Diary

8月31日(木)

 月末なのでそれなりに忙しいのですが、繁忙期後の月末はゆっくりと時間が流れているような気がします。
 ぽっかりと空いてしまう時間を、引継のためのマニュアル作成にあてながら、
「こんなに早く退職するつもりはなかったんだけどなあ」
 などと胸のうちで呟きながら。
 まあ、でも、これまでに予想さえしなかったことが始まるのだと思えば、それも悪くないかと最近は思います。
 仕事もね、続けたかったけど……本当にやりたいことのためには、もう一度離れたほうがいいのかもって思うのも事実だもの。

8月30日(水)

 日記が週記に、そして隔週記に。きっとそろそろ月記になろうかというこの頃。
 合間を見つけて日記を書くには書くんだけど、アップロードする時間がない(笑)
 書いてその場で更新してしまえばいいのだけれど、そういうことをすると予想外に過激な内容になってしまっていることもあって、
「一日置いてからにしよう」
 なんてやってると、あっという間に数日が経過していたりします。
 それを防ぐためには勢いで更新してしまうことなのでしょうけれど、現状でも「えー、これで冷却期間おいてるのー?」なんて、自分で思うこともありまして(汗)
 正直に、思うまま感じたままに日記を綴っても醜い内容にならない日は、いつかくるのでしょうかねぇ……。
 まあ、来ないなら来ないでもいいか。そういう日が来ることを思う気持ちがまずは大切。

8月29日(火)

 千羽鶴のための鶴を折ってほしいと友人に頼まれて、さっそく挑戦。
 5cm角のわりと小さな紙だったので、ちょっと気を使いましたが、久々に折ったにしてはまずまずのデキ。
 それにしても折り紙なんて久々で……最後に折ったのはいつごろだったんだろう。もう思い出せないくらい昔です。
 それだけに懐かしくて楽しかったな。
 夢中で折っているうちに割り当て分はあっという間に終わってしまいました。でも「会心の出来」というのは少なくて、もうちょっと折りたい気分(笑)

8月28日(月)

 里帰りはしない方向で考えています。でも母は里帰りしてほしいようです。
 とても熱心に「帰ってらっしゃい」と言ってくれます。その気持ちは嬉しいのですが。
 ただ里帰りは理論的に考えて、無理なんだよねぇ。
 父の容態は一進一退、しかも現在自宅療養中(およそ寝たきり)となれば、母の手もわたしの世話にまでは回らないことは明らか。むしろ「手伝って」になりそうで、とても養生になんてなりそうにない。
 お互いにストレスをためてしまいそう。
 だから「ここはそれぞれに頑張りましょうよ」と思うのですが……。
 大変なときほど助け合うものなんですって(苦笑)
 でも、助け合うことで軽減する場合と、負担を持ちよるだけで軽減しない場合があるからなあ。
 母の気持ちを思うと帰ってあげたほうがいいようにも思うけど、わたしはやっぱり自宅で過ごしたいな。

8月27日(日)

 体重計に乗って悲鳴を飲み込む本日。
 二週間でこの増量はNGでしょう、と。
 食事制限したくないけど、運動だけでは追いつかないかもしれなーい。
「暑さ」とお腹の重さで基本的に運動量が減っているのに、食欲だけは「秋」なんだものー。

8月26日(土)

 母や義母から電話があるたびに、若干憂うつな気分になるわたし。
 本調子のときなら適当に話を合わせて聞き流してしまえることが、今はちょいとばかり負担に感じられてしまいます。
 もともと体調が良くないときは誰かに付き添ってもらうよりも、一人で静かに過ごさせてほしいと思うことが多いので、出産もそれほど遠くない今、頻繁にコンタクトを求められるのはどうしてもストレスになってしまいます。
 案じてくれる気持ちはもちろん嬉しいんですけどね。
 母sにとっては初孫でとても楽しみにしていてくれて、それだけに気を使ってくれていて、本当に本当にありがたいことだと思うんだけど、彼女たちの気持ちを思いやる余裕が今のわたしにはない感じ。
 野生動物っぽい娘(嫁)でごめんね、母s
 でも、あまり騒ぎ立てたり舞い上がったりしないで、静観していてくれるとうれしいな。
 や、一番簡単なのはわたしがそういう周りの盛り上がりに、同じように乗ってゆけることなんだけども……そういう気持ちになりにくいのが現状ってとこ。困ったね。

8月25日(金)

 後期母親教室に行ってきました。病棟見学もあったので参加してきたのですけれども。
 個室を希望すべきかすまいかで迷ってます。
 個室のほうが気兼ねがなくていいかも、と思う反面、個室にしたら母sが始終出入りしそうだな、それはそれで気疲れしそう、とも。
 悩むわたしに友人は
「退院するまで言わないってのは無理だよね。それじゃ、あれは? 先生に頼んで、面会拒絶の札を出してもらうの」
「……それを言うなら面会謝絶」
 わたしの子どもであると同時に、母sの孫でもあります。当然拒絶はできませんが、病院にいる1週間はなるべく遠慮してもらえるといいなあ、と思うのでした。
 勉強しなくちゃならないこともあるのに、母sのご機嫌取り結びながらってのは、正直、ツライ(苦笑)

8月24日(木)

 カラーはそこそこ気に入ってるんですが、めずらしくカットのほうが気になってしまいます。
 前髪の量が何となく多いんですよねぇ……毛量の配分に不自然感があるというか、頭頂部から四分の一がきっちり前髪扱いになっていて、もたっと額に垂れる感じがあまり好きではアリマセン。むしろ前髪は軽めのほうが好き。
 あとはトップやトップサイドにボリュームが出て、裾がしぼみ気味なところも「うーん」という感じ。
 色を重くしたから毛先を軽くしたのだと思うけど、色相応の重みがあるほうがバランスは取れていたような気がします。
 まあ、しばらくこんな深い色にしたことがなかったから、美容師さんも戸惑ってしまったのでしょう。
 しばらくはアップを多用しながら、伸びるのを楽しみにしたいと思います。
 それにしてもこのヘアスタイルを活かせるような化粧やら服やらの合わせを考えるのは……ヤリガイがあって面白い、という方向で考えよう(笑)

8月23日(水)

 髪の色を黒っぽくしてみました。これからしばらくカラーは難しいだろうと思い、地毛の色に近い色に。
 やや赤みのあるこげ茶、くらいなんですけど、今までの色がかなり明るかったから、すごく違和感があります(笑)
 髪の色が変わると、畢竟化粧の雰囲気も変えなくちゃいけなくて、そうなると洋服やアクセサリーの合わせ方も微妙に変わってきます。
 これまでと同じ感覚でコーディネートすると鏡の前で絶句しそう。
 季節もそろそろ秋になるし(まだまだ暑いけど)、服や小物を新調するには絶好の機会かもしれないな。

8月22日(火)

 やっと体つきが丸くなってふっくらしてきたね、お母さんらしくなってきたじゃない、安心した。
 昔々妊婦だった人にそう言われ、二人分食え伝説はホントウだったんだ、と感心しています。
 ふっくらしたらダメなんだよー、それはわたしの脂肪あるいはむくみであって、赤ちゃんの発育とは無関係なんだよー、と、これまで以上に体重管理には気を使う決心をしたしだいです。
「こと医療に関しては最新の治療を求める人でも、子育てに関しては依然旧態を好むのはどうしてかしら」
 友人の呟きとため息の重みを肌で感じるこの頃です。

8月21日(月)

 里帰りはどのくらいするのと会社の先輩に聞かれて、しませんと答えたら意外な顔をされました。
 帰って何をするんだろう、というのんが正直な気持ち。
 育児以外何もしないで過ごすなら、自宅にいても変わらないと思うんだよね。
 家事はどうするのとも訊かれたけれど、わたしが実家に帰っている間、家のことはすべて旦那がやるわけで、それなら一人も二人も手間は大差ないしねぇ。
 やる・やらないの差は大きいけど。
 日中の食事や買い物、洗濯は、とも重ねられて、さすがにこれには笑っちゃった。
 だって洗濯も買い物も仕事の都合上お休みの日にしかできないんだから、今と特に変わることはないでしょう、って。
 日中の食事もデリバリーにするとか、産褥シッターさんを雇うとか、いろいろ方法はあるわけで。
 むしろその方が栄養バランスもいいかもしれない。
 気を使いながら母や親族を頼むより、お金使ってプロに頼むほうが断然気は楽ですしね。
 無償の労力があるのにそんなのはお金がもったいないとも言われたけど、お金は使うためのものだもの。
 なにより母のおしゃべりのシャワーを浴びながら、何ヶ月も過ごすなんて絶対無理(笑) 

8月20日(日)

 昨日の外出の反動か、朝からぐったり。
 疲れが翌日に残ってしまうのは「トシ」だからなのか中の人のせいなのか。
 わたしに一生懸命気を使う旦那が可愛そうだと思いつつも、お言葉に甘えて今日は女王様やってました。
 たぶんわたしに我慢させるよりも、自分が動くほうが旦那も気楽なんだと思う。
 こういうときは、ありがたいとだけ思って、悪びれないことが大事かも。

8月19日(土)

 映画を見に行って、軽い食事をして、ショッピングをして、と休日らしい楽しみに没頭してみました。
 のんびりと過ごす休日も好きなので、こんな感じに交互に楽しめると幸せ感倍増。
 観たのは「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」
 お話は面白かったです。謎が謎のままお話が流れて行くので、時にちょっとした不満足感を覚えるところもあったけれど、それは今回の作品が第三作への橋渡しだからかな。
 今作は三作目のための「矯め」のような感じかも。
 二作目はこういう作品、結構多いよね。
 映像は一作目のほうが好きだったなあ……ジャングルとか幽霊船とか屋内とか、視界が開けていない景色の割合が多くて。お話の展開上、海原を背景にしたシーンが少なめなのは仕方がないか。
 ということで、三作目も観に行かなくては! と、思ってるんですけど……都合により自宅鑑賞になるなら「ホームシアター買ってぇ〜」という気分。
 大画面じゃなくても楽しめる映画も多いけど、映画はやっぱり大画面で見るほうが楽しめますよね。

8月18日(金)

 大変という言葉の示すものが、多少違うのかもな、と思う本日。
 わたしにとって「大変」は、大雑把に括って災禍、細かくあげると事故や災害や重病のことなんだけど、その人にとっての「大変」はもう少し身近にあるものみたいです。
 事毎に「大変ねぇ」を繰返されて、そんなに不幸せっぽくみえるのかしらん、と思っていたのだけど。
 そりゃあ、話が噛みあうはずがないよねえ(笑)
 そうそう、逆もあるんだよね。
 わたしが美味しいものを食べて、楽しい時間を過ごして「幸せだなあ」っていうと、大げさな人だねって言われるようなこともある。
 たぶんその人にとっての幸せは、わたしにとって「奇跡のような幸い」を意味するんだろうな、とか。
 日常会話では言葉の定義を確認しあうことがないからこういう齟齬は頻繁にある。だから相手の言葉を自分流に解釈するのではなくて、言わんとするところを汲まなくちゃね。
 ……難しいけど。

8月17日(木)

 えーと、どちらさまでしたっけ、という人が自分のことを知っているらしい状況が増えてきて、どういった態度で接したらよいのか困るこの頃です。
 何に困るかというと、その人が「知っている」わたしというのは、わたしいついての伝聞の伝聞で知ったことから想像を膨らませた上に成立つ姿だというところ。どういった像をわたしの上に描いているのかがわからないので困ります。
 それは畏れ多いくらいに好意的な像であったり、失笑を堪えるのに苦労するくらいおかしな像であったり。
 似たような伝聞+伝聞でも解釈が一辺でないところが聞き手の個性によるものだと思うと、なかなかに興味深くもあるのですが。
 まあ、どんな像を結ばれていても、それがわたしの実像に影響することはないので好きに描いてくれて良いのですけれど、「思ってたのと違う……」みたいな反応をもらうと頭を掻くしかない感じ。困ったなあ、と。
 楽しいことも少なくはないんですけどね。
 わたしは人の期待を適度に裏切って振り回すことが好きだから(笑)

8月16日(水)

 暑い季節にお腹が大きくなると大変だよねえ、と、年配の女性によく言われます。
 大変だーっという実感はないので「いえ、それほどでも」
 それだけだと素っ気無いかな、と思って「大変だったんですか」と問い返すと、多くは「暑い季節にお腹が大きくなったことがないのでわからない」とのお返事。なんじゃ、そりゃ。
 次によく言われるのが出産予定日のこと。11月の頭なんですけども、「寒い季節はホント大変だよねぇ」
 もちろん11月ですから暑くはないのですが、11月頭をはたして「寒い」と言えるかどうか当地では微妙。で「コートのいる季節じゃなくてよかったです」と応じると、「いや、でも大変だよー」。
 そうか、昔はエアコンとかなかったし、じゃあきっとこの方は大変だったんだろうなと思い、大変だったのですねと聞くと、前項と同じく「え、いや、わたしは経験していないんでわからない」
 なんじゃ、そりゃvol.2(笑)
 たぶん彼女たちにとっては、いつでも(そして大方のことはなんでも)大変なんだと思う。
 大変なことにしておくほうが箔がつくからじゃない? とは友人の談。そこまで言うと角が立つけど、そういう心理も多少あるのかもしれないね。当たり前のことをやったというよりも、とっても大変な偉業を成し遂げたというほうが、プレミア感もあるだろうから。
 実際楽なことばかりではないわけで、それなら大変ということにしても、まあ、ウソではない、のかも。
 でも「妊娠出産育児は大変」とばかり聞かされれば、若い女性たちがそれを敬遠するのも仕方のないことで、「大変ねぇ」「大変なのよー」もほどほどにしておかないとダメなんじゃないかろうかと思うのでした。
 楽しみねぇ、とか、楽しいわよー、とか、そんな言葉が妊娠・出産・育児の感想の主流になれば、もう少し子育てしやすい環境になるような気がする。