«このブログ、および筆者について | 傾城の花 | La Historia»
■タイトル:傾城の花
作品URL:http://haruhi.fc2web.com/keisei/n/index.html
■著者:菜秀さん
サイト:傾城の花(けいせいのはな)
■キーワード/FT,恋愛,中華風,オリエンタル,シリアス
■あらすじ
異世界ファンタジー。
もはや降服しか道はない――帝は討たれ、その太子もまた失われ、滅びに瀕する陽香に突きつけられた敵国ガクラータの要求。
それは「公主の一人を人質として献上せよ」というものだった。
「わたくしが参ります」
太子の他にはただ一人、女の身でありながら国の名を冠する公主・春陽。
時を待ち、これ至れば、内からガクラータを崩す。
敵国の文化に通じ、武をこなす彼女にしか、それは果たせぬ役目でもあった。
愛する国とそこに生きる人々のため、死地に赴く彼女を見送るのは二人の姉。
けれど、春陽にはその役目を果たすことができなかった......
■コメント:人の心はまこと測れぬものだと思います。
【春陽の章】
少女らしからぬ強さと冷静さを持つ春陽。
敵国の王子レセンドの心を、思惟を持って的確につかみながら、同時に己の心もまたとらわれて行くさまが憐れでした。
時期国主にもと期待され、課せられた務めの重さを知るために、同様の立場にある彼を理解してしまう苦しみ。
彼女の弱さではなく、強さこそが、彼女を混迷させるその逆説的な描き方には震えが走りました。
はからずも国を裏切ることになる春陽の絶望、そして彼女の苦しみを同様に理解しながらも、彼女を手元に留め置くことができるその一つ事を喜んでしまうレセンドの、哀しい愛の形が何よりも心に残ります。
========================================
【赫夜の章】
脆く儚く、それゆえに苛烈でもある。そんな二面性をもつ赫夜。
諦めなくてはならないことを、果たさねばならぬ務めを、理解していながら割り切れない思いを抱え惑う姿に描かれるのは誰もが抱える「弱さ」と「強さ」です。
母を思うため逃げ遅れ、そのために多数の兵を犠牲にし、果てはガクラータの属国の手に堕ちる彼女。
けれど「戦」の最中に投げ出されたことが、徐々に彼女を変えてゆきます。
彼女の強さはいつも彼女自身の心から生まれるもの。それゆえに、得心ゆかぬことを頑なに拒みます。拒むことを許されている弱さを知らぬまま、強くありたいと願う根底には、常に幼少の日々が影を落としているのでしょう。
========================================
【緋楽の章】
ただ一人生き残った兄とともに、国の再起を目指す緋楽。
たおやかな風情の中に垣間見えるのは帝王の姿です。
情を切り捨てることはなく、しかし流されることもないく、だからこそ、「私」である彼女と「国」のものである彼女の間に生じる壁が一際哀しいものに思われました。
姉として春陽、赫夜を慈しみ、二人の苦しみを理解していながら、国よりも「妹」を選ぶことを己に許さない。その決然たる覚悟には胸をうたれます
強さを求められることもなく、また求めることもなく、にも関わらず強くあることを己に課す彼女の光輝が、陽香をあまねく照らすことを願います。
========================================
【断章】および【終章】
断章に描かれるのは三公主の父帝、そしてそれぞれの母です。
穏やかな愛を夫に注ぐ緋楽の母、狂おしいまでに愛を求める赫夜の母、そして与えられる愛を享受する春陽の母。
愛、を、国を担うものの務めに置き換えると、それはそのまま三人の娘たちの生き方に当てはまります。
愛と責務、私と公。
世代をまたいだ見事な対比だと思います。
私において愛を与えられることの幸せは、公において務めを課せられる不幸と、
愛を注ぐやさしさは、務めを守る厳しさと、
愛を請う哀しみは、自ら務めを求める誇りと、
その明暗のなんと素晴らしいこと!
それは終章に描かれる三公主のあり方にも通じています。
課せられ、施された春陽の強さは、同様の務めを担うことを求められている者との邂逅により脆さを露呈します。一度崩れてしまった彼女の「強さ」は、もはや己では立て直せない。務めを放棄した春陽に、残されているのは多大な犠牲を払っても手放すことのできなかった「愛」です。
他者から強くあることを課せられたのではない赫夜には、その春陽の「変節」を最後まで理解することができません。戦の最中、己の弱さゆえに人命が失われる衝撃に強くあろうとした彼女は、「弱さ」の罪を熟知しているからです。しかし、弱さを責め憎まずにはいられないその背景には、過去の自分を悔やむ思いがあるように思われます。
強さも、愛も、求めながら得られなかった母とは異なり、彼女はその両方を手に入れます。
母と同じように見返りを求めることなく愛を注ぐのは緋楽。けれど彼女が愛を注ぐのは一人の男ではなく、国なのです。
彼女が願うのは己の安寧ではなく、常に他者の幸せでした。春陽の幸せを願い、赫夜の幸せを願い、兄の、人々の幸いを強く希求する。
己の全てを奉げることの過酷さを知り、なおそれを、苦痛ではなく倖せだと決意するその強さは、終生を皇帝の「友」としてあった母の強さに見習うものであるのかもしれません。
========================================
【徒然に思うこと】
憧れるのは緋楽ですが、愛しいのは春陽。近しさを感じるけれど、それゆえに苛立たしさも覚えるのが赫夜です。
赫夜の何に苛立つかというと、彼女は常に「己」の視点でしか物事を測ることができない、というところ。さらに、常に一点をしか見つめることのできない固定された視点です。それが近しさを感じる一因でもあるんですけど。
冒頭、母を思うばかりに民(兵だって民ですから)を減らし、中盤、それを悔いるばかりに妹・春陽の弱さを憎む。
戦で人が命を落とすと言うことを、彼女は本当の意味で判っていなかったのだと思います。
おそらくはガクラータに赴いた春陽がいずれ死ぬだろうことも、実感の伴なうものではなかったはずです。
それを強く意識せざるを得なくなったのは、己が戦地に放り出されたから。眼前で消えてゆく命。それでも生きることを課せられるその重さ。目の当たりにした衝撃は決して小さなものではなかったでしょう。
しかし今まで春陽が負ってきたものの一端を経験しながら、それでもやはり彼女は己というフィルタを通してしか、世の中を認識できないのです。
なんというか、それが器の違いなのかな、と。
緋楽は皇帝として一国を負って立ち、春陽はそれでもガクラータの王妃として国主の隣りに立ち国を導くでしょう。
けれど、赫夜は己の上に「友」という極めて稀かつ近しい立場で「国主」を戴き、その命に従う将軍でしかありません。戦という局所的な責は負えても、国という大局を負うことはできない。
そこが二人の姉妹との差のように思えるのです。
そして彼女もそれを自覚している。春陽に対するコンプレックスが、彼女を強くし、けれど決定的なところで足かせになってしまっている。そんな印象が、彼女には終始漂っているのです。
だから、春陽への八つ当たりにもにた怒りが納まりつつある一端を終章に垣間見、安堵いたしました。
それでもやっぱり自分と照らし合わせてやっと、というところが、なんとも彼女らしいのですけれど(笑)
......ふと思ったことなのですが、もしかして「誰かに委ねることができる」というのも強さの現われかもしれません。
信じて委ねることを知っている赫夜だから得る安寧なのかな......
似て異なる三人が、とても魅力的に描かれていて、もう、読み終えたあともしばらくは余韻から抜け出せませんでした。
施された強さ、求めざるを得なかった強さ、自ずから持ちえた強さ。
その結末が如何様なものであるのか、ぜひご覧頂きたく思います。
運営関連
MT関連