Diary

1月15日(日)

 甘えられているだけだとはわかっていても、喚かれ怒鳴られ罵られるのは苦痛を伴います。
 堪らんなぁ、とは思うものの、声を大にして叫んでいるその人の苦痛のほうが、わたしが覚えている苦痛より大きいのだろうから、まあここは堪えてみしょうと心の中で笑ってみるのです。苦いけど。
 怒りとして発露する感情の多くは悲しみに端を発していると教えられたことがあります。
 それが今回の場合に当てはまるのだとすれば、意図しなかったとはいえ、彼女に与えてしまった悲しみに対し痛みという対価を支払うのもいたし方ないのかもしれません。
 でもわたしもそれほどできたひとでもないのであれやこれやのきたないことばにはそれなりにいかりをおぼえたりもするのだけれどこれもたぶんもとはかなしみだということでおたがいさまのいたみわけってかんじかしらねむかつくわー
 ……ま、忘れよう。きっとわたしは白昼夢を見たのでしょう。
 その証拠に、
「あんたなんか○×◆□△;@:!!」
 あの叫びが人語だったのかさえ今となっては確信がもてないんだもの。
 そうそう、そんなことより今日は嬉しいことがあったんですよ〜。
 またぞろおいしい酒を呑みにゆきましょうって話でして。
 気の合う友人と旨い酒があれば、この世はたいがい幸せですとも♪

1月14日(土)

 ひとつことに集中するのは得意です。幾つかの作業を並行することもわりと平気です。
 でも、たとえ暫定であっても計画をたてて動く性なので、飛び込みの仕事に弱いです。
 そういうことをあらためて実感する一日でした。
 とはいえ、弱いからダメなんです、というのんも癪なので、飛び込みも予定に含めて計画を立てる方向で対処してゆきたいと思います。
 だって助けるために復職したんだもの、助けられてばかりじゃ本末転倒。
 そのためには、まずは周囲の観察からかな。どんなときに何が起こるのか、その概容とパターンさえ掴めれば、たぶん、きっとなんとかなるような気がする。
 

1月13日(金)

 相手にあわせて発信すること、を、先月学びました。
 今日は、相手にあわせて受信すること、の大切さを知りました。
 聞くも語るも、自分が好ましいと思う方法ではなくて、相手の呼吸に合わせることが肝要なのかもしれません。
 こうして書いてしまうととても当たり前のことなんだけど、実践はけっこう難しいです。どうしても「我」を張ってしまいそうになるから(笑)
 語るときに相手に合わせて、聞くときにも相手に合わせて、となるとまるで主体性がないようにも聞こえてしまうけれど、
 語るときにはわかってもらいたいと願うのだから、
 聞くときにはわかりたいと願って
 それでfiftyなんじゃないかなって、なんとなくそう思ったので、覚え書。
 それから何事も成果を期待するなら、自分から行動しなくちゃいけない、ということもあわせて胆に銘じたいな。

1月12日(木)

 平均退社時間は20時30分になりました。
 今日も元気に働いております。
 でも多種多様な業務に、若干ではありますが、思考がややショート気味です。メモリオーバーっぽい感じ。
 弱音を吐きたいんだけど、弱音を吐いてる暇がないってんでしょうかね。
 凹むにしろ落ち込むにしろ、そういう時間を確保できてこそのことなんだなあ、としみじみ。
 とりあえず業務日誌をつけることにいたしました。
 ・明日の予定を箇条書きにして、終わったものには印をつける
 ・今日の反省点を箇条書きにして、改善方法をいく通りか記す
 だいたいこんなところですが、まあ、気休めくらいにはなるでしょう。
 気が安らげば、ちょっとはいいことがあるかもしれない。

1月11日(水)

 連日残業です。現在の平均退社時間は20時です。
 年末と変わらぬ勢いで仕事をしてます。
 ちなみに身分はアルバイトなんですけど、これで正社員になぞされた日にはどんな待遇になったものか、想像するだけで凍えそうです。
 早いところ、コツを掴んで楽できる方法を編み出してゆきたいと思います。
 書きたいネタも溜まってきたことですしねぇ……。季節ネタも幾つかあるから、旬な内にお目にかけたいです。

1月10日(火)

 どうにも相性の悪い人っているものなんですねぇ。
 今日はどうにもその方の一言一句一挙手一投足、つまりやることなすこと全部が気になって気になって気になって。
 わたしは大概の人は好きなんですけど、正直、彼女だけはダメかもしらんと思えてきてしまうありさま……。
 いやいや、短気はいかんのです。よく知る前から諦めてはいけない。
 良く知って、それでもダメなら、ダメじゃないわたしになってゆくしかないよね。
 相手を変えるより、自分が変わるほうが断然ラクですし、許容範囲(キャパ)は広いに超すこともなし。
 ま、とりあえず頑張れ、わたし!

1月9日(月)

 まずは今年成人式を迎えた新成人の皆さまへ。
 おめでとうございます。
 さあ今日から大人の仲間入りですよ、などと言われたって実のところ、昨日と今日とで何が違うんだろう、というものでしょう。
 だから今のまま、ゆっくり大人になってください。急ぐことなどありません。
 大人になる機会を他と合わせる必要はないし、誰に強要されることもないんです。
 でも、子どものままでいることに固執はしないほうがいいと思いますけど……まあ、執着したっていずれは去ってゆくのが「子ども」時代ですしね(笑)
 で、○年前に成人したはずのわたしですが、今日は本当にダメダメな一日でした。
 考えても答えはでないし、思い悩んでいても仕方がないのだけれど、気がつくとどっぷりと思考の泥沼にはまり込んでおりました。
 これは本格的にマズイ。そういう自覚があるのんがまたイヤだ。
 悩むというのんは麻薬のようなものです。
 何もしないでただ考えているのは、何か行動を起こすよりずっとラクなんですよね。そのうえ、何もしていない罪悪感から目を逸らすこともできる、と。
 何もしていないわけじゃない、わたしはこんなにも考えている、と逃げ場を作って籠城している感じ。しかも勝算もなしに。だって籠城してたって援軍の予定はないし、敵が去る理由もないし。
 みっともないな、新年早々。どうしたよ、わたし。
 といって現時点では何ができるというのでもないことだけははっきりしているんですよねぇ。
 主導権はわたしにはないんだもの。
 仕方がないので思い切って今日は風まかせに揺れる葦になる。いや、蒲がいいかな。
 そこからなにかいいものが生まれることを期待してみます。……他力本願? や、自力ではもうどうにもならんのだもの、他力に縋るしかないっての(笑)

1月8日(日)

 少し遅くなりましたが土地神様に詣でてきました。
 本当は三が日に行くほうがよいのだけれど、静かにゆっくり詣でたいので、毎年だいたいこれくらいのタイミングでのご挨拶になってしまいます。
 今日は久々に小紋での外出で、それも楽しかったです。
 七日までは「和装=晴れ着」みたいなところもあるけれど、松の内をすぎるともう「晴れ着」というのでもないですしね。
 特別な日の装いとしての和装ももちろん好きですが、あれは何かと気が張ってしまいますから。
 神仏へのご挨拶に平服というのもアレなんですけど、お許しいただけていると信じて(笑)
 神さまのお心を煩わせるようなことがありませんように。

1月7日(土)

 何となくくらくらする頭での復帰二日目。
 昨日やって見せてもらったことを今日は自分でやったわけですが、やはり「細やかな心遣い」の点で今三歩及ばない感じ。余裕の違いなのかしら。
 でもどんなところで「うっかり」してしまいやすいのか、自分なりに掴めてきた部分もあるので、これからひとつひとつ直してゆきたいと思います。
 まずは手がけた作業を自身で見直す時間を作りたいな。
 仕事はまずますなのですが、私的にはちょっと凹み気味。
 喧嘩というのでもないのだけれど、親しくなりつつある友人に微妙に臍を曲げられてしまっているような。
 難しいのはそれがいくつかの状況から察したというか「感じた」ことであり、事実である確信にまで至らないところ。
 事実であるとは思いたくない気持ちがあるのは否定できないけど。
 さらに悪意はなくむしろ好意からのことだは互いに承知、ということかなあ。まあ、そもそもが酒の席でのことですしねぇ……素面のときならまた別なんだけど。でもそれを言うならまさにお互いさまな気もするしなあ。といって素面で会う機会は今後あるのだろうかと。
 ……謝るのは無粋、放置するのは心苦しい、しかしそれは独善か? と身動きならない心境です。
 とりあえず今は動けないんだから様子見かな。
 どこまで様子見でいられるか、心もとなくもあるんだけどね。わたしはせっかちだし、直情径行だから。
 ああ、書いているうちにいてもたってもいられなくなって来ましたよ。
 だがとりあえず、今はやめとけ、自分。
 謝罪するにしてもこれだけ動揺していては、伝えられるものも伝えられない結果になりかねんぞな、と。

1月6日(金)

 仕事も今日のところは順調と言えなくもないかな。
 細かな作業が多いだけに細やかな気遣いも求められるのですが――そして大味なわたしにはそれはもっとも不得手とすることのひとつでもあるのですが――まあ、なんとかなるでしょう。
 というか、なんとかするしかないですし。
 ここはひとつ気配りの人を目指すことにいたします。
 新年会は楽しかったです。若干……の反省もありますが。
 あいにく晴耕雨読は未入荷だったんですけど、手土産の富乃宝山でもう「うはうは」でした。
 甘くてやわらかな香りも、力強いのに後はひかない冴えある味も、実に好い。
 あまりにもおいしかったのでちょっと「過ぎたかな」と、まだなんとなくくらくらする頭を抱えての、今は7日7時半。
 これから平然と出社です。

1月5日(木)

 明日から職場に復帰するにあたり、心得他を友人とメールにてお話。ほとんどチャットのようなやり取りに。
 その中ではっとする一言をいただきました。
「八仙花は仕事の反省をする。でも本当に反省すべきは仕事じゃなくて、八仙花自身の行動なんじゃないかな」
 目からウロコが落ちる、といいますが、まさにそんな衝撃を受けました。
 あのときこうしていたら、の気持ちが自分にではなく「仕事」に向けられているとき、その反省は本当の意味での反省には繋がってゆきにくいのかもしれない。
 思えばわたしが行き詰まるときはいつも「仕事」という自分ではないものへの反省をしていたように思います。
 逆に、己の言動を省みるときは、必ず「次」に繋がってきた気がします。
 統計を取ってきたのでもないので、セレクティブメモリでない保証はないのですけれど。
 でも物事は気持ちから。
 反省の対象を間違えないようにしたいです。きっと最初は反省ばかりが続く日々になるでしょうから(笑)
 あのとき「わたしが」こうしていたら、と反省の主語を噛みしめる必要があるんですよね。
 うん、なんか勇気をもらった気分です。久々の職場で新しい仕事で、怯えてたんですけど、現状やれることをやるしかないし、やれることを増やしてゆくしかないですものね。ちゃんと自分を見つめながら頑張ります。
 大事なことを教えてくれた友達に報いるためにもね。
 などと書いている間に、反省ネタをつくってしまった……。プライベートに限りなく近いオフィシャルで。
 本当にダメダメだなあ。
 まあ、いいや。どうせわたしは飲兵衛で、酒の話ならどこまでも飛びつく馬鹿ですとも。呑みたいがために先走る阿呆ですとも。
 などと黄昏るのは、ひと通りの謝罪がすんでからですわえなあ。
 とりあえず予行練習でもしておくかな。
 ……各方面、ごめんなさい。

1月4日(水)

 読書で学べることにはやっぱり限界があるなあ、と思いました。
 もちろん読書では学べないことがある、というのではないです。書物から学べることは非常に多いし、数を比べれば読んで学べないことのほうが少ないような気もするし。仮に実技であっても「読む」は欠かせないですものね。己で試さなくても先人の努力の結果が示されているのが書物よいところですから。
 でも、人の話を聞くこと、それもとくに広く多数に向けて発せられたものではなく……そう、他ではなくこの「わたし」に照準を合わせて語られることから得るものには代えがたい。
 たしかに「百聞は一見にしかず」ですとも。だけどこの「一見」が実際に見て触れることであるのなら、人との会話はそれだけで「百見」の価値があるように感じられるのです。だって、わたしが聞く言葉が、もうその人の一部なんだもの。
 語られて聞いて見て触れて得る「人」の一部は、書物で得るより不純物がたくさん含まれていてなお高濃度なんじゃないかしら。
 そう思うのはわたしの学びたい対象が「人(とその心)」であるからかもしれないのですが。
 ああ、でもね、精製塩よりにがり、上白糖より黒糖のほうが旨みがあると思うのね。
 濃縮還元果汁よりフレッシュジュースのほうが美味しいし、原酒には原酒にしかない好さがある。
 知識や技が純粋に抽出、濃縮されているという点では、書物はまさに「エッセンス」
 エッセンスをうまく活用しながら、「生」を楽しんでゆけたら幸せなんだけどなぁ。

1月3日(火)

 忙しかったり慌しい日々を送っているとなかなか執筆に取り掛かれません。
 どちらかといえば頭で考えたことよりも心に思うことを記している割合が多いからなのでしょうかねぇ。
 もちろん忙しくて慌しい日々にも蓄積されてゆく記憶と感情と思考はありますし、それが後々創作の役に立つことも少なくはありません。
 でもそれはあくまでも心の整理がついていて、かつ心身ともに充実しているときでなくては難しいのかも。
 書きたいものは多いのだけれど、「書く」に至るまでのハードルが、わたしにはまだまだ高く感じられます。
 書き始めれば書き始めたで躓きまくりなんですけど(笑)
 とりあえず仕事の再開にともなう生活の変化が落ち着くのを待つ間、アウトプット(書く)よりインプット(読む聞く)に重点をおきたいと思います。いろいろお待たせしてしまっていますが、どうぞ今しばらくご容赦くださいませ。
 さて本年の創作目標ですが。
 (1) Eyes Act.1を完結させる
 (2) 風紋を毎月更新する
 (3) 鬼喰第四話を書く
 ここまでが必ず達成したい目標。
 で、ここからは、できたらいいな、という希望。
 (4) seedsさんのお題配布処「シーマの館」から「36 etude」で時代劇
 をやりたいな、と。
 でも時代劇は読むのは大好きなんですけど、書くにはあまりに不勉強で挫折しかかってます。
 めずらしくプロットは出来上がってるんだけどなあ……。すごく書きたいのに、力量が届かない〜。
 ま、頑張ろう。まずはこれまで以上に時代劇を読んでみる。で風俗風習他制度などについてもあらためて勉強しなおしてみるかな。
 なんて思いつつ、昨日も今日もまったく別の系統の本を買ってしまっているのですけれどね。
 年の初めから貪るように読書三昧。先月は本を読む間もなかったから禁断症状でも出ていたのかな。
 読書三昧の一年なら、これはこれで至福だよねぇ。

1月2日(月)

 6日あたりがいいねー、と新年会(原案)の話をし終えてから、わたしの初出社が6日であることに気がつきました。
 ……初出社して即、今晩飲みに行きませんかと誘うワケか。それはまた極めて飲兵衛ちっくな振舞いだわー。出社の理由を問われそう(笑)
 ところで年末の連夜の飲み会。
 詳細を思い出すにつれて(決して忘れていたわけじゃないんですけどね)マズイことを口走ったことに気づくわたし。違う、口走ったことがマズかったことに思い至ったわたし、と言うべきか。
 あまりにも迂闊に口を滑らせたと思う。
 しかもいまさら思い出して反省するなんざ、ちょっと呑気すぎやしませんか、と。
 まあ、うん、汚い言葉じゃないからまだいいんだけど、言わなくてもよいことを言ってしまった感は否めないかも。
 ……
 言うべきでなかった、というほどにはマズイ言葉じゃないだけマシだと思うことにします。そう、正直は美徳です。ええ、まあ、大概の場合においては、ですが。
 さて、初出社で宴会のお誘い、しかも当日? はどうにも格好がつかないので、連絡をつけられる人には明日にでも電話で打診してみようと思います。
 それにしてもこれまで幹事側にはならないように細心の注意を払い参加者として生きてきたってーのに……今さら幹事側に立つことになるとは思わなかったな。人生何が起こるかわからないもんだ。
 ま、酒が入ればどっちも同じだよね。酒旨ければすべてよし。
 ちなみに今回の狙いは「晴耕雨読」甕仕込み。

1月1日(日)

 あけましておめでとうございます。
 旧年中はたいへんお世話になりました。本年もよろしくご指導くださいませ。
 皆々様にとって素晴らしい一年でありますように。
 さてさて、新年ということで気分一新、壁紙を変更してみました。壁紙だけですが。
 今回は日暮れ時、曇る窓の外の雪のイメージです。
 静かに音もなく降り積もり、気がつけば景色を白く染め上げて、だけど季節が移ろえば跡形もなく消えてしまう。
 思い出の縁になるような形見さえ残さずに。
 それでも、雪が降っていたこと、それは本当。
 残らないものだから、なおさらその一瞬を大切にしたい。
 今年はそんな時間の積み重ねを大事にしてゆきたいと思います。己の時も、他の時も、ね。
 そうだなあ……今年は特に人を大切にしたいな。この二年で自分のことはそれなりに思いやれるようになったから。
 それにいろんな人に大切にしてもらっていることも知りました。だから今度はわたしがみんなを大事にしたい。ひとりひとりにちゃんと大切に思っていることを伝えられるようになりたいです。わたしは非力だけれど、それでもこの手を望んでくれるなら、喜んで差し伸べるよ。
 人生の春はもう終わってるんだけど(笑)、花咲く夏にはなかなか至らない。この分じゃ実りの秋ははるかに遠いね。このままくたれていってしまわないためにはどうしたらよいのやら、はたして何ができたものやら。
 花冷えの季節なのか、梅雨時なのか。予感に過ぎないけれど、今年もきっともどかしい一年になる。
 学ぶことはまだまだ多い。
 だけどまだまだ多いと思える間は、きっと大丈夫。
 そう信じてこの一年、精進したいと思います。
 ところで忘年会の記憶もまだ新しい本日、新年会のお誘いがありました。まだ企画段階ですが。
 もちろんわたしは参加する気満々ですが(いい酒があるんですよー)、さて、他には誰に声を掛けたものかなー。
 わたしが声をかけやすい相手となると年齢的に人妻が多いのだけれど、若いのんのためにはお嬢さん方をお誘いしたほうがよいのかも。
 まずは出社したらひと通り全員を誘ってみようと思います。あとは何人が乗ってくれるかが懸念されるところです。
 年初は忙しいからなあ。