どこかざわついた気持ちでこのところ過ごしていました。日記を振り返ってもなんだか妙にチクチクしてるし(笑)
拙いなあ、と思いつつ、気を立たせている原因にも心当たりはありませんでした。
それがまた苛立ちを助長する、というのでしょうかねぇ。
だめだ、だめだ、と反省することにも疲れて、なんだか今日は投げやりに、
「もーいーよ。だってイライラするんだもの。イライラしとこー」
と開き直ってしまいました。
そうしたら急にイライラが消滅。
一体、何だったんだろうなあ。
ま、いいや。
バレンタインデーでした。
うっかりしていて過去形です。
このところど気持ちがささくれ気味だったので、そんなことさえすっかり忘れていた様子。
とりあえず義理と本気の中間くらいのチョコレートで間に合わせ(!)る始末。
やっぱり情緒不安定はいけません。冷静に〜冷静に〜。
……まあ、いいや。
そんなことより。
少し前からなんとなく気にかかっていたことなのですが。
簡単に言うと郵政民営化関連のこと。民営化してもしなくても、わたしにはさほど関係はありません。もちろん、変わらずに今後も利用できる環境にあることは、とてもありがたいことだという自覚はあります。変わらざるを得ないところに暮らす方にとっては、重要なことであるのもわかります。なので目一杯議論して、じっくり煮詰めてから実行してもらいたいなあ、と思うのですが、それは今は置いといて。
ちょっと気になるのは金銭感覚の違いなのね。
以前「民営化されたら地方の特定郵便局は困っちゃう」系の特集番組を見ていたときに、リポーターの
「赤字ですか」
という質問に対して、その局長さんは、
「赤字ですよ!」
と胸を張って笑顔で自信満々答えていたんです。
……これにはうへぇ、と。
もちろん採算ばかりを考えてはいられない現実はあります。だけど、そのなかでもできる限り赤字を減らす努力が必要だと思うんです。
きっとその局長さんも努力なさっているのでしょう。だからこそ、「赤字でも経営を続けている」ことが「赤字ですよ!」胸を張る根拠になるのでしょう。
でもね。
その赤字、どこから補填されてるんですかと。
少なくとも「赤字ですか」の問いかけに「頑張ってはいるのですがねぇ」くらいの気遣いがあってもいいんじゃないかと。
(もっとも番組は編集されているわけで、それが本当のやり取りかどうかはわからないですよね。とすれば、以下は監修者の感覚なのかな)
そこでふと思い至ったわけです。
身銭を(本当は彼個人の身銭じゃないからこの場合はちょっと違うけど)切って他者に尽くすのは美しい。
利益を得るのは「汚らしい」「いやらしい」という感覚が、まだ日本には、少なからずあるのかもしれません。
前近代的というか、一体いつ頃の感覚なんでしょうねぇ。
赤字が美徳で黒字が悪徳的な勘違いがまかり通ってしまっているのだとしたら、ますます先行き不透明。いや、先が見えるのもなんだから、不透明なうちはまだいいのでしょうけれど。
というか「儲けるのは汚い」って発想が、そもそもいやらしくはないのかと。
で、それを本日あらためて書く理由。
プレゼント用チョコレートコーナーに掲げられた札。
「本日限り、半額セール! 赤字覚悟の大サービス!!」
……きっと明日にはコーナー自体が撤去でしょうからねぇ。短い時間の中でたとえ半分でも資金を回収しよう、という商魂が、わたしは好きです。
半額で購入できて買い手はうれしい、半額でも回収できて売り手も嬉しい。
前日以前に定価で購入した人は、「あまりものから選んだのではない満足感」が嬉しいところ。
売り手と買い手、どちらかが極度に負担を抱えるシステムは、長続きはしないのです。
それは人間関係でも、同じなんですけどね。
cgiの吐き出すソースのお手入れをしていました。
htmlからxhtmlへ変更中、マッチングの中にあった空タグ(<br />など)の「/」のエスケープを二箇所ほど見落として、難儀しました。
でもまあ、この難儀さ加減がサイト運営の楽しさでもありますよね。
並行して、感想ブログのMTを3.15から3.151へアップデート。
3.15からのアップデートは一部のファイルを上書きすればOKなので、エントリの書き出しやらをせずに済み、ラクでした。
今回のアップデート箇所は、
* ダイナミック・パブリッシングのコメントのソート順の誤りの解消
* 一部のテンプレートで日本語化ができていなかった点の修正
だそうです。そんな不具合があったとは……。
明日にはブログペットこうさぎが授乳期間(α版)から離乳期間(β版)へと移行するそうで、これもまた楽しみです。
うちのこうさぎは「投稿しない」「コメントしない」「トラックバックしない」設定なので(だって万が一にも作者さんに失礼があってはと思うと……)、今後も特に変わることはないと思うのですが、こうさぎの投稿記事を読むのは大好きなので、ぜひともコメントやトラックバックも見てみたいです。
徳川美術館にて尾張徳川家伝来の重宝を見てまいりました。
わたしの興味の第一はどうやら「建物」にあるようで、数奇屋や広間、能舞台に釘付けでした。20分くらいはそこにいたかも。
他には書物。すらすらと読みすすめることができるものは限りなく少ないのですけれど、判別のつく文字をじっと見ていると「ああ、これは○○の一節だな」などと気がつくことがあり、とても楽しいのです。
色とりどりの短冊からは、「お気に入りの歌を、とっておきの紙に書いたぞ」という声が聞こえるようでした。
逆に衣類にはいつもはそれほど興味はそそられないのですが、今回気づいたことがひとつ。
着物がすごく小さいのです。わたしが着たらお端折りナシでも脛がにょっと出てしまいそうなくらい。腕もたすき掛け、いらないんじゃないかな。
当時の日本人の平均的な体格を思えば、それくらいだろうなあ、とは思うのですが、なんだか子供用浴衣を見ているような感覚でした。
企画展示室は毎年恒例の「雛人形」
これもそんなにそそられるものでもないのですけれど、ミニチュアの陶磁器には驚きました。
陶磁器って焼き上げるとサイズが少し縮むんでしたっけ?
それなのに、蓋付き三段重は上から下まで一分の歪みもありません。
大きさは25×25×30mmくらいかな。目測だから、確かじゃないんですけど、あれはすごい。
他には蓋付きの甕にも感動しました。蓋のつまみの部分が蛙なんです。蛙の大きさは米粒を一回り大きくしたくらいかな。
どうしてそんなサイズで作れるのか、ちゃんと焼けるのか、そしてうっかり取れちゃったりしないのか。
匠の技に感服です。
そうそう、櫛や筆にも驚きました。爪くらいの櫛にもちゃんと歯がある、楊枝より小さな筆もちゃんと毛がある。
それに、小さな百人一首のカルタ。ちゃんと一首ずつ書いてあるんです。
作った人はいったいどんな器用な指先をしていたのか、と。二百枚ですよ、二百枚。本当にお見事としか言いようがありません。
4月16日からは、「源氏物語絵巻」の復元模写が展示されるそうで、うきうきです。
お庭の牡丹もそのころには見事だろうな。
冬牡丹の儚げな風情もよいのですが、わたしはやっぱり春の園に「我見よ」と咲き誇るあの凛々しさが好きなので。
楽しみです。
印刷で困ってるんだけど、と、母からの電話。
ちょっと別件で考え事をしている最中だったので、「もしもし」もすっ飛ばしてのその言に、咄嗟に対応できませんでした。
焦点の合わない思考で、「ふむふむ、彼女は印刷で困ってるんだけど、なんだろう?」と「だけど」の後につづく『何か』を推測しようとし、
「印刷で困ってるんだけど、『何か』」
置きかわった瞬間に、骨の髄まで震わす笑いの衝動。
まあ、この場合、後に続くのは「手(知恵)を貸してほしい」ですよね。
でも事ある毎にわたしをサポセン代わりにされるのも困るので、サポートセンターの電話番号を教えて切りました。
こういうのは初期教育が大切で、何十回と手ほどきをした後に「あとは自分でやって」と突放そうとしても、しがみついて離れようとはしないのが常ですから、三回目には距離を置くように心がけています。たとえ相手が親でもね。
自分で調べる、自分で解決する、そういう気持ちを養う第一歩。
「安易に身内や知人を頼らない」
を教えてみました。
それにしても「困ってるんだけど」のあとに「何か」を付けただけで、こんなにも不遜、かつ傲慢なギャグになるとは思いませんでした。
笑いすぎて腹筋が痙攣しています。
本日、風紋第六夜 二「銅の大鷲」の更新をいたしました。
思えば当初は彼こそが主人公だったと遠い目で宙を見つめてしまいます。
しかもここまでの二十話は、原稿用紙で三枚くらいだったのではないでしょうか。初稿はとうに手元になく、正確に数えたことはないんですけど、もしかしたらもっと少なかったかもしれません。
当然グァンドールに台詞はなくファ・シィンに名前はなく、フィル・シンはおとぎ話に憧れる幼い少女で、おじいちゃんはいませんでした……。いや、変わるもんだね予定って。まあ、そんなものさね。
Flashは、なんかもうちょっとどうにかしたい気持ちのまま、めでたく(?)試用期間が終了いたしました。
……よろしければ、風紋のTOPページ、縦バナーの下の隠れバナーからご覧下さい。
夜話のダイジェストの予定が、夜話の前振りになってしまったのはご愛嬌ということで(こんなのばっかりだなあ)
あっ、巨大ファイルなので、ご注意ください。2,000KBくらいあります。
それから長編小説3作のTOPページのURLを変更いたしました。
変更は以下のとおりです。
・風紋 「st/st.html」 → 「st/index.html」
・鬼喰 「tm/tm.html」 → 「tm/index.html」
・Eyes 「eyes/eyes.html」 → 「eyes/index.html」
TOPページ以下のURLに変更はありません。
------------------- 御 礼 --------------------
カオパラらんきんぐへの投票、ありがとうございます。
コメントもありがとうございました。(気恥ずかしくて)あまりこちらで触れておりませんが、先日十個目のコメントを頂きましたので、記念もかねて、御礼申し上げます。
まさか二桁の感想をいただけるとは思っておりませんでしたので……いいところ3票くらいかと。
感無量、とはこのことかもしれません。
頂いたお言葉はまめまめと保存しております。
本当にありがとうございます。
このところ小説の更新が滞り気味にも関わらず、拍手や応援メッセージもいただき、ありがたい限りです。
頂いたアドバイスはできるだけ反映するよう精進しております。
今後ともお気づきの点がございましたら、お気軽にお申し付け下さいませ。
掲示板の「GUESTBOOK」のフォントはなんですか、というご質問を頂きました。
こちらは「たわ果て」のSetyさん作のフォント、「ROCKATEI」です。
六花亭のとある商品ロゴをイメージなさったそうです。
全体的には細身の、すっきりとしたフォント。その中に混じるまんまるのOやQがころんと可愛らしくて好きです。
他にも素敵なフォントがたくさんありますよ。
さて、ここ数日言葉についてあらためて考えています。主に聞こえ方の違いですね。
聞く側の違い、と言ってしまうと元も子もないので、あえて語る側の「語」の選択に焦点をあてて考えています。
先月更新した辞書レビューの中でも書いたのですが、どうも形容詞や形容動詞の選択以上に、副詞や助詞の選択こそが、文章全体の意味を変えてしまうように思われるのです。
それから、本来単語にはない意味も、文章全体を通したときには含まれる、というようなところかな。
当たり前のことなのですが、あらためて考え、観察していると、人の会話と言うものは実にイレギュラーの応酬で、このイレギュラーを補完、補正して処理応答できることが、コミュニケーションのまずは大前提にあるんだなぁ、と思うのでした。
通常こういったことは無意識に行なわれていますし、あらためて考えるまでもないことなのですけれど、時々はあえて考える必要もあるのかもしれません。
褒めてるつもりで貶してるようにも聞こえる言葉だったかも、とか、讃えるつもりで張り合ってるように思われちゃう言い草だったかも、とか、思い当たる過去に気づくと、穴を掘ってでも入りたい気持ちになりますねぇ……(ため息)
昨日の今日で、少し言葉にたいしてナイーブになっていたのかもしれませんが。
用件だけを話せばよいのに、ヘンに言葉数を増やすからイヤミっぽくなって自沈するのでは、と思った日。
用件だけだと素っ気無く感じるかも、という配慮なのかもしれない。
だけど余分な言葉をくっつける配慮は、時として誤解のもとになりそう。
ほら、過ぎたるは及ばざるが如しっていうでしょ。
「まだ届かないんだけど、あの書類再送した? 待ってるよ」
それだけでいいのに、どうして
「あの書類、まだ届いてないみたいなんだけど、一応待ってるんで、もし送るつもりなら早くね」
……聞いていて、思わず苦笑い。
たぶん、
「まだ届いていないけど、もしかして配送中なのかな。
待つだなんて大げさなことでもないけど、一応はこちらも君からの連絡を待つ身だから
早く届いてほしくて確認したいんだ。それとももう送らなくても良かった?」
なんですよ。でも、
「君は出したのかもしれないけど、まだこちらには届かない。
こちらはこれでも一応待ってやってるんだが、どういうことだ。
まだ送るつもりがあるなら早くしてほしい。送るつもりがないならかまわんが」
ともとれるわけでして。
留守録に入れるメッセージって、要件をまとめて短時間に文章に構築しなくちゃならないから、時には上手くゆかないこともあります。
その言葉選びの迷いが、「みたい」とか「一応」とか「もし」とか「つもり」っていう言葉につながるのかもしれないし、全てをぼかすことで相手を責めない優しさなのかもしれません。
ですが、こんな風に二極的に解釈できる発言は、端で聞いていてもちょっと拙いように思いました。
もっともわたしもこれを完璧にこなせるかといえばそうではないので、あくまでも傍目八目ってやつです。
何気ない言葉こそ難しいものだなあと、省みて思います。
これが「認識のちがい」ってヤツなのかな……。
たとえ話で申し訳ないんですけど、こんな感じ。
ものは夏休みの宿題とでもしましょうか。
・友だちがつききりで教えてくれた。
・でも友だちのノートを写したのではなく
・答えを教えてもらったのでもない。
はい、これを「自力でやった」と言ってよいのかどうか。
わたしは「否」です。
その宿題、つききりの指導がなくてはできなかったのですから、自力でやったとはとても言えない。
これを「自力でやった」というのは素晴らしく傲慢かつ無礼だと思うんですけど……。
「全部自力でやってる。わたしは自分で一生懸命頑張ってる!! だから誰にも迷惑をかけてない!」
とまで主張されると……つききりで面倒をかけられてるわたしの迷惑は、どこへ行っちゃったわけ? と。
もし、これが
「助けを借りてではあるけれど、自分でやった」
という発言なら、「そうだね、よく頑張ったね」と応えられるから、わたしもウソをつかずにすんで楽なんですけどねぇ。
まあ、とにかく疲れる一日でした。
「重要な書類郵送の基本、箇条書きにするなら何項目? 用件は『お願い』 同封するのはサインが必要な書類」
問われて数えて五項目。
・一筆つける
・返信用封筒を同封する
・リターンアドレス書く
「これは基本的に、郵便事故やそれ以外の理由による書類の紛失を防ぐため。細かく言うと『一筆』にはお願いの要件を簡潔にまとめ、何のための何の書類が何部かを記述する。返信用封筒には切手を貼り、住所も記入しておく。まずこれが基本。次に」
・電話で連絡する
「これも事故の予防。その日のうちに『投函したこと』と『到着予定日』を連絡する。到着した頃にもう一度電話をし、届いているかを確認。最後に」
・重要度に合わせて郵便方法を選択する
「たとえば配達記録や配達証明ね。これを利用すると『お願い』の手紙で料金不足なんて失敗や、大切な書類の紛失を防げます。それから急ぎのときは当然速達で。場合によっては宅急便を利用するほうがいいこともあります。以上。もちろん自署が必要な書類はそこもちゃんと記入しておくことは言うまでもありません」
メモを取っていた旦那が、
「そういうことって、どこかで習うものなの?」
「一般常識じゃないの? 習った覚えはないよ。まあ、会社でそういう仕事を手伝う機会をもらえてたからかもしれないから」
強いて言うなら社会経験かなー、と答えると。
「つまり、こいつは決定的に世間知らずの経験不足ってことだな」
見せられたのは就職に際しての「身元引受人のお願い」 一筆なし、返信用封筒なし、リターンアドレスなし、自署未記入、かつ料金不足、連絡はナシノツブテ(笑)
「……年齢を思うとちょっとあどけないというか、うん、いとけないかもね。仕方ないよ、経験だけは年功序列だからさ。これからこれから」
「あどけない、いとけない、仕方ない、で済むか! あのバカは!!」
でもそんなことを言いながら、手紙の書き方を電話でレクチャーし、並行して就職祝いを選んでいる旦那を、わたしは典型的な「兄バカ」だと思います。
いいねえ、兄弟って。なんだかほのぼのとします。
2月後半分から日記のアドレスを固定いたします。
今までは 毎月前半、後半で二つの新規ファイルを用意していたのですが、この方法には
「ファイルが新しくなるたびにブックマークし直さなくてはならない」
という欠点が。
最新ページはぜひ固定URLで、とのご意見をいただきまして、次回以降、最新ページは常に「diary.html」で固定といたします。
考えてみれば、これでサイトTOPからのリンクも毎月張り替える必要はなくなるわけですよ。
リンクの張替えを忘れたり、コピーしたファイルのタイトルを書き直すのを忘れたりといった心配も無用! ブラボー!
考えられる問題としては、旧ファイルの保存を忘れて上書きしてしまう可能性でしょうかねぇ……でも、半月ログが残らなくてもそれほど困ったことにはならないとは思いますしね。
ということで、アドバイスありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
完結している小説で作る、というFlash作成のアドバイスに従い、とりあえず「夜話」で作ることに。
音楽を決めて、原稿を書きながら
「っていうか、二分(曲の長さ)もネタが続かない〜」
「だけど(曲を)短く編集する方法を知らない〜」
などなど。
試行錯誤というよりは、五里霧中。まったくの手探りです。
でもやっぱり楽しいんですよね。何かを作る、というのは本当に心躍ります。
出来栄えは……まあ、うん、聞かないで下さいな。
節分前後の三日間はお寺近くの道路が車両進入禁止になります。
ちょっと不便だなあ、とは思うのですが迂回すればよいだけのことですし、縁日にいらっしゃる方の安全を思えば、車両の通行は禁じるべきでしょう。
問題は、縁日に車でいらした方の路上駐車です。しかも駐車禁止の場所。
迂回ルートは片側一車線、歩道なし、路側帯もところによりなし。
そういった狭い道ですが、いつもより交通量が増える上に行き交う人も三倍増しですので、駐車車両があると本当に危険です。
大型車とすれ違うときはヒヤヒヤしますし、車両の陰から人が飛び出してきたりすれば、もう、ドッキドキ。
車両進入禁止の交通案内だけでなく、こういった危険行為(駐車違反)の取り締まりも、お巡りさんにはぜひともお願いしたいところです。
とはいえ、縁日に詣でて違反キップを切られるのもなんだか可哀そうですしねぇ……って、仏さんの前で人さまに迷惑を働くことがそもそも間違ってるのかも。ううむ。
Flash作成のアドバイス、ありがとうございます。
以下頂いたアドバイスの留意点覚書。前提条件は「既存の小説から作る」
なるほど、完結している作品なら自分の頭の中のイメージは一定しています。
そのイメージをFlash向きに育てるために音楽を最初に決める、ということですね……奥が深いなあ(そういうことも知らずわからず、「やってみたーい!」だけで手を出した、と)
気がつけば後1週間しか試用期間はないわけですが、何かひとつくらいは作ってみたいところです。
……でも、完結作品が「ない」ってところが、一番のネックでしょうかね。
あ、夜話ならできるか……(葛藤中)
サイトの改装をいたしました。
沈丁花の開花期からは、およそ1ヶ月フライング(笑)
匂やかな沈丁花のイラストは十五夜さんからお借りいたしました。
壁紙は久々に自作です。
沈丁花の白と紫と緑を、すこしレトロにイメージしてみました。
ストライプの幅や間隔にちょと手こずった感はありますが、概ね満足しています。
沈丁花は白花もあるそうですね。写真でしか見たことはないのですけれど、あれもなかなか清楚で美しいです。
花姿もつまみ細工のようで好きですが、その香りはまた格別ですよね。
梔子や木犀ほどには甘くない、厳しい冬の名残を残す凛とした匂いだと思います。
この花が咲くと、春のはじまり、というような印象がありまして、この寒気に春を求む気持ちを込めてみました。
この花、別名は「瑞香」と申します。
よきことを知らしめる香。春の訪れを心待ちにしている、そんな名ですよね。
学名は「Daphne odora」
odora は よい香りのする。
Daphne は ギリシャ神話の女神さまの名ですね。
彼女が姿を変えたという月桂樹(勝利の象徴)に似た葉を持ち、素晴らしい香りを放つ、という意味の名だそうで。
洋の東西を問わず、この花の香に瑞兆を見る不思議を思います。