにこそ、おそらくはやりがいと幸福を見出すタイプだったのだと思う。
 うまい具合に使ってくれたものだと上役殿には感謝を。

10月11日(水)

 子どもができて嬉しいと感じるか戸惑うか。わたしは後者でした。
 目指したい学問があって大学に編入したばかりだったし、仕事も続けたかったし(仕事へのやりがい+学費の確保)。
 そんな中でさらに子育てはムリだと思っていたから、少なくとも「大学を卒業するまで(二年)は子どもは保留」でした。卒業後は大学院への進学も念頭にありましたしね。もちろん旦那も賛成してくれていました。
 だからわたしたちにとってわたしの妊娠は晴天の霹靂ともいうべき驚愕の事態で、寝耳に水だったのです。
 当然ですが、悩みました。
 ナリユキで産んでも、いつか何かの折に「この子さえ生まれていなければなあ」なんて思うのは絶対にイヤ。
 でも、同じくらい「堕胎してまで追いかける夢だから」とか、そんなふうにやりたいことをやりとげなくてはならないことにしてしまうのもイヤ。自発的にやりたいっていうのと、事情があって成し遂げなくちゃならないっていうのって、違うでしょ、と。
 そういうことで、さんざん考えた上で、まあ、最初から学業に仕事に育児は無理だなんて言わずに、やれるところまでやってみようと思ったのでした。
 どっちもイヤなら、やるしかないものね。駄々をこねたって解決しないし。
 自分のために頑張ることなら、少々苦しくたって誰を恨むこともない。
 積極的なんだか消極的なんだかわからないけど、そんな感じで決断したので、この数ヶ月、事情を知らない人から
「おめでとう。よかったねぇ、でもこれからが大変だよ〜」
 を言われるたびに、祝ってもらえるありがたさと同じくらい、実はストレスも覚えていたのでした。
 大変になることなんて、あなたに言われるまでもなくわかってますとも、みたいな。
 友人たちはね、わたしのそういう事情を知っていたから報告すると「その決断に敬意を」的な言葉が主で、決しておめでとうとも大変とも言わないでくれたんだけど。あの心遣いは嬉しかったな、本当に。
 一番辛かったのは、先輩「お母さん・お父さん」の言葉じゃなくて、まだ恋愛に酔っているような女の子たちの言葉だったな。
 先輩たちの中には「大変」とそれにもまさる「幸福」が同時に存在してるけど、夢見る乙女たちの頭の中には「好きな人といつでも一緒、赤ちゃんは可愛い」だけで、そこに共存する楽しいばかりではない現実がなかったから。
 経験がないことを語ってはいけない、とまでは思わないけれど、憶測での物言いが他者にストレスを与えることもあるんだなあ、と実感したのでありました。
 で、決めてからの数ヶ月で数年分の学資を貯めて、とりあえず仕事はひと区切りつけて。
 この半年、出遅れた分の学業は残る半年でなんとかしたいな。
 子育てのほうはね……何をどう頑張っていいんだか正直なところ、当たりもつけられない現状なので。
 できることから気負わずにやってゆくかなー、と思ってます。
 そうそう、先輩お母さんの「大変よー」には「それでもどうにかできてゆくから目一杯、期間限定の『大変』を楽しんでね」的な響きがあるんですよね。それに救われたところも、とても大きいと思います。
 ああ、そうか期間限定なんだ、って。
 あと数週もすればわたしも形ばかりは母親になるんですけども、ま、「形から入ることって多いしー」ということで、とりあえず今日は新生児衣料を洗濯してみました。
 小さくてやわらかくて、実に干しにくい……。

10月10日(火)

 新しいシステムに組み込む初期のマスタチェックの合間に、新しく開店するレストランのメニューを作成。
 久々に販促アイテムの制作を手伝って思ったのは「向き不向きってあるなあ」ということ。
 今回の手伝いは上役殿が作ってくださったレイアウトにしたがってパーツを当て込むだけの単純作業なんですけど、写真のどの部分をどう使うか、みたいなところで四苦八苦。
 美味しそうな箇所をクローズアップして、それでいてメニュー全体の雰囲気が伝えられるような箇所で、余白とのバランスを意識して、とあれこれ考えるのは本当に楽しいんですけども……得手か不得手かを思うと十中八九、不得手だろうな、と。
 いや、もう有態に言って下手だと思います。
 だけど最後にもう一度制作に挑戦する機会をもらえて、とても嬉しかったです。
 作ったアイテムのうち、ひとつだけでも採用されたらいい思い出になるだろうな。
 仕事はいよいよ今週末で終り。
 悔いのないように頑張りたいです。

10月9日(月)

 ベビー用品を大人買い。
 実に楽しゅうございました。
 朝から楽しんで、夕方帰宅して、テレビ見てビックリしましたけど……。
 平穏無事にとは言わないけれど、大事に至らなきゃいいなあ。
 ……いや、すでに大事なのか。
 あまりの出来事に、なんだか幸せ感が半減したような気がします。
 まあ、わたしがなんぞが案じてもどうしようもないことですし、これ以上コトが大きくならないよう切に願うことにいたしましょう。
 そういうことで、楽しいことを考えます。
 お世話になりました、のお礼の品と、出産内祝いは何にするかな〜。
 わたしが貰うなら俄然消耗品が嬉しいんだけど(食べ物やタオル類)、旦那は何か記念に残るものがいいんですって。
 折衷案で身内向けには記念品系、対外的には消耗品系にしようかな。

10月8日(日)

 旦那が働き者なので、わたしも働かなくちゃいけないような気がして、気が休まらない休日です。
「せっかくのお休みなんだもの、ダラダラしようよ」
「なに言ってんだ、休みの日にしかできないだろ。赤さん来るまで後3週間しかないのに!」
 ……言われてみればそうなんですけど。
「あー、もう、邪魔だからどいて。片付かないだろ」
 ……。
「ほら、あっちいって……そうだ、茶でも淹れといて。茶菓子は棚の上」
「わーい……って、いつの間にそんなものまで!?」
 ありがたいような、情けないような。
 通常なら逆なような……まあ、でも、これが逆だったら相当ストレスが溜まりそうなので、親切をありがたくお受けすることにいたしました。
 この調子でぜひ子育てのほうも……ごにょごにょ。

10月7日(土)

 このところ鉄剤の処方を受けているのですが、服用すると緩やか〜に気分が悪くなります。
 服用するのは一日一回夕食後だけなので、我慢できなくはないのですが……胃が張るような不快感はなかなかに堪えます。
 でも服用を始めてから息切れも眩暈も納まったしなあ……。
 夜だけなんだから、ここは耐えるしかないか。
 服用すると気分が悪くなることを主治医に相談しても、おそらくはさらに胃薬を処方されるだけだろうし……。
 そういえばどこかに鉄瓶があったはず。
 手入れは若干面倒だけど、鉄剤を呑むよりはマシな気がする。探そ。

10月6日(金)

 お腹、大きくなりましたねぇ、と後輩。
 いよいよお母さんですよ、と続く言葉に、
「産んだはいいけど、その後どうしていいのやら」
 ため息をついたわたしに、友人。
「大丈夫、旦那さんがやってくれるから。だから生まれたら、一杯どうです?」
 生まれたばかりの赤子を置いて、呑みにいったりしたらさすがに非難轟々だよ。
 せめて三月(みつき)くらいは大人しくしていないと。
 だけどもその三ヶ月の間に、飲兵衛としては逃したくないイベントがいくつもあるんだから、泣きどころ。
 ああ、せめて旦那が下戸じゃなければ〜〜〜〜〜(泣)

10月5日(木)

 取引先に電話をかけて、
「○○さんいます?
 というのは明らかにNGだろ、と。
 そこは
「○○さま"は"、いらっしゃいますか
 で、やっと許容ラインじゃないかと思うんだけども。
 肩の力が抜けてきたのは良いけれど、お家モードで取引先に電話をするのは止めてほしいなあ。
「さん」って敬称は基本と言うより基底。ビジネスマナーとしては一般的に身内が「さん」、取引先は基本的に「さま」だと考えるほうが間違いがないんだけどな。
 何度か商談を重ねて個人的な信頼関係が生まれたあとなら、呼びかけに「○○さん」もOKだけど、それでも電話の取次ではやっぱり「○○さま」だもの。
 ……そういうことから教えなくてすむように、とあえて新卒の途中採用は見送ったのではなかったのですか、と人事課長に視線を送ってみたところ、
「昨今のガキに敬語を正しく使えないヤツが増えたのも当たり前よねぇ。だって親があれなんだもん」
 いや、それもあながち間違いだとは申しませんが、今はそれをお話したいのではなくて〜。
 ……まあそれはひとまず置いといて。
 よく見てるなあ、人事って(汗) わたしもどんな風に見られていたんだか。背筋が伸びます。

10月4日(水)

 お休みの日はお昼寝が多くなりました。
 しかも居間でうたた寝というのではなくて、寝室でぐっすり、という感じ。
 ちょっとだけ目が覚めたときに、御猫が寄りそってくれているのを見るのは至福です。

10月3日(火)

 引継も一息つけるようになって、気持ちはずいぶん楽になりました。
 日次業務はほとんどお任せできるので、新システム導入のためのマスタチェック他に専念できます。ありがたや〜。
 夏の第一次導入時点では+日次業務だったので、今回は楽をさせてもらえてうれしいです。
 まだ月次業務のほうはぼちぼちなんだけど、これもまあ、今週中にはひと通り完了すると思います。
 新人さん二人もやっと肩の力が抜けてきたようで、一安心。仕事に気の緩みは禁物だけど、体にまで力が入っていると苦しいもの。穏やかに和やかにお勤めしていってくださるとよいなあと思います。
 さて仕事のほうがひと段落ついてきたとなると、わたしもこれからの過ごし方について、いよいよ具体的に考えなくては。
 やりたいことの順位付けと、その時間の捻出が今後の課題かな〜。
 とりあえずレポート書かんと……

10月2日(月)

 仕事のナリユキで実家に電話したところ、開口一番、
「あんた、いったい何してるの!」
 そんなふうに怒鳴られる心当たりはないのだけれど、時間が惜しかったので
「まずは仕事の話を優先させてね」
 そのまま仕事の話だけをして、理由は聞かずに電話を切りました。切ったけど、不愉快な気分だけは残ったかな。
 大方、「日中電話しても出ない、いったい何をしているのか」とかそんなところだと思うんだけど。
 とりあえず日中は仕事してます。あと二週間くらいはきっと。
 帰宅したら家事と勉強。二週間後からは入院準備とかかな。
 これといって連絡しなくちゃいけないようなことは何も起きてないし、意味もなく連絡を取りたくなるほど切羽詰った空気もないので、まあ、便りがないのは良い報せだと思ってもらうことにします。
 いや、違うか。逆だ。
 母上に構っていられるような余裕は今ないです、とか、そんな感じかもしれない。
 何はともあれ、人を頼むところがないのは多分に恵まれている証拠。感謝。

10月1日(日)

 仕事をしていると気が紛れるのか、家で過ごすと気が緩むのか。
 休日のほうが体の重さを覚えます。
 専業主婦は向かないと、こんなときはしみじみ思うのでした。
 ……これからしばらく専業主婦にならざるを得ないんだよなあ。大丈夫か、わたし。