今日はいい陽気でした。
昨日友人からは同僚あての贈り物も一緒に預かっていたので、今日はそれを届けに、休日出勤……いや、働いていないから出勤じゃないけど。
別に明日でも良かったんですけどね。
ただ彼から預かるべき返礼は、わたしが知っているだけであと一つあるはずなんだけども、それについては「礼も返したくない」とのコメントがあり、それじゃ該当者がお休みの日に配ってしまいましょう、ということになったのでした。
あからさまに自分だけないというのんは、やっぱり少なからず傷つくでしょうしねぇ……。
わたしとしても「あたしのはないんですか!?」とはあまり聞かれたくないですから。
だってそんなの答えられないもの。
そういうことで配達は完了。
寒い日でなくてよかったです。もし寒かったらきっと明日にしてしまっていただろうし、そんなことになれば「ないんですか!?」「ないです」な会話をすることになってしまったかもしれない。
お天道様、ありがとう。
職場の近くに住む友人がホワイトデーのプレゼントを持ってきてくれました。
二人来てくれたのだけれど、一人はタイミングが悪くてお礼を言うだけになってしまいました。残念。
もう一人とは「お茶でも飲んでゆきましょう」という流れになり、近くの喫茶店でのんびり話も出来たのですが。
わざわざ訪ねてくれた人を手ぶらで帰すのはわたしとしては心苦しい。だからお茶にさそってみたのですけれども、結果的に一人をそのまま帰して、もう一人をもてなしてしまった不手際に、なんとなく気分が優れません。
二人とも知り合いなんだから、一緒に訪ねてくれればよかったのになあ、などと責任転嫁してみたり。
ちなみにもらったのは一つがクッキーで、もう一つが「徳利とお猪口×2」でした。
クッキーは普通ですよね。普通にうれしかったし、普通においしかった。
でも「徳利とお猪口×2」は、喜んでいいのか、何の冗談と思うべきなのか。
これには、わたしがどういう風に彼の目に映っているのか知った思いがいたします。まさに大当たりではあるのですが。だから喜んでおきましたが。
それにしてもホワイトデーに「徳利とお猪口」とは気が利いてるのか、ボケなのか。
今年は他にもいくつか頂いて(返礼と義理ばかりだけどね)例年になく豊漁でした。
でも一人で全部食べるのは、辛党のわたしにはちょっと大変なので、甘党な旦那に手伝ってもらうことにします。
そういう意味では「徳利とお猪口」は最高の贈り物だったかもしれません。
寒いです。三月も半ばに雪ですよ。片付けた真冬物を朝から引っ張り出す結果になりました。
こたつも本当は昨日のうちに片付けようと思っていたんだけど、……できなくて正解だったかな。
一度温かさに慣れた身に、この寒さは堪えます。
ちょっと遅めの梅見に行ってきました。
もう見ごろは過ぎちゃったかな、などと心配しながらの出発でしたが、着いてみればまだまだ園内の梅は花盛り。昨年とかわらず、夢のような景色に会えました。
今日は日差しが弱く風も強かったので――そのうえ途中小雨がぱらついたりして――とても行楽日和とは言えませんでしたが、木々が花びらを散らす姿の艶やかさに、
「やっぱり今日来て良かったね」
「むしろ今日じゃなきゃダメだったんだよ」
確かに風の穏やかな日ではあれは見れなかっただろうし、日差しがやわらかいからこそ風が運ぶ花びらの紅白が冴えて見えたのかもしれませんものね。
梅の花吹雪なんて想像したこともなかったけれど、紅から白までのさまざまな色の花びらが風に舞う景色は、桜の散る風情とはまた異なった魅力がありました。
梅の花は丁度目の高さくらいのところに咲くでしょう。
だから花吹雪も目の前を通り過ぎてゆくんです。あれは実に見事です。
下萌の鮮やかな緑の上に落ちた花びらがまた花のようで美しくて……。
今朝急に思い立って旦那に梅を見せてくれとせがんだ結果なんだけど、思い立ったが吉日って、本当かもしれない。
年甲斐のないワガママも、たまには言ってみるもんだねぇ。
もはや出勤することに疑問さえ覚えなくなった土曜日です。
が、今日は嬉しいお話を聞きました。
なんと4月から前任者が復帰するそうで!
4月からはやっとアルバイトらしいアルバイトになれそうです。
9時−16時、週4日がこれでどうやら実現するっぽいですよ、うれしいなあ。
確定じゃないのがちょっと不安ですけれど。
そういうことで万歳三唱! ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい!!
主に上役殿の仕事の事務補佐となれば、今までに比べて一日二時間からの時間が浮いてくるので、これはありがたいです。
制作物も好きですが、好きと得意は違うしねぇ……ほんと、わたしそういうセンスないから。これはもう掛け値なし。自虐ネタにもならない、さらにはもう凹まないくらいヒドイもの。
最近はなんとか見られるものになってきたみたいだけども……百歩譲ってアリガチな感じでねぇ(笑)
いやいや、二ヶ月かけてやっと「アリガチ」なところまできた、と思おうかな。その方が前向きだ。
とはいえ、何本もの系統の違う仕事を並行、しかも飛びこみの仕事が度々入るという状況には、どうもわたしは力が及ばないようでして。情けないことではあるのですが。
なので制作物承りの仕事がなくなるのは、実のところとてもうれしいです。
や、働くのは嫌いじゃないんですけど、やっぱり自由な時間は欲しいですし、家の中のこともきちんとしたいし、創作もしたいし、勉強もしたい。
浮いた二時間でやりたいことがいっぱいあるんだ。
そうだ、復帰祝いも何か企画しよ♪
歳をとると丸くなるっていいますが、あれは、不機嫌になる気力体力がないってんじゃないですかね。
貴重な気力と体力は、ご機嫌なことにこそ使いたい。たとえば呑(以下略)
おかげさまで日々、わりとご機嫌に過ごしております。
マイナス要因に心血注がなくなったのは、自分でも良かったと思います。
いったいそれが何時からで、何がきっかけだったのか、もう覚えていないんですけども、まず「怒る」ことが少なくなりましたし、「悩む」ことも減りました。「嘆く」ことも減ったような気がします。
凹みますけどね、それも頻繁に。
でも凹み具合は浅くなったし、復元性も高まってるし、いい感じじゃないかと思ってます。
それは「わたしの努力で解決できること」と「相手次第でしょ」っていうことの区別が明確になったからかな、なんて推測するんですけど。
不思議なのは、「相手次第でしょ」と思えるようになってから、嫌いな人がいなくなったことかな。
たとえば、人に嫌われる、ということは、かつてのわたしにとっては結構キツイことだった。
嫌われる自分がいけないんだって思ってたから。
それが辛くて、向けられる敵意と同じものを相手に返してしまう。つまり、相手を嫌いになってしまっていました。
だけど、よくよく考えれば、嫌っているのはわたしじゃなくて相手なんですよね。
他人の心はわたしにはどうしようもありません。
だってそれは相手の権利なんだもの。わたしが侵害していいものじゃないし、できるものでもない。
じゃあ、まあ、考えるのはやめよう、考えたって無駄だし、無駄は好かん、と。
そういう感じ。
今でもファーストコンタクトが拙かったり、時間の共有の仕方次第で苦手意識を持ってしまうことはあるんですけど、これはわたしの努力で克服してゆけることですからねぇ(努力を費やす価値のある相手かどうかは、実にシビアに別問題ですが)。
相手がわたしに抱く苦手意識や敵愾心、嫉妬心に関しては、わたしの努力の範疇外なので考慮外。
そもそも相手がわたしに敵愾心を抱いている現状で、わたしから働きかけても効果は少ないんだよね。何もかも相手におもねるようにすれば多少の効果はあるかもしれないけど。その場合、敵愾心や嫉妬心が優越感や侮蔑、憐憫に変わるだけだから、まあ、無意味とか無価値とか無駄と言っちゃっていいんじゃないかと思ってる。
唯一無駄でない努力は、相手の態度が軟化してきたときに、受け入れるだけの余地を心に用意しておくことくらいかな。
好くも嫌うもあなたさまのお気の向くまま、と思えるようになったことが、わたしがこのところご機嫌でいられる理由だと思う。
そういうことで、ご機嫌な生活には、不機嫌なことに力を注がないことですよ、と某友人に向けてメッセージ。
POPデザインって結構難しいなあ、と思うこのごろ。
たぶんわたしがPOP広告を好きじゃないからだと思うんですけど……
もちろんきれいだなって思うPOPも多いです。
でも、ゴミゴミしい雰囲気のものはそれ以上に多くて、どうにも苦手。
ベタベタと貼られているPOPがなくなれば清々しいのに、と思うこともしばしばあります。
だけどそんなわたしの作るPOPも、やっぱりゴミゴミしいのです(落胆)
そうでなければ、地味。
小奇麗すぎて人目を引かない、と言われて「小奇麗だってもPOPとしての役目を果たせないならゴミゴミしてても目を引くほうがはるかにいいよなあ」とため息。
人の気をひいてなんぼ、ですもの。POPは。
小売店のPOPを作るようになって、街を歩いているときもそういうものに目が留まるようになってしまったのですが、はたしていいのか悪いのか。
系列レストランのメニューを作ることもあって、最近は食事(というか呑み)に行っても、メニューの中身ではなくデザインを検分していたりしまして。
……まあ、情報のストックは多いほうがいいか。プライベートな時間にまで仕事が侵蝕している気がしなくもないんだけど。
ああ、そうか。これも仕事とかこつけて外出するのも悪くない、か。
オタガイサマ、と他者を当てにする人は、概して自力では何もせず、畢竟他者を助けることなどできもせず。
そういう人にとってオタガイサマというのは、相互扶助ではなく、むしろ己が一方的に助けられることを指すんだろうな、と思うのでした。
自力でしないことは何も行動だけに限らず、決断さえもしない、とかね。
もっとも「決断をしない」ということは、問題を先送りにする決断をした、と言い替えることもできるんだけど……。ともかくも、そういう人と一緒に居ると疲れます。
なんていうか、こう、文句が多いんですよ、全般的に。
その文句のテーマは「わたしのために骨を折ってくれない周りの人々〜オタガイサマなのに〜」であることが多くて、正直なところ、
「で、あんたがわたしのために骨を折ってくれたことって何?」
と思ってしまうこともしばしばあります。
お互いさまなら、お互い骨を折らないですむ選択もあっていいと思うんだけどな。
まあ、根気よく聞いてゆくと、単にワガママというよりは、極端に寂しがり……もしくはちょっと心が飢えてるっぽいだけなんだけど。でも、飢えてるだけにガツガツと貪り食われそうな気配を感じて、ついつい距離をとりたくなってしまうのでした。
心にも過食症があるならそんな感じ。
あればあるだけ貪って、貪るものがなくなると情緒不安定になる。
こういう人を常に満腹にしておける人は、そうそういないから……。
美食を続けるのは美容にも健康にも良くない。
それは何も体に限ったことじゃないんだな、なんて思った。
上司から焼酎とワインをいただきました。
出勤したら机の上にどどんと鎮座ましましていたの。四合瓶とハーフボトルが。
試供品だから味はわからないよ、と仰っていましたが、うれしい。
お酒をもらったこと自体、飲兵衛のわたしとしてとてもうれしいことなのですが、それ以上にうれしいのはわたしが「お酒が好き」だということを覚えていてくれたこと、「やれば喜ぶだろうな」と思ってくれたこと、そして現実にわたしにくれたこと。もっと直裁に言うと、わたしを喜ばせたいと思ってくれたこと。
物そのものよりも、付随する気持ちが一層うれしいです。
で、数量限定のその焼酎を、昼休みにさっそく携帯で写してメールに貼付、友人に送信。
「もらった」「ヨダレが……」「あげない」「○○が手に入りそう」「持ち寄りで山分け」「成立」
と、まあ、いつもの調子で花見の約束などをいたしました。
花が待ち遠しいです。今月末か、来月頭か……。
まあ、その前にこれとは別におそらく一度は酒を酌み交わすのでしょうけれど(笑)
まさに別口。
よくわからないんだけど、なんだか友人は怒っているみたい。
事の起こりは金曜日。
土曜日に一緒に呑みに行く約束をしていたんだけど、彼女の都合で取りやめになりました。
で、わたしは空いてしまったその時間、別の友人と呑みに行くことにしたんだけれど、何故だかそれが彼女のご機嫌を損ねてしまったようです。
なんだかよくわからない。
機嫌を損ねるのなら、一般的には約束を反故にされた立場のわたしのほうではないかと……や、その程度のことでは損ねないけど。
それとも反故になった約束に操を立てて「ああ、彼女と呑みに行きたかったな、残念だったな」って家で一人寂しく手酌をしていればよかったのかしらん。彼女と共有するはずだった楽しい時間を想像しながら?
それは不毛だなあ。
あるいは彼女にも了解をとってほしかった、とか? 「別の友人と呑みにゆくことになったから」って?
でも、約束が反故になった以上、彼女に了承を取り付ける必要もないと思うんだよねぇ。
彼女のご意向をお伺いしなくちゃならない理がない。人生のパートナーともなれば話は別でしょうが(実際呑みにゆく相手が変わったことは旦那に報告してますし)、彼女とはそこまで深い仲じゃないですし。
もちろん、彼とは彼女を通して知り合った友人というのでもない……。
もしかして仲間はずれにされたようで寂しかったのかなー、とも思うんだけど、彼女がいない状況で会うことのほうが普通に近い……いてくれるとプレミアついた特別な感じであって、うん、言ってみれば彼女はわたしたちにとって「来賓」の位置付けなんだよね。
それにわたしが別の友人と呑みに行ったことが彼女にとってとても寂しいことであったとしても、それでわたしが「自宅で手酌」を強要されるのんも何か違う気がするし。
ほんと、よくわからんです。
わからんのでしばらくこのままおいておこうと思います。
一過性のものだといいんだけど、仮に一過性のものでなくても、彼女の怒り(心の問題)は彼女にしか解決できないので、おおらかにナリユキを見守ることにします。
旦那と一緒にのんびり過ごしました。予定のない休日って貴重。
このところなかなか一緒にいることができないから、本当にこういう日はありがたいです。
おしゃべりをしてお茶をして、一緒に洗濯をして、掃除をして、ご飯を作って食べて片付けて、読んでいる本の感想を語り合って、遊びの予定を立てて……すごくのんびりとした楽しい一日でした。
特別じゃないなんでもない日が楽しいのは好いですよねぇ。
「何時に?」「19時に」「どこで?」「○○は?」「是」「待合せは」「店の前」「了解」
そういう数文字メールを気兼ねなく交わせるのんは、長いメールを交換するのとはまた違った趣があって好きです。
心づくしの長いメールももらえばうれしいんですけども、なんていうんでしょうね、心の近さという点では数文字にこそ軍配が上がる感じです。もちろん言葉を尽くしてこそ伝わることもあるんですけれどね。
数文字で紛うことなく真意が伝わる信頼があってこその業、などと思ったり(笑)
気遣いは大事だけど、気負いは要らない。
そういう関係を築きつつあるのかもしれないな。このままちゃんと完成させられるといいんですけど。ま、油断せずに着実に、信頼を積み上げてゆきたいと思います。
取りとめもない話をしながら酌み交わす酒は旨かったです。
来週も来月も来年も、十年、二十年先にも、こんな距離だといいなあ。
土曜日の約束(友人との食事)が不意に。
仕方ないよなあ、と思いつつも残念で残念で。
でも、残念に思っていても本当に仕方がないし、そんなのないよと縋ったところでどうなるものでもないし、仮に都合をつけてくれたとしても無理をさせることになってはきっと楽しめないだろうし。
つぶれた予定は諦めきれないけど、つぶれた予定を思っていても面白くない。
それじゃ新しい予定を入れてみよう、ということで、さっそく別の友人に約束を取り付けることにしました(こういう切替の早さがときに「薄情」と云われてしまう所以なんだけど)。
「近々呑まない?」
明日、とはさすがに言いがたく、でも、そろそろわたしにも会いたいと思ってくれてるんじゃないかなー、そうだといいんだけどなー、などと夢想しつつ、メールをすること4時間。
ちっ、ダメだったか、と諦めたその瞬間携帯が歌う。
「明日」
二文字だけの返信に「承知」と二文字で返して、
ああ、こんな風に意志が通うのはこの人だからこそだよねぇ
と、ほくほく。
以心伝心というほどに近くはなくて、でも読もうとしなくてもタイミングは間違わない。
こんな距離感のこんな関係がずっと続くと好いと思います。
で、ものは考えようといいますか、こうなるとむしろ約束が反故になったことさえ万歳、あるいは幸運だったのかもね、みたいな気分に。
だってもし先約が反故にならなければ、こっちの友人とはさらに二週間くらい会えなかったかもしれないから。
デッドボールでも出塁したなら二塁を狙えとは、古い友人から聞かされた言葉だけど、本当にそうだと思う。
ぶつけられた恨みや痣になる心配や痛みばかりを思っていると、進塁の機会もなくすしねぇ。
デッドボールはむしろチャンスだと思うべきなんだろうな。
昨晩わたしが休んだ後も、旦那は不眠不休でサルベージしてくれたようです。
バイナリエディタでデータベースの中身を読み込んで暗号化されている部分を解読、復旧してくれたんですけども、Null値になってしまっている箇所が多く、回復できたのは200件ほど。わたしの持っているデータとあわせても全体の三分の一に及ばない。
それでもわたしのために全力を尽くしてくれたのはうれしかったです。
勇気百倍、潔く叱られてきましたが、それも悪くないなと思う本日。
だって今日は他にもいいことがあったから。
こんなことがあって凹みましたよ、と他部署の先輩にこぼしたら、夕刻内線がありまして。
「八仙花の欲しがってた酒、手に入ったよー、だから元気だせー」
タイミングがよかったのか、本当はわたしのために手に入れてくれたのか。
どちらにしてもやっぱり恵まれていると思います。友人にも、運にも。
ありがたいことです。
なおありがたいことに、人も運も、金品と違って人と分かち合って減ることはないんだよね。
こんなに恵まれているんだから、めげてなんかいられない。
結局サルベージは旦那に外注することになりました。頑張ったんですよ、一日以上。だけど、もうわたしじゃお手上げです。
力及ばないことが情けないんだけど、でも助けてもらえることは率直に嬉しいのでいいか。
そういうことで、わたしは空いた時間を思索に当てつつ日記を綴りることにいたしました。
今回のデータベースのクラッシュで思うことはいくつもあります。
前任者や周囲に対して覚える苛立ちはもちろんのこと、自分の余裕のなさにはなお一層の腹立ちを覚えます。
いかに日々の仕事をやっつけるだけで手一杯になってしまっていたか、を突きつけられたと申しましょうか。
手一杯の自分に甘えていたことを自覚するよい機会にはなったと思います。
目の前のことだけに夢中にならず、全体を見ながら頑張っていきたいな。
だって手一杯なのはわたしだけじゃないし、それでもみんなそれぞれに頑張ってるんだもの。
少なくともわたしには助けてくれる人たちがいて、だからこそ助けられるばかりじゃいけないし、伸ばしてくれる手が及ばないこともあるけれど、届かない手を恨んではいけないのだと思う。
その手をつかめなかったのはわたしが至らないせいだから。
手一杯の中、手を伸ばしてくれたことだけを覚えていたいな。
……でも旦那が伸ばしてくれる手が、どうにかわたしを掴んでくれないかと、思うのも本当。
ダメだな、本当に旦那には甘えっぱなしだ。