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■タイトル:La Historia
 作品URL:http://www3.ocv.ne.jp/~nikke/noveltop.htm
■著者:にっけさん
 サイト:La Historia (ラ・イストリア)
■キーワード/FT,王国記,シリアス
■あらすじ
 神ハールのおわす峰ツルギの足元にある国レンディア。
 決して豊かとは言えぬその小さな国で、人々は慎ましやかに日々を暮らしている。
「ハ-ルは必要なものを与えて下さいます。恵みは足りないことも余ることもありません」
 しかし、若くして父のあとを継いだ長セディムは、それに疑問を抱く。
 なぜレンディアは貧しいのだろう、なぜこんなにも働いてまだ飢えと戦わねばならないのだろう。
 もし、平原と同じだけの収穫を得ることができるなら、冬のたびに民を失わずともすむのではないだろうか。
 セディムの出した結論は......

■人の暮らしに本当に大切なものは何かを考えさせられました。神とはなんであるのか、などとも。

La Historia は シリーズ物(連載中)なので、以下に一話ずつ記します。
「春を待つ城」「弧空の下」

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【春を待つ城】 [完結]
 レンディアの若き長セディム。レンディアが小さくとも国である以上、彼は本来ならば「王」と呼ばれるべきでしょう。
 しかし、王よりは「長」であることが自然に思われる、レンディアはそれほどに小さな国です。
 暮らしに必要なものは己で手に入れる。
 それを慣習とするレンディアには、「物」を「金」で手に入れる、そんな文化もありません。稀にどうしてもレンディアの大地では手に入れられぬものがあるときにのみ、狩りをして毛皮を集め、平原の国から贖うのです。
 文句ひとつ言わず、人々は働き続けます。豊かになるためではありません。生きるために、彼らは日々を働きます。
 厳しい冬のために春も夏も秋も、休むことなく働き、それでも冬を越せぬ者がいる......。
 与えた分を奪い、奪った分を与える。
 それが神ハールの御業。
 しかしそれを神の理(ことわり)とすることに、セディムは耐えられませんでした。
 もし、平原のように実りを得ることができるなら。
 そう考えたセディムは、種となる麦を、法外ともいえる代価を支払って平原から贖います。
 けれど畑を整え、細心の注意を払い、懸命に育てた麦は、平原のような実りをもたらすことはなかったのでした。
 レンディアが貧しいのは、痩せた土と水のため......。
 肩を落とすセディムを、しかし皆は責めません。
 それどころか、そこそこには実ったのだからと、そう言って実りが「あった」ことを喜びます。
 無力感に苛まれるセディムに告げられる言葉。
 ――あなたがレンディアのためにならなんでもすると願ってくれること、それこそが民の喜び

 この言葉にはじわりと涙が浮びました。
 とかく結果を求められる「長」への、なんという優しさでしょう。

 願い、その結果何も得られなくても、と問い返すセディム。
 贖った種麦の失敗から、尽くしてもうまくいくとは限らないと弱気になる彼に告げられたのは、亡き父の言葉でした。
「弓弦を引かないで獲物が手に入ったためしなどない」

 古い慣習の中、変わることを忘れているかのようなレンディアを変えようとセディムは新しいことに挑みます。
 現状に甘んじることなく、より豊かな暮らしを民のために手に入れようと神(自然)にさえ挑む。
 けれど、それを慰め、支えるのは、レンディアが培ってきた知恵と歴史なのです。

 読み終えて、序盤にあった台詞を思い出しました。レンディアの貧しさを嘆くセディムを諭す台詞です。
「ハ-ルは我々に知恵と力を与えて下さっております」

 神ハールの御業に挑むための知恵と力。それは神ハールの手によってレンディアの民に与えられている。
 だからこそ、
「ハ-ルは必要なものを与えて下さいます。恵みは足りないことも余ることもありません」
 民人はそのように言うのかもしれません。
 であれば、セディムのような「長」こそが、ハールからレンディアに贈られた「恵」であるのでしょう。

 古い歴史を否定することなく、新しい歴史を積み重ねてゆく。
 そんなレンディアのあり方はとても美しく、心が清められる思いでした。

 挑むことと守ること、貧しさと豊かさ、古きと新しき、長から見た民と民から見た長、成功と挫折。
 さまざまなコントラストがこの物語の中には描かれていて、何度読み返しても都度、新しい感動を得るのです。

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【孤空の下】 [完結]
 前作「春を待つ城」で苦しむセディムに道を示した薬師ラシードのお話です。
 新しい知識を得るため、一人レンディアを離れ旅に出たラシードが直面するのはレンディアの「遅れ」です。
 文化も経済も立ち遅れている。
 ラシードにとって高すぎるパンの価格。しかし、それを言えば返ってくるのは「いつの時代の話だい?」
 故郷の話をすれば、それはもはや「古い伝説」にまでされている。
 驚き躊躇いつつも必死に学ぶラシードは、その日々の中で知るのです。
 レンディアとは比べ物にならぬほど豊かなその国で、それでも人々は「足りぬ」と奪い合っていることを。
 はじめはそれに違和感を覚えるラシードですが、やがて彼もその思いを知ることになります。
 彼が「足りぬ、もっと得たい」と感じるのは、薬師としての技、そして知識。他者から奪いとることができるものではないことだけが、その差異。
 己から「奪おう」とする人々と戦うため、薬師でありながら剣を取り、命を奪ってきた彼に示されるのは故郷への道。
 血に汚れた身を故郷にはさらせないと自らを哂うラシードを諭すのは、風渡りと呼ばれる旅の者でした。
 帰れ、それを願い、また帰る故郷があるのなら。
 
 まさにその手を必要とするときに、手を差し伸べてくれる者がある。
 その思いが真摯なものであるのなら、ハールは聞き届けてくれる、という前作で語られたラシードの言葉が思い出されました。

 そして旅に疲れたラシードに故郷への道が示されたように、「春を待つ城」ではセディムに新たな道が示される。他ならぬラシードの手によって。
 いつかセディムも、先を悩む誰かに、道を示すようになるのでしょう。
 人から人へと伝えられる先への道。この廻りあわせこそが、神の導きと呼ぶものなのかもしれません。

 このお話を読み、得ることの難しさを考えました。
 得ることが、奪うことであってはならないのだとも思います。

 セディムが求めたものはレンディアの民の幸せ。ラシードが求めたものはレンディアにはない知識と技。
 どちらも他者から奪えるものでないことは、そう考えるととても印象的です。
 ここにも「必要なものは己の手で得る」レンディアの気風が生きているのかもしれません。

 わたしがこのお話で特に心惹かれたのはラシードのあり方です。
 彼は知らないことに怯まない。怯まずに、それに飛び込んでゆく。とても謙虚に、そして熱意をもって。
 故郷の貧しさを思い、時に街のまばゆさに目をくらませ、それでも本来の目的を忘れることなく一途にそれに取り組んでゆくその姿は、セディムにも通じるものです。
 そういえば彼はセディムの父の従兄で、ということは、普通のお話の普通の国なら、まあ、王子さまの一人、あるいは筆頭貴族だったりするわけです。そういう人が薬師としてたった一人で旅に出ることが許される、または求められるレンディアの......厳しい国情が背景に窺われて、そこでもほろりときました。

 新しいものを得るためにレンディアで戦うセディム。新しいものを得るためにレンディアを離れたラシード。
 足ることを知るレンディアの慎ましやかな暮らしと、豊かでありながら飽くことのない平原の国の暮らし。
 己で得ることと、他者から奪うこと。奪えるものと、奪えないもの。癒すことと傷つけること。
 La Historia には、さまざまな対比が明暗とともに描かれていて、まるで絵画のようだと思います。

2006年7月19日 21:34 八仙花 |