提案に対し、その穴を指摘することはとても大切なことなんだけど、指摘することと並行して穴を塞ぐ手立てを提案することを忘れると、ただの難癖になってしまう。
例をあげると「基本的には反対じゃないんだけど、でも〜のときはどうするの」という指摘のしかたね。
これ、丸投げって言って、ブレーンストーミングでも一番嫌われる発言(笑)
穴を列挙するだけ列挙して対策は別の人に考えさせる、という……そうだな、いってみれば、師が弟子に、上司が部下に、親が子に再考を促すようなやり方、と言えばわかりやすいかも。
つまり「上からものを言う」という態度なんだよね。対等の関係でこれをやると、怠惰か傲慢か。どちらにしろいい印象はもたれない。
これをうっかりやってしまう人がいる。たぶん本人は意識していない。でも無意識の行動って本音だったりするの。
あるいは「相手の上に立ちたい」という願望の表れであることも多いんだけど。
そういうのが透けて見えると、ちょっと困ったことになったりもする。
それを避けるには、「どうするの」じゃなくて「〜のような事態も想定できるから、……というような対策が必要だと思う」という形で述べなくてはいけないんだよね。
提案そのものに反対の場合も「どうするの」「どうするの」「どうするの」って重ねて潰そうとするんじゃなくて、「〜のような場合における対策はお済でしょうか」+「しかしその対策では〜の点で不十分ではありませんか」という流れで着実に潰してゆかないといけない。
その過程において穴が塞がれば反対する理由はなくなるわけだだから。
だから穴を列挙して「どうするの」で丸投げしちゃう人は、提案の是非には興味がない。
その人の興味は、自分がその場を動かしている、という満足感を味わえるかどうかに集中してるから。
さらには満足を得られる場の消失を恐れるから、解決が見え始めると「でも〜のときはどうするの」って、また無意識に引っ掻き回す。結局提案はいつまでも提案のまま、そこから先に進まない。
こういう人がいると、正直、いろんな物事の将来に影を落とすと思うんだけど、当人は
「議論に熱心な俺って素敵!」
なんて思ってそうで、ちょっと苦笑がこぼれる。
「どうするの、じゃなくてどうしたらいいのか考えてよ」なんて返すとね、間違いなくこんな返事。
「それをみんなで考えるための場所でしょう!」
違うってば(笑) あなたの疑問に答えをだす場所じゃない。ついでに言うと、この「みんなで」って部分がね、特に笑える。
これ、突きつめるとこういうことだから。
「穴を指摘してあげた俺はすごい。それなのに対策を練れないみんなってどうよ」
もっと深く暴くなら、
「対策はみんなで練った。だからこの対策が効果を発揮しなくても俺の責任じゃない」
ってとこかな。もっとも多かれ少なかれ、誰もがもってるものだけど。わたしもね。
そういう意味でも国会中継って、見ていて飽きない。実に興味深くて面白い。
機会があったら是非見てね。
あ、ある特定の法案についての意見じゃないよ。その審議の場の景色としてのお話ね。念のため。
プライベートで使用しているメールアドレスに不快なメールが舞い込むようになって三ヶ月。
わたしが利用しているプロバイダは、迷惑メールのフィルタリングはできても受信拒否はできません。そのため送信者は、送信したメールが捨てられていることも知らずに送り続けてくるわけです。
この方法だと、根本的にはなんの解決にもならないと言うか……結局のところその場しのぎにしかならないんですよ。
放っておけばメールサーバのゴミ箱は一杯になっちゃうし、たしかに大量のスパムを一気に削除するのは愉快でもあったりするのですが、件名を見るだけでも不愉快なメールと言うものもありまして。
全般的に、エロティックというよりは「汚らしい」という感じ?
そういうことで、メールアドレスを一旦解約し、新規で契約することにいたしました。
これでもう、汚い言葉や表現を目にせずにすみます。万歳!
週末になると日記がお留守になるのはもはや仕様です(嘘)
家に人がいると意識がどうしてもそちらに向いてしまうようで、なかなか書く気持ちになれないみたいです。
けっして内容を除いたりはしない人ですし、どちらかと言えば「こういうことをこういう言い方で書いても大丈夫かな」などと、わたしのほうからチェックをお願いすることのほうが多かったりするくらいなんですけどねえ(実は小説の下読みもお願いしています。結構、厳しいつっこみをもらいます……)。
本日は先週買いこんだ本を読みながら、一日中がティータイム。茶菓子は銀のぶどうのさくらパイ。
紅茶パイの桜バージョン、と言う感じで、口の中に入れたときに仄かに桜の香りがするパイです。
一気に食べちゃもったいないわ、と思いつつ、手が止められないのがうまいもの。
ああ、こっちにもお店があればいいのに〜、という気分。
外出を予定していましたが、あまりの寒さに断念。
午後からは雪も降り、三月もそろそろ半ばとは思えぬ寒さに靴下を重ね履き(笑)
窓辺の満開の桜(盆栽)と、外に舞う雪が不思議な景色を作っていました。
花見で雪見だなんて素敵だねー、などと話しつつ、のんびりと一日を過ごしました。
冷え込みは月曜日一杯まで続くようです。
皆さまもお体にはお気をつけくださいませ。
労いの言葉は必ず上から下に向かって発せられるものです。
ご苦労さま、と声をかけてよいのは、社会的に自分よりも下位の相手に限定されます。対等以上の相手に用いることはできません。
さま、などと一聞するには丁寧に思える飾がついているからわかりにくいかもしれませんが、「さま」を抜いてみましょうか。
「ご苦労」
……。
たとえば「ご苦労様でございました」などと上辺だけ丁寧にしても、丁寧表現をすっ飛ばせば「ご苦労であった」
それこそナニサマのつもりだと言われて不思議ない言葉ではありませんか。
言葉面がいくら丁寧でも、労っているその意味には変わりはありません。
自分のために労を割いていただいた感謝の気持ちを表すなら、ストレートに
「ありがとうございます」
でよいのです。
上役らしき方に向かいひたすら平身低頭しながら「ご苦労さま」「ご苦労をお掛けいたします」を連発していたいい歳をしたオジサンの行く末が気になる夕方。
三日続いたMovavleTypeのカスタマイズも本日でひとまず完了。
あれとかこれとか拘ったところはたくさんあるんですけど、表立ってはわからない。
でもそれが実は一番の喜びだったりいたします。
気分転換の三日間が過ぎ、執筆意欲も回復してきました。どうも一定量を書き上げると、しばらくは抜け殻になるようです。
ということで御礼SSも久々に更新です。明日中にはUPできる予定……予定、うん。
以前よりリクエストを頂いていた鬼喰inホワイトデーです。
御礼SSは「リクエストに挑戦!コーナー」になりつつありますが、せっかくの「感謝の気持ち」ですからご希望に添えるほうがいいかな、と。
気長にお待ちいただくことになってしまうとは思うのですが、御礼SSのご希望がございましたら、連載中の作品の番外に限らず是非お聞かせ下さい。
昨日に引きつづきMovableTypeのカスタマイズ。
ヘルプを読みながら、久々にメモを取ったりしながらかなり本気でやってました。
独自のタグの特徴がつかめてきたので、明日にはひと段落しそうかな……。
わたしがブログシステムを好む一番の理由は、スタイルシートを切ったときにもちゃんと文書が構造化されているところ。
こちらのサイトでもそうなんですけど、スタイルシートが無効化されたときには、プレーンなテキストとして読めることを第一に考えています。ちなみにスタイルシートを無効にしたときのトップはこんな感じ → 比較図
デザインにももちろん愛はありますし(笑)、その愛を見てくださる方にも愛でていただければそれはもちろん幸せなのですが、やっぱり「テキストは読めてこそ」。スタイルシートを無効にしたときにもテキストとして読めるものでありたい。
「どんなブラウザでもデザインが崩れない」ということに魅力を感じた時期もあったのですけれど、いつの間にか「どんなブラウザでもテキストが読める」ことのほうが小説サイトでは重要だと感じるようになったのでした。
最近では「文書の構造」が、そのままデザインだと思うことも多くなりました。
デザインのために用いていると思っていた<div>にも、よく考えるとちゃんと文書としての意味があったり、ね。
そういうことを考えながらコーディングするのは楽しいです。
MovableTypeのカスタマイズをしていました。
突貫で設置したため最低限のことしかやっていなかったので、やっているうちにあれもこれもと触りたい箇所が出てきてしまって、今日は一日がMT一色でした。
こういう作業が実はとても好きなので、かかりっきりになれるのはいい感じ。
でもどうしてこんなに夢中になってしまうのか、と考えて納得。
たぶん、小説を書くよりも、気軽+手軽に達成感が味わえるからではないかと。
とはいえ、その達成感自体も、それ相応に軽いんですけどね(笑)
まあ、時には気軽に楽しむのも良いということで。
先日届いた桜の盆栽(?)、やっと花が咲きはじめました。
極めて淡い紅の、控え目な八重咲き。若葉は鮮やかな緑。
蕾が開くにしたがって色が劇的に変わるので、一鉢で二度楽しめる、そんな感じです。
最初蕾の色を見たときは随分色が濃くて、「おや、記憶違いでしたか」と思ったのですけれど、咲いてみれば覚えていた通りの姿で、嬉しさも倍増。
久しぶりにスケッチブックを引っ張り出してきてしまいました。
描けませんでしたが。
そういうことで、代わりに写真を。
朝、鬼喰第三話「萌兆」5を更新。
その後、花屋さん→お墓参り→本屋さんへ。
気温はそれほど高くなかったのですけれど、日差しは温かく、風の中からも鋭さが消えて外出日よりでした。
帰ってきてからは本を読んでのんびり。
本日購入した中に、「理想(イデア)としてすでに存在するものを具現化する」というようなことに触れている書がありまして、久々に「命題」を意識したような気がします。
頭痛に悩んだ一日でした。
眼精疲労と肩こりが原因だとは思うのですが。
そういう時はもう、書き物はやめて、パソコンはCDプレイヤーに早変わり。
DVDではないのは『目を休める』ため。
当然目を閉じての音楽鑑賞。ついでに「言語」の入っていないものがベスト。
どうも言葉の入っている音楽は、意味をあれこれ思考してしまって休みにならないようなのです。
音楽を聞いて、閉じた目の裏に情景を描く。そうこうしているうちになぜか頭痛が治まってゆく、という不思議。
そういうことで本日の鑑賞の音楽はレスピーギの「ローマ三部作」。
それぞれ四つの部分からなる「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」の三つの交響詩です。
ちなみに全十二曲中一番好きなのは、「アッピア街道の松」
アッピア街道(軍用道)を行進する古代ローマ帝国の亡霊をイメージしているそうです。
ローマのもっとも華やかなりしころの幻影が、静かに近づき栄光の記憶をひととき蘇らせて過ぎ去っててゆく、そんな光景を想像すると、あのファンファーレも華やかで賑やかな分、かえってちょっと切ないような懐かしいような……。
けっして恨みつらみに濡れた亡霊ではないところが、好きな理由かな。勝者の幻影だからなのでしょうけれど。
デュトワ+モントリオール交響楽団のこの曲は粘性が高くないところがとくに好きです。
勇壮さの演出のためか、やけに「ねばーねっばねばー、ねばねばっねばー」という演奏をする指揮者+楽団もあるんですけども、やっぱり「過去の幻」で「ひとときの夢」なわけですから、そんなにねばねばしていないほうがいいような(笑)
ま、これは好みですよね。
風紋人名辞典メルガティカの項の舞踊「雛菊」について(お問い合わせありがとうございます)。
まず最初にまったくの架空のものであることを白状しておきます……すみません。
メルガティカはグァンドール(ラグル・ヴァストデュール)の二つ違いのお姉さんです。グァンドール父の失脚後に、半ば人質のようにして先々代の皇帝の後宮に納められた人です。後宮では一応嬪妃でした。
どちらかといえばお父さん似のお姉さんで、西方風の面立ちをしていたため、東にあった皇都では珍しがられたそう。
このお姉さんの数奇な一生を描いたものが「雛菊」です。
前半が父失脚にいたるまでの幸せな日々、後半は父の失脚、母の死、後宮への流れ、辛い日々が描かれ、最期に至ります。
舞踊では、皇宮攻めの前夜に助け出しに来た弟に「道」と「示」を説き、涙に別れる場面がありますが、それが事実であるかどうかは不明です(笑)
本編に盛り込めそうにないエピソードなので、いずれ番外編にでもしようかと思っています。
などと書いていると、書きたくなってたまらなくなる不思議。
でもまずは鬼喰ね、と唱えつつ、新規ファイルに設定詳細を書き出してしまうわたしでした。
桃の節句です。先週生けた桃が見事に散って、居間が花吹雪状態です。いやはや。
桜の蕾も膨らんできました。開花までには……うーん、まだ十日くらいはかかるのかな。今はやっと葉が出たところ。
黒い枝に明るい翡翠色の若葉の取り合わせは実に綺麗です。山桜万歳。
先日来あちらこちらで同人誌発行の文字を見、羨ましさで胸いっぱい(笑)
自分の綴るお話を「本」という形にするのって、本当に素敵ですよねぇ。
わたしもやってみたいけど、捌く当てもないし資金もないし、それどころかまずは完結させないとなー、みたいな(← 結局これが一番のボトルネック)。
とりあえず、今週末の更新に向けて鋭意推敲中。
気をつけていても、主人公を猫かわいがりすしてしまうのが作者ってモノかもしれません。
昨日の日記がストレートに自分の胸に突き刺さる……ぐはぁっ。
……可愛がりかたにも、まあ、いろんな形があるわけですが。
それはさておき、発刊が楽しみです。買いたい、買いたい(うずうず)
春が近づいてきた、と思うと冷え込む日々です。三寒四温とはよく言ったもの。
今日はまだ日のある内から、足首が冷えて冷えて痛いくらいでした。
片付けるつもりだったひざ掛けを出してきて、今は膝下を包んで執筆しています。
Eyesのダウンロード版もようやく修正が終わりました。ほっと一息です。
話は変わりますが、最近NHKの朝の連続ドラマを流し見ています。流し見だからそう思うのかもしれませんが、感想を一言で申し上げるなら、「ありえねぇー……」です。
一途さと図々しさの混同とか、熱意と独善の錯綜とか、現実だったら明らかに周囲から退かれるはずの行動が「偶然」に助けられてヒロイン万歳になる流れには、毎回「うへぇ」と「ええぇーっ」のハザマに落とされています。
もちろんフィクションですから変に「現実的」である必要はないんですけど、どんな難局も結局のところヒロインの頑張り――主に精神論――で解決。つまり立ちふさがる障害の全てが、主人公の非凡さ(主に心根のあり方、実力は不問)を引き立てるものでしかないのは、ちょとねぇ……。
これがファンタジーやヒーロー物であればそれほど違和感はないのですけれど、なまじ現実に似せた世界の中で展開されると、強烈にむず痒い感じです。……そうか、もしかしたらあれはヒーロー物のファンタジーなのかもしれないな。
わたしもそうなってしまわないように気をつけなくちゃなあ。
あれを見るまでは、ああいったキャラクターがこんなにもかゆ恥ずかしい存在だとは思わなかったから。反省。
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私信:先日書架の見出しの誤字のご連絡をくださった方へ
いえいえ、見間違いではございません。間違ってました(汗)
ご連絡をいただいて、慌てて修正をいたしました(先月27日)。
今後ともよろしくご指導下さいませ。
三月ですね。まだまだ風は冷たいけれど、日差しは随分温かくなってきました。
日々春が近づいてくるようなそんな気がします。
今年は当地では雪も少なく過ごしやすい冬でした。
豪雪に見舞われている地方の三分の一でも、こちらで引き受けられるとよかったのにとも思います。
思い返すと、わたしが子供のころは年に何度か雪が積もって、毎年それなりに雪遊びをしていたような気がします。
それがここ近年では雪遊びができるほど積もったことはありません。
いえ、積もれば積もったで積雪に対する対策が何もなされていないので困るのですけれども、……そのうち雪が降らないことが当たり前になってしまいそう。
もちろん、豪雪が続けばいいとか、そういうことじゃないですよ。
雪の匂いや音を知らない人が増えるのは、寂しいな、と。
さて、本日はEyesのダウンロードファイルを修正しておりましたが……完了はいたしませんでした。
明日も引続き修正の予定。
今週末に予定していた更新までずれこまないように頑張らなくちゃ。