ワイルドフラワーガーデンブルーボネットに行ってきました。今がまさに花盛りです。
これは「ワイルドフラワーの里」と呼ばれる一角(右写真)。
一面の花畑。その向こう、遠くに見えるのが「ガゼボ」 洋風の東屋です。
この丘は立ち入り禁止区域。でも立ち入りが禁止されているだけに、写真を撮るのは簡単。
人が映りこみませんからね(笑)
雲ひとつない青空と彩り豊かな花畑の対比がきれいでした。
通常であれば、花を見に行くなら午前中が好みなのですけど、ここ「ブルーボネット」は朝よりも、花がまどろみ始める午後、もしかしたら夕暮れの日差しがよく似合うのではと思います。
一度日暮れ時に行ってみたいな。
こちらは「花の谷」から対岸を映した景色(左写真)。
今日は暑いくらいのいいお天気でしたが、木陰や水辺を渡ってくる風は仄かに涼しくて気持ちよかったです。
この青い花が園の名前にもあるブルーボネット。鮮やかな青が水辺にも映えます。
ブルーボネットはルピナスの仲間だそうです。でも花は小ぶりで背も低く、ルピナスのお澄ましした雰囲気とは違い、どちらかというと愛らしい印象。
黒い筒のようなものは夜間ライトアップ用のライト……かな? 日暮れどきも、きっときれいなんでしょうねぇ。
こちらは「ウッドステージ」から「センターハウス」前のテラスを映したもの(右写真)。
淡いピンクのチューリップが風にゆらゆらと首を揺らしていて、見ているわたしも思わずゆらゆら。思わず鼻歌でも歌ってしまいそうでした。
時折傍らを飛び去って行く大きなアブに首をすくめつつ、この後は写真奥のテラスにてちょっとティータイム。
あちらからの眺めもきれいでした。
帰りには花の種と乾燥ハーブ(ローズ)を購入。
帰宅後は早速種をまきました。予定ではブルーを基調にした花々が咲くはず……はずです。きっと。
外出中もガーデニングの最中も、日差しはとても強かったので、今日は購入したローズをお風呂に浮かべて日焼け後対策にする予定。
でも、そのまま浮かべると後片付けが大変です。そういうことで、今から急遽サシェ作り(笑)
風紋を読み直していて、半年ほど前に直したはずの箇所が訂正前に戻っていることに気がつきました。
……いったい何時戻ってしまっていたのでしょう。謎です。
再度修正いたしましたが腑に落ちません。
たぶん、直したつもりで直してなかったのだと思いますが……いや、わたしのことだから、きっとそうに違いない。あるいは、修正したファイルの一つ前の保存用ファイルをアップロードした、とか。そんな感じでしょう。
まあ、気がついたのだからよしとしましょうか。
パンくずリンクの設置を検討中です。とりあえず日記には設置いたしました。
小説本文はサイドバーの上部か下部か、あるいは本文の上下のリンクナビに加えるか……。
どちらが便利かなあ。
心理学系の入門メルマガに、自分の感情に責任を持ちましょう、という文章を読んでちょっとした感動の中にいます。
外部の要因は感情に影響を与えるが、感情とは自らの内側で沸き起こるもの、外からやってくるものではない。
感情を決める権限を外に渡してしまうと、時として際限なく不愉快になる。
例として、「あの人のせいで苦しい」は「あの人が行いを改めない限り苦しい」で結果として自分の感情の「スイッチ」を「あの人」に握られた状態になってしまう、ということが書かれていました。
なるほど、その通りですよね。
そして自分の感情に責任をもつ、感情の権限を己で持つことは、不快を解決する上で有効だと結ばれていました。
実際、他者の特に悪意のない言動にイライラしてしまったときに、あえてその原因を自分のうちに見つけてみる――たとえば、「わたしが心配性なんだろうな」とか「わたしがちょっとナイーブになってるのかも」とか――と、案外すんなりとイライラは解消されたりしますし。
イライラしたときは「感情は己の内に湧くもの」と唱えてみることにします。
このメルマガ、多くは恋愛心理で「なんだそれ」と思うことがほとんどなんですけど、ときどきこういう「はっ」とさせられる内容があってやめられないんですよねぇ……。
はりきってお風呂掃除をしていたら、気分が悪くなりました。
換気はちゃんとしていたんですけど……。
異変は掃除を終えてから。
もしかしてマズイかも、と思ったときには、頭痛と吐き気と眩暈、舌の痺れに咽喉と鼻の痛み、目の充血、のスペシャル・コンボにKOされていました。
たぶん、お風呂場の換気扇が吸い上げた空気が、トイレの通風孔及びグリルの換気扇から漏れていたのだと思います。
で、部屋の中に静かに逆流、ひそやかに充満、という感じ?
慌てて家中の窓を開けましたが体調の回復は明日を待たないと無理かも。
ぬかったわ。
にわか雨に忙しい一日でした。
干して取り入れて、取り入れて干して。
二人暮しなので量が少ないのは利点ですけど。
りんごの花と一緒にいただいたハーブでハーブティなどを楽しみつつ、執筆にいそしむ本日。
でも思ったよりも書けてなくてガックリ。
りんごの花枝を頂きました。
少し桜に似ています。
蕾は薄い紅、花は白。桜よりやや大振り。
葉は桜より厚めで、色は葉の表と裏で異なり、表は鮮やかな緑、裏はそれに紗をかけたような色。
枝の先端に花が、そして花を包むように葉がでているので、まるで簪のようです。
実際に挿してみるには、大きすぎるのですけれどね(笑)
顔を近づけると仄かに甘い香りがいたします。
机の脇に飾っているのですが、なんとも幸せな気分です。
外出ついでに本屋さんへ。
桜(盆栽)の剪定や植え替えの書籍を読み比べ。
中で、もっともわかりやすかった二冊を購入。
どうやら台木の「ひこばえ」に原因があったようです。
そりゃ、接いだ桜より台木の芽があれば、養分も水分もそちらに割かれて当然ですよね。
ということでひこばえは剪定いたしましたが、これもなんだか捨てるに捨てられないのでしばらくは花瓶に生けて鑑賞いたします。
ところでこの子はなんの木なのでしょうねぇ。
気になります。
うっかり更新履歴の更新を忘れていましたが、21日にサイトの模様替えをいたしました。
自作壁紙第三段。今度のテーマもレトロモダン。まえのストライプと比べるとちょっとうるさいような気もいたします。
でも前回のストライプに変えたときは「ちょっと素っ気無い?」などと思ったので……しばらくはこれで行こうと思います。
当初の予定では水色っぽい薄めのグリーンと明るめのこげ茶でランダムな花模様を書きたかったのですが、試しに作ってみたら……なんというか長時間の直視に耐えうるものにはならなかったのでボツに。
いつかリベンジしてみたいです。
更新をうっかりしていた、というと、検索エンジンに登録しているデータの更新。
昨日気がついたのですが、二日遅れで更新するのも申し訳ない気がしてしまったので、今回は情報の更新を見送ることにいたしました。なんとか次回を早めに仕上げて、情報を新しいものにしたいと思ってはいます。
今日はお墓参りに。
モデルハウスならぬモデル墓としてうちのんをご覧になっている方がいらして、なんとなく嬉しかったです。
だってデザインにおいてはいろいろと拘ったりもいたしましたし。特にこちらからお声をかけることはいたしませんでしたが。
特に嬉しかったのは、ご覧くださってる御夫婦がさりげなく手を合わせて御挨拶くださったことかな。
なんだかほんわりと温かい気分です。
風紋の第六夜二以降のプロットを組みかえていて少々悩んでいます。
エピソードの順番次第でそれぞれの印象がかなり変わるだろうと思うと、大事にしたいのはどちらの印象かな、と。
もう少し考える時間が必要なのかなあ……。
人にはいろんな一面があります。その中のどの部分が目立つかで「個性」や「性格」といわれるようなものが表れると思うんですけど……だから同じ人を見ても、見る人によって対象となる人の印象は変わるし、どこを見ているかによっても違う。
つまり見る人(語り手)の性格によって、見ている相手の性格も違って見えるわけですが。
最初の印象が、たぶん一番強くなるんじゃないかと思うとですね……迷うところも大きいのでした。
どうしたもんかなあ。
御桜さん(桜月亭)の日記で、
「歴史小説」というものを探しに来た人が、いったいどういう作品を求めているか考えてほしい
という一文を読んで、そうだなあと思ったのでした。
その本質はこの件に限ったことではないんですよね。
まず、相手が何を求めているのかを察っしたうえで対応を決めるということの大切さ。
それから、それが社会においてどのように認知されているか。よく似た別物との差がなんであるのか。
それに対する己の解釈と、社会一般の解釈に錯誤は生じていないか。
己が社会一般の解釈と信じるそれが、仲間内のみに通じる解釈になってしまってはいないか。
……そういうことを、何事においてもちゃんと考えないといけないのでしょうね。
他には「実存」ですかねぇ。
己の実存さえ時には希薄になるらしいこの現代では、すでに遠い昔に死んだ人の実存を思うことは難しいのかもしれませんが。
歴史小説の愛読者として「歴史上の人物を『萌え記号』にしてしまわないで欲しい」「歴史小説にゲームのようなバーチャルリアルの感覚を持ち込まないで欲しいな」などと思うことは確かにあるのでした。
もちろんお話にちょっと花を添えられるのは歓迎なんだけど、添え物あるはずの花が大切な局面で表立って活躍しちゃなんねえよ、というところかな。
ツマもそりゃ食えなくはないけど、ツマがメインの刺身は嬉しくないよ。
刺身と銘打つ以上は、ツマよりも刺身のほうが多くなくちゃならんと思うのですが、いかが。
もう削れない。これ以上は削れないよ、というところで鬼喰第三話七の更新です。
ファイルサイズは21.7KB。ヘッダー、フッター、タグを除くと正味は18KBくらいかな。
当初は正味で26KBあったので、8KB、およそ3割のダイエット。
結構難儀しました。
ざくざくと削ってしまえばいいのに、書いた文章には愛着があるというか……「えー、これ削るのー? 頑張ったのにー」みたいな(笑)
頑張ろうが気に入っていようが、読んでいて冗長に感じるようではダメですよ、と思いきって削り落として、それでもカットした場面のテキストを捨てられなくて急遽「保存3.txt」なぞを作り保管してしまいました。保存「3」というところが、これまでを語っております。
今回に限らず、一度削ったものが別のところで使われるなんてことは、まずありえないんですけどねぇ……。
それだけにまた捨てがたくもあるのでした。
ともあれ、二十日ぶりの更新ですがお楽しみいただければ幸いです。
風紋のほうはさらにお待たせしておりますが、もうしばらくの時間を頂きたくお願い申し上げ奉り候
気ぜわしい日が続いています。これといって急な用事があるわけではないのですが、気持ちがそわそわとして落ち着きません。
気持ちだけそわそわしていても仕方がないので、じゃあ、ひとつ忙しくしてみるかということで、忙しくやってます。
家事でも趣味でも時間を区切って「何時までに〜〜をやる!」と決めてみると、気持ちだけが忙しいわけじゃないので、えーっとバランスがとれるというか、まあ、それに夢中になっている間は落ち着かない気分を忘れられるというか……
ワーカホリックの名残でしょうかねぇ……。
政治的な思惑はさておき、文化摩擦だな、とこのところの騒動を見ていて思うしだい。
神として祭る、というのは、日本においては「偉人を讃える」よりも「無念を抱えた怨霊をなだめる」ためであることのほうが多いとか。
それと呼応するように、「死者はみな仏さま(であって欲しいという熱烈な願いは怨霊への恐怖の証でもあるんですけど)」として、亡くなった人の生前の悪行にふれることは禁忌といった感覚が根強いこととか。
余所の国では「偉人」が聖者や神さまになるほうが断然多く、「怨霊を神として祭ることで厄除けに」だなんて感覚は、多分ないと思います。
死んでしまった人は仏様だから悪口は言わない――これも口にするのも恐ろしいという感情からであったり、口にして祟られたくないという思いからでもあったり――というのも、「悪人は死後も裁かれ続ける」的な宗教観を持つ人々にはよくわからないことでしょう。
この違いを語らずして理解してもらおうというのは、無理だと思うんです。
これは、あれですよ。「リング」の貞子。
同情して「無念だったね。かわいそうだね」と表明することで彼女のもたらす禍から逃れようとするような感覚。
でも、彼女が納得してくれなきゃ、人がどんなに努力してもダメダメって感じの。生きている人は死者には敵わない、という、恐怖感みたいなね。
だからこそ死者(幽鬼)を退けるタイプの能力を持つ人が活躍するお話が古来あったりしてね。それでもお話の中でさえ、いつも勝つとは限らない。
悪人は死後も裁かれるとする文化と、むしろ死後にこそ怨霊と化して祟る、という文化の差も相互の歴史認識に大きな溝を作っているのかも。
……そもそも善悪の基準も日本ではかなり曖昧ですしねぇ。
勝てば官軍(正義)なんて言いながらも、判官贔屓(負け方に同情的)が一般的。
歴史を善悪で語らない文化ってのもあるかもなあ。
そういう特異な……余所から見れば奇異とも映るかもしれない文化ですが、コレをもちょっと積極的にアピールしてもいいんじゃなかろうか、と思います。
まあ、その「積極的」に「わたしを理解して、わたしを愛して!」って主張することが、そもそも日本では「アイツどうよ」と思われる可能性のほうが断然高いので、それも難しいとは思いますが。
ここはひとつ、理解を求めつつ、相手様がこちらのどのあたりを理解できずに戸惑っているのかを知るところからはじめるほうがよろしいのではないかと思います。そのうえでさらに根気よくアプローチをすることが必要なのではないでしょうかねぇ。
急いては事を仕損じるとも申しますしね。じっくりじっくりですよ、何事も。
(でも更新はもうちょっと急ぎたいかも)
頂き物の文旦がたくさんあるので、その半分でジャムを作りました。
最初は深さ20cm、直系27cmくらいの鍋を使っていたのですけれど、途中から我が家で一番の大鍋を使うことに。
この大鍋、カレーなら大盛で14,5人分は作れるサイズのもの。
出来上がった膨大な量の文旦ジャムを眺めつつ、途方にくれています。
とりあえずはフリーザーバッグに保存かな……。
出来は上々。程よい苦味と爽やかな香り、砂糖は控えめにしたので甘みもしつこくなくて良い感じ。
でも超甘党の旦那曰く、
「もっとはっきりした甘さがあってもいいんじゃない?」
市販のジャムのように甘くないのが今ひとつ気に入らないようでした。
市販のジャムはわたしには甘すぎて舌がしびれるような感じを覚えるので、これくらいがちょうど良いのですけどねえ。
というか、市販のジャムのように甘くしなくちゃならないなら、わざわざ自分で作るより、買うほうが安上がりで手間もないし。
そういうことで、旦那用のジャム(超甘口)とわたし用のジャム(薄口)でボトルを分けてみようかと。
お天気も良くてよい外出日よりでした。
本当は徳川美術館の源氏物語絵巻の復元模写を見学に行くつもりだったのですけれど、朝寝をしてしまったのでした。
でもそれがかえってよかったのかもしれません。
ドライブついでにペットショップへ。
御猫お気に入りのフードと砂と玩具を購入。
帰宅後に御猫用サンルームの設計図を作ったりして、楽しい一日でした。
鬼喰を一話から読み返していて、「ぐはぁっ」という気分に。
第三話完結後、手入れする予定(もちろん文章を適度に整えるだけ、台詞や場面の追加、削除は一切いたしません)。
でも、なんかもう居たたまれなくて、見なかったことにしたいような気もします。
三話の七は少々分量が増えてしまって現在ダイエット中です。せめて20kb前後に落としたくて……来週半ばには、更新したいです。
あっ。
忙しさに紛れうっかりしていましたが、カオパラらんきんぐ(「鬼喰」で参加していました)へのご投票、ありがとうございました。
頂いたメッセージは大切に保管しております。
今後ともよろしく御指導御鞭撻のほど、お願い申し上げます。