Diary

7月31日(月)

 繁忙期が過ぎ去って、仕事量は減ったはずなのに終業時間は変わらない。
 ようするに、仕事が減ると時間が短縮されるのではなくて、一件を処理する時間が長くかかるようになる、ということなんだろうか。
 そうぼやくのは他部署の手伝いに借り出されている上役殿。
「じゃあ、ダミーの書類で水増ししておかなくちゃいけませんねぇ」
 可愛い顔をしてそんなことをいうのは後輩。
 ……でも上役殿のぼやきも、後輩の言ももっともだと思ってしまう。
 今日は午前中実に快調で、午後から少しだけ手が空いたからわたしも手伝いに行ったのだけれど、どうにも「定時内に終わらせるぞ」という気概が見受けられなくて(ため息)
 たとえばそれで仕事に間違いがないなら、まだいいんですけどねぇ……。
 この数週間、わたしを忙しくさせていたのは主に彼らの仕事に対する苦情処理だったことを思い出すとなんとも複雑な気分になるのでした。
 新設された部署での不慣れな仕事、とはいえ、そろそろ一年が経過するのだから、早いところ慣れてもらいたいものです。
 で、明日から8月なんですけど、仕事の引継ってどうなってるんだろう。わたしとしてもできるだけ長く勤めたいから現状はわりと歓迎なんだけど、人を募集してる気配さえないのはちと不安。

7月30日(日)

 旅の余韻なのか、たらーっと二人で過ごしつつ、何を話すでもなくするでもなく、明けて暮れた感じ。
 このまま明日を迎えるのもいいかもしれない。

7月29日(土)

 机の上に山積みされた書類に絶句。
「八仙花さん頼みだった仕事がこんなにあったとは思わなかった」
 上役殿の言葉はありがたく誇らしく、だけども仕事の量には眩暈を覚えた朝一番でした。天板が見えないし。
 まあ、でも今日は土曜日で、取引先の多くはお休み。つまり今机の上にある以上には増えないのだから、と思いなおし集中して片付けました。
 午前中にはほぼ終了。午後からは月末業務の準備に入ることもできましたし、休暇明けにしてはまずまずできた一日でした。
 繁忙期もひと段落ついて、ほっと一息。
 ところでわたしの引継ってどうなってるのかな。まあ、今のところ慌てなくても良さそうだけれど、万が一に備えてマニュアルくらいは作っておくかな。

7月28日(金)

 帰ってきましたー。楽しかったけど、終わってしまうと少し寂しい、今はそんな気分です。
 本当に夢のように楽しかったから、醒めてしまうのがもったいないな。
 今日は十時にチェックアウト、ペンション近くの博物館をいくつかハシゴして、ドライブしながら帰ってきました。
 途中凄まじいまでの雨に出会って、結婚式の時を思い出しました。あの日もこんな雨だったなあ、と。
 あれから十年が過ぎて、この三日間は穏やかなよいお天気で(今日は通り雨にあったけれど)、結婚してからの日々を思い浮かべて、あの日降った雨がやっと固まったのかな、とか、そんなことを思ったり。
 いろんなことのあった十年でした。喧嘩もしたし、余所見もしたし……だけどこうしてあらためて二人で共有する時間を持ってみて思うのは、「たぶんわたしは二人の時間がもっと欲しかったのだろう」ということ。仕事や勉強やあれとかこれとか、いろいろ夢中になっていたけれど、あれも一種の代償行為だったのかなぁ……いや、その時々はそれなりに本気で真剣なんだけどね。
 まだまだこれからも後ろ向きになってしゃがみこむこともあるだろうけれど、きっとこの三日間の記憶がこれからのわたしを助けてくれると思います。
 素敵な休日でした。
 さて、明日は仕事だぞ、と。

7月27日(木)

 早くに起きて、朝食前にペンションの周りをまたまたお散歩。
 早朝の森はうっすらと霧がかかっていて幻想的でした。朝日に透ける感じが特に。
 朝食は、サラダとベーコンエッグ、ミルク、パンとラズベリーのパイ、食後にコーヒー。
 それからオーナーおすすめの場所を三つほどチョイスして、9時前に出発しました。
 最初に向かったのは標高1600mの山頂。さすがに大きくなり始めたお腹では歩いて登ることはできません。リフトを利用して山頂まで登りましたが、足元には高山植物が今を盛りと咲いていてきれいでした。
 山頂は霧がでていて肌寒く、眺望絶景とはいきませんでしたが、霧をすかして見る花の黄色はなお鮮やかで美しかったです。
 驚いたのは乳幼児連れの方もちらほらといらしたこと。わたしたちも来年またここに来れたらいいな。
 次に向かったのは高層湿原。でも湿原と聞いて想像していた風景とは全く違う景色を見ることになりました。
 わたしが思いうかべていたのは葦や蒲の生い茂る湿原。ひろさも外周30分くらい。
 しかしそこは対岸が見えないくらい広い空間。高くなりはじめた日に緑の映える、草原のような場所。
 外周をぐるりと散歩したのですけれど、1時間半くらいかかったかな。
 旦那がしみじみと、市街地だけなら故郷の町が入ってしまうかもしれない、と呟いていました。うん、たしかにすっぽり納まってしまいそう……。
 お昼はその絶景を眺めながら近くのレストランでいただきました。
 そこからさらに標高2000m近くまで、ドライブしながら美術館へ。
 屋外の展示物を見ながら晴れ渡った山頂から景色にうっとり。展示物で特に印象に残っているのはニケの複製と「レダ」と題されたブロンズ像。ニケは足元から見上ましたが、青い空を背景に白い翼を広げる姿は今にも飛び立ちそうなほど。レダは乙女が見えない誰かに抱きしめられている像なのですが、うっとりとした表情と愛しげに、おそらくは相手の首に回された腕がなんとも艶っぽくて。
 3時のお茶は美術館併設のラウンジで。わたしはレアチーズケーキ、旦那はスフレケーキのベリーソース添え。
 午後の日差しに揺れる花々を眺めながらゆったりドライブしながらペンションまで帰ってきました。
 そうそう。今日の夕食もおいしかったです。
 サラダ、生ハムのフルーツ添え、コーンクリームスープ、サーモンのパイ包み、ロースステーキ。
 デザートはチョコレートアイスとケーキ。
 今日頂いたワインは赤が絶品でした。程よい渋みで、後味はさわやか。香りは葡萄そのもの。
 ハーフボトルでよかった(呑み過ぎないから)のか、フルボトルにすればよかった(もっと楽しみたかった)のか、ちょっと迷うところです。
 それからアニバーサリーのスペシャルメニューで、キルシュトルテとオーナーオリジナルのブレンドティーを楽しみました。
 ああ、なんだか食べ物の話ばっかりになってしまいました。
 でも「美味しい」は「嬉しい」「楽しい」の大事な要素だと思います。
 明日はもう帰らなくちゃならないなんて……もっとずっと長くこんな時間を楽しめたらいいのにな。

7月26日(水)

 今回の旅先は結婚式を挙げた場所です。
 結婚式を挙げたのは、なんとなく一緒に過ごすことが多くなってからあらためてお付合いを申し込まれた場所でもあるので、とても思い出深いところです。
 どこかはあえて書きませんが、大雑把に山です。馴れ初めの季節は冬、式を挙げたのは夏。
 それからしばらくは忙しくて(お休みが合わなかったり、友人や親族の冠婚葬祭が続いたり)、稀に道すがら寄ることはあったのですが、ゆっくり訪ねるのは今回が初めて。
 はじまりから十五年以上が過ぎていても、景色に大きく変わったところはなく、音も、空気もそのままで、なんだか結婚前に戻ったみたいだねー、などと話しながらペンション回りをのんびりと散歩しました。
 出発が昼前になってしまったので到着は夕方近くになってしまったのですけれど、夕方近くでよかったと思うくらいに木立に差す日はきれいでした。
 二人で過ごすゆったりとした時間が、これほどうれしいものだったとは思いませんでした。
 いつもはお互いに背中を預けて、別のものを見てるような感じだから。
 並んで同じものを見る時間をこんなにも嬉しく感じたことに、ちょっとビックリ。
 お散歩のあとはラウンジでオーナーとお話をしながら、自慢のハーブティーをいただきました。
 オレンジの花の香りが印象に残っています。
 ディナーはフレンチ。
 サラダとバラの花の形に盛られたスモークサーモン、ビシソワーズ、スズキのムニエル、子牛のロースステーキ、デザートはバニラアイスと小さなケーキ。
 どれも本当においしかったです。飲み物は白ワインが特に美味しく感じました。口当たりはやや辛口なんですけれど、香りは甘くてやさしくて。セーブしていたつもりですが、結構呑んじゃったかもしれません。ハーフボトルでよかったな。
 食後はお部屋でゆったり過ごしました。お互いのことを話し合ったのも久々だったなぁ……。
 でも夜になるまでうっかりと窓を閉めずにいたので、網戸に虫がびっしりへばりついちゃって……朝まで窓を閉められない状況に。
 だけどちょっと肌寒いくらいの夜風がほろ酔いには心地よいかな。

7月25日(火)

 久々に実家に顔を出したら、母に随分長いこと引き止められました。
 明日は早朝から出発する予定でしたが、「昼前に出発」に変更になりそう。最初にその予定も伝えてあったんだけどなぁ。
 滅多に実家に顔出しをしないからしかたがない、とも思うのですが、頻繁に顔を出していた時分もすんなりと帰らせてくれたことはないので、まあ、同じことか。
 わたしが里帰り出産をしないことも、不満なようです。
 口では「あなたのしたいようにしていいのよ」と言うのですが、その直後には「誰それさんの娘さんは出産までの何ヶ月を家で過ごしたのに」「家からお母さんにつきそってもらって病院に通っているんですって」「産後何ヶ月までは家で過ごすのが普通なのよ」などなど。
 母の言う「家」はこの場合「実家」のことなのですが、つまるところわたしの暮らす家は彼女にとって「出先」と同義なんでしょうね。うわぁ、なんだか複雑な気分だな。
 里帰り出産を選ばなかった一番の理由は、その「里」が「里じゃない」ところなんですよ。
 転勤などで引越しを繰返していましたから、現在の実家で暮らしたのは……嫁ぐ前の六年くらいかな。それが「高校〜大学、社会人一年生」の期間となれば、家で過ごした時間も短いですしねぇ。
 だから里帰りしても幼馴染みがいるでなし、馴染みの医者があるのでもなし。
 むしろ結婚してからの暮らしのほうが長い(笑)
 私物も全部持って出ちゃったからな……本一冊、ペン一本から持ち込むのも難儀だしなあ。
 そういうことでわたしにとっては今の家こそが「もっとも安心して寛げる場所」なので、馴染みのない「里」には里帰りしないことにしたんですけど、母にはそれらの事情がよくわからないみたいです。
 一度ちゃんと事情を説明したほうがいいのですが……母はいつでも「聞いてもらいたい」ことでいっぱいになっている人なので、わたしが話す時間が取れなくて(ため息)
 上手く話を運べたらいいのにな。
 さて、そろそろ荷造りをいたしますか。

7月24日(月)

 昔の後輩とランチに行ってきました。
 妊娠中毒症一歩手前らしき知人および、妊娠中マイナートラブルに悩まされていた姉君を持つその子が、わたしを見て
「個体差って大きいですねぇ」
 と言ったのですけれども、その口ぶりがあまりにもしみじみとしていたので、少し笑ってしまいました。
 なんとなく「あなたもわたしもあの人も、みんな一緒」的な感覚が、人にはあるのだと思う。
 だけど実際には、同じ水を飲んでもお腹をこわす人とまったく平気な人がいて、風邪をひきやすい人と罹患しにくい人がいて。
 もっと身近なところでは、同じ作業をしていても疲れやすい人とそうでない人がいる。
 ある対応が嬉しい人と、嬉しくない人がいて、ある言葉をかけられることが快いと思う人と、不快感を覚える人がいる。
 うっかりしやすいところだけれど、ちゃんと知っておかなくちゃいけないな。
 そんなこんなで短い1時間でした。
 別れ際、次はディナーに行きましょうね、と誘ってくれたのはうれしかった。
「呑んだらダメですよ」
 は、まあ、うん、そうだね(笑)

7月23日(日)

 来週は特に中盤以降、予定が目一杯詰まっているので明日、明後日は残業も増えてしまうだろうな、ということで、今日は早々にベッドに入りました。
 あれもこれもやりたいことはあるんだけど、優先順位を間違えるとなかなか大変だもの。
 この場合、一番は水曜日からの旅行を楽しむこと、二番目は楽しむためには仕事を片付けておくこと。
 ま、好きなことは、時間のあるときに熱中したいしね。

7月22日(土)

 面倒は片付けるに限る、ということで、「大丈夫ですか」に
「それ、やめない?」
 と提案してみました。
 大丈夫だからこれまでどおり(残業も含めて)出勤していることを話し、本当に調子が悪いときは決して無理はしないことを約束して、
「今後お願いすることが少しずつ増えるかもしれないけれど、そのときにはどうぞよろしく」
「はいっ、任せてください!」
 朝一番の「大丈夫ですか」への返事だったのだけれど、今日はその一回こっきりで、実に清々しく仕事に専念できました。
 もっと早くに言えばよかった。
 気遣いを断ることで不快にさせてしまうかもしれないと黙っていたのは、わたしの甘えだったと思う。
 つまり、不快にさせない断り方を考えることを怠っていた結果、みたいな。
 まあ、面倒だからと事を放置するとろくな結果にはならんわな。精進精進。

7月21日(金)

 妊娠前と比べて体重は6kg弱増加しています。このうちのおそらく2kgくらいがわたしの脂肪(苦笑)
 といっても緩やかに増えているので、筋トレみたいなものなんですけど。
 ただまあ、疲れてくると増えた重量に「うへぇ」と感じることもあり。
 そういったささやかな「不自由さ」を覚える機会が多くなっていることが、苛立ちのひとつの原因になっているのかもしれません。
   見た目的には腹囲が前方に膨らんだくらいの変化なので、印象は大差ないようですけどねぇ……。
 確かに側部や背部がもったりしないのはありがたいんだけど、印象はさほど変わらなくても機能面での制限は少しずつ増えてるしなあ。十数kgの荷物にも「準備よーし!」と身構えなくちゃいけない、なんてのもそれに該当するにかな。
 件の「大丈夫ですか」は、わたしのそういった「準備よーし!」の身構えに対しての気遣いなのかもしれないなあ……。
 わたしはもとからわりと力持ちなので、その程度のものを持ち運ぶくらいなら腕の力だけで事足りるんだけど、彼女は持つだけでよろめいたりしてるから(脚が上がらなくなるの。そういう姿にはかわいらしさも覚える)、そこらへんの感覚の差もあるのかな。
 体格差や体力差、日常の運動量の差に生活習慣の差、それから体や力の使い方に対する慣れの差。
 自分を基準に測ってしまいがちなところを理解しあうほど、互いに親しくないことにも問題はあるんだろうな。そういうことって自分を基準にするより他に方法のないこともあるし……。
 とはいえ、「大丈夫ですか」に「大丈夫ですよ」と返すのも、一日に十回を越えるようになると、やっぱり
「面倒くさい」
 と思ってしまうなぁ。
 そう、端的に言って面倒なんだよね。逆を言えば、面倒なだけなんだけれど。

7月20日(木)

 友人からグリーティングカードが届きました。
 嬉しいな。
 それから元気そうでよかった。
 わたしも元気にすごしたいと思う。
 いろいろあったけど、今日はそれだけを大事にしておく。

7月19日(水)

 書類を一ケース運ぶだけにも「大丈夫ですか。わたしやりましょうか?」
 少し離れた部署へ書類を届けるだけでも「大丈夫なんですか。わたしが行きますよ?」
 ……
 お使いだけが仕事じゃないんだよね。
 書類ケースを運んだあと、あれとこれとそれの指示をもらって、他に持ち帰らなきゃならない仕事がいくつかあって、そうだ、あれも片付けてしまわなくては  とか
 この書類の処理には注意点があるからその指示をお願いして、誰それに何を報告して、別件の回答をもらって、それじゃあもうひとつ他部署をまわってくるか
 とか。
 手ぶらで歩く時間を仕事中に作らないことが、ワークスケジュールの基本。これができないと、二度手間三度手間が多発してしまう。
 だから仕事の一部だけ取り去られても、無益。無益と言うか、場合によっては有害。本来なら発生しないはずの手間が増えるだけだから。
 お互いにお互いの仕事の全てを把握しているわけじゃないから、見当違いの方向に気遣いが発揮されることにもおおらかさを忘れてはいけないんだけれど、数ヶ月この状況が続くと「黙って自分のお仕事だけしていてくれる?」という気分に。
 苛々が募ってかえって体調崩しそう。

7月18日(火)

 休み明け、悪くもない体調を思いやられることは、煩わしいです。
 何かにつけて
「大丈夫ですか、お顔の色が優れないですね」
「お風邪でも召したのかと思って」
「お仕事、大丈夫ですか、辛くないですか」
 ……あんたに心配されるほど、わたしは無能じゃないんだけど、と、だんだん不機嫌になってきてしまいます。
 わたしの体はもとより頑健とは言えませんが、この体で三十余年を生きてきたわけで、いまさら人さまに日常生活を案じられるようなヘマを、そうそうすることはありません。
 なんていうかな、乳離れしてないガキじゃあるまいし、お熱はない? お腹は大丈夫? みたいに毎日毎日訊ねられるのは、もうウンザリ!
 たとえ体調が悪く見えても、わたしとしてはむしろ気づかないフリをしてくれるほうが、よほど気楽なんだよね。自己管理できていないように見られることが、大人にとってどれほどの屈辱か、本当に判らないんだろうか。
 気遣いって、声をかけたり手を出したりといった行動じゃなくて、心を使うことだと思うんだけども。
「大丈夫ですか」と声をかけることが気遣いだと信じている子どもにイラついても仕方がないんだけれど、鬱陶しくてたまらない。
「辛くなったら相談するから、それまでは気にしないで。ありがとう」
 でも、おそらく本当に辛くなったときは、相談する必要はないだろうけど。他人の意見を仰ぐより先に、自分で判断しちゃうから。っていうか、相談してる時間はきっとない。
 ……いちいち誰かに相談して、縋らなくちゃ自分の体調管理もできないほど、彼女は周囲に遠慮しながら生きてるのかなぁ。それはかわいそうだと思うけど、結局それも子どもじみた甘えだよね。
 気づいてほしければ声をあげる。声をあげないうちは大丈夫だという当人の判断を信じる。
 ああ、だけども「そんなことさえ知らないで、あなたこそこの先大丈夫なの」と思ってしまうのは、やっぱりどこかわたしに余裕がなくなってきているからかもしれないな。
 ……くやしーっ

7月17日(月)

 今日は出勤日だったのですが、とくに遅れている仕事もないことで、上役殿が急遽お休みをくださいました。万歳。
 でも、わたしが出勤予定だったので、旦那も振替出勤にしていて、わたしは一人でお留守番。
 せめて数日前に言ってくれればなあ、と思うのですが、まあ、このお休みはゆっくりと休養してください、ということなんだと思う。
 でも、前日や当日の予定変更でもOKと考えてしまうのは、上役殿が切り盛りする家庭を持たないからだと、最近気がついたわたし。
 遠い記憶ではありますが、一人身のときは己の予定だけわかっていればよかったので、急な変更に困ったことは、格別なかったもの。
 自分が対応できるか、できないか、で都合の全てが決まっていた、というのかな。
 そんなこんなで思いがけないお休みを頂いちゃったんですけれど、特に何するでもなくのんびりする幸せを久々に満喫いたしました。

7月16日(日)

 三人は産め、でないとわたしたちの年金がでない、と赤の他人に言われ、反吐がでる本日。
「このご時世、年金より蓄財、ですから」
 にっこり笑って返答しながら、頭の中で罵倒する。
 子どもを己の財源だと考えるその感性がいやらしくて嫌い。
「一人じゃアンタの年金も確保できんよ!」
 こういう発言を聞くたびに、わたしは子育てに対してマイナスの印象を抱くことになるのだけれども、
「よっしゃ、そんならばんばん産んだろかー!」
 という方向に気持ちが傾く人っているんだろうか? や、最初から「子どもはたくさんほしいわ」って人は別として。
 これはわたしの個人的な感覚なんだけれども、わたしの払う年金は、わたしが親の面倒を見る手間を些少なりとも減らすための「手間賃」だと割り切ってる。
 おかげで父も母も自立していると思いこめるだけの生活を送ってる。
 父母には適度な満足感があって、わたしには手間が減る楽さがあって、それでまあいいと思う。
 で、わたしの老後は、わたしの今の過ごし方に関わってくるものだから、老親を養いながら子どもを育てて、かつ自分と伴侶の一生の満足を守るだけの財を生み、蓄えようとするならば、
「赤の他人の老後まで心配してあげられる余裕は、残念ながら少ないわねぇ」
 となるわけ。これが親しい人なら、話も違ってくるけれど。
 年金の破綻なんて、もう二十年くらい前から言われていたことじゃないの、イイ年をしていまだに年金ドリームから醒めてないのね、とか、イヤナコトを考えながら
「三人のお子さんに九人のお孫さん、二十七人の曾孫に八十一人の玄孫、総勢一二〇人の老後の暮らしの応援団がいらっしゃれば、年金がなくてもアナタの老後は安泰ですわね」
「そうは言っても、子どもや孫に迷惑はかけられんのよ!」
 そうか、それで赤の他人の財布を頼るのか……。
 いやだなあ、子どもを育てることがこんな人を養うことに繋がってしまうのか、なんて思うと、うんざりしちゃう。