Diary

1月31日(火)

 月末業務に七転八倒、四苦八苦。
 意味もわからずやっつけていた作業のツケを払うことになりました。いや、それにしても高利貸しだったこと!
 それでも帳簿類の間違い探しと修正は得意とするところですから、まだ良かったのですけれどね。
 財務に比べると扱うデータ件数も金額も限られていますし、その点では楽だったかもしれません。
 考えてみるとこのほかにも財務+αだった経験はそれなりに役に立っているようで、無駄ではなかったんだなあとしみじみしております。
 本当のことを言うと「+α」の部分の肥大につぶれちゃったんですよ、わたし。
 でも今はその「+α」も含めて、いいえ、「+α」こそが役立ってるみたいなんですよねぇ……。
 仕入や在庫管理にも携わっていたし、経費の計上や支払、売上管理に売掛金の回収、それからシステム関連……。
 財務本来の仕事ではなくてあまり好きではなかった業務の経験が、今、わたしを助けているのだから不思議なものです。
 本当、無駄になるものってないなって思います。
 無駄になってる場合は、たぶん、わたしが無駄にしてしまっているのだと思う。
 掘り起してみたら、他にも使えるものはあるのかもしれないな。

1月30日(月)

 やっと自分が何をしているのかがわかってきました。
 ええっと、ひとつひとつの作業がどう繋がって仕事になっているのかの把握ができてきた、ということなんですけども……ひと月か。やはり思ったよりも時間がかかってしまっているようです。
 仕事脳とでもいうのでしょうか、数年前なら当たり前に先読みできていたことができなくなっているところが少々辛いところです。まだまだリハビリは続きそう。
 それでも18時ごろには一区切りつけられるようになってきたのは、まずまずだと思います。
 もう少しだな。
 できればあと三時間、短縮したい。
 そのうちの一時間は作業の確認に、残る二時間は手伝いに使えるようになるといいんだけどな。
 まずは確認に必要な一時間の確保から始めるかな。

1月29日(日)

 知人の出演する演奏会に行ってまいりました。
 音楽を聞くとお話を書きたくなるのはいつものことなのですが、具体的にこのお話のこのシーンをこんなふうに書きたい、と思ったのは久々のことでした。
 仕事も一部ですが掴めてきたところも増えてきているので、どうにか執筆を再開したいところです。
 今度のお休みにはイメージを軽く書き出してみようかな……。
 ちなみに仕事の内容ですが、ここらでちょっとご報告。
 今はメルマガ、書いてます。社用サイトの管理も今後はやってゆくことになるのだと思います。
 あとはダイレクトメールのデザインをしたり、POPを作ったり、サイトやメルマガの売上管理や商品手配のお手伝い、他には細かい事務作業+上役殿の使えない秘書といったところ。
 早く使える部下になりたいです。
 頑張らなくちゃ。

1月28日(土)

 日中は母のご機嫌伺いに。父はまあ、不調なりに安定している感じかな。
 夕方からは、昨日、「もうご賞味済み」と誤解されていた某青年含む数人で呑みにゆきました。
 そういうことをしているから誤解されるのかもしれませんが、まあ、美味い酒を呑むためには酒の相手の選択には気を使って当然というものです。気のおけない友人なら、まあまあの酒もそこそこに、美味い酒ならなおさらに、楽しめるというもの。
 仕事の愚痴、とくに人の仕事の出来不出来や仕事相手の短所を論う人とは、呑んでいても面白くないですから……仕事つながりの関係の場合、共通の話題として仕事の話も持ち上がるのは仕方のないことなんですけれど、酒の席でまで「反省会」とか「今後の対策」なんて話したくないですものね。
 本当にオンタイム、オフタイムのメリハリは大切だと思います。
 そのメリハリが、こう、誤解のもとにもなったりするんでしょうけど……つまり、職場でのわたししか見たことがない場合、勤務時間外のわたしを認知できないんでしょうね。
 勤務時間中はほとんど私語もしないし、仕事に集中してるし、対応も無礼にならない程度に素っ気無いから(笑) 単に私的なコミュニケーションをとっていられるような余裕がないだけなんだけど。
 だから勤務時間でしかわたしを見ない人には、勤務時間外のわたしという存在を認知しかねて、たまに見る勤務時間外のわたしが「勤務時間外の八仙花の姿」とはならずに、「某青年にだけ見せる八仙花の姿」というような映りかたをしてしまっているのではないかと考察するのでした。
 でも微妙だよね。
 プライベートで呑んでるときのノリを職場に持ち込むわけには行かないし、といって、プライベートな時間まで仕事モードでいるのは正直辛いし。
 まあ、人生のメリハリだと思って聞き流しておくかな、悪い気はしてないしな。
 でも某青年には、ぶっちゃけ気の毒だと思う。まだまだこれからの人なのに。
 これから食うって意味じゃあないよ。

1月27日(金)

 会社の同僚と呑みに行きました。
 女の子らしく、可愛くカクテルバーでちょいと一杯。意図的に可愛いラインナップで呑んでみましたが、似合わないと言われ微妙に凹みながらも「焼酎は明日呑むからね」で押し通してみました。
 ワインベースのカクテルは、かなりわたしの好みかもしれません。
 ちゃんと酒の味がしたからね(笑)
 そして気がつけば午前二時、同僚はいつの間にやら気のおけない友人に、みたいな。
 話してみると思いのほか共通することが多かったというのんが意気投合の理由なのだけれど、違うところも多々合って、そこがまた新鮮で、心惹かれる感じです。
 少なくとも月一で呑みにゆきましょう、なんて約束までして、本当に楽しく7時間を話して食べて呑みとおしました。
 女の子の呑み友だちは本当に得難いので、大事にしたいです。
 話題はまあ、多岐に亘りまして列挙するのも難しいのですが、一番インパクトがあったのは、
「八仙花さんはもう(某青年)を食べたんだと思ってた」
 ……残念ですがまだ食べてません。

1月26日(木)

 結局のところ、母を寂しがらせていることが(母の精神衛生上)よくないのだろう、ということで、わたしの精神衛生に影響を与えない範疇で、できうる限り母を構うことにいたしました。
 子離れして欲しい、自律して欲しいと願い続けてきたけれど、もうね、多分それは適わぬ願いなわけですよ。
 だったら、未練たらしくそんな願いにすがり付いていてもしかたがない。
 我を押し通して突き放すか、諦めて子離れしない親になれてゆくか。
 まあ、突き放すのはいつでもできることなので、とりあえずは慣れる方向で頑張ってみようと思います。
 なんというか、こう、極論すると母は共依存的な関係を「心地よい」と感じるようなので、わたしにとってはもう重くて重くて堪らんのですが、仕方がない。
 心のウエイトトレーニングだと思って挑戦してみましょうとも。
 でも、ウエイトトレーニングだけをしているとごつく厳つくなっちゃうので、適度にストレッチもしつつ、明日明後日は気のおけない友人たちと、一杯引っ掛けにいきますよ、と。

1月25日(水)

 やってくれたよ、お母ちゃん。
 危篤との呼び出しに旦那共々駆けつけてみれば、「世間一般に危篤とはカクカクシカジカの場合に使われる言葉であり、軽々しく用いるものではないこと」を説教するハメ……いや、もう何も言うまい。
 それよりも親類縁者への連絡は「この目で事実を確認してから」としたのは、我ながら明断だったと思いたい、思おう、思った。
 すごいや、わたし! ……(泣)
 さすがに疲れました。

1月24日(火)

 名刺を作ってもらえることになりました。嬉しいです。
 アルバイトなのに、社員だったときよりも頼りにされている感じ? や、それは自惚れか(笑)
 単に職種の違いなのでしょうが、名刺というものには憧れがあったのでなんとも嬉しい限りです。
 ともかくも、名刺が無駄にならないように頑張らなくちゃ。
 それに名まえが表に出るということは、責任も自分に帰るということだから……気を引きしめてしっかり仕事をしたいな。
 実は昨日はとんでもない失敗をやらかしてしまった(やったのは先週末で発覚したのが昨日)のだけど、それでもあえてわたしを使う決意を上司は示してくれたのだから、この期待には応えたいな。

1月23日(月)

 母も心細いのだとは思います。……。
 父は高齢です。長く患っています。だから元気じゃないのは当たり前なんですね。
 そして調子がそこそこ良いときと、めっぽう悪いときの差も、若くて健康な人より大きくて当たり前なんです。
 だってそれが高齢者の病気というものなんだもの。
 少々大げさな表現になりますが、実家を訪ね帰宅するときには「元気な顔を見るのはこれが最後かもしれないな」との覚悟が常にいるわけです。いざ危篤の連絡が入ったときには、おそらくもう父の意識はないでしょうから。
 それがもう、十数年続いているのですが。
 血圧が下がった、血中酸素濃度が下がった、と、母は都度、勤務先にまで電話をよこすので、非常にやりにくいです。
 それが危篤であるのとか、医師も手の施しようがないほどの急変であるなら仕方のないことですけれど、そういうのでもないので本当に困ります。なんていうか、こう、病人なんだからそういうこともあるでしょう、というような変化の範疇とでもいうのかな。
 わざわざ勤務時間に電話を入れ、リアルタイムで中継の必要があることだとは到底、思えない。昼休みまで待つ、あるいは定時まで待って電話をしてくるのでも、まったく支障のないような出来事なんです。
 状況を確認しようと思っても、
「今、まだよくわからないから後で電話するね!!」
 ……わかってから電話をしてくれてもいいんじゃないかな、と。たとえば、
「今朝方血圧が下がって、点滴の本数を増やしたの。今は意識もしっかりしていて、たばこが吸いたいって言ってるわ」
「昼過ぎに血中酸素濃度がさがって、吸入器をつかったの。今は容態も安定していて、お腹がすいたって言ってるわ」
 というように。
 それで今日は思ったんです。
 オオカミ少年のこと。
 彼はね、多分ウソをついている気はなかった。周囲の人を困らせる気もなかった。
 ただ単に、人よりも心配性で、人よりもオオカミに対する恐怖が大きかっただけなんですよ。
 だから草むらが風で揺れるだけでも、そこにオオカミがいるような気がした。
 生い茂る木の陰にオオカミが潜んでいるような気がした。
 枯葉がなる音がオオカミの足音に聞こえ、雪が積もれば忍び寄るオオカミの足音が聞こえないかもしれないと不安になり……。
 オオカミが姿を現してからではとても間に合わないとの恐怖に見舞われ、叫ぶわけ。
「オオカミがでたぞー!」
 ……。
 実際にはオオカミは出ていないので、結果的にウソをついたことになり、周囲は困惑する。
 そんな感じじゃないのかな。
 わたしは幼いころは病気がちでしたし、今も頑健とは決していえません。だから病気というものにも日常的に親んでいるのですけれど、病気らしい病気をしたことのない母には、病気というのはとてつもなく恐ろしいもののように思われるのでしょうねぇ。
 羨ましいと申しましょうか、あるいは憐れなことなのか。
「だって、本当に急変してからじゃ間に合わないと思って!」
 間に合わないのが急変ってものなんだけど……。
 ホント困るワ(苦笑)

1月22日(日)

 たまのお休みはお墓参りとショッピング。
 明日からはまた寒くなるようですけれど、今日はよいお天気で外出日和で心地よかったです。
 昨夜は父を病院に見舞ったので遅かったのですけれど、早くから目が覚めてしまい、家のこともぽつぽつとではありますが片付けることもでき、なかなか有意義に過ごせたと思います。
 ところで母と某看護士さんとの相性が劇的に悪いらしくて、父が「なんとかしてくれ」と言っていたんですけども、……実際この目で見てもアレはなんというか、まあ、ええ、……うん。相性の悪い人間って、誰にでもどこにでもいるものですね。
 実のところ、母とわたしも相性的にはそれほど良くはないんです。
 お互いに第一義に据えるものが違いますし、価値観も大きく異なりますし、どちらかといえば重なっている部分を探さなくてはならないくらい両極にありまして。
 でも、わたしは娘であちらは親で、だから大概の場合――わたしにとってどうでもいいようなこと、とも言えるかな――はわたしが退くんですけれど(泣かれるのも面倒だからね)……母は患者の一番の理解者で看護士さんは看護のプロで、どちらも不退転の決意でもって立ち会ってる。両者にらみ合って一歩も退かず、みたいな。むろん父の意思は大事に棚に飾ってあるわけよ(笑)
 それでまあ、わたしが感じたことなのですが。
 患者さんの要望の統計みたいなものがその看護士さんの頭の中にはあるのだと思うの。
 こんなときはこう、あんなときはああ、というような無意識のうちにマニュアル化されているような部分なんだけど。
 でも彼女の経験の中にプールされているそのデータと、まるで違う要望を父母は看護士さんに求めているのかな。
 思い描いていたことと全く異なることを言われて看護士さんはパニックを起こす、パニックを起こしている看護士さんにつられて母はヒステリーを起こす、というそんな印象を覚えました。
 コミュニケーションの不足ってこわいね。
 そういうことで、わたしはまるきりの傍観者を決め込んでいたのですけれど――だってわたしが口を出してその場は納まっても、わたしがいないときに同じことが起こるだけですもの。そういうことは当人同士ガチで解決しないとね――間に挟まれている父や、ウッカリ間にはまり込んでしまっていた旦那はお気の毒さまでした。
 そんなことをお墓で義父に話してきたのですが、義父もそういう不器用な人だったので、わたしの報告を聞きながらきっと苦笑いをしていたことでしょう。

1月21日(土)

 なんだかこのところナイーブになっている人と接する機会が多いです。
 周りがいっせいにナイーブ月間にでも入ったようなそんな錯覚も。
 でも、人間誰しもそういう時はありますしねぇ……たまたまわたしが今はそうでないというだけで。
 そうか、だからこそ、みんながわたしのところに傷を持ってくるのかもしれないな。
 ただ、接する際にはかなり意識的に「シンクロしないこと」を心がけていないと、うっかり引きずられてしまいそう。
 安易に同調しても傷を大きくしてしまうし、正論を突きつけても傷は癒えないし。
 ま、持ちつ持たれつです。わたしも少し前には随分周りに助けてもらったもの。
 大したことはできないけれど、一緒にすごすほんの少しの時間だけでも痛み止めになれていればいいと思います。
 それ以上のことはね、結局のところ本人しだいだから(苦笑)
 わたしには手を出せない領域だということを、わたしも自覚しておかないといけないな。

1月20日(金)

 悲しみを怒りという形でしか表現できない人は損だなあ、と思いました。
 怒りにすり替えても悲しみはなくならないし、怒りでの感情表現は他者の共感も呼びにくい。
 悲しんでいる人に対しては優しく慰め、励ましたいと思う人でも、怒っている人にはそういった接し方はできません。
 共感されないことで一層悲しみは深まり、その表現としての怒りも増してゆく。
 悪循環だと思います。
「怒っているけど本当は悲しいのではない? 悲しみを怒りとして表現してしまってはいない?」
 ここまでストレートにではないですけれど、今日は思い切って訊ねてみました。
 応えはYes。ああ、やっぱり。
 ところがこの後、事態は思わぬ方向に向かってしまったのでした。
 わたしは「その感情表現にはデメリットしかない、悲しいときは素直に悲しんだほうがいい」というようなことを彼女に伝えたかったのですけれど、当人は「悲しみを怒りで表現するわたしはなんて立派なんだろう、普通の人のようにめそめそと悲嘆にはくれないのだ! わたしは特別な感性を持っている! だから周囲はわたしを理解しないに違いない!!」と解釈してしまったようなのです。そうなってしまうと、後はもう、聞く耳なんてありません。
 ……そのまま共感されない怒りの中に雄たけびとともに猛進していってしまいました。ああ、突撃する先には何もないのに。
 彼女が怒り狂い、猛り続ける限り、誰も彼女に共感しない、理解もしない、受け入れない。
 彼女の八つ当たりめいた怒りの矛先に立たされることのないよう、そっと距離を空けるだけ。
 損な人です。
 気の毒な人です。
 そう思っても、わたしもたぶん、これからは今までよりも少し距離を置くのだと思います。
 でも、悲しむってそんなに難しいことなのかなあ……凹んで悲しんで憂鬱な気分になって、一人でこっそり少しだけ泣けば(あるいは心の中だけでも)それで救われることは多いのにね。

1月19日(木)

 不満を共有することで親睦を深めたいタイプの人は、顔を見れば誰かしらかの愚痴をこぼし、同意を求めてきます。
 正直、これは辛い。
 人の悪口と言うのんはまったく不思議なもので、聞いていると体調が悪くなってしまうのです。
 最初に胸の辺りが圧迫されるような感覚があり、続いて息苦しさを覚え、鼓動が早くなり、長時間続くと手足が冷えて寒くなってきます。一度こうなると二時間くらいかかるの。平常にもどるまでに。だから、仕事中は特にイヤ。
「なにがこの人にここまでのことを言わせているんだろう」
 共感できないときには憑き物でも憑いているのかと、相手に恐怖さえ覚えます。顔も別人みたいに醜いのだもの。
 共感できてしまったときは自分が怖いしねぇ(苦笑)
 聞いて楽しいことなんかひとつもないんだけど、これを親睦を深める手法に選ぶ心理ってどういうものなんだろう。
 もっと怖いのは、「わたしがこれだけのことを言ったんだから、あなたも何か言いなさいよ」とばかりに、わたしに悪口を求めてくるあの重圧です。
 悪口なんてそうそう思いつくものでもないし、探してまで言うことではないし……。
 昔から瞬間的に怒りを覚えることはあっても持続しないというか、事象に対して腹は立っても存在事態を嫌うことはあまりないというか……不愉快なことをされた事実は詳細含めて忘れないけど、そのときの気持ちまでは覚えてないんです。馬鹿だから、わたし。
 現に目の前の相手も、愚痴を言わないときは怖くもないし恐ろしくもないし、賢くて可愛いくて大好きなんだもの。
 あなたが好きです、親しくなりたいです、とストレートに伝えるほうが、少なくとも友愛は築きやすいと思うんだけどなー。
 あなただけよ、はダメだけどね。
 だってひとりだけは選べないから。みんな大事だもの。
 そうか、大事に思っている人が、同じく大事に思っている人を嫌ってるかもしれないってのんが、大きなストレスになっているのかもなー。
 弱いなあ、わたしは。

1月18日(水)

 実父がまた倒れまして入院。入院はいいんだけど、母はやっぱりつきっきり。つきっきりも好きでやってることだから、別に止めようとは思わないのだけれど、好きでやってることのシワを、思いっきりわたしによせてくるのはもういい加減勘弁してください、という気分。プロに遠慮してアマを頼るってどうなのよ。
 それ以上にムカついちゃったのは、医者のこの一言。
「お嬢さん、近くにお住まいなんだからお母さんの手伝いに来てください」
 あのねー(ため息)
 特に深く考えなくてもわかることだと思うんだけど、勤続年数十年(途中ブランクはありますが)、三十路もこえれば仕事だってそれなりに責任のあることを任されるようになっているわけ。
 さすがに親の危篤や葬儀ともなれば休暇も申請できますが、年中行事のような入院(時には月例ですよ)のたびにいちいち休んでられますかっての。
 むろん呑んだくれてるならその時間行ってやれってんなら、行ってもいいですけどね。面会時間内には到底間に合わんよ。会社から直行しても、到着時間は22時前だからね。まあ、それも終バスに乗れればの話だけど。
 つかおまえさんは患者を目の前にしていても、親が体調不良で入院したら、すぐさま欠勤して飛んでゆくのか、と。
 つい今しがた「すぐさま命に関わる病状じゃない」と言った口で、さらっとこれを言うんだもんなあ。
 そのうえ「(わたしの実家には)女手がひとつしかないんですから、おじょうさんもぜひ協力してくださらないと」と。
 タワケめ、我が家も女手はひとつだけだ。
 それにしてもこういう発言って、もしもわたしが男なら、決して言われることのない台詞だと思うんです。
 ほんと不条理だわー。
 で、「もしも男だったなら」の仮定で語ったから、決定的に女の立場からも言わせてもらっちゃうけど。
 母を手伝い、父につきそうその間、じゃあ、どこの誰が宅の主人の世話をしてくださるっていうんだい。出勤日に積もってゆく日々の家事をどちらさんがこなしてくれるんだい。ええ?
 じゃあ、働くなとでも言うのなら、わたしたち夫婦の老後の生活資金を、誰が貢いでくれるって言うのよ。
 子にタカれ? ご冗談を!! つか笑えねえよ。

1月17日(火)

 めずらしく18時に仕事が一段落着いたので、急遽夕食会という名の飲み会に参加してきました。
 ここのところずっと呑みっぱなしのような気がしなくもないんですけども、まあ、いいか。
 で、話の流れで同郷者で呑む機会を設けましょうや、という話がでまして、いつごろにしたものかとさらなる飲み会を企画中。
 すでに来週末には別件があったりするので、その後かその前か。実はまだ未消化の先約もありますし……わー、わたし本当になんのために復職したのか微妙かも。いえ、仕事はもちろん、ほぼ毎日10時間くらいやってるんですけど。なんか休日も当初の話より一日少ないし。
 とりあえず明後日、昼休みにでも先約のための下調べをしてこようかな。
 都合がつけば今週末はまた呑むよ♪

1月16日(月)

 苦手だと思っていた人と、普通に話ができるようになってきました。まだ少し構えてしまうけど、今日は和やかに世間話もできて(本音を言えば世間話で潰れる仕事の時間は惜しいんだけど、まあ、これも投資の一環だと思うことにしています)お互いに笑顔でのコミュニケーションが図れたように思います。
 やっぱり自分しだいなんですよね、相手の態度も対応も。
 それからバーゲンセールに並ぶ時間を買うつもりで正価購入するように、その人との係わりに費やす時間で人間関係を贖うことも、多少はできるのかもしれないね。
 考えてみれば、どれだけの時間――大げさに言えば人生の一部とも言い換えられるのかも――を己にかけてくれたのか、で、相手の価値を判断するようなこともままあるのですもの。
 もっとも時間だけを費やしても意味は薄いのですけれど。ええっと、一番に問われるのはもちろん内容で、内容が同じなら量がモノを言う感じ?
 こういうふうに少しずつでも、いろんな人とよい関係を作ってゆけるといいな。頑張ろう。