Diary

1月31日(月)

 感想用ブログに使用しているウェブログ・システムをMovable Type3.15-jaにアップデートしました。
 アップグレード用のパッケージをささっと上書きして完了、なのでラクでした。
 あれこれカスタマイズしてしまったテンプレートやスタイルに影響なく、アップグデートできるのは強みですよね。
 もっともわたしはデザインとhtmlのソース部分だけ変更しているから影響がないだけかもしれませんが。
 そういえばブログのデザインは作ったまま半ば放置状態なのだけれど、サイトのスタイルに合わせて変更したいな。
 まあ、そのうち、ということで。

1月30日(日)

 我が家の平穏は、いつも近しい他人の手によって壊されるのでした。
 家庭内部で崩壊しないだけマシだとは思うけど、だんだんその人を嫌いになってきている自分が嫌です。
 人を嫌うって疲れるからなあ……。
 なんかもー、どこか世界の果てで幸せになってもらいたい。便りがないの「が」よい報せ、って感じでね。
 ……いや、もう、忘れよう。忘れてしまえ、よし忘れた。
 そういうことで、とりあえず、サイトの改装でもしてみます。

1月29日(土)

 前回更新からひと月が過ぎてしまいましたが、本日、鬼喰 第三話「萌兆」三 を更新いたしました。
 そう書いてふと時計を見れば、日付変わってるし……。

1月28日(金)

 小説の紹介flash。あちこちで拝見し、その素晴らしさに感動。
 根が単純なので感動するとすぐに「わたしもやってみたーい!」となるわたし。
 いそいそとFlashMaker2の体験版を落としてきたのですが。
 ……衝撃。
 何をどう組み立てたいのか、イメージさえもまるで沸かないのです。
 絵は最初から想定していませんでしたからそれはいいのですけれど、文章でと思っているにもかかわらず、どの文章をどう組み立ててよいのやら、全く見当がつかない。こんな感じ、という覚えさえ浮ばない。
 大概のことは「やってみたい」と思ったと同時に、なんとなくイメージがわきあがっていて、後はそのイメージをどう具現化するかを考えるだけなんですけど……本当に欠片さえ思いつかないんですよ。
 いっそ書架の右上の作品紹介のJavaScriptの文章を、そのまま流用してみようかと思ったのですけれど、それもどうよ、自分、みたいな。
 そうこうしているうちに体験版の使用期限は刻々と迫ってきますし。
 ……向き不向きでいうなら、たぶん向いてないんだろうなあ。ガックリ。

1月27日(木)

 開店したばかりの可愛らしいカフェを道すがら発見。
 機会があったらいってみたいね、などと話しつつ、注目していたのは開店祝いの立花に群がる客とは思えない人の群。
 あのお花は、ご店主へのお祝いとして贈られたものですから、あんな風に開店直後に毟り取られてよいものではないと思いました。しかも、お客さまでもない人に。
 そういえば以前その行動について「あれも一種の泥棒じゃないのか」と少し年配の方に訊ねたところ、開店して半日過ぎてもまだ残っていたら「かえってみっともない」「ケチはよくない」と仰るんですよねぇ……。
 奪い合って毟り取る姿はみっともなくないのか、人に贈られた花を取ってくるのはケチじゃないのかと考え込んでしまいました。
 他には「花盗人は罪にならない」といった人もいたかな。
 花盗人という言葉の正しい意味を知っているのかと、これにも首を傾げてしまったことを覚えています。だって、お祝いの花を毟ってしまうあの行為、風流とは程遠いでしょ。
 なんとなくですが、祝い事の主人からの「ふるまい」と、祝いのために主人へと贈られた品との区別がついていないからのような気がします。
 だって、「おめでとう」のプレゼントを赤の他人が毟り取ってゆくんですよ。
 わたしにはどうしても「酷く心無い行い」のように感じられて仕方がありません。
 もちろん、その主が「皆さまに」と言ってくださったなら、ありがたく頂いてよいとは思いますが。
 まあ、ふるまわれることが当たり前になってしまっているのかもしれませんね。
 それはそれで、やっぱり、ちょっと図々しい気もいたしますけど。

1月26日(水)

 出張のため早朝出勤する旦那にあわせて起床したせいか、数時間遊んでまだ午前八時という、常では考えられない時間割りに驚きました。
 やっぱり早起きっていいですよね。毎日早朝出勤ならいいのに、と思ってしまいます。
 早起きして、だんだん明るくなってくる空を見ながら、何をするでもなくだらだらするのが最近は好きです。
 空が明るくなった頃から家事を、これまた気が向いたときに気が向いた順にのんびりやって、午後はひたすらのんびりする、のんびりな生活は最高です。
 適度に適当に過ごしながら暮れてゆくのはいい感じです。
 もうね、目標とか目的とか計画とか、そういうものはいらない。
 気が向いたときに気が向いたことをやっているほうが、家はきれいだし飯は美味いし洗濯も楽しいし、いいよ。頑張れば頑張るだけ面倒になるから(笑)
 これはたぶん、きっちりと計画を立てなくても、目標なんてなくても、必要なときに必要なことがしたくなる習慣が出来上がってきているからだと思います。やっとだけどね。……結婚して八年。やっとですよ。
 まあ、のんびりとではあったけれど、きりきりと自分を追い立てなくてもなんとなくできるようになってるのは嬉しいかも。
 ということで、本日はいっそうのんびり過ごせていい感じでした。

1月25日(火)

 セールスの電話で一番苦手なのは、擬似お友だちタイプ。
 やたら親しげな口調での世間話をするのには、薄気味悪ささえ覚えます。
 とくに年長の女性に多いのですけれど、「お若いんですね、うらやましいわ」だの「まあ、うちの子と同じくらいなのね」だのと、聞きようによっては小ばかにしているように思えることさえ、平気で口走るので、嫌いです。
「若い」とか「うちの子と同じ」という発言は、相手を対等には見ていない証なんですよね。
 そもそも「若い」って「青い」とか「未熟」ってことでしょ。つまり人として未完である、と言いたいわけかな、なんて思ってしまいます。
 たしかにわたしはまだまだ人として未熟だから、親しい人からそう言われれば反省もするのですけど、見ず知らずの相手から言われたいことばじゃないし、もらって嬉しいことばでもない。っていうか、赤の他人に知った口を聞かれて嬉しいと思う人なんて、いないんじゃないかな。
 あまつさえこちらが「購入の予定はありませんので、失礼いたします」などと丁寧にお断りしていると、「ええ、そうですね。でも、皆さんに喜んでいただいているものですし、この機会に是非一度」とエンドレス。
 ……たぶん電話でのセールストークのマニュアルが存在していて、でもそのマニュアルが推奨する人物の演出がわたしの好みとは対極にあるってだけなのでしょうけどね。
 ともあれ、穏便に受話器を下ろしたい気持ちがまだ残っているうちに引き下がってもらえると、わたしとしてはありがたい(笑)

1月24日(月)

 ネットを漂いながら、一瞬「?」
 理由がわかって爆笑。
 いえ、なんてことはないのですけれど、文末に必ずといっていいほど「ゥ」がくっついていたわけですよゥ、みたいな。
 軽いノリでの会話でしたから、「ゥ」を察せられるほどに前後の文章に意味があるのでもなく。
 ゆえにそれが「ハートマーク」の文字化けであることに気づくまでに、五、六秒の間ができてしまいまして。
 まさに「間抜け」という感じゥゥゥ(← コレは可笑しさのあまり涙が出たため)
 たぶん、<span style="font-family:symbol;">ゥ</sapn> という入力だと思うのですけれども、この方法、残念ながらブラウザの環境に依存しちゃうんですよねぇ。Unicode(UTF-16、もしくはUTF-8、UTF-7)を使用するか、数値文字参照(&hearts;/&#9829;)のほうがいいような気がします。とはいえ、win+IEならちゃんとハートで表示されるので、上述のフォント指定での表示でも八割方無問題なのかな。
 トランプ記号をお話の中に使用する機会はあまりないでしょうけれど――あ、でも推理小説で現場に残されたメモなんてシチュエーションだとトランプ記号どころか星座マークも普通にありえますね――ご使用になられるときは、ぜひUnicodeで。
 こんなことを言いつつも、わたし、かつて「……」をうっかり半角の「・」にしてしまったことがありまして。
「『ゥァ』ってなんですか?」とのご質問を頂いたことがございます。
 忘れたい過去です……

1月23日(日)

 知人に誘われ、演奏会に。
 やっぱり生の演奏はよいですねえ。
 音の厚みが違いますし、目や空気でも楽しめるのはよいですよね。
 少々アクシデントがあっても、完璧な演奏のCDより楽しめると思います。
 アクシデントといえば、以前、演奏会のマナーについて友人からいくつか質問されたことがありました。
 ひとつは咳をしてしまったら退場するべきか、という質問でした。
 演奏や鑑賞の妨げにならないように静かにしましょう、というときの「静かに」は「止めることのできる騒音を鳴らす、鳴らし続けることを慎みましょう」という意味ですね。
 具体的に例をあげるのなら、携帯電話の呼び出し音や操作音、バックを開閉する音、おしゃべり、シャッター音、足音、パンフレットをめくる音(音をさせなければ、OK)などでしょうか。
 つまり、その咳が連続的なものであれば当然退席すべきですが、一過性のものであるならこれは「事故」ですから、咳をしてしまった後にワザワザ出てゆく意味も必要もありません。
 どちらかというと、一過性の咳よりも「鼻水を啜り続ける」音のほうがよほど鑑賞の妨げになるのではないかとわたしは考えます。
 また咳が出そうになったからと席を立つほうが、よほど周囲の迷惑になると思います。
 急に立ち上がって出てゆけば、何事かと思いますからねぇ。
 ふたつめは、開演時間に間に合わなかったときはどうしたらよいか、というものでした。
 通常は、曲と曲の合間、楽章と楽章の合間に最上階の正面以外から入場することが望ましいと言われます。
 最上階は最後列であり、聴衆の視線を極力遮らずにすむから。また正面をさけるのは、演奏者の目に入らないように(客席は明かりが落とされていますから、ステージから見るとホールの外の明かりは非常に目立つのです)とのことです。
 とはいえ、これはホールの構造にも左右されるので、レセプショニストの指示に従うことが一番だと思います。まあ、レセプショニストもぴんからきりなんですけど。
 迷うときはいっそ休憩時間までロビーで寛ぐというのも、潔くてよいと思います。
 他にもあったのですけれと、ちょっと思い出せません。
 でも、演奏会のマナーは『演奏者の演奏を妨げない、他の聴衆の鑑賞を妨げない』のふたつだけだと思います。
 この「演奏や鑑賞を妨げない」というのは一方的なものではなく、双方向のものです。
 これを勘違いすると、咳をしてしまった人に「出て行け!」とか、曲の合間にひっそりと最上階から出入りする人に「入ってくるな!」などの、とんでも不躾を主張して恥じなくなってしまうのでしょうねぇ。
 もっとも、遅刻はある程度「防ぎようのある」ことですから、時間には余裕をもって行動しましょう、ということで。
(とはいえ、途中からでもよいからぜひにも聞いてほしい、と主催者側の強い請願に足を運ぶ方もいらっしゃるのでこれも一概には言えませんよね。ま、自分には厳しく、人にはおおらかに解釈するのが、マナーの基本かな)

1月22日(土)

 お墓参りにいってきました。
 お隣さんのお墓の施工も終わったようで、近日墓開きの模様。
 ところが施工中、うちのお墓にテープで何かを貼り付けていたらしく、あちこちにテープが残っていて、なんだかなーと思いました。
 まあ、施工中、お隣のお墓に誤って傷をつけたりしないように、とか、そういうためになさったのかもしれませんから、何かを貼ること自体にはこれといった感想はないのです。
 でも、棹石にまでテープ跡どころか「まんまテープが張り付いている」のは、どうなのよ、と……。
 うちの父の頭にテープがっ(泣)
 施主さんはきっとご存じないのでしょうねぇ。
 業者さんもイロイロお忙しいのだとは思いますが、お墓ってその性格上ただの「石の構造物」ではありませんから、もう少し気配りしていただきたいです。

1月21日(金)

 まだ少し気だるさが残ってはいるのですが、あらかた回復したようです。
 母はあれから父に「見舞いもお断りなんて(しくしく)」と愚痴をこぼしたところ、「寝込んでる病人を度々電話で叩き起こせば嫌がられるのも当然だ」と叱られたらしく、本日昼過ぎに謝罪の電話をかけてきました。
 いや、そこまでせんでも……っていうか、毎度のことだからあらためて謝られるようなことでもないんだけど。
 母いわく、「構ってほしいから不調になる人間(この場合、母のこと)には、不調だから構うなということばが通じんらしい」と、珍しく父が不快を露にしたそうで、憐れなくらい萎れていました。
 まあ、昔から母はわたしが病気で眠っていると、一定時間置きに「目が覚めた?」とかいって起こしては――いま思うとすさまじい矛盾だけど――父に「構うな」と叱られたりもしていました。
 そういや、それで喧嘩してることもあったかな。
 構うなだなんてヒドイ、とか母が涙ながらに抗議していたような……夢うつつではあったけど、幼心に静かにできんもんなんだろうかと思った記憶がぼんやりと……。
 でも「構ってほしいから不調になる」わけじゃないと思うんですよ、母も。
 わたしや父は「不調のときは構わんでくれ」ですが、「不調だからこそ構ってほしい」という感覚もあるってことじゃないかな。
 つまるところ、母は「不調のときほど構われたい」人なので、誰かが不調だと「目一杯、構ってあげなきゃ!!」になるんだと思います。親切心と善意から。
 よもや相手が「構わないでほしい」と感じているとは思わない。それは遠慮だと信じてる。
 消耗するからやめて、と言われると、構われることの何に消耗するのかわからないから「???」
 自分がしてほしいことを、人にもしてあげましょう、という教育に、疑問を覚える一日でした。

1月20日(木)

 パソコンでわからないことがあるんだけど、そっちに行っていい? と母。
 風邪で寝込んでいるので遠慮して欲しいむねを伝えると、
「少しだけでいいんだけど」
「申し訳ないけど、今日は本当に辛いので遠慮してほしい。静かに寝ていたいから」
 そう言って電話を切った5分後。
「ご飯は食べた? 何かつくって持って行こうか」
「悪いけど食事よりも寝たいから」
 そしてさらに10分後。
「お見舞いもダメ?」
 ……激しく要らない。果てはその5分後に
「病院に連れて行ってあげようか?」
「……お母さん、気持ちは嬉しいんだけど、お願いだから静かに眠らせて」
 過去、見舞いに来てくれたことはあるのですけれど、そのときは「掃除してあげる」と掃除機をガーガー、「洗濯してあげる」と洗濯機を轟々、「ご飯作ってあげる」と台所でガチャガチャ、「家のと違う」といって電子レンジや炊飯器の使い方を聞きにきたり、「ご飯ができたよ」と叩き起こされ、断ると「せっかく作ってあげたのに」としおしお。
 ガーガー、ゴウゴウ、ガチャガチャのシオシオですよ。治る病気も治らんつーのよ(笑)
 そういうことで、見舞いは丁寧にことわって、もちろん電話は留守電に。
 ところが散々寝入りばなを起こされたので、今度は横になっても眠れない。
 しかたなく、今日は昨日読んでいた辞典のレビューを作成。
 それから数日前に書きかけていたオンライン小説の感想も書き上げました。
 ふむ。母上の気遣いも、ある意味では、素晴らしい効果をもっているのかもしれません。
 気がつけば熱も38度を切ったし、腹も多少落ち着いたし、まあ、そういうことにしておこう。

1月19日(水)

 どうやら風邪のようです。
 発熱と、お腹に来ました。
 水分をまめに取り、温かくして安静にしています。
 とりあえずこういうときは眠るに限ります。
 だって、薬を飲んでも症状がほんの少し緩和されるだけで治らないんだもの……。
 でも二、三日寝て治らないようなら、それはたぶん風邪じゃないので病院へ行くことになると思います。
 とりあえず今日明日はのんびりと辞書でも読みながら、穏やかに過ごしたいです。

1月18日(火)

 ホワイトソースのレシピを教えて、というメッセージを頂きました。
 わたしの手抜きレシピでよろしければ以下をご覧下さい。
 材料:小麦粉(30g)、バター(30g)、牛乳(2カップ)、塩(少々)、白胡椒(少々)
 手順:
 1.小鍋にバターと小麦粉を入れて、焦さないように炒める。
 2.ごく弱火で加熱しながら(鍋は火から離して)1.に牛乳を少しずつ加えて伸ばす。
 3.塩胡椒で味を調える。
 以上です。
 上記の分量はグラタン4皿分くらい。作ったソースはタッパーに入れて冷凍庫で保存。一週間くらいを目安に使い切ります。
 シチューに使うときはブイヨンで2倍くらいに薄めるとよい感じです。
 他にもチキンステーキやハンバーグにかけたり、炒めたベーコンやシメジと合わせてパスタにかけたり、使い道はいろいろ。
 焼いただけの料理も見栄えがするので来客時にもお役立ちです。

 中越地方でまた地震だ、と思った2時間後、今度は北海道で地震。
 頻発する地震に、恐怖感が募ります。
 チリでパニックを起こしてしまった1万2000人の方を、わたしは笑えません。だって本当に怖いのだもの。
 スマトラ沖の地震も現地はまだまだ混乱中。
 そのうえ紛争の影響で援助もままならないとか……。
 胸が痛みます。

1月17日(月)

 実家にいるときは、冬に鍋が続くのはとても嫌でした。
 それでなんとなく「わたしは鍋が好きでないのかも」などと思っていたのに、今は鍋ものが大好きです。
 なぜなんだろうなと思いつつも、今日はかにすき、明日は水炊き、明後日は土手鍋、しゃぶしゃぶ、ちげ鍋、すきやきなどと鍋もの系の連続。
 先日母に、「嗜好って変わるねぇ」などと話を振ったところ、「それは練り物のせいじゃないかしら」。
 父が極度の練り物好きなので、どんな鍋にも毎度同じラインナップで練り物が入ります。
 しかも父は味噌ダメ、辛いのダメなので、お出汁の味がいつも似たり寄ったりになっちゃうんですね。
 ええっと、お出汁はいつも関東煮のような感じかな。
「それでいつも同じ味になっちゃうから厭きてきちゃってたんじゃない?」
 言われてみればその通り。
 練り物の味はすごく濃いから、何もかもが関東煮風になってしまっていたのだと思います。
「わたしもウンザリしてたのよ。でも別に用意するのは手間でしょう? 入ってないと煩いし」
 なるほど、そういう事情でしたか。
 今日は入ってないんだな、を繰返しながら、鍋の中、練り物を探す父は確かにちょっと煩かった……。
 そういうことで鍋もの大好きなわたしの本日のメニューは「根菜と鶏肉の牛乳煮」
 つまりシチューですな(笑)
 これは極めつけに楽でよいのです。なんたってホワイトソースは作り置きがとっても簡単ですもの。

1月16日(日)

 風紋の誤字、ご連絡ありがとうございます。修正いたしました。
 一旦書上げた後、言い回しをちょこちょこと変えたりするもので、あちらこちらに余字脱字が点在しております。
 気をつけてはいるつもりなのですが……今後ともお気づきになりましたらお教え下さい。
 さて、間違い……そう、間違いであることに間違いはないのだけれど、今日はおかしな電話が1件。
「○○さんですよねっ」
 受話器をとるや否やの、もしもし、も、すっ飛ばしてのこの言葉。
 唖然として口が聞けないでいると、
「ちょっとっ、もしもしっ、聞いてるのっ、○○さんっ」
 残念ながらわたしは○○さんではないし、○○さんという名前にも心当たりがない。
 そのまま受話器を下ろそうかとも思ったんですけど、最近の電話にはほぼもれなくリダイヤル機能がついていますから、切ったところで「間違いだ」ということを伝えなければ、またかかってきます。
 それを考えている間に、罵詈雑言の嵐。湿っぽさがないので台風というよりも、竜巻系。
 そこで、仕方なく口をはさむタイミングを窺いつつ、黙って聞いておりました。
 話としては、なかなか面白い話でしたよ。俗に言う三角関係ですね。
 男が浮気して、女二人が泥仕合。
「聞いてんのかよっ ○○っ なんとか言ってみろ!!」
 そこで、やっと訪れた機会に、わたしは言った。
「あなたお掛け間違いしてると思うんですけど」
「ふざけんなっ じゃあなんでそれを先に言わないんだよっ」
 そんな見え透いた嘘を、と、続けられる言葉にあえて重ねてみました。
「訊かなかったから」
「……」
 本当は言うタイミングをつかめなかったからなんですけど(笑)
 電話はそこで切れたのでその後はわかりませんが、非常に続きが気になります。
 男はどっちの鞘を選ぶのか、あるいはまったく別の鞘を選択するのか、はたしてそんな都合のよい鞘が存在するのか。
 あるいは件の男にとって鞘は使い捨てなのか。
 最終回を見逃したドラマのように、気になって仕方がありません。