辞書・辞典レビューに五冊を追加。
わたしのお気に入りの辞書の紹介を主目的にしているのですが、その辞書・辞典の何がお勧めなのかを書くのは、思ったよりも大変でした。
どうしてお気に入りなのか、お蔵入りの辞書・辞典とはどこが違うのか。
そういうことを考えながら繰り、読み返し、書き出して……まあ、そういう作業が好きでもあるのですけれど。
何度か読み込んで、うっかり忘れていたことを少し思い出しました。
気分を刷新してくれるのも、読書の良いところですよねぇ。
感情表現の方法はひとそれぞれである。
全身を使って表現する人もいれば、気配のみでそれを伝える人もいる。
受け取る人の資質如何で表現された感情への感情も千差万別だ。
まあ、それはいい。
今日、わたしは実に不愉快な目にあった。具体的に言うなら、風呂掃除をしていて気がつけばスラックスの膝の色が抜けていた、と。どうやら昨晩家人が浴槽の外側にカビ取りスプレーでも吹き付けたらしかった。
……これが己の所業であるのなら、一から十まで自己責任である。
だがこの場合「ひとこと言っておいてくれよ!」とムカっ腹を立てても仕方がない程度には自己責任ではないはずだ。わたしはそうだと信ずる。
信念に従い、わたしは怒りを表明すべく、まずはこれ以上被害が大きくならないうちにスラックスを水で洗い流しながら、その手段を模索した。
理路整然と冷静を装い、無表情で「以後注意されたし」と言うという方法は、もう飽きた。
新しい方法を開拓しなければならない。幸い件の家人は、隣のスポーツクラブで汗を流している最中だ。わたしは洗面所でスラックスについたカビ取り剤を流している最中だ。……
そこで、ふと思いついたのが、家人のギターの胴に新聞紙を詰める、と言うものだった。
だめだ。詰めた新聞紙をどう出せばいいのかわからない。出せなければギターは楽器ではなくただのオブジェになってしまう。そんな暴挙をはたらくのは類人猿にも劣る。
次にアタッシュケースに千切った新聞紙を詰めてそ知らぬ顔をする、と言う方法を思いついたのだが、さすがに勤務先であけたケースからさらさらと細切れの新聞紙が流れ出すと言うのは外聞が悪い。いや、そのインパクトの強さを思えば心惹かれぬでもないのだが、現場を見られぬのでは面白みも半減だ。
そういうことで、わたしは芋が焼けそうなくらいの新聞紙を千切って、その中にアタッシュケースを埋めることにした。ついでに靴の中にも丸めた新聞紙を――千切ったものをいれたのでは後々面倒なので――詰めることにする。設置場所は玄関のあがりだ。
さあ、急げ。帰宅予定時間まであと十分。できるだけたくさんの新聞を千切るのだ。大きさは小さいほどよい。
本日の新聞でないことをしっかりと確認し、わたしは新聞紙を千切った。千切って千切って千切った。
手が痛い。腱鞘炎になりそうだ。しかしこれは完遂せねばならない。
なんといっても新しい表現の第一歩なのだ。頑張れ、自分。
しかし時間は迫ってくる。千切っている姿を見せるのはNGだ。そんなオニババのような光景は面白くもなんともない。
仕方なく当初の予定の三分の一、約一日分を千切り終えたところでわたしはこれ以上千切ることを諦めた。
次は演出である。ドアに背を向けて立ち、何処にどの角度でアタッシュケースを置くべきか、新聞紙はどのように撒くか。予定の三分の一の分量で、度肝を抜かねばならない。これは難題である。できるだけふわっと、空気を孕ませるのがよいだろう。
あれこれと試し、万全を期してわたしは家人の帰宅を待った。
驚くだろうか。驚かせることができるだろうか。どんな顔で「ただいま」を口篭るだろうか。口篭るのは「ただいま」の「だ」か「い」か……ひょっとしたら声もでないかもしれない。素晴らしい!
気分はもうサプライズ・パーティーv スラックスそっちのけ。
もはやそんなことはどうでもいいのだ。物品は遅かれ早かれいずれダメになるものだ。そんなものに拘るのは美しくない(どの口が言う)。それよりも大切なのは、この、芸術的にまでこった新聞とアタッシュケースの生み出す造形が、どのような衝撃をもって帰宅した家人に受け止められるか、である。わたしの新しい表現がいかに評価されるのか!(本末転倒)
期待は裏切られることなく、家人は「ただい」のあと「うほわぁっ」と叫びました。
「どうよ、怒りの新作。題して『玄関と新聞とわたし』主演アタッシュケース、制作時間は十分と少し」
「……その努力に敬意を表明する。なんだか知らんが俺が悪かった」
久々の 圧 勝 !!
以下、事情を説明し、ふたりで新聞紙の紙ふぶきを片付けました。
その間、互いに笑いすぎたため、今は顎がかくかくしてます。
風紋、鬼喰の誤字のご連絡ありがとうございました。本日修正いたしました。
鬼喰の第七章を書きながら、php化を進めています。
今日は温かい一日でした。
春物の洋服をうきうきと準備しています。冬物を片付けるには至っていないのですけどね。
phpへの書き換え中とある箇所にて躓き、恥も外聞もなくやってくれ――もはや「教えてくれ」でもないあたりに窮まった感じがあります――と旦那に依頼。
当然、書けるところまで自分でやれ、との言葉をもらう。
「よし、デバッガ確保!」
「違ーう!」
「バグ発見、バグ発見、デバッガは速やかに集合されたし。これより本部は緊急退避に入ります」
「バカタレ!!」
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「……緑茶」
そんなこんなで賑やかな夜更けでした。
でもまあ、できるところまでは自分でやろうと思います。問題は「できるところ」が極端に少ないってところでしょうかね。
精進精進。
htmlでphpスクリプトを動かすことに成功。
cgi-binに.htaccessを設置して、このディレクトリにあるのは全部cgi扱いですよ、と宣言。それでOKでした。
今のところそれでOKですが、今後もしかすると不具合があるかもしれないので、まあ、それはそのときに対処することにいたします。
そういうことで、とりあえず日記とインフォメーション関連のファイルをphpに変更。
ファイル名も見た目も特に変化ありませんが、一応phpで書き出しされています。
ヘッダーとフッター、コンテンツエリアを分割。
requireでヘッダーとフッターを呼び出し、各ファイルにはコンテンツのみを記述、という感じ。
ただし、ヘッダーの中にはmetaも含めてしまっているので、keywordsやdescriptionなどの各ファイルごとに異なる箇所は変数に。
ファイル管理は随分楽になりました。随時他のファイルも変更してゆく予定です。
不具合がありましたらご連絡ください。
洗濯機から洗いあがったものを取り出しました。
黒いTシャツなどはそのまま洗うと白っぽい糸くずがついてしまうことがあるので目の細かいネットに入れて洗うのですが、本日そのネットの中にレシートが仕込まれておりまして……黒いTシャツはパルプ状になったレシートにまみれて惨憺たるありさまに。
パルプの原料がレシートであることは僅かに残った断片から判別いたしました。で、持ち主に「以後注意されたし」と通達したのですけれども、その後手すすぎでパルプを洗い流しながら、もう、テンションは下がりまくりでした。
一気にやる気が失せると言うか、萎え萎えになるというか……。
まあ、いいんですけどね。流せば落ちるものですから。
ただちょっと気が滅入るっていうのかな。憂鬱な気分にはなりました。
いいんですけどね。ええ、たいしたことではないですし。うん、全然平気。気にしてないから(自己暗示中)
腰痛は随分良くなりました。気をつけながらですが動けます。
このところ体を動かしていなかったので、眠気がなかなか訪れず、夜更かしをしてしまいます。
人は夜動くようにはできていないそうですから、早いところいつもの生活パターンに戻りたいです。
などと思いつつも、深夜にワーグナーの歌劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を見て、そのまま夜明けを迎えました。気がつけば日付は当に変わって朝の5時25分。
いまから少し眠る予定です。
さて、歌劇の内容ですが、一言で言って「いい人ですよ、靴屋さんは」。しみじみとそう思います。
血気盛んで一本気な若い騎士さまもよろしいですが、わたしとしてはイチオシは靴屋のザックス親方ですよ。
思慮分別と理知と誠実は一生長持ちする美点ですからねぇ。反して地位名誉は砂上の楼閣ですし、情熱ってのは一過性の病気みたいなもんですから。
ところでエーファとマグダレーナという二人の女性の命名の洒落に見終わった後で気づき、吹きだしてしまいました。
エーファは歌詞にもあるとおりエデンの園の彼女ですが、マグダレーナはマリア・マグダレンですね。
ええっと、マグダラのマリアと言うほうがわかりいいのかな。
彼女の評価は時代により二転三転なんですけど、ワーグナーの時代は魅惑的な女としての印象が強かったはず。
いいねえ、野郎どもを手玉にとる乙女たち。
恋に身を焦すには歳を重ねすぎ、恋を忘れ去るにはまだ歳月が足りない。
そんなやもめ男の切なくほのかな恋物語は、娘たちの愛を勝ち得ようと頑張っちゃう男たちの愚かな純情と、純情そうで男を惑わすにかけては手だれな乙女たちの織り成す喜劇でもありました。
引き続き腰痛。
過去を思い起こすとき、人は一人称でありながら神の視点を持つものだと思った午後。
一人称でお話を書くとき、たとえば鬼喰の場合は和ですが、通常は彼が思ったこと、知ったことしか書けません。
彼が知ったことさえも、多分に誤解を含む可能性もあります。
このミスリードが物語の味付けになるのは言うまでもないのですが、今回書いているのような「実際の時間軸」の中に「思い出す」という行動が入ってくる場合。
その思い出の中、つまり物語の中の「過去」を振り返るとき和に神の視点を加えても、珍奇にならない。
ようするに、人は過去に対しては神の視点を持てるのだなあ、などと思ったのでした。
思い出というとわかりにくいのですが、歴史だったりするとそれは顕著で、「歴史が我々を裁くだろう」なんていうのも根本は同じだな、と。
同じ時間軸にいるときは当然、先のことはわからない。そして自我がある。自我の中には自己の保身とか自己の利益とか、そういったものが複雑に絡み合って混在しているから、決して「神」にはなりえないんですけど、これが己とはまったく無関係のものになったとき、冷静に、そして公平に他人事として判断できるわけです。
そして判断だけでなくその前後の流れも完璧に把握できるのでして。
(ということは、公平になりきれないときは、まだまだそこに自我と主観が現在進行形で存在するということですから、神のような素振りで「いかにもな公正」を気取って裁くことは許されない段階にある、ということでもありますね)
人は過去に対して神の視点をもてても、その過去に対して神の業を揮うことはできず、未来に対して神の業を揮うことはできても、その未来を神の視点で見ることはできない。
さて、今のわたしはこの先のわたしに如何様に裁かれるものか。実に興味深いです。
すみません。ちと体調不良で寝てました。
……たんに腰痛なんですけど、動けないってのは痛いです。
背中に薄い枕をあてがって仰向けで本を読むくらいしかできなくて……。
加減しながら適度に体を動かすほうが、本当は良いのだそうですが、手のひら大の石包丁が腰骨に刺さってるみたいな痛みでしてねぇ……。じっとしていても痛いのですが、動くとなお痛いのでした。
侮りがたし腰痛。
どうしようもなくて、ちょっと昨日までの問題から離れることにいたしました。
というか、お話のほうが書きたくてたまらなくなったんですけどね。
そういうことで書いては消して消しては書いてを繰返していました。
脱線さすなよ、それは次へのフリであって本筋じゃないから、と自分に言い聞かせつつ……。
書きたいことがたくさんあると取捨選択が難しいです。
いっそ全部書くか、……それは無謀というよりも、むしろ蛮勇。
そんな葛藤の中に首までどっぷりですワ。
首が沈んだら、暴挙もやっちまうでしょうから、もし今後万が一やっちまったら「沈んだな」と思ってください。
できればわたしも沈みたくはないのですが、足首を小説の妖怪にがっちりと捉まれているようなので、このままゆるゆる沈んでいってしまいそうな気配ですよ。助けて神様(笑)
素直にXOOPSを使えば、などと旦那に言われつつ、htmlにてphpを動かす実験を本日も繰返すわたし。
通常は.htaccessに
AddType application/x-httpd-php .php .html
と記すと*.phpでも*.htmlでもphpスクリプトが使えるようになる、ということなのですが、ここのサーバではそれは無理ということで、代替策がこんな感じ。
1.~/www/cgi-bin/を作り、そこに/usr/local/bin/php をコピー
2.~/www/test/を作り、.htaccessに
AddType application/x-httpd-php .php .html
Action application/x-httpd-php /cgi-bin/php
と記述。
これでtestディレクトリ内では*.html上でもphpスクリプトが使えるようになるはずですよ、とのことですが……
結果は変わらず404Not Found。がっくり。
めげずに模索中です。
……どうしてXOOPSを使わないのか?
ブラウザ上で操作するのが好かんのです。ブログもそれが玉にキズだと信じているくらいなので(苦笑)
サイトを全部PHPにすることにしました。
改装そのものは二日くらいでできると思うのですが(下準備一日、動作確認一日くらい?)、そのまま移行すればアンカーをすべて*.htmlから*.phpに変更しなくてはならない……。
内部は置換で一発だけど、外からのリンクやブックマークを思うと「書き換えてね、お願い」というのはとっても心苦しい。
そういうことでhtml上でもphpスクリプトを動かせる方法を探して丸一日。
解決できたら、一気に移行ということで元気に方法を模索中。
博物館へ。
今日行ったのは産業技術記念館、というトヨタ系列の博物館。
旧豊田紡績本社工場跡に残されていた大正時代の建物を利用して作られているそうで、赤いレンガの外観がとても美しい博物館です。
本当は特別展示室の企画展示がお目当てだったのですが、常設展を楽しんでいるうちに数時間が過ぎ、時間切れ。
特別展示は9月までやっているとのことなので、日をあらためてゆっくり見にゆきます。
常設の展示内容は、繊維機械館(紡績技術の歴史)と自動車館(国産自動車の技術と生産の歴史+生産機械の展示)。
繊維機械館では道具から機械への移り変わり、機械の動力の変遷、そして制御機構の進化などの展示を興味深く拝見いたしました。
手作業の工程をそのまま機械化しただけのものから、独自の工程への変化(ショートカットが出来上がるまで、かな)には特に心惹かれるものがありました。
中でも、高速化のために「シャトルの速度をあげる」のではなく「シャトルを使わない方法を考える」というのは、すごいと思いました。逆転ではないのですけれど……今のシステムを改良するのではなくて、根本から考え直す勇気というのかな。憧れます。
憧れると言えば。
技術研修のために留学した二代目は、単に技術だけを学んだのではなくて「実際に工場で稼動させたとき」を想定して技術を検分しているところとか。
能力的なことだけではなくて、実際に役に立つ技術と技術を現実に役立てるための見地というのは大切なことだと思います。
自動車館の後半は、もう、すっかり盛り上がっちゃっていたのでよく思い出せないのですけれど、退役した機械たちが
「こんなふうに働いていたんですよ〜」
というように動きを見せてくれているのが温かくて、いいなあと。
ふと思ったんですけど、あの退役した機器のメンテナンスができる人や、それらの機器の扱い方を説明できる人が、あの博物館にはいらっしゃるということなんですよねぇ……そういえば金属の強度試験機器のコーナーでは、案内嬢にレクチャーしてる方がいらしたし。
さわっていいですよ、動かしてみてください、の展示品がわりと多めなところも好きです。
次回は是非「―モノづくりの源流―トヨタコレクション展」を見たいと思います。
お墓参りに。
ここ数日、風が強かったのであちこちで花入れから花が飛び出してしまっていました。
わたしがなおしてよいものやら、と思いつつも、素通りもできず、主があきらかで元気のよいお花は花入れへ戻しました。
主がわからない花は踏まれたりしないように道の脇によけて、枯れてしまっているものはお墓の隅に置くことに。……捨てちゃうのはちょっとできなかったので。
昨日から彼岸入りしていますから数日のうちにはご家族の方がいらっしゃることに期待します。
今日はよいお天気でしたが、昨日に引続き風が強く、蝋燭に火がつかずなかなかに大変でした。
ナナメ読み突貫中ですが、頭の中で飽和状態になりつつあります。
文化史は割とすんなり頭に入ってくるんですけど、政治史はダマになってます。わたしの興味がどこにあるかをあらためて自覚する一日でした。そういや世界史でもそうだった。
政治史こそが歴史の王道だと思わなくもないんですけどねぇ……まあ、向き不向きがありますから。うん。
もっともナナメ読みでわかることなんて多くないですから、ま、ダマになって当然ですよね。
ダマは追々じっくり溶かすことにいたします。料理と違ってこういうのんは時間を限定されないからよいです。
御礼SS「見えない言葉」へのご質問をいくつか頂いております。
以下Q&Aです。
御礼SSは10kb前後に収める、という目標のもとで書いているのですけれど、必要なことを書き込む技量がまだまだ足りない感じです。
こういうQ&Aって、本当はずるっこなんだろうなあ、とは思うのですが……ご容赦下さいませ。
頂いたご質問を指標に、掌編集にするときは少しだけ書き足しをしたいと思います。
御礼SSに「カードの人のお話」をリクエストくださいました方、さっそく書いてみました。
(カードの人、というのが、志野にクリスマスカードを贈った人のことでありますように)
先日御礼SSは差し替えたばかりですが、シーズンものなので……。
御礼SSはいずれどこかにまとめて掲載いたしますので前作は短い期間の公開でしたが、どうぞご容赦を。
ランダム表示にしようかとも思ったのですが、一度読んだものばかりが、というランダムの罠もありますからねぇ……。
今日は調べものに一日を費やしてしまいました。
わたしは世界史を選択したので日本史、特に近世、近代史に弱いところがありまして(年号程度なら覚えていなくもないのですが、その詳細には無知です)、今近世以降の歴史を再勉強中。
旦那の書斎には何故だか日本史関連の書籍が山とあるので、お勧めをピックアップしてもらい、明日は一気に読み込む予定です。
……でもざっと選んでもらっただけで十一冊あって、ナナメ読みでも丸二日はかかりそうな気配。